「……奈倉」
「ん?」
 それまで無言だった臨也が声を発したのは、電話が切れてから五分ほど経った頃だった。
 相変わらず臨也の頭は俺の肩にある。俺らの席の傍を通り掛かった客の視線にもいい加減慣れてきた。無理に離して喚かれるくらいならばと、この状況を甘受する。それが俺が考えられる選択肢の中で最善のものだった。それに、いちいち他人の目を気にしてはこの人の傍にはいられない。普段と状況が違うだけで、向けられる好奇と同情が混ざった視線はいつもと同じものだ。そう思い、耐える。
「奈倉はさ、俺の誕生日、知ってる?」
「はえっ?」
 突然すぎる問いに声が上擦った。さっきといい、声に動揺が出てしまう。いくら表情を誤魔化せたとしてもこれでは意味がない。咳ばらいを一つして、何事もなかったかのように「えっと」と考える振りをする。
 門田との電話の内容が聞こえていたのかと不安になったが、未だに不機嫌そうな臨也を見る限り、どうやらそういうわけではないらしい。ならばこの質問に何の意味があるのだろうか。
「もうすぐですよね、確か」
「そう正解。なーんだ、知ってるんだ」
「……それがどうかしたんですか?」
 何の意味もなく誕生日を尋ねたわけではないだろう。確信を胸にそう訊いてみれば、臨也は小さく唸ってみせた。
「お前だし、いいかな。大した話じゃないんだけどね、まぁ聞いてくれよ。退屈になったら独り言として流してくれても構わないからさ」
「わかりました」
 数分前とは打って変わり、今の臨也は不機嫌ではあるが、穏やかな雰囲気を纏っている。喋り方も、感情に任せたものではなく至極淡々としていて、普段の臨也に戻ったかのような印象すら覚えた。そんな臨也を前にして、俺は小さく頷くことしかできない。下手に刺激してしまえば、また振り出しに戻ってしまう。
俺の素直な反応に、臨也は満足そうにくすくすと笑ってみせた。今の俺に出来ることは、聞き役に徹することだけだ。甘えるように頭を擦りつける臨也に俺は何も言わない。聞き役に言葉は必要ない。
「俺、裏切られちゃったんだよね」
突然の言葉に、今度こそ俺は反応しなかった。そんな俺の様子を確認する臨也と、至近距離で目が合う。息がかかるほどの距離で、動じることなく臨也の目を見返すと、小さく笑ってみせた。
「裏切られたは大袈裟か。まぁ、いい話すよ。毎年、俺の誕生日が近くなると周りの人達に『誕生日おめでとう』とか『何か欲しいものある?』とか聞かれるんだ。……新羅も、出会った翌年からは毎年聞いてきた」
岸谷。その名前が出た瞬間、自分の身体がピクリと動いたのが分かった。臨也はそれに気付くことなく話を進める。
「普段俺のことなんてどうでもいい、みたいな態度を取る新羅がだよ。不思議で不思議で堪らなかったけれど、大方片思いの相手に何か言われたんだろうね。それはいい。一方的に貰ってばかりじゃ嫌だったから、俺も同じように新羅の誕生日の時にはしてきた。もちろん今年も。新羅の誕生日も俺の誕生日も、ちょうど休日とぶつかるだろう? だから新羅はゴールデンウイークが始まる前の最後の登校日に、俺も同じように休暇前の登校日に、それぞれお決まりの台詞を言うんだよね。『誕生日おめでとう。今年は何が欲しい?』って」
 岸谷の誕生日は俺の記憶が正しければ四月二日だったはずだ。確かに、春休みと誕生日が重なる。
「決まった日に決まった台詞。……毎年毎年、よく考えれば飽きないよなぁ、俺らも」
 昔を懐かしむように語る臨也の声を聞きながら、話を整理していく。
 岸谷は毎年、今日という日に臨也へ祝いの言葉を贈っていたらしい。それはこいつらの恒例行事みたいなもので、臨也の口ぶりから察するに、出会ってから今まで一度も欠かしたことはなかったのだろう。しかし、それがどうしたというのだろうか。裏切られたとは、どういう意味なのだろうか。
 そんな俺の疑問は、次の臨也の言葉で全て解消される。
「なのに、今年はそれがなかった。それだけじゃない……、今年はいつもと状況が違う」
「何がですか?」
「新羅の周りにいるのは俺だけじゃない」
 まるで、俺が質問することを予測していたかのように、間髪入れずに答えが返ってきた。その声色が低く変化していたことには、すぐに気が付いた。
 実際、中学の頃なんかとは違い、岸谷の周りには門田や平和島がいる。今まで他人に興味を示すことも積極的に交流することもなかった岸谷の周りに、臨也以外の人間が現れた。それまでは岸谷には臨也、臨也には岸谷しかいなかったが、その関係は門田と平和島の登場で簡単に崩れ去った。
とはいえ、岸谷の中から臨也が消えたわけではない。あくまでも岸谷の交流の幅が広がったというだけの話で、それは臨也も同じことだった。同じことを、そして当たり前のことをしているだけのはずなのに、臨也は何かが引っかかるらしい。その心の中を予測するのは、俺にはまだ時間がかかりそうだ。
「忘れちゃったんだろうな、きっと。いや、忘れていただけならまだマシか……。もうわからないや。頭の中ぐちゃぐちゃでさ。変わらない物なんて無いって知っているのに……、あー馬鹿だな、俺」
どうやら門田がいても平和島がいても、臨也の中で岸谷は二人よりも高い位置にいるらしい。ぐずぐずと自己嫌悪に浸かり始めた臨也を見て思ったことは、歪んでいるな、という一言だった。こいつのこの思いを、女々しいという言葉で片付けていいとは俺には思えない。
 そして、ようやく気付いた。
今回の騒動のそもそもの原因は、岸谷なんじゃないのか。臨也だって言っていた。『今年はそれがなかった』と。おそらく、それが一番臨也の心の中にあったのだろう。それに加えて、平和島のあの発言。
その二つを足してみると、ある考えが浮ぶ。『岸谷は臨也より、平和島たちを取った』。言った平和島自身はそんなことなど特に考えていなかっただろうけれど、今回はタイミングが悪すぎた。臨也がそう捉えてしまっても、なんらおかしくはない。こいつは人間の裏を知り過ぎた。僅かな違和感から生じる案件を何百も知っているからこそ、不安になる。
 それに、岸谷は忘れてなんかいない。現に今も、門田たちと共に臨也のために動いている。毎年続いていたものを急に止めたのには何か理由があったはずだ。でもそれは、岸谷にしかわからないのだと思う。俺がいくらここで考えてもそれは予測の域からは出ない。
「それなのに、よりによってお前は覚えてるってなんかさぁ、ムカつくんだけど」
 不意に、臨也の声のトーンが変わる。
「へ」
「新羅は忘れてるのに、お前が覚えてるって普通逆じゃん。俺、お前に覚えていて貰っても全然嬉しくない」
「あ、はい、すいません」
「まったく」
 なんで謝ってるんだ、俺。こいつが相手だと、どうにも自分のペースを貫くことが出来ない。
それでも、大体読み取れた。臨也の心の中にあるものだとか、門田たちの真意だとか。今のこいつらのことを一番知っているのは俺だろう。
「ねえ、奈倉。もうすぐ誕生日だからさ何か祝ってよ」
 妙に甘えた声の臨也がべたべたと俺の腕に触れる。いつの間に機嫌を直したのか、口調は軽い。
身動きが取れないことに少しだけ煩わしさを感じながらも、俺の頭の中では冷静にタイミングを窺っていた。
 門田からの頼みを遂行するのならば、今しかないだろう。ちょうど臨也から誕生日の話題を振ってきたことだし。少し強引するかもしれないが、この話題が終わってしまえばもうチャンスは回ってこない気がする。無理矢理話を繋げる話術は俺にはない。
「……別にいいですよ? どうです。何か欲しい物とかありますか?」
「何それ。新羅の真似?」
「純粋な疑問です。俺に岸谷の代役が勤まんなら真似ってことでもいいっすけど」
「寝ぼけてんの? 無理に決まってるじゃん。…………欲しいもの、か……」
 ようやく俺の肩から頭を離し、腕を組みながら考えこむ臨也を、テーブルに頬杖をつきながら見守る。こいつはなんて言うんだろう。門田たちが用意できるものだといいな。ただそれだけを考えて。
「あのさ、それは物じゃなきゃダメなの? 特に今欲しいものとかないんだけど」
「えっ、あ、いや……っと、無いなら、したいこととかでもなんでもいい」
「じゃあゆっくり寝たい」
 すぐさまそう答えられ、パチパチと瞬きをすることしかできなかった。
 ……なんという普通。
 非日常に身を置きすぎると普通が恋しくなるのだろうか。つかどこの運動部員だよ。
 正直拍子抜けだ。これならマジで、あいつらが臨也に直接聞けばよかったんじゃねえのか? まあ、誕生日プレゼントについて聞いたのに「それよりも寝ていたい!」と答えられても、どうしようもないだろうけど。
 にしてもおかしいな。こいつ、岸谷が今年も「誕生日に何が欲しい?」と聞いてきたらどう返すつもりだったんだろう。聞いてきてほしかった、と言っていたのだからそれなりの答えがあったに違いない。じゃあ今の答えは嘘? 本当の答えを言うようにうまく誘導することなんて俺に出来るのか。絶対無理だ。でもやらないと門田が、あいつらが。突然世界の命運を託されたヒーローの気持ちが、今ならわかるかもしれない。
「……というのが一つ。俺としてはもう一つの方が重要なんだけどね」
 次にする質問を考えていると、やけに落ち着いた口調で臨也がそう言った。驚いて臨也を見ると、口元が少しだけ笑っている。
「休日を楽しみたいな。馬鹿みたいに、何も知らない子供みたいに。何もかもぜーんぶ忘れてね。こんなファーストフード店でも、ゲームセンターでもいい。後……普通の子たちが行く場所ってどこだろ。まぁ、どこでもいいんだよ。笑って遊んで、疲れたなぁって。…………遊び疲れ、か。そうだな。それもいい。皆、連休中に友達同士で何処かへ行ったりするんだろ? 皆教室で騒いでたもんね。いいよなぁ、そういうの。俺もしたい」
吐き出された言葉の数々に、頭がついていかない。どこにでもある、ありふれた普通の願いも、それを願うのが臨也となれば話は変わってくる。
さっきの願いも確かに臨也らしくはなかたったが、こっちの方が桁違いでらしくない。そこではた、と気付いた。俺は臨也の何を知っているのだろう。
「……あんたにしては普通、ですね」
「いくら俺でも完全に全てをふっ切ることなんてできないよ。いいじゃないか、たまには普通を望んだって。まだ高校生なんだから」
 思わずこぼれた感想に、臨也はにやりと笑ってみせた。
 休み時間や放課後、クラスの奴らが友人同士で連休中の予定を経てている姿を、臨也は羨望を抱きながら見ていたのか。そういえば今日の休み時間『休みが終わるまで自由にしてていいよ』というメールを貰ったっけ。その時は、何か裏があるんじゃないかと携帯を握りながら臨也の背中を凝視していたが、それは束の間の解放だったというわけか。普通に戻っていいよ、と。普通を羨ましがる臨也からのプレゼント。
誰かが言っていた。臨也は平和島のような、そして岸谷のような普通とはかけ離れた人間になりたがっているのだと。そしてこうも言っていた。それは臨也の本心ではないと。あいつは誰よりも普通で、どうしようもないほどに人間なのだと。
臨也の本心が何なのかは、俺にも、そしてもしかしたら臨也自身も分かっていないのかもしれない。
「ねえ、ここまで喋ったんだ。一緒に楽しんでくれるよね?」
「……その役目は俺じゃないでしょう?」
 我ながら冷たい奴だなと思った。一緒に連休を過ごしたいと思っていた奴らに拒絶され、落ち込んでいる奴の誘いをあっさりと断る。
 でも、俺とこいつは仲良しごっこをする間柄じゃない。命令して受け入れて、ただそれだけ。全てを受け入れる俺は、犬も同然だ。飼い主と犬、そんな奇妙な主従関係しか俺達の間には存在しない。
 今回のこれだって、俺が落ち込んでいる臨也を自らなんとかしようとしたわけじゃない。あくまでも臨也が不満のはけ口として俺を選んだからこうなっているだけであって、俺の方に他意はないんだ。うん、ない、はずだ。
 第一、俺なんかよりももっと臨也のことを考えている奴らがいる。俺の出る幕は微塵もない。
 何も知らない臨也は寂しそうに笑った。自分の願いは叶わないと信じているこいつに、もう真実を言おうという気は一切起きない。
 後はこいつら四人の問題だ。最後の仕事が終われば、俺はもうこの件とは無関係になる。四人の中に俺が入ることなんてできやしないのだから。
 臨也の一歩後ろ。そこから四人の背中を見ているのが俺だ。間違っても臨也の隣を歩いて生きていくことは俺にはできない。いつも一歩後ろ。背中と、振り向いた時に見える顔。それが、それだけが俺にとっての臨也の全てだった。
 でも、それでよかった。
 むしろその方がよかった。
「酷い奴だな」
 目を伏せそう言う臨也に、俺は笑顔を向けた。それは同情でも、嘲笑でもない。この笑顔に込めた思いが伝わらないのなら、それでも、いい。
「大丈夫ですよ、絶対」
 ――後ろからじゃないと見えないものもあるって、あの三人は知っているのだろうか。


ぱちぱち

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