窓から教室内へと吹き抜ける心地好い風が、前髪をさらりと揺らす。その風に誘われるように窓の方を向くと、透き通るほど澄んだ青空に白い雲、穏やかな春の空模様が窓の外に延々と広がっているのが見えた。
 平和だなぁとぼんやり思いながら、教室前方の壁に掛けられた時計を見る。前の授業が終わってからまだ二分も経っていない。残りの授業が早く終わらないものかとやきもきしつつ、一人自分の席で、翌日に迫る楽しみに思いを馳せてみた。


 5月2日。明日から、ゴールデンウイークという名の連休が始まる。


 普段、授業の後は倦怠感でどんよりとした暗い雰囲気になる教室も、今日ばかりは活気づいていて明るい。
 興奮が最高潮に達した男の子たちは、教室の真ん中に集まり連休の予定を笑いながら楽しそうに話し合っていた。男の子だけじゃない。女の子もそのような輪を作り、きゃあきゃあと高い声をあげながら盛り上がっている。

 僕はどうしようかな。

 せっかくの連休。学校も休みだし、セルティと一緒に過ごしたいけれど、セルティの仕事はゴールデンウイークなんてものとは無縁だから、過ごせたとしてもそれは帰宅してから夜寝るまでの僅かな時間だけだろう。
 いや、仕事だけならまだマシか。首を探しに行くだなんて言い出した時には、全てを諦めなくてはいけなくなる。散々見つかるはずのない首を探して、へとへとになって帰ってくるセルティと楽しい一時を、なんて無理な話だ。
 僕がもう少し大人だったのならば「行かないで」くらいは言えたのかもしれないけれど。生憎、僕は彼女から嫌われることを怖がるただの子供だ。悲しいことに、好きな人を引き留める言葉すら持ち合わせていない。
 ……まあ、言ったところでセルティは僕の言葉なんか意に介さず、首を探しに行くんだろうけれどね。
 はぁ、と落胆の意味を篭めた息を吐くと同時に、また風が吹いた。いけないいけない。楽しかった気持ちが一気に憂鬱なものになってしまった。余計なことは考えてはいけないのだと自分に言い聞かせ、再び曖昧な思考の波に飛びこむ。

 そういえば臨也の誕生日ってちょうど連休中にあるんだよな。毎年必ず訪れるゴールデンウイーク中に誕生日だなんて、珍しいものが好きな臨也にとっては嬉しいことなのかもしれない。
 当の臨也はというと窓際、前から三番目にある日当たりの良い席で、カチカチと一人携帯を弄っているようだった。臨也の席は僕の席より二つほど前の列にあって、後ろからでは臨也がどんな表情で携帯と向き合ってるかは分からない。
 それにしても小さな背中だ。しっかりご飯食べているのかな。面倒だからってゼリー飲料やサプリメントだけで済ませていなければいいんだけれど。

 視線を臨也の席から横にスライドさせる。窓際から壁際へと視界が移ると、壁際前から三番目、机に突っ伏して寝ている静雄の姿が見えた。
 くるくると右手でシャープペンを回しながらしばらく静雄を観察する。静雄って、遠く離れた場所にいる臨也の臭いを感知出来るから、僕の視線くらいすぐ気づいてしまうと思ったけれど、どうやらそういうわけではないらしい。あくまであれは臨也限定みたいだ。その証拠に、いくら見ていても何の反応も示さず、ただ大きい背中を僕に向けている。

 不意に「人間観察が趣味」という臨也の言葉が頭を過ぎり、未だゴールデンウイークの予定について話続けている男の子たちに目をやってみた。数秒眺めて、……うん。やっぱり予想通りだ。興味のないものを見ていても楽しくなどない、ということを痛いほど認識させられた。それならば臨也を見ていた方が何十倍もマシだ。
 再度臨也に目を向けると、臨也の席の前に先ほどまではいなかった女の子がちょこんと立っているのが見えた。

「折原くん」

 煩いはずの教室。にも関わらず、その子の声はやけにはっきりと僕の耳に届く。なんだろう、この感じ。他人の話に自分の名前があがった時のような奇妙な感覚。煩かった、そして今も煩いはずの教室の中が一瞬にして音を失ったように思えた。
 携帯から、臨也がゆっくりと顔を上げる。

「……どうしたの?」
「あ、あのさ誕生日明後日……だよね?」

 演技なのか元からそういう喋り方なのか、舌足らず、そして猫撫で声といういかにも女の子らしい声で臨也に話しかけ続ける。くるくると右手で回していたペンが机の上にこつん、と落ちた。

「うん、そうだよ。もしかして覚えていてくれてたの? 嬉しいな」

 臨也のその言葉をきっかけに、周りで会話を聞いていたらしい女の子や男の子たちが臨也に話しかける。中には自分の席から離れ、わざわざ臨也の傍に行く人までいた。人気者だなぁ、全く。

「えっ、それマジ? 折原休み中に誕生日とか運悪いな」
「あっ、だったら私折原君に誕生日メール送るね!」
「いいな、それ。じゃあ俺もメールするわ。日付変わった瞬間に送る」
「何それ面白そう。あたしも送るー!」
「俺めっちゃデコメ使いまくるわー。女子並に使いまくるわー」
「え、なになに。折原君もうすぐ誕生日なの?」

 後ろの席の女の子に話しかけられ振り向いた臨也は、年相応ともいえる楽しそうな笑顔をその子に向けた。その笑顔を見た途端に女の子の声が一段と弾んだけれど、残念。それ、作り笑いだよ。分かったところで僕にはどうすることも出来ないんだけどさ。
 臨也の声を聞きながら静雄のように机に突っ伏す。あの輪の中に僕は入れない。別に入る気なんてさらさらないしいいけども。

 でも、どうしてだろう。胸の辺りがもやもやする。

 大体、臨也の誕生日が明後日だなんてことくらい、僕が一番よく知っている。今更確認を取るまでもない。だって僕と彼は何年間も一緒にいたんだから。そんな、今更確認をとって「祝うから」とか言われてもねえ。信憑性に欠けるというか、なんというか。
 僕が顔を上げると同時に、視界の端で静雄がむくりと半身を起こした。長い腕を大きく伸ばし、きょろきょろと辺りを見渡す。眠りから覚めたばかりだからか、その動きはどこかたどたどしい。頭をぼりぼりと掻きながらもう一度辺りを見渡した静雄は、臨也を中心とした小さな輪を見て、その動きを止めた。
 数秒間その輪を凝視した後、突然立ち上がり教室を出ていってしまった静雄の顔には、教室内の騒がしさに睡眠を妨害されたという苛立ちの他に、何か別の感情があるように思えた。
 僕の思い違いでなければ、多分、それは嫉妬だ。
 静雄としては面白くないんだろうなぁ。自分の好きな人が周りの人たちにちやほやされている姿なんて。友人の僕でも見ていて良い気分にはなれないものを、臨也に恋愛感情を抱いている静雄が見て不快に思わないわけがない。周りの奴らが僕らの友人というならまだしも、僕らとは一切関係のない人たちだ。そんな人たちに臨也を取られた、とでも思ったのかもしれない。

 じゃあ僕はどうなんだろう。どうして、臨也たちを見てこんなにも胸の中がもやもやしているんだろう。分からない、分からない。
 ぼう、と静雄がいなくなった席を眺めつつ、この妙な焦燥の理由を突き詰めようとした僕の眼前に、突然茶色い棒が現れた。

「……え?」
「おいおい、さっきから呼んでるのに無視はねーだろ」

 一旦考えるのを止め、声のした方へ顔を向ける。そこには苦笑しながらポッキーを摘み、ぷらぷらと揺らす門田くんの姿があった。

「呼んでたの?」
「呼んでた」
「ごめん、ちょっと考え事してたみたい。全然気づかなかった」
「だと思ったよ。まあ、大した用があるってわけじゃねえんだ。ほら、これやるよ。やるっつーか……俺があいつから貰ったんだがな。おすそ分けってやつだ」
「……僕が貰っちゃってもいいのかな」
「袋のまま貰ったし後はどうしようが別にいいだろ。な?」

 門田くんがそう言うと、門田くんに渡したであろう近くの席の男の子がこくりと頷いた。あまり話したことのない男の子だ。割と大人しめなその子にありがとう、という感謝の気持ちを込めて頭を下げる。相手も僕の気持ちを汲み取ってくれたらしく、笑顔でぶんぶんと手を振った。良い人だなあ。
 差し出されたポッキーを受け取り、口に含む。ぽきん、と軽快な音を発てながらポッキーが折れた。僕の右隣にある空いている席に腰を下ろした門田くんの口からも、同じようにぽきぽきという音が聞こえてくる。

「もうすぐ臨也の誕生日だな」

 ちらり、と臨也の席の方を見て門田くんが口を開いた。あの胡散臭い笑顔はまだ臨也の顔に張り付いている。

「お前の誕生日の次は臨也か……。何すっかな。電話……いや、でもあいつ行事ごととか大事にするタイプだろうしなあ……。電話だけってのもなんか……」
「えー、僕の時は電話だけだったのに、随分な差だなー」
「はぁ? お前の時は料理作って食わせただろ」

 そうだった。新学期が始まってすぐに、僕のためにわざわざお弁当を作ってくれたことをすっかり忘れていた。あの時はごちそうさまでした。

「何がいいんだか。普通にメールや電話で祝ったところで、あいつなら満足しねえんじゃねえかなとか考えちまってな」
「そうかな?」
「だと勝手に思ってる。つーかお前ら中学一緒だったんだろ? 今までの誕生日はどんな感じだったよ」
「うーんとね……」

 中学時代の話を臨也以外の人とするなんて珍しいな、なんて思いながら記憶を遡る。確か、一年生の時は――


「何の話してんの?」


 門田くんに聞かせようと口を開きかけたところで、別の声に遮られた。視線を門田くんから逸らし上に向けると、さっきまで輪の中心で喋っていたはずの臨也が目の前に立っていた。

「臨也……君さ気配とかないの?」
「うん? さりげなく影薄いって言われちゃってる?」

「僕らも君の誕生日をどう祝うか相談してたんだ。楽しみにしててね☆」なんて、言えるわけないじゃないか。門田くんがどう考えているのかは分からないけれど、少なくとも僕は臨也の前では誕生日に関する話題を避けたかった。
 だって、なんていうか、その……なんだろうね。この気持ち。作り笑いを浮かべる臨也と、そんな臨也を囲む楽しそうな外野を見ていた時に感じた焦燥が、また心の中で燻りだした。ぶすぶす、ぶすぶすと。
 それでもこの焦燥を臨也に悟られる事態だけは回避したい。自分でも、この感情の正体がわからないんだから。

「いやいや。というか、もう話は終わったのかい?」
「あぁ、うん。別に大した話じゃないしね。二人は何の話してたの? あっ、俺にもポッキーちょうだい。これ誰の? ドタチンの?」
「俺のだけど。別にいいぞ」
「わーい、ドタチン大好きー」

 輪の中にいた時とは打って変わり、幸せそうに顔を綻ばせながら門田くんが差し出すポッキーをぱくりと銜える。擬似「あーん」といったところか。すごいな、僕なら相手が門田くんでも無理だ。
 そのままふらふらと門田くんの後ろに回りこみ、ぎゅ、と背中から抱き着く臨也に、最早尊敬の念を覚える。すりすり頬を背中に擦り寄せている姿は、まるで猫みたいだ。本当にすごいな、僕なら相手が門田くんでも絶対に無理だ。
 クラスメイトたちは、最初こそこの臨也の極端な二面性に戸惑っていたみたいだったけれど『僕らと他のクラスメイトたちでは親密度が違う』という結論に至ったらしく、今では皆その二面性を受け入れている。その証拠に、男が男に抱き着くといった滑稽極まりないこの状況に、誰も何も言わない。
 臨也が他のクラスメイト相手にこんなに親しげに接することはまずないし、逆にあんな作られた笑顔を僕たちに向けることもない。明らかな態度の違いがそこにはある。僕としては、断然こっちの臨也の方が好きだ。臨也の体温に体をガチガチに硬直させている門田くんだって同じ気持ちだろう。

「で、なんの話? 楽しい話? それとも誰かの悪口大会? シズちゃん? シズちゃんの?」
「静雄の話という点は当たってるよ。静雄くんどこに行ったのかな、って」

 まあ、嘘だけどねえ。

「え? シズちゃんなら自分の席で寝て……、あれ? いない」
「でしょ? さっきどこかに行っちゃったみたいでさ。トイレじゃないか、とは思うんだけど」
「でもシズちゃん、さっきの休み時間にもトイレ行ってたよね。あっ頻尿?」

 嫌い嫌い、と言う割にはよく静雄のことを見ている。さっきトイレに行ったなんて、僕知らなかったんだけど。

「……かもね。もしくは、さっきと今で出すものが違うのかも」
「……岸谷……お前……」
「単なる冗談じゃないか」
「……俺ちょっと見てくる」

 からかいのネタを見つけたとばかりに爛々と目を輝かせ、臨也は教室を飛び出していった。トイレくらい静かにさせてあげればいいのになぁ。大体静雄はトイレをしたくて出ていったわけじゃないから、トイレにいるとは限らないんだけど。
 でも、臨也がどこかに行くのは僕たちとしても都合がいい。門田くんもそう考えたのか臨也が出ていった教室前方の戸を少しの間眺め、そして僕を見た。

「で、どうする?」
「どうしよっか」





 なかなか案が出ないまま、休憩時間の終わりを告げるチャイムが鳴る。名残惜しげに門田くんが自分の席へ戻ったのを見て、目を閉じた。
 ぐるぐると頭の中を回るのは、昔の記憶とさっき見た臨也の笑顔。面白くない、面白くないなぁ。本人がいない中、楽しそうに臨也について語るクラスメイトたちの声を聞きながら、ふと考える。

 どうして僕はあの時もどかしさなんて感じたのか。いくら考えてもわからなかった。





 授業の終わり頃。大半の生徒がうたた寝をする中、静雄が教室に戻ってきた。顔には切り傷と血。また屋上かどこかで臨也と喧嘩でもしてきたのかな。静雄に怯えている教師は何も言わず、静雄が席に座った時に一度大きく咳払いをしたくらいだった。
 その数分後、授業が終わるほんの少し前。何食わぬ顔で臨也が教室に戻り、紙切れを教師に渡す。
「大丈夫か?」という心配の声と「少し頭が痛くて」という返答から察するに、保健室にでも行っていたのだろう。養護教諭の弱みを握ったとかなんとかで、いつでも「折原臨也は体調不良のため授業を休み、保健室で寝ていた」という旨の記録を改ざん出来るんだ、と言ってきたのはいつのことだったか。
 静雄は、と目を向けると、臨也が戻ってきたことで周囲に黒いオーラを放っていた。殺気、と言い換えてもいいのかもしれない。 静雄も報われないな。好きなのに嫌い。いや、むしろ嫌いだから好きなのか。本当は臨也のこと、誰よりも大切にしたいはずなのにね。愛したいと殺したいが一緒に存在しているなんて、愛憎もいいところだ。自分の好きな相手が自分の大嫌いな臨也だって自覚した日から、そんなこと覚悟していたのかもしれないけれど。

 ……そういえば、静雄は臨也の誕生日に何をするんだろう。ガタガタ、と静雄から机を遠ざける複数の音を聞きながら、ふとそう思った。



ぱちぱち

back



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -