「死ねばいいのに死ねばいいのに死ねばいいのに!!」

 憎悪しか感じない声色でそう繰り返すこいつの言葉はもう何度目だろう。岸谷辺りならへらへら笑ってこの場を乗り切るんだろうけど、生憎俺はそんな高度な技を持ち合わせてなどいないわけで。


 注文を復唱する声や、客に挨拶をする店員の声が耳に届く。室内に充満する油独特の臭いは、俺たちの座る席から離れた所にあるカウンターの奥から漂ってくるようだった。
 今俺たちがいるのは、来神高校からそう遠くない場所にあるファーストフード店だ。店内には来神高校や他校の生徒の姿がちらほらと見える。友人や恋人と放課後を満喫している学生たちの姿に、思わず奥歯を噛み締めそうになった。なんだって俺は貴重な放課後をこいつと一緒に過ごしているんだか。
 臨也の放つ負のオーラと呟きのせいなのか、俺たちの席の周りには誰も座ろうとはしなかった。賢明な判断だと思う。だからといって、臨也と向かい合って座っている俺が馬鹿だとは微塵も思わない。賢明な判断も何も、俺の場合判断することすら許されなかったんだから。拒否権がない以上、判断したところで無意味な気もするけどな。

 周りに人が寄ってこないという状況が面白くないのか、不機嫌な顔の臨也がテーブルの下にある俺の足をガスガスと蹴ってくる。正直、かなり痛い。絶対痣になってる。内出血してる。抵抗したいが、もちろん俺にそんなことができるわけも権利もなく。頭の中で臨也と同じように「死ねばいいのに」を連呼しながらひたすら与えられる理不尽な痛みに堪えるしかなかった。痛い痛い、ああでも臨也を庇おうと三年の先輩に頬をぶん殴られた時よりはマシか。そう思えば少しは楽になる。あれにくらべちゃこんなのは猫の甘噛み程度だ。

 ふと臨也の手元に目をやる。怒りに満ちた臨也の手によって、ぐちゃぐちゃと混ぜられているサンデーが可哀相だ。ストロベリーソースと完全に一体化しているそれは、アイス部分が溶け「こういう飲み物なんです」と言われたら思わず納得してしまうくらいドロドロになっている。原形などどこにもない。門田が今の臨也を見たら説教ものだぞ、きっと。
 そんなことを考えながら赤と白の混合色を眺めていると、突然臨也の手がぴたりと止まった。それと同時に足の動きも止まる。とはいえ足の痛みからは解放されず、蹴られていた足はじんじんと鈍い痛みを訴える。

「……シズちゃんなんて大嫌い。ねえ、奈倉もそう思わない?」
「いや、俺は普段関わってるわけじゃないですし……なんとも」
「あいつの存在が許されているなんて信じられないよ。信じたくない。死んじゃえばいいんだ。できるなら俺の記憶からも消え去ってくれると嬉しいんだけどね」
「……はあ」

 どうやら、まだ臨也の怒りは収まらないらしい。
 臨也の身に何があったのかこれでもかというほど何度も説明され、当事者並に理解しているつもりだ。それにしたって、目の前でこうも「死ね死ね死ね死ね」言われると、聞いているこっちも気分が悪くなる。当たり前だ。例え臨也にどんな理由があったにしたって、俺には全くの無関係なんだから。いや、だった、のかな。今まさに臨也を中心とした厄介事に巻き込まれている気がする。第六感がそう告げるのだから間違いない。

 自分の分にと買ったチョコレートがかかっているサンデーを口に含みその甘さで落ち着きを取り戻そうとしてみても、相変わらずこいつの死ねは止まらない。それしか言葉を知らない子供のように、何度も何度も同じ言葉を繰り返している。

『もういっそあんたが死ねばいいんじゃないですか? そうしたら全て解決しますよ?』

 ……うっわー、言いてえ。一回くらい言ってみてえ。でも言ったら間違いなく殺されるよな。ここは我慢我慢。

「あいつら、何か用でもあったんじゃないですか?」
「……知りたくもない」
「あー……、そうですか」

 うーん駄目だ。話題を持ち掛けても、むすっとした顔で返答されちゃこれ以上話を続けられる気がしない。最低限の会話が成立するだけでも、俺は喜ぶべきなのか?
 悶々と悩む俺をよそに、臨也はようやくドロドロの『元』サンデーに手をつけるつもりなのか、液体と化したサンデーをスプーンで掬った。掬ったはいいが、溶けているそれはスプーンから溢れ容器の中にぼたぼたと落ちる。なのにもかかわらず無理矢理口に含もうとするものだから、案の定含みきれずに口の端からだらりと赤みのかかった白い液体がこぼれた。「う」と声を漏らしながら、舌で頑張って拭おうとしても、顎先を伝う雫まではさすがに届かないようで。
 見てられないな、と制服のポケットから携帯用のティッシュを取り出し臨也に差し出すと、こしこしと口元を拭き始めた。白いティッシュに赤が滲む。

「……もうやだ」

 死ねじゃなくても、あまり負のイメージの言葉は聞きたくないんですけどね。今回は長丁場になりそうだ、と覚悟を決めて椅子に深く腰かける。どうせ臨也の機嫌が直るまで俺は解放されないんだ。覚悟を決めよう。
 そう決意した瞬間、突然臨也の白い手が俺に向かって伸びてきた。驚いていると、許可もなく俺のサンデーを一口分掬って自分の口へと運ぶ。溶けかけてはいるが形を保っているそれを、もごもごと口を動かして味わい「まずい」と一言告げてきた。

「いや、これはまずくないでしょ」
「じゃあ美味しくない」
「……そうっすね」
「でも食べる」

 自分勝手な王様。いや、こいつの場合女王様か。門田たちに甘やかされ過ごしてきたせいか、昔と比べ随分と我が儘になった。そして面倒臭さに磨きがかかっている。さすがに同級生の友人を教育しろとか更生させろとは言わないが、ここまで我が儘にさせるのもどうかと思うよ。そのせいで被害に遭うのはいつも俺なんだから。

 不味いと言ったくせに、ぱくぱくと俺のサンデーを口に運ぶ臨也にもう呆れもしない。不味いんじゃなかったのか、とかそういう当たり前過ぎる疑問はこいつの前では何の意味も持たないことを俺は熟知している。こいつが不味いと言ったら不味くて、美味しいと言ったら美味しいんだ。例えそれが、大勢から美味しいと賞賛されているものでも臨也が不味いと言えば不味いし、逆に誰に聞いても不味いとしか答えられない俺の失敗料理でも臨也が美味しいと言えば美味しいものになる。
 とはいえ、こいつの美味い不味いの基準は人と違うから、臨也にとっては美味しいはずの俺の料理だって一口食べただけであっさりごみ箱に捨られるし、不味いと言ったものを完食するなんてこともしばしばだ。さすがにドロドロサンデーは無理だったようだけれど。

 相変わらずむす、と不機嫌を絵に描いたような表情で臨也が俺の顔を見る。こいつの笑顔は怖いけれど、こういう顔は全然怖くない。

「こういう時こそお前の出番だろ。今あいつらが何やってるかとか、ちょっと調べてきてよ」
「……そんな急に言われても。つーかあっちには岸谷もいるし、下手なことしたら後が面倒です。それに、平和島とかさすがに相手にしたくないというか……」
「へたれ。だからお前はいつまで経ってもそんななんだよ。本当使えない」

 はっはっは。こいつ、一発ぶん殴ってもいいかな。
 まあ、もちろん我慢するけどな。こいつはやられたらやり返すタイプの人間だ。それも目には目をなんて可愛い次元じゃなく、相手を徹底的に潰すという一番敵に回したくないタイプ。それに、臨也にそんなことをしたらもれなくセットであの三人がついてくる。そんなことになったら俺に残された道は後一つ。もう死ぬしかないって。

「あいつらを敵に回す、ってのはそれほど大変だということですよ」
「俺の命令でも聞けない?」
「無理、ですね」
「奈倉まで俺の敵に回るのか……。四対一って卑怯じゃない?」

 言いながら表情を曇らせる臨也に「鈍感」と言ってやりたくなった。あいつらがお前の敵に回るなんて、天地がひっくり返ってもありえねえだろ。


 俺の目から見て、あいつらは本当に臨也のことを大切に思ってる。心から、と言ってもあながち間違いではないだろう。そこにあるのは友情なんて優しいものじゃないけれど。
 俺は、残念なことにこいつらの関係の要ともなる『何か』に気づいてしまっている。別に、気づきたくて気づいたわけじゃない。臨也と一緒にいたせいで無意識の内に養われた観察眼が、最近とある事実を俺に突き付けてきたことがそもそもの発端だ。
 ――最初に違和感を抱いたのは確か、平和島の機嫌が悪くなるタイミングだった。授業中、休み時間、酷い時は朝まで最近の平和島は突然何の前触れもなく不機嫌になることが多々あった。そしてそういう時は決まって教室から出ていく。逃げるように、という表現が合っている俺より高い後ろ姿をぼんやり眺める日々が続き、少しだけ興味が湧いた。平和島が不機嫌になる原因は、一体なんなのかと。あいつがキレることも、ましてや暴れることもなく逃げる原因がただ知りたかった。
 原因はあっさりとわかった。平和島が不機嫌になる時は、決まって臨也の傍に誰かがいる時だった。例えば、門田でも俺でも誰でもいいが、誰かが臨也と話している。その話の中で臨也が楽しそうに笑ったとしよう。その瞬間、平和島は教室を出ていく。
 早い話が嫉妬だ、嫉妬。
 だからといって何も、嫉妬が原因だとすぐに決めつけたわけじゃない。最初は臨也の笑い声が嫌なのか、とかその程度にしか思っていなかった。
 しかしそれも、臨也がクラスで一番可愛いと言われている女子と話していた時に、突然平和島が臨也の腕を掴み教室を出ていったことで確信に変わった。そのままどこに行って何をしたのかは知らないが、ふらふらと教室に戻ってきた臨也が「シズちゃんが、シズちゃんがね、いきなり怒ったの」と門田に縋り付いている姿を見て、そういうことか、と第三者の俺が臨也よりも早く平和島の真意を察してしまった。平和島は嫌だったんだろうな、多分。見たくない聞きたくない、でも同じクラスで同じ教室。見ないわけにはいかないし、聞かないわけにもいなかい。いつまでも逃げているわけにもいかないと、我慢の限界だったんだろう。
 嫉妬としかいいようのない場面をまざまざと見せられ、平和島が臨也に抱いている感情に気づいたのがまず一つ。

 もう一つ俺が気になったのは門田の存在だった。べたべたと自分に甘えてくる臨也を見ている門田の目には、同性の同級生に向けるには相応しくない感情が滲んでいた。それに、ぎゅ、と周囲のスルースキルが試される臨也の抱擁を拒絶するわけでも、そして受け入れるわけでもない門田の行動は、間違いなく普通とは違っていた。臨也の場合に限らずも、沈黙は肯定となる。例え門田が臨也の背中に手を回さなくても、拒絶しないで黙っているだけで受け入れたと同じことだ。

 そんな二人を見て辿り着いた結論はというと、二人は恋愛的な意味で臨也に惚れている、ということだった。できれば知りたくなかったけれど、見えてしまうんだから仕方ない。直接本人たちに聞いたわけではないが、それとなく岸谷に聞いた時に「臨也に余計なこと言っちゃ駄目だよ」とにっこり笑顔で言われ、確信に至った。当の臨也は二人の気持ちには一切気づいていない様子だけど。いや、もしかしたら二人がそれを一番望んでいるのかもしれないな。気持ちがバレてしまえば、間違いなく四人の関係は崩れる。伝えないことこそが愛だ、と。
 それにしても、岸谷だけがいまいち分からない。好きな女がいるみたいだし、中学の頃から見てきたが臨也に対して二人と同じ感情を持っているとはなかなか思えない。でも岸谷と臨也の関係って、友情にしては近すぎて気持ち悪さすら覚えるんだよな。正直言うと。 ということを踏まえて俺は思うわけだ。今回の一連の出来事には何か裏がある、と。だって普通に考えてありえねえだろ。こんだけ臨也を甘やかせてきた奴らが一斉に身を引くだなんて。敵に回る? 馬鹿馬鹿しい。そんなことはあいつらにデメリットしか生まない。

「……奈倉」

 考えに耽っていると、声を掛けられ意識を引き戻された。いつのまにか俺のサンデーが半分ほど減っている。いっそ臨也にあげようかな、これ。ていうか、間接キスとか気にしないのかね。俺も別に臨也とか岸谷辺りなら気にしないでいけるけどさ。

「はい?」
「黙って何考えてるかわからないけどさ、まだ付き合えよ。帰るなんて許さないから」
「分かってますって。気が済むまで一緒にいますよ。どうせ帰す気なんてないんでしょ?」
「……わかってるならいい」

 もし俺が門田だったら、傷ついた臨也をぐずぐずに甘やかせ慰めることができたのかもしれない。もし俺が平和島だったら「そんな小さいこと気にすんな」って笑い飛ばして、無理矢理にでも普段の臨也に戻すことができたのかもしれない。もし俺が岸谷だったら、大丈夫だ、とただ傍にいるだけで安心させてやることができたのかもしれない。

 でも俺は俺だ。俺は何も臨也にしてやることは出来ない。ただ、こうやって黙って話を聞いてやることくらいしか。多分、それが俺に与えられた役割で、だとしたら俺はその役割を全うするしかない。そういう運命なんだ、と割り切るしかないんだ。面倒な役割だとは思う。でもそれと同時に、俺にしかできないんだとも思った。

「臨也さん」
「なに?」
「これ、あげるから全部食べていいですよ」
「……ありがと」


 別に臨也が可哀相だとは思わない。こいつが普段していることに比べたら、あいつらから受けた仕打ちなんてまだ可愛い方だ。俺も、臨也からの報復なんて気にしないで見捨てて帰ればいいのに。それでも俺がここに残っているのはなぜか。

 目の前で塞ぎ込む臨也を見る。その姿に俺は少しだけ、少しだけ。


ぱちぱち

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