きゃっきゃ、と騒ぐ妹たちの声で目が覚めた。薄目を開け、近くにあった携帯を手繰り寄せる。開くと、待受画面の端に新着メールを知らせるアイコンが表示されていた。寝起きでぼやける視界の中、送信者をざっと確認する。同級生、中には先輩や後輩なんかもいたが、その中にあいつらの名前はなかった。
 ……予想はしていたけどね。

 ついに、五月四日がきた。

 布団を頭まで被る。
 起きたくない。どうせ、何事もなかったかのように一日が過ぎるんだ。むしろ、このまま寝ていたらいつのまにか明日になっているんじゃないのか。明日になったところで、今日という日があったという過去は一生残るのだけれど。
 雨はまだ降っている。天気予報では今日の天気は晴れのはずなのに。とはいえ一昨日とは違い、雨の威力は弱い。しとしとという静かな雨の音を聞いていたら、なぜだろう。少しだけ泣きたくなった。いつからこんなに女々しくなったのかと思ったところで、寂しいという気持ちはどんどん膨らんでいく。
「……ばか」
 もういい。今日はひたすら寝よう。あの三人なら、学校が始まったと同時に謝ってくるだろう。謝ってこなかったら、その時はその時だ。
 そう考えながら目を閉じる。時間が経ち、二日前に比べて弱まった怒りに火をつけようと過去を遡ると、見事にシズちゃんの顔しか浮かばない。しかし俺にとってはこの上ない起爆剤だ。シズちゃんの顔を思い出しながらいい具合に苛々していると、妹たちの声がいつの間にか消えていることに気づいた。ようやく大人しくなったかと思った次の瞬間、耳が音を拾う。その声は父親が不在である俺の家にあるはずのない、低い男のものだった。何と言っているかまではわからない。廊下から聞こえてくるその声の主を特定しようとしても、距離が離れているのかよくわからなかった。
「誰だ……?」
 その声の大きさに比例して、足音が聞こえてくる。耳に全神経を集中させ、真っ直ぐこちらへ向かってくる足音を訝しんでいると、今度はがちゃり、と扉の開く音が聞こえてきた。開けられたのは間違いなく俺の部屋の扉だ。
 突然の展開に驚きながらも、枕の下に隠してあるナイフを掴む。あいつらが家の中にいれたということは、この人物は知り合いなのだろうか。だからといって、就寝中の他人の部屋に勝手に入ってくるほど無遠慮な輩を俺は知らない。一体これは誰なんだろう。頭まで布団を被っているせいで、人物はおろか部屋の中の様子を見ることができないのがじれったい。
 寝た振りをしていたらやり過ごせないだろうかとナイフを握りながら考えていると、腰の辺りに何か重いものが乗った。感覚で、部屋に侵入してきた誰かに跨がられているのだとわかる。 ……変態かよこいつ。
 しかし、マウントポジションを取られたのはまずい。大変よろしくない。
 相手の出方を布団の中から窺っていると、突然視界が光で満たされた。布団を捲られたのだと気付いたのは眩しさに目を閉じた後だった。
「まぶし、」
 ちかちかする目を擦ると、視界に金色が見えた。きらきらする金には嫌というほど見覚えがある。でも、なんでこんなところで。
「シズちゃん……?」
「おうよ」
 なんで君がここに、という当然の疑問は言葉にならず、ただシズちゃんを見つめることしか出来ない。夢、じゃないよな。これ。重さを感じるんだから幻覚でもないだろうし。なんなんだ、一体どういう状況だ? ていうかちょっと待て。俺、シズちゃんに家を教えたことなんてないんだけど。
 頬をつんつん、と突かれ我に返る。手を払うと、初めて見るかもしれない私服姿のシズちゃんは俺の上に乗りながら、きょろきょろと部屋を見渡し始めた。その顔には好奇の色がありありと浮かんでいる。
「ちょっと、なんなのマジで。なんでシズちゃん、ここみぃ」
 ようやく疑問が言葉になったと思ったのに、ふに、と両頬の肉を抓まれてしまう。うまく喋ることができなくなった俺の姿が面白いのか、はたまた優位に立てた今の状況が嬉しいのか、左右に肉が引っ張られた。俺の上でけらけらと楽しそうに笑うシズちゃんを睨みながら、ぐにぐに動かされる手を掴み、離そうとするがびくともしない。覆いかぶさるシズちゃんを足で蹴り飛ばそうとしたが、この状況じゃそれも無駄だ。
「おらおら」
「いははは」
「あ? なんだって?」
 痛いんだってくそやろう。こっちは本気で痛がっているのに、楽しみやがって。俺はマゾヒストじゃないから痛みに喜べないけど、シズちゃんはサディストだから俺が痛がる姿に喜べるんだね。すごいね。頼むから死んでくれ。
 ひいひいと情けない声をあげ続けることしか出来ない上に、生理的な涙が目尻にたまってきた。こいつの前で泣きたくないと堪えるも、襲う痛みに後押しされて、涙がこぼれそうになる。幾らシズちゃんが力を加減したって、俺にとっては痛い。人間と化け物の感覚は違うんだよ。シズちゃん。
 こうなっては仕方ない。効き目はないと思うけれど、とナイフを強く握りしめる。悪く思わないでくれよシズちゃん。君が悪いんだから。突然家に乗り込んできて人の嫌がることをする君がいけない。それにナイフを持っている俺に対してこんなことをしている時点である程度はこんな展開も予想していただろうし。だから俺は悪くない。
 刃を出してシズちゃんの顔を狙い振りかぶろうとした瞬間、がつ、と鈍い音が上から聞こえた。
 前のめりに倒れてきたシズちゃんに成す統べなく押し倒される。ベッドとシズちゃんに挟まれて身動き出来ないどころか思考停止中の俺に、聞き慣れた声が飛び込んできた。
「大丈夫か、臨也」
「ドタチン……!」
 ぺい、とドタチンの手により、簡単にシズちゃんは俺の上から退かされた。それどころか床に引きずり下ろされ、無様な姿で床に這いつくばっている。
 ふう、助かった。もう少しで布団を血で汚すところだった。ドタチンの右手が持っている俺の机の上にあったはずの分厚い英和事典を、見て見ぬ振りをしながらそんなことを思う。
「門田てめえ……」
「お前が悪い」
「そうそう。静雄が全部悪い」
 ドタチンの後ろからひょっこり顔を出した新羅が、にこりと俺に笑いかけてきた。シズちゃんだけでなく、ドタチンも新羅も私服姿で、とうとう幻覚を見てしまったのかと一瞬不安になったが、ひりひりと痛む頬の痛みがそれを否定する。
 目の前の三人は、服装を除けばいつもと何も変わらなかった。だからこそ余計にわからなくなる。目の前の光景とあの日起こったこととが頭の中をぐるぐると回り、やがて一つの結論に辿りついた。
「言っておくけれど、俺の方からは話すことなんて何もないからね」
 そうだ、俺は怒っているんだ。俺に寂しいなんて感情を味あわせたこいつらを俺は怒っている。こいつらがどういう理由で家に来たのかなんて、どうでもいい。疑問より、怒りだ。謝るために来たのならば早く謝ればいい。それ以外の理由だとしても、まずは謝罪からだ。言い訳なんてしたら、その瞬間順番に家から追い出してやる。
 再び頭まで布団を被ると、ゆさゆさと体を揺らされた。それを無視し、熱気の籠もる布団の中に身を隠す。
「もう、拗ねちゃって」
「ふん」
「起きなきゃまた乗るぞ」
「死ね!」
「いざやー、その顔を僕に見せておくれー」
「いや!」
「臨也出てこいって。暑いし息苦しいだろ、な?」
「やだ! ねえ、他に何か言うことあるんじゃないの?」
 言い訳も謝罪もなく、あくまで普段通りの三人を布団から顔だけを出し睨みつけると、新羅とドタチンが、いつの間にか立ち上がっていたシズちゃんに冷ややかな視線を向けていた。ドタチンは腕を組み、新羅は笑顔のままシズちゃんの背中をぽんぽんと叩いていて、その光景に妙な重圧を感じさせる。それは当人であるシズちゃんが一番感じているのか、二人の間で罰の悪そうな顔をしていた。
「ほら、静雄。君が原因なんだから謝って」
「……んで俺が。つうか元はといえば新羅がよぉ……」
「いいから謝れ。また話をややこしくしたいのか。今度こそ許さんぞ」
「んぎぎぎぎ……」
 悔しくて悔しくて仕方ないというような顔でシズちゃんは俺を睨んだ。握り締めているシズちゃんの拳がぷるぷる震えている。悪いことしたから謝るという当たり前のことに怒りを感じているのか、この単細胞馬鹿は。
 早くしろ、という二人の視線を浴びながら、シズちゃんはようやくぽつりぽつりと言葉を発してみせた。
「……言葉を考えなかった俺が、わ、わる、悪かった。だから、その、お前も早く機嫌なお…………っあ"ぁ!! なんで俺がこいつに頭下げなきゃならねえんだよ!! 腹立つな!!」
「静雄、今頭下げてないよね」
「気分だ、気分!! つうか、お前もくだらねえことでぐずぐずすんなアホか!! 馬鹿か!!」
 怒鳴り声に一瞬呆気に取られる。数秒掛かり、言葉の意味を理解した時には勝手に口が動いていた。
「な……、なっ、な! 何それ責任転嫁!? 悪いのは全部そっちだろ!? 死ね!! 百万回死ね!!」
「あーあ、傷ついた。やべえ、めちゃくちゃ傷ついた。だからてめえも謝れや。床に頭つけてな」
「はいはい喧嘩はそこまでー。本当君たちって学習能力ないよね」
 新羅の制止に荒くなった息を整えつつ、シズちゃんに向かって思いっきり舌を出す。ぶちん、と何かが切れた音がしたが俺には関係ない。視界の端ではドタチンが呆れ顔で俺達を見ていた。
「お前、マジで可愛くないな」
「男相手に可愛いも何もないだろ。気持ち悪いから早く死んで」
「可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い」
「やめろばか!! 耳が腐る!!」
「静雄ー、臨也を虐めてテンション上げてるところ悪いんだけど、目的を忘れてないよね?」
「忘れてねえよ。だからそんな顔で俺を見るな。……おら早く準備しろ」
「は?」
 準備、準備ってなんだ? 俺のいないところで一体どう話が進んでいるんだか、さっぱりわからない。シズちゃんと怒鳴りあったことで軽減した怒りは棚の上にでも置いておいて、目の前の疑問解決に頭を切り替えよう。
「……意味が全く分からないんだけど」
「分からなくてもいいからさっさと準備しろっつってんだろ」
「またそうやってお前は……」
「仕方ないよ門田くん。もう諦めよう」
「言われなくても、ここ数日で何もかも諦めてる」
「うるせえな。いいんだよ、俺は、これで」
 未だ布団から顔を出しただけの俺と同じ目線の高さになるように、シズちゃんがしゃがみ込む。至近距離にあるシズちゃんの目と目が合い、思わず逸らすと小さく舌打ちをされた。そのままバリバリと金色の綺麗な髪の毛を掻き回す。
「てめえが言ったんだろうが。羽目外したいんだろ? 付き合ってやるって言ってんだよ」
「は?」
 「お前が言った」と言われても、最後にシズちゃんと話したのは奈倉の電話を奪った後のあれだけだ。怒りをぶち撒けこそしたが、何かしてほしいだなんて……言っていないはずだ。感情に任せ過ぎて何を言ったのか曖昧にしか思い出せないが、少なくとも「羽目を外したい」なんて言葉を、俺があんな状態で言うとは思えない。
 どういうことなのかと新羅を見ると、俺の視線に気づき少し困ったように笑ってみせた。
「えっとね、奈倉くんと繋がってた、って言ったらわかるかな?」
「……え?」
「あの日聞かれなかった? 何か欲しいものはあるか、とか」
「き、聞かれた」
 あの日確かに。俺の愚痴を聞きたくないがためにあんな脈絡のない発言をしただけかと思ったのだけれど、どうやら違ったらしい。
 あの馬鹿が、新羅たちと繋がっていた、だって?
「もう隠していても仕方ないから全部言うけどね、あの日、臨也への誕生日プレゼントを選ぼうって話になって、放課後街に出たんだ。本当だよ?」
「……うん」
「それで結局、臨也の好きそうなものがわからなくてさ。君に聞こうとしたんだけれど、あんな事の後でとてもじゃないけど聞ける状態じゃなかったし。だから、奈倉くんに手伝ってもらった、っていうこと。信じてくれた?」
「うん……」
 そういえばあの日、奈倉はドタチンと電話をしていた。きっと、その時にでも頼まれたのだろう。
 だったらそれ以降のあいつは全てを知っていたことになる。俺の不安が杞憂だったということも、全て。そんな俺を前にして、あいつは何を思っていたのだろうか。嘲りか、同情か。はたまた別の感情か。そういえば、電話の後のあいつは少し様子がおかしかったように今なら思える。
「……なんか、奈倉に気を使われたみたいで……ムカつくなぁ」
 とりあえず俺の心の中に浮かんだのはこの言葉だった。心中をそのまま口にすると、ドタチンが小さく苦笑する。
「何があったのかは知らねえが、あいつもあいつなりにお前のことを心配してたんだろうよ」
「なんでそうなるのさ」
 俺は奈倉に心配される覚えなんてないし、大体あいつがそんな殊勝な奴だとも思えない。馬鹿ばかしいと一蹴したいけれど、その答えを導いたのがドタチンとなればそう無下にもできないわけで。ドタチンがどういう経路でその結論にたどり着いたのか、気になるところだ。曖昧な笑みを浮かべながら俺の頭を撫でるドタチンは、一体何を考えていたのだろう。
「それはともかくだ」
「え?」
「俺たちからお前に言わなきゃならんことがある」
 頭を撫でていた手が頬に移動した。手の甲が肌の上を軽く滑る。擽ったさに布団の下の身を捩ると、手は離れていった。無意識の内に細めていた目を開くと、そこには。
「誕生日、おめでとう。臨也」
「遅くなってごめんね。僕からもおめでとう。ほら、静雄も」
「…………おめでとう」
 三人に代わる代わる祝いの言葉を貰い、自然に緩む口元を布団で覆う。じわじわと何かが体中に染み渡り、胸がきゅと締め付けられた。
 ああ、どうしよう。これは想像以上だ。
 目を閉じてこの心地よい感覚に浸っていたいが、俺の返事を待っている奴らがいる。声に感情が籠もらないように気をつけながら口を開く。
「仕方ないから、……許す……」
「そうしてもらえると、とても嬉しいよ。ねえ、門田くん?」
「随分遠回りしたな」
「……やっぱり素直が一番、ってことなのかな。何はともあれ、これで仲直りだ」
 二人がそんなことを言う中、屈んだままのシズちゃんは輪に入らず俺の額に触れてきた。素直にそれを受け入れていると、そのまま俺の前髪を掬うように何度か撫でる。
「なに?」
「いいこと知れたな、と思って」
「何の話?」
「お前には俺らがいないと駄目なんだな」
「……うっさい」
 手を振り払い起き上がる。俺の上に乗っていた時とはまた違う類の表情を笑みを浮かべるシズちゃんは、ただただ穏やかな雰囲気を漂わせ俺のことを見ていた。調子が狂うことこの上ない。
 二人に撫でられ乱れた髪を手櫛で適当に整えてから、顔を洗うべく洗面所に向かおうとして三人を見る。
「言っておくけど、今日は一日中俺の言うこと聞いてもらうからね。反論とか一切認めないから」
「馬鹿か、そんなの覚悟の上に決まってんだろ」
「大体、臨也の我が儘は今に始まったことじゃないでしょ」
「お前ら酷いな……。否定はしねえけど」
「本人を前に馬鹿正直もいいところだよ、まったく」
 部屋と廊下を隔てる戸に手をかけたところで、聞き覚えのあるバイブ音が聞こえてきた。ベッドの上で振動するそれは、間違いなく俺の携帯だ。
「臨也、なんか女の子からメールきてるみたいだよ? 見なくていいの?」
「……いいよ、別に。興味ないし」
「そう?」
「うん」
 だって、今日は一年に一度の特別な日なんだから。そんな日に興味のない人間たちに割く時間なんて、俺は持ち合わせていない。
 折原臨也という人間ならば、律儀に全てのメールに目を通し、返信する人を選別して実行。三人の誘いも、人間観察の一部というの括りの中でしか見ないだろう。
 でも俺は違う。嘘で塗り固められた人間愛を捨ててでも、選びたいものが俺にはあった。もしかしたらもう二度と手にすることは出来ないかもしれないそれを今日だけは存分に味わおう。今日だけは、今日だけは。
「……今の俺には、こっちの方が大切だからね」
 それは紛れもない本心だった。



「晴れたねえ。今までの天気は何だったんだろ。朝くる時も雨降ってたのに」
「最近の天気予報、マジであてにならねえな。傘荷物になっちまった」
「ねえ臨也、本当に何もいらなかったの?」
「うん。別に物欲とかないし、俺」
「そんなこと言って。毎年僕のお気に入りが欲しいってせがんでたくせに」
「あれねえ、…………実は新羅が俺のためにどこまでやってくれるのかな、っていう実験だったり」
「これはびっくり、そうだったのか。じゃあ僕は友人思いの良い奴、ってことが証明されたんだね」
「うん、一応ね。……次はドタチンの誕生日かぁ。期待しててね。なんでも好きなものあげるから」
「……別に、お前からならなんでもいいぞ。貰えるだけで十分嬉しい」
「なんでもいいが一番困るんだけどな。でもいいよ。今日付き合ってくれるお礼、きちんとするからさ」
「あぁ、じゃあ楽しみにしてる」
「……今、門田くん、さりげなく……さりげなく……」
「……あいつ、何気に積極的だよな」
「静雄も頑張ってね。ぼんやりしていると、本当に取られちゃうよ?」
「……俺は別に、臨也になんか興味は」
「はいはい」


ぱちぱち

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