「痛え」
「お前が悪い」

 床に正座する静雄と椅子に深く腰掛ける門田くんを見ながら、僕はただ笑うことしか出来なかった。ちなみに僕は机の上に座り静雄を見下している状態だ。静雄のつむじが見える。



 あれから門田くんは、静雄の言い分を目を閉じながら「ほう」「ほう」と相槌を打ち最後まで聞いていた。静雄が一通り喋り終わったところで、間髪を容れず金色の頭に門田くんの拳骨が落ちる。最早第二の静雄と言っても過言ではないほど怒りに満ちた門田くんが、握っていた拳を開きながら静雄に「お前は少し言葉を考えろ!」と説教しだすのを、やっぱり僕は机の上でにこにこ笑いながら聞いていた。
 あの静雄が痛がっているところを見ると、よほど力が強かったのか。とはいえ静雄よりも門田くんの拳の方が何倍も痛いだろう。静雄の頭を殴ったことのない僕にはそのはっきりとした固さはわからないが、殴った際に聞こえた音は人間のそれを殴った音とは到底思えなかった。

「……ったく」
「悪かった反省している」
「本当だろうな」
「……八割」
「お前……」
「待って! 門田くん落ち着いて! なんで静雄も門田くんを煽るのかな? 馬鹿なの? ねえやっぱりただの馬鹿なの?」
「……納得いかねえんだよ」

 むす、と不機嫌そうな静雄の顔に、突如ビキリと青筋が浮かんだ。突然の変化にどうしたものかと静雄を凝視すると、彼なりに落ち着こうとしているのか、長く深く息を吐いた。ふっ、と最後の一息を吐いたところで、正座を崩し胡坐をかく。黙って静雄を見つめる門田くん同様僕も無言で静雄を見つめていると、つんつんと床を突いてみせた。

「……あいつの方がもっと酷いことやってきた」

 門田くんは相変わらず無言のまま静雄のことを見ている。組まれた腕と足が、威圧的な雰囲気を醸し出していてかなり怖い。こんこん、と門田くんが指先で机を叩く音を聞きながら、やっぱり僕はにこー、と決して面白くも楽しくもないのに笑っていることしかできなかった。下手に反応してとばっちりを受けるくらいならば、黙って笑っている。それが、いつも静雄と臨也の間にいる僕が学んだ処世術だ。

「酷いことって?」

 だから門田くん怖いって。いや、違うか。お父さんとても怖いです。
 こんこんこんこん、と門田くんの指は止まらない。早く言えと言わんばかりの門田くんの態度に、開き直ったのか静雄は怖じ気づくことなく口を開いた。

「……さっきの休み時間。……ちょっとライラしたからさ、便所の蓋に座って落ち着こうとしてたんだよ。どうせイライラしている時に授業受けたって頭に入ってこねえし、授業中だしトイレだったら誰も入ってこねえと思ってな。で、座ってぼーっとしてたらいきなり「シズちゃーん? いるー?」なんてあいつ乗り込んできやがってよ。また面倒臭いことになると思って返事しなかったら、あいつ何してきたと思う? わざわざ隣のトイレのよ、便器のタンクに上って俺の姿確認してさ。俺じゃなかったらどうしてたんだか。俺だってわかった瞬間、あの馬鹿にっこり笑って、……それだけじゃねえ。ご丁寧に鼻歌まで歌いながら、俺の入ってた個室の中に雑巾やらゴム手袋やらブラシやら投げてきやがったんだよ。……わかるか? あの狭い個室でそれら全部を躱した俺の苦労がお前らにわかるか? 脱出したらしたで、「うっわあ、きちんと流したの? 俺はシズちゃんと違って繊細だからさ、学校でそんなこと出来ないなぁ。どう? すっきりできた? あ、まだし足りない? だったらしてていいよ。見ててあげる。ついでに写真も撮らせてくれない? 大丈夫、楽しいことに使うだけだから!」ってよぉ、……俺に、他人に見られて興奮する趣味があるとでも思ってんのかあいつは!! つうか俺だって学校じゃしねえよ!! 大体俺脱いでねえし!! してねえし!!」
「怒るところ絶対にそこじゃないよね!!」
「勘違いほど腹立たしいものはねえだろ……くそっ、マジなんなんだよ……。つうか、なんでトイレにいたことバレたんだ……?」

 ……偶然って怖いね、心からそう思うよ。
 にしても臨也は静雄のことになると本当に後先考えず行動するなぁ。静雄も言っていたけれど、トイレに静雄以外の人が入っていたらどうしていたんだろう。平謝りで済む問題じゃないだろうに。殴られても文句は言えないよ。

「だからいいだろ。あいつに少しくらいキツいこと言ったって。だから五割しか反省しねえ。以上」
「……地味に減らしてるし」
「結局、原因は岸谷じゃねえか」

 静雄に聞こえるか聞こえないかの声量で門田くんが呟いた言葉を華麗にスルーし、門田くんに笑いかける。それをどう捉えたのか、門田くんは肩を竦めてみせた。「お願いだからそれ以上喋らないで」という意をしっかり汲み取ってくれたのかな。
 今のやり取りで大分怒りが削がれたらしい門田くんがちらりと時計を見る。つられて僕も時計に目をやると時間は16時半ちょっと前だった。あれから臨也はどうしているんだろう。怒りが少しでも軽減していればいいのだけれど。

「…………ったく、ハードル上げやがって」

 不意にそう言う門田くんに、静雄が眉を顰める。

「ハードル?」
「考えてもみろ。あんだけ臨也をキレらせたんだ。下手したら、プレゼントそのものがご機嫌取りだと思われるかもしれん。そうなりゃあいつの性格だ。まず受け取らねーだろ。最悪目の前で投げられっかもな」

 確かにそうだ。なんとまあ、面倒なことになってしまった。例年通り素直に「何か欲しいものでもある?」と臨也に聞いておけばこんな面倒なことにはならなかったのだろうか。
 でも。何故かそうしたくはなかった。その方が手っ取り早く都合がいいとわかっていたのに。そういえばあの時、皆に言い寄られている臨也を見て、僕は何を思ったんだっけ。

「大丈夫だ。捨てたら俺がぶん殴る」
「……何も解決しないと思うぜ、それ」
「人から貰ったものを捨てちゃ駄目だろ。な、新羅」

 ――もしかしたら僕はあの時、教室から出ていった静雄と同じ感情を抱いていたのかもしれない。だから僕はこんなに意地になって。そう仮定すると、自分の心の中が急に楽になった。
 そうか、そうだったんだ。
 あの時、僕ら以外の人間が臨也に近づいたことに、そして誕生日なんていう特別な日をあたかも「私たちは貴方の友人だから祝いますよ」と言いたげな雰囲気で接していた周りの奴らに、僕は、『嫉妬』していたのか。
 優越感の裏にあった嫉妬。これは気づかなかった。そうかそうか、僕は嫉妬していたのか。ならば焦燥の理由も簡単に説明がつく。今頃になってようやく腹の中のドロドロとした黒い感情の正体に気づくことが出来た。

「……おい新羅?」

 ぱちん、と風船が割れるかのように静雄の声に意識を引き戻された。

「ん、何。どうかした?」
「どうっていうか反応ねえから……」
「あー、……うん。なんでもない、かな」

 あはは、と笑ってごまかせば静雄は首を傾げてみせた。
 いくら友人が少ないとはいえこの年になってクラスメイト相手に嫉妬だなんて。小学生じゃあるまいし、それはないだろう。うん、ないない。というかちょっとだけ恥ずかしい。
 自覚させられた自分の独占欲の強さに頬が熱くなる。どうやら僕は、自分で思っている以上に臨也のことが好きなようだ。それはもちろん友人として、だけれども。

「……で、何の話だっけ?」
「ノミ蟲がプレゼントを受け取らないってかも、って話」
「あー、はいはい」

 ぱたぱたと手で、火照った顔を扇ぎながら静雄に問うと、そう返してきた。確かに「こんなのいらない!」とか言いながらプレゼントを突っぱねる臨也の姿がまざまざと目に浮かぶ。受け取るだけ受け取って、そのまま僕らの見ている前でごみ箱に捨てる姿なんかも、容易に想像できた。
 僕と臨也は友人という間柄だから、例え捨てられたとしてもまだ冷静でいられる。そりゃ悲しいけれどね。でも、門田くんや静雄にとって臨也は意中の相手であり、僕の予想が現実になったらと考えると……、ああ駄目だ。考えただけで恐ろしい。
 もしも僕がセルティにそんなことをされたら間違いなく泣くね。高校生にもなって、とか男なのに、とかそんなのは関係ない。泣くったら泣く。それほど好きな人に冷たくされるということは辛くて寂しいものなんだ。素直で優しいセルティは、いくら怒っていたからとはいえ人から貰った物を捨てるなんてことはしないけど。でも今回の相手はセルティじゃない。折原臨也だ。しかも不機嫌バージョン。いつもとは違い、何をするのかわかったものじゃない。「わあ、ありがとう。嬉しい」なんて言いながら、プレゼントにナイフを突き立てるという事態だって残念ながらありえてしまうんだ。笑顔でナイフを突き刺す姿を想像してみる。なにそれちょっとこわい。

「……ま、うだうだ悩んでいても仕方ねえよな」

 どこかふっ切れたようにそう言った門田くんの言葉に、いつのまにか俯きがちになっていた顔を上げる。僕と目があった門田くんは、どうしようもないという気持ちを体現したような笑みを浮かべてみせた。

「結果がどうであれ、まずは渡す物がねえと。今日、今すぐってわけにはいかねえが、渡す時にでも謝ればあいつのことだし許してくれんだろ。その頃には怒りも多少収まっているだろうしな」

 さすが門田くんだ。思考の切り替えが早い。
 確かに今はうじうじ悩んでいるより、何か行動を起こして現状を打破した方が絶対に良い。

「じゃあそろそろ行く? 早く行かないと帰る時間遅くなるし」
「そうだな。行くか」

 机から下り、身体を伸ばす。ぽきぽきと背骨が鳴る音を聞きながら時計を見ると、長針と短針が十六時半を指していた。門田くんの説教、結構長かったからなあ。自分の机に引っ掛けている鞄を取ろうとして、立ち上がろうとする静雄と門田くんに背中を向けると、すぐ後ろでガタンと音がした。振り向くと、静雄が机の天板にしがみついてぷるぷると震えている。

「……えっと、どうしたの?」
「あし、しびれた」

 うおお、と妙な声を上げる静雄に、思わず門田くんと顔を見合わせ笑ってしまった。
 こういう時、我先にといわんばかりの勢いで静雄をからかう小さな影は、今日はどこにもない。いつも横にいるはずの臨也がいないことに一抹の喪失感を覚えつつ、いつのまにか他の生徒がいなくなった教室を後にする。
 寂しがっている暇は今の僕らにはない。どうせまたすぐに取り戻せるんだから。

 放課後の学校は薄暗く、昼間とは違った姿を見せている。ぺたぺたと歩きながらずらりと並ぶ教室の前を通り過ぎると、どこかの教室にまだ残っている人たちがいるのか、微かな笑い声が聞こえてきた。グラウンドで部活をしている生徒たちの掛け声なんかも、うっすらと聞こえてくる。
 前方から歩いてくる教師からの「さようなら」の挨拶に適当に返事をし、歩きを進めると突然「トイレに行きたいって言ったらどうする?」という低い声が耳に飛び込んできた。堪らず溜め息を吐く。声のした方を見ると、僕の数歩後ろで静雄が足の動きを止めて立っていた。

「足が痺れた次はトイレ? ……いいけど、すぐに戻ってくる?」
「二分あれば確実に」
「じゃあ行ってらっしゃい。僕たち先に歩いているからね」
「おー」

 ぺったんぺったん足音を響かせ遠ざかる静雄の後ろ姿を眺めながら、門田くんに向き直る。僕の予想通り、門田くんは肩を竦めてみせた。

「岸谷も大変だな。なんか、色々と」
「別に、楽しいからいいよ」
「そうか?」

 門田くんと静雄に挟まれている今の状況は、僕にとって全く苦痛ではない。静雄と臨也で慣れているし、本当に楽しいし。日々、臨也への態度が素直になっていく静雄の変化を見るのも(とはいえ、まだ普通の友人レベルにすら達してないが)、門田くんが静雄へ密かに嫉妬している姿を見ているのも、僕は好きだったりする。いいじゃないか、恋愛。青春って感じがしてさ。だからといって、僕がそれに混ざろうとは思わないけれど。三人を見ているのが好きなだけであって、自分がそれに加わるとなると話は別だ。それに僕にはセルティがいるしね。嫉妬をするくらい臨也に好意を抱いている時点で、戻れない領域まで足を踏み入れているのかもしれないが。

「それにしても……、」

 きゅ、と上靴と廊下が擦れる独特の音を廊下に響かせながら、横を歩く門田くんが声を上げた。

「どうしたの?」
「あいつ、どうして怒ったんだかな」
「え?」

 唐突に不可解なことを言う門田くんに、思わず間抜けな声を上げてしまう。門田くんの指すあいつとは、間違いなく臨也のことだろう。
 言葉を租借し意味を噛み砕いていると、僕が理解していないことを察したのか、門田くんが「いやな」と呟くように言った。

「今だから言うが、普段の静雄の方がもっと酷いこと言ってるだろ? 逆に、今まで傷つかなかった方が不思議なくらいなんだよ。……そんな臨也が、今更あれだけでキレるなんて、ちょっとおかしいだろうと思ってな」
「……確かにね」

 よくよく考えてみれば門田くんの言う通りだ。あの臨也が、あんなに簡単に感情を乱すだろうか。しかも、相手は普段から罵声を浴びせ浴びせられという関係の静雄だ。これが静雄ではなく、門田くんが相手だったならまた話は変わってくるんだろうけど。
 あの言葉が臨也の何かに火をつけ、感情を爆発させたのか。静雄から拒絶されたから傷ついた、はさすがにないだろう。あの言葉。臨也を拒絶したあの言葉を臨也はどう捉えたのか。多分、そこが鍵だ。

「もしかしたら、原因は静雄だけじゃないのかもな」
「……どうだろう」

 いつの間にか立ち止まっていた足を動かす気にもなれず、僕の言葉を最後にしばし沈黙が訪れた。
 もしも門田くんの仮定が正しかったとするならば、臨也は何かを抱えていたことになる。そんな素振りを少しもあいつは僕らに見せなかった。それに僕も、気づくことができなかった。それが何を意味するのか、僕にはわからない。

「……それも含めて、」

 溜め息混じりに門田くんがそう呟く。

「解決するといいな。そして全部元通りになれば、俺はそれでいい」

 無意識に、目が見開かれる。門田くんの口からまさか「元通りになりたい」なんて言葉が出てくるとは思わなかった。
 今までのように、行動を起こすことも想いを伝えることもできないあの関係。誰も不幸にならない、何も変わることのない。門田くんが戻りたいと願うのは、そこだ。

 でもきっと、門田くんの本心は違うところにある。あれだけ臨也を大切に思う彼が、変化を望まないわけがない。
 何も変わらない今の関係が悪いわけじゃない。しかし、今の幸せを守るのに犠牲になるものは決して少なくはないというのも事実だ。その中の一つに門田くんの気持ちがある。どれだけ臨也を大切に思っても、愛していても、思いを伝えることができない。自分の中に愛が溢れても、それを本人に悟られてはいけない。息が詰まるほど苦しくて、でも吐き出すことすらできなくて。永遠に続く堂々巡り。思いを伝えて全て壊れるくらいならば、伝えずに温い幸せに浸っていたい。いつか自分の前から消えてしまうかもしれないという不安も、ずっと思いが叶わないという絶望も、全て抱えてそれでも日常を送る。その辛さを想像して、胸がきゅ、と苦しくなった。
 門田くんだけじゃない。静雄にだって同じことが言える。ただ静雄は、日常を守ることよりも臨也への気持ちを尊重する傾向があるから、門田くんとはまた違った辛さを抱えていることだろう。
 もしも静雄と門田くんが赤の他人だったなら、こんな遠慮はしなくてよかったのかもしれない。けれど静雄と門田くんは友人で、そしてどっちも臨也にとって大切な人だった。そんな二人が臨也に好意を抱いた時点で均衡が狂ってきているのに、どちらかが想いを伝えたなんてことになれば間違いなく僕らの関係は崩れる。僕としてもそれだけはどうしても嫌だったし、そんな不幸の上に成り立つ幸せに手を伸ばすほど二人とも自分勝手じゃない。第一、臨也が関係の崩壊を望んでない以上、僕らに何かをする権利はない。自分たちの幸せを取るか、臨也の幸せを優先するか。答えは一つだった。

 皆、この関係を守ろうと必死なんだ。それによって、自分たちが傷つくことになろうとも。

「……門田くんの方が、大変だと思うよ」

 臨也は幸せものだね。こんなに優しい人に愛されて。
 門田くんが君を拒絶することも受け入れることもしないのは君のためを思ってなんだって、いつか気づく時がくるのかな。

「まあ、そうだね。お互いに頑張りましょう、ということで」
「だな。……あーあ、何か良いもん見つかればいいな」
「ねー」

 ぺたぺたとどちらともなく歩きを再開すれば、足音が一つ増えた。振り返ると目立つ金髪が僕らに近づいてくる。水に濡れた手をばたばたと払い水気を切りながら歩く静雄は少しだけ驚いているようだった。

「ただいま。お前ら歩くの遅えな。もう学校出たかと思った」
「まあな。つか歩いてねえし」
「静雄を一人だけ置いていくわけないじゃないか。行く時は皆一緒だよ」
「なんか悪いな」
「その素直さをもう少し臨也に向けられたら良いんだけど」
「あいつは別だ。お前らとは違う」
「そういうものかなぁ」

 三人揃って廊下を歩く。
 玄関まで、後少し。




ぱちぱち

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