夜、風呂から上がり部屋でぼんやりと今日あったことを思い返していると、携帯電話が着信を訴えた。ディスプレイには『奈倉』の二文字。電話に出ると直ぐさま「よっ、門田。あのことで電話したんだけど」と話を振られる。
「あぁ、悪いな。……どうだった?」
『うん。なんか、物とかはいらねえらしいよ? その代わり、普通に遊びたいんだと。なんつってたかな……、あ、そうそう。あいつ「遊び疲れたい」って言ってたわ』
 あまりにも想像から掛け離れた答えに、思わず耳を疑う。こいつが嘘をつくとは思えないし、この口ぶりからして臨也に質問の真意がバレたとも思えない。臨也が奈倉を茶化したわけでもなさそうだ。だとしたら、にわかには信じ難いがこの答えは本当なのだろう。
「……普通、ってあいつが言ったのか?」
『ん? うん。俺も最初聞いた時焦ったわ。あいつの口からそんな言葉が出てくるなんて、ショックで頭やられたかとさえ思った』
「……そうか。すまねえな。お前に迷惑ばかりかけている」
『別にいいって』
 どうやら聞いた本人も同じことを思ったらしい。そりゃそうだ。よりにもよって、あの臨也からそんなことを言われたとなれば、あいつのことを知っている人間は誰だって疑問に思うはずだ。
 それよりも今更ながら、臨也を苦手としているはずの奈倉に、臨也に関することを頼ってしまった罪悪感が少しずつ込み上げてきた。
 第三者から見ても、二人の仲が良いとはお世辞にも言えない。現に俺自身もこいつらの仲は悪いと思っているくらいだ。嫌いなやつのことについて頼み事をされ、良い気分はしないだろう。
 しかしそんな俺の思いとは裏腹に、奈倉の口調は軽く、本当に気にしていないようだった。でも残念なことに、それが嘘かどうか俺には分からない。臨也曰く、こいつは嘘が上手いらしいから。それでも助かったのは事実だ。後日何か礼をしなくては。
『後、こういうこと言わなくてもいいかもだけれど一応。あいつを一人にしない方がいいよ。じゃなきゃ、また今回みたいになるからさ』
 これは奈倉からの忠告だろうか。元はといえば静雄の言葉が原因なのだが、臨也からしか状況を聞かされていない奈倉からすれば俺と岸谷も平等に悪い、という結論に至っても仕方ない。
「肝に銘じておく」
『あ、だからってあまり気にしなくていいからな? そっちにも事情があるだろうし。一応な、一応。それに、今回のことは俺の方から門田たちにご苦労様と言いたいぐらいだから』
 そう言って電話越しに笑う奈倉の『ご苦労様』という言葉に、つい反論しそうになった。少なくとも俺は、臨也のことについて苦労だと感じたことはほとんどない。
 これは俺たちが、いや、俺と静雄が臨也に抱いている感情によるものだと思う。この感情の名前が『恋慕』というものだと気付いてしまっているから、相手のために悩み考えることを苦だとは思わない。
 そういえば岸谷はどうなんだ。俺、静雄ときて、臨也に一番近いあいつは臨也のことをどう思っているのだろうか。一度気になった考えはなかなか消えない。
 僅かな沈黙が訪れる。
 折角奈倉と電話をしているのだからついでにと、俺の反応を待っている奈倉に意を決して問い掛けてみる。
「……なあ、岸谷と臨也ってよ、仲良いよな」
『え? ああ……、うん。あいつらは……その、な。色々あったから。どうしたとつぜ』
「恋愛、みたいなもんなのか。あれは」
 奈倉の声を遮りそう訊くと、携帯の向こうから声が消えた。
 岸谷と臨也と長くいた奈倉ならば何か知っているかもしれない。これは賭けだ。恋敵はできるだけ把握しておきたい。それに、岸谷が言っていた過去に渡したプレゼントの件も気になる。最悪、臨也が岸谷を、という可能性がないわけじゃないんだ。
 臨也と関わりを持たせたことに感じていた罪悪感は何処へいったものか。数分前の発言を自分自身で覆しながら、一人自重気味に笑ってみる。
 恋は盲目というがその言葉は本当だ。臨也をそういう目で見るようになってから、この言葉の意味を深く噛み締めた。臨也との関係をこのままにしておくためならば、きっと俺はどんな手段だって惜しまないだろう。不安要素は早いうちに把握しておきたいしな。
 答えを握っているであろう奈倉は、ごほんと一つ咳ばらいをした。言葉を選んでいるのか、発言までに時間が掛かる。
『……確かに、あいつらの距離は近すぎるけれど、多分あれはいきすぎた友情、ってやつだと思うよ。あいつらの場合は普通の奴らとは変わってるからさ。色々と』
「そういうもんか?」
『そうだよ。誤解したくなる気持ちも確かに分かるけどな。男同士にしちゃ妙に仲良いし。ぶっちゃけ、あの二人が何を考えているのか俺にもわかんねえから、本当のことを知りたいなら直接聞くのが一番かな。こんなこと、聞けるわけないだろうけど。つか確か岸谷って好きなやついるよな? あれ、知らない?』
 俺が過敏になっているだけで、あの二人の仲は友情という括りの中で収まるものらしい。男同士で仲が良いからといって恋愛に結びつける方が不自然か。
「……変なこと聞いちまったな。忘れてくれや。お前も臨也のお守りで疲れただろ? もう寝たらどうだ?」
『俺は大丈夫。なんやかんやで慣れてるしな、ああいうの』
 奈倉の言葉が、少し引っ掛かった。あの状態の臨也の対処に慣れている、とでもいうのだろうか。俺や岸谷でさえ宥めるどころか、話を聞いてもらうことさえままならなかった臨也に慣れていると。
 何か、嫌な予感がした。奈倉の言葉を聞き逃すまいと、携帯を耳に押し付ける。
「臨也がああいう風になること、結構あんのか?」
『んー? いや、頻繁にはねえけどよ。今まであいつが弱ってる時とかキレてる時に、一番傍にいたの俺だったから。今更泣き言言われようが愚痴られようがな。そういうの繰り返したらだんだん慣れてきてさ。それだけだよ。門田たちにとっちゃ、珍しい光景だったろうがな。いやー、確かに今回は少し疲れたけど』
 こいつは、本当に臨也のことを嫌っているのか? 俺にはまだ他の感情があるような気がしてならない。しかし、岸谷と臨也の関係について話したばかりだというのに、奈倉の真意について訊ねるのは少し気が引ける。またいつか、機会があったら聞いてみよう。
『……あ、やべ。風呂入るからもう切るわ。おやすみ』
「ああ、今回はありがとな。おやすみ」
『おー。また平和島暴走させないよーに』
 ぶつん、とそこで通話は切れた。
 奈倉の言葉が頭の中に靄として残っていたが、それを払拭するように頭を振る。
 今はそんなことを考えている暇なんてない。臨也の誕生日はすぐそこだ。
 そうだ、奈倉から聞いた話を早く静雄と岸谷にも伝えなくては。二人とも、まだ起きているだろうか。
 ふとカーテンを閉め忘れていた窓の方を見る。外は未だに、雨が降っているようだった。






 通話の終わった携帯をベッドに放り投げ、俺自身もベッドへとダイブする。ごめん門田、俺実はもう風呂には入ってました。まる。
 なぜか、あれ以上門田と話をしていたくなかった。自分が思っている以上に疲れているのかもしれない。疲れたな、うん疲れた。布団に顔を埋めながら、今日一日のことを振り返る。
 結局雨はいつまで経っても止まねえし、あいつは俺を置いてちゃっかりタクシー使って帰るし。仕方ないと自転車を押して帰ったら、案の定頭の先から爪先までべちゃべちゃになるし。もう酷いのなんの。帰ってきてからすぐに風呂には入ったものの、もしも明日風邪を引いたら臨也のせいだ。
「…………はぁ」
 未だに降り続ける雨の音を聞いていると、不意に臨也の寂しそうな顔が浮んだ。
 ――あいつは、いつも何か嫌なことがあれば俺に不満を吐いてきた。正確に言うと、俺だけに、だ。日常の些細なことからその他のことまで。時に弱音なんかも混ざっていたそれは、臨也の隠しておきたい、人間らしい負の感情そのものだった。
 臨也の本音に一番近い言葉をずっと傍で聞いてきた。その立場を俺は昔から受け入れてきたんだ。
 だからといって、俺はあいつを甘やかすために存在しているわけじゃない。それはあいつらだけで十分だ。
 そのはずなのに。
 臨也を拒絶出来ない俺が、多分一番甘い。そして、そのことに少しでも優越感を感じている俺は、間違いなく一番馬鹿だ。
「……別に、嬉しくはねえけどな」
 呟くようにして吐き出した言葉は、降り続ける雨に一瞬で掻き消された。



ぱちぱち

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