ゼロから始めるロマンス | ナノ

彼氏っぽいこと

 放課後、部室に向かって歩いていたら、後ろから呼び止められた。この声はたぶん苗字さんだ。振り返ってみればやっぱりそうだった。
「あのね」
 と言いながら、苗字さんは自分の前髪を撫で付ける。まばたきが多く、いつもの視線は今日はおれの足元ばかりに注がれているように感じた。
 今度は何だ、と身構えていれば
「孤爪くんの連絡先、教えて」
 と苗字さんは言い、制服のポケットからスマホを取り出した。
 カバーのついたそれは、正面から見るに、おれと全く同じ機種だろう。スマホを使っていることを意外に思いながら頷けば、苗字さんはパッと顔をあげたのだった。
 逸らし損ねた、視線が捕まる。
 苗字さんの目の中で、窮屈そうにする自分が見えた。
「ありがとう」
 言われておれは、何も言えなくなってしまう。べつに言いたいことがあったわけでもないけれど。

 メールが届いたのは、夜だった。
 夕食と風呂を済ませて、さて次は何のゲームをしようかな、とベッドの上でボールを弄りながら考えていたときだった。
 件名も挨拶もない、用件のみだけの言葉で、そのメールはつくられていた。絵文字や記号を使わない文書だけのそれは、普段自分がつくるものと、パッと見はよく似ている。でもおれのメールはたぶん、こんなに人を困惑させたりはしない。
『あした二人でお昼ごはん食べませんか』
 それだけが、書かれていた。もっと他になんかないんだろうか、この人は。おれは息を詰まらせて、それから重くため息を吐く。
 べつにクロみたいに用件以外の一言を添えてほしいとか、翔陽みたいに記号を連打してほしいとか、そういうことを思っているわけじゃない。ただもっと、なんか、こう、逃げ場みたいなものはないんだろうかと思わずにはいられなかった。
 そう、苗字さんには逃げ場がないのだ。言葉も視線も、いつも貫くように真っ直ぐに放ってくる。
 取り繕うことなく。
 剥き出しのまま。
 抑えが効かないとでもいうように、浴びせられる容赦ない好意。
 苗字さんは、おれをもっと知りたいと言うけれど。
「期待に応えられる気がしない」
 もう一度ため息を吐いて、スマホを握ったままベッドに転がる。やっぱりおれじゃないんじゃないかな。暗くなったスマホを見ながらおれはポツリと呟いた。

 どうしようかなと悩んでいると、急にドアが勢いよく開かれた。研磨! と大声で呼ばれて全身がビクッとなる。
 跳ね起きてドアの方をみると、クロだった。なんかゲーム貸してくんね、と言いながらズカズカと部屋の中に入ってくる。
「か、勝手に入ってこないでよ!」
「え……なに、思春期」
「ちがう」
 イラッとして投げつけるように言えば、クロは顔をニヤニヤとさせた。
「まあ、わかりますよ。同じ男として。あるよないろいろ」
「クロとおれを同列に語らないで」
「急なパンチ」
 なんだよ、まったく。などとクロはぼやくと、部屋にあるゲームソフトを勝手に吟味し始めた。そのまま、
「部活。何かあったのか?」
 と聞いてくる。静かで、それでいて慎重な声で。
「べつに、なんもないよ」
「そっか」
「うん」
「じゃーあれか。自販機んとこいた、ココアちゃん」
 はあ? とおれは聞き返した。なんもないって言ってるじゃん。ていうか、なにそのココアちゃんって。いつもいつも人に変なアダナつけるのやめなよ。
 早口につけつけと言いたてた。聞いてるのかいないのか、クロはへらへら笑っている。笑ったままおれの隣に腰かけてくる。風呂上がりだろうか、シャンプーの匂いが微かにした。鼻をぬけるメントールの匂い。
「いい子そうじゃない」
 クロは言う。
「悪い人だなんて、一回も言ったことないけど」
「ほおー。ならどう? トモダチにはなれそう?」
 どうなんだろう。可か不可か。ルールもしては問題ない。確率としてもゼロじゃない。でもやっぱり
「ムリなんじゃない? 一回付き合っておいて、やっぱりトモダチとか……余計に気まずいでしょ」
 そう答えると、クロはびっくりしたように黙り込んだ。クロはもしかしたら、トモダチに戻れるタイプなのかもしれない。確かに別れた相手にも友好的でありそうだよな、と思っていれば
「お前、付き合ってんの?」
 と真顔で聞かれた。
 かと思えば、答えも聞かずに大声で笑い出す。バシバシと遠慮なく人の背中を叩いてくる。
 痛い。やめて。なんなの。と批難するおれの声も聞かずに笑い続けている。
 しばらくそのまま笑い続け、はー疲れた、と笑いをしずめたクロは、
「すまん、まさか本当にするとは思ってなくて」
 と意味のわからないことを言うと、
「で、なにがお悩みよ」
 と聞いてきた。
「だからべつに悩んでなんてないって」
 そう答えるおれの顔を、クロはただじっと眺めてくる。話してみなさいよ、という視線が鬱陶しいことこの上ない。
「明日、昼誘われて」仕方なく口を開けば
「ほお」とクロは眉をあげた。
「それで……なんて断ればいいかなって」
「まてまてまて。なんでそうなる」
「だって話すことないし。ゲームとかやんなそうだし」
「そうだったとしてよ、向こうの好きなモンの話でもすればいいでしょ」
「知らない」
「知らないじゃなくて知ろうとしなさいよ」
 いつか協調性を持てと説かれたときと同じような顔をしてクロは言った。
「柄じゃない、って気持ちもわかるけども」
 コミュニケーションはやっぱり何ごとにも必要だろ、と続いた説教は、
「無理して合わせろとは言わんけども、付き合うって決めたんなら、彼氏らしいことの一つや二つしてやったらどうよ?」
 と同意を求めるように締め括られた。だけどそう簡単に頷けるものなら最初からこんな風に悩んでいない。
「彼氏らしいって言うけどさ」
 おれはぼやく。
「付き合ったんだから、彼氏でいいじゃん」
「いやいやお前ね、剣持ってるから勇者です、とはならんでしょ」
 そうだろうか。ゲームが始まったそのときから、勇者はもう勇者なような気がするが。少なくとも魔王を倒す前だって、その道中、勇者はずっと勇者である。
「そりゃ道中はな、で、お前は今どこよ」
 クロが俺を指差す。
「引きこもってないで、村出て戦えって言ってんの」
 鬼。おれは心の中でクロを詰った。それから平和な世で生きていたのに、急に未開の地へ旅に出される勇者を思って同情した。
「……勇者の負担が大きすぎる」
「それが選ばれしモノの宿命だろ」
 選んでなんて頼んでないのに。おれは思った。でも言わなかった。じゃあ付き合わなきゃよかったじゃねえか。とクロに言われそうな気がして、言えなかった。課せられたものの重さに沈むように、再びベッドに寝転がる。スマホを取り、画面をつければ苗字さんからのメールがそのまま映し出された。
「村出て、戦う」
 苗字さんの名前を指でなぞりながら、おれはクロの言葉を繰り返した。クロはしばらく黙っていて、やがてまたゲームソフトを吟味しはじめる。
「まあ一回、レベル上げと思って行ってこいよ」
「レベルってなんの」
「彼氏の」
「だから、彼氏のレベルってなに?!」 
 何もかもがわからず、何もかもが遠い国の話のようだった。村から旅立つ勇者も、もしかしたらこんな心細い気持ちを味わっていたのかもしれない。
 いっそ本当にこれがゲームだったら。
 勇者を村から出して、モンスターを倒し経験値と賃金を貯めて新しい装備やアイテムを蓄えさせたりしているんだろう。
 ひとつひとつステージをクリアして、最終ステージである魔王との戦いに備えてコツコツとレベルを上げて。
 だけど、現実はレベル0のおれの前に、すでにラスボス級の女の子が立ちはだかっているわけで。
 どうしろというんだ。
 ろくに目を見て話すことすらできないのに、彼氏らしいことなんて。
 どうしろってーーー
 反射のようにおれの頭の中は、ラスボスの攻略法を考え始めている。もしこれがゲームだったら。おれが勇者で、苗字さんが魔王だったら。始めは絶対に敵わない相手でも、無敵の相手ではなかったら。
 答えを決めてメールを打った。
 送信ボタンを押せばメールは苗字さんのところへと音もなく飛んでいく。

 ◯

 午後一番の柔らかな日差しを浴びて、孤爪くんの金髪は白くキラキラと光って見えた。よく見るとその髪の一本一本は細く柔らかそうな様子をしている。猫っ毛なのかな。彼の丸みのよくわかる後頭部を眺めながら思っていれば、ふいに
「見過ぎ」
 と孤爪くんが私を咎めた。慌ててごめんと謝れば
「べつにいいけど、それ食べないの」
 孤爪くんは私の手の中のデニッシュパンを眺めて言う。
 私たちは、約束通りお昼ごはんを一緒に食べているところだ。黒板の方を向いて座る私の正面で、孤爪くんは窓に背を向けてコンビニのおにぎりを食べている。こうした方が暖かいのだと、首を埋めるように背を丸くして言っていた。そうやって紺色のブレザーにお日様の光を集めているらしい。
 孤爪くんが教室から持って来たのは、おにぎり二つと、パックの野菜ジュースに、見覚えのあるゲーム機だった。運動部の男の子って、漠然ともっととんでもない量を食べるものだと思っていたので、私はちょっとびっくりする。
「孤爪くんは、燃費がいいんだね」
「……おれが、じゃなくて、周りが食べすぎなの」
 孤爪くんはそう言ってぷいと視線を遠くに飛ばした。視線の先には、プリントの形に日焼けした壁があるだけだ。ここは、今は使われていない、ちょっと奥まったところにある空き教室である。

 孤爪くんは、私より先に食事を終えると、いつものゲーム機ではなくスマートフォンを手に取った。
 機体を横に向けている。
「それもゲーム?」
 と聞けば、うん、と頷く。
「面白い?」
 続けて聞けば、うーん、と今度はゆっくりと首を傾げた。
「これは、なんていうか、暇つぶしだから」
「そっかあ」
 へえ、と思って答えれば会話がそこで止まってしまった。
 どうしよう、と思って、デニッシュパンを一口、齧る。せっかく、お気に入りのパン屋さんで買ってきたものなのに、今は何だか味がしない。

 打ち明けると、私は緊張しているのだ。
 孤爪くんを誘うと決めた瞬間から、ずっと。
 本当は連絡先を交換したときに、一緒にお昼に誘おうと思っていた。
 けれどそのときは、連絡先を聞くのに精一杯で、私はそそくさと退散してしまった。それからすぐにメールを打とうとしたけれど、勇気が出なかった。そのあとも何回も文字を打っては消してを繰り返し、ようやく送信ボタンを押せたのが夜の九時。
 ああ、よかった。
 そこでそう思えたら、どれだけよかっただろう。
 送ったあとも、返事が来るまで私の緊張は、延々と続いた。むしろ送る前よりも不安はずっと重く増していた。だから孤爪くんから返信が来たときは(そしてそれが『いいよ』の返事だったときは)私は本当に嬉しかったのだ。思わず、スマホを胸に抱きしめたまま部屋の中をくるくると回ってしまったくらいに。
 だけどその夜、私の胸がすっきりとした解放感を覚えることは、終ぞなかった。
 どうにか孤爪くんと約束を取り付けることができても、その時間をどう過ごしたら良いのか悩みが尽きなかった。孤爪くんと会えるのは嬉しいのに。でももし話しているなかで、孤爪くんにつまらないと思われてしまったら? やっぱり違うなと思われてしまったら?
 あんまりにも不安が尽きないので、次第に私は、楽しみよりも、はやく昼休みが終わればいいのに、と考えはじめてしまっていた。
 それでも、やっぱりやめようとは言いたくないのだから、我ながらどうしようもない。

 孤爪くんの指は忙しそうに、スマホの上を動き続けていた。節のある、いかにも男の子という感じの指だ。それなのに爪の先は綺麗に丸く整えられているのが意外だった。色の違う髪の根本がどれだけ伸びようと、気にもとめないような人なのに。
(バレーするからなのかな)
 そう思うときに私の頭によぎるのは、やっぱり大会の日の孤爪くんの姿だった。私が彼を好きになったときの姿であり、教室ではぜんぜん見せてくれない姿でもある。
 孤爪くんはさっき、ゲームを暇つぶしと言っていたけれど、気に入ったゲームならあんな風に楽しそうな姿を見せてくれるものなのだろうか。
 ふと疑問に思って、
「孤爪くんがやってて、面白かったゲームってなに」
 と聞いてみた。ぴたりと孤爪くんの手がとまる。それから慎重な声で
「ジャンルは?」
 と聞き返された。
「アクションとか格闘とか」
「アクションと格闘ってなにが違うの」
「そこ、から?」
 宇宙人にでも出会ったみたいに、孤爪くんは顔を強張らせる。どうやら私が思っていたよりもずっと孤爪くんはゲーム好きな人みたいだった。話しの通じないやつだと思われてしまっただろうか。
「なんか、ごめんね」私が謝ると、孤爪くんは首を横に振り、
「やらない人からしたら、全部同じに見えるものなんだね」
 と嘆いた。
「まあおれも苗字さんが食べてるやつとクロワッサン、何が違うかって言われたら、困るし」
 孤爪くんが見つめる先には、私の食べかけのデニッシュパンがあった。バターの染みた層がいくつにも重なっている。これとクロワッサン。全く別のものだと思っていたけれど。
「確かに何が違うんだろう」
 私は首を傾げた。
「形?」
「え。おれに聞かれても、わかんない」
「三角か四角ってことなのかな」
「……でも、丸もあるよね」
 孤爪くんが呟く。
 その声を最後に、しんとした沈黙が再び私たちの間におとずれた。私たちはゆっくりと顔を見合わせる。
 ふふ、と私が苦笑すれば、孤爪くんも困った顔で微笑んだ。ぎこちない微笑み。だけどその表情からは、お日様みたいなあたたかさが柔らかく滲み出ている。

「苗字さんは、詳しいのかと思った」
 少しして、孤爪くんがぽつりと言った。
「いつも、昼、パン食べてるから」
 それもコンビニとか売店のじゃなくて、パン屋で買ってきたようなやつ。
 言われて私は少しびっくりした。そんなところを孤爪くんに知られているとは思ってもみなかった。だけどよくよく考えてみれば、同じクラスなわけだし、孤爪くんの視界に私が偶然入り込んだとして、べつに不思議なことは何も無かった。
「つい買いすぎちゃって。あんまり良くないと思いつつ、日を分けて食べてるんだよね」
 私は答えた。
「よくないの?」
「良くない、ってのは違ったかもだけど、でもやっぱり出来立てで食べたいから」
「なるほど」
「まあ、パン屋さんで買ったからといって全部が全部、焼きたてで買えるわけでもないけどね」
「狙って行ったりしないの」
「そこまでは。お店もわりと転々とするし」
 そういえば、と私は制服のポケットからスマホを取り出した。ロックを外して、アプリを開く。
「孤爪くんって、なにかやってる? SNS」
「ううん」
 アカウントあるけど、放置してる、と孤爪くんは首を横に振った。
「そうなんだ」
 言いながら、私は孤爪くんのほうにずりずりとスマホを押し出した。
「これ」と言えば、孤爪くんがそろそろと画面を覗く。表示されているのは、私の本名をもじったアカウント名と、パンの写真のアイコンだ。
「苗字さんの?」
「そう。美味しいものみつけたら、載せてるの」
「へえ」
 さほど興味は無さそうに孤爪くんは頷いた。それでも目を通してはくれるようで、人差し指を滑らせて孤爪くんは私のアカウントをするすると遡っていく。
「東京だけじゃないんだ」
「うん。わりといろんなところに行く」
「パンばっかり」
「あはは、そんなことないでしょ」
「ここ知ってる、かも」
「どれ?」
「これ。たぶん、うちの、近く」
 孤爪くんの指したパン屋さんは、区内ではそこそこ有名なお店だった。ここって系列店もあるって本当? と聞くと、ちょっと離れたところに。でも、かなりわかりにくい場所かも。と孤爪くんは教えてくれた。孤爪くんの指にあわせて画面が流れていく。整った指先を見ながら、孤爪くんの好きな食べ物はなんですか、と聞けば、孤爪くんはかすかに首を傾げ
「アップルパイ」
 と答えた。私は思わず顔を覆う。
「かわいい」
「……意味わかんない」
 孤爪くんが苦々しい顔になる。すぐその顔するな、と苦笑しつつ指の隙間から強張りが解れていくのを眺めていれば
「行ってみる?」と孤爪くんが、突然聞いた。
「部活が、午前だけとか、タイミングがあえばだけど」
 孤爪くんも、何か食べたいのあった? と問いかえす私に、孤爪くんはまた眉を狭めると、スマホの画面をくるりと私の方に向け直した。
「そういうわけじゃないけど」
 と、私のもとにスマホをずいと押し返しながら、
「付き合ってるなら、一緒に出かけたりするもんなんじゃないの」
 と口を尖らせる。
「嫌ならいいけど」
 ぷいと孤爪くんは、また何もない壁の方に顔を背けてしまった。男の子にしては長い髪の毛がかすかに揺れて、カーテンのようにその横顔を隠してしまう。またいつもの、皺のよった嫌そうな顔をしているのだろうか。気になるけれど、でも今は、孤爪くんがこちらを向いていなくてよかったと思う。
「ううん、嫌じゃない。行きたい」
「……じゃあ、行く?」
「うん」
「休みわかったら、言う」
 うん、と私はしっかりと頷いた。そうやって体に力を込めていないと、今にも崩れ落ちてしまいそうだった。ああ。と私は思う。胸に詰まっていた小石のようなものが一粒コロンと抜け落ちたような気がした。まだ、すっきりと、よかったとは言えないけど。でも。
「嬉しい」
 そう言うと、孤爪くんが振り返った。皺の寄った眉間から続く眉が、垂れ下がっている。
「いいからはやく、食べなよそれ」
 孤爪くんが呟く。いつものゲーム機の電源をいれながら、私のパンを顎でさす。促されるままに食べたデニッシュパンは、バターがたくさん染み込んでいて、一口頬張れば甘さがじゅわりと口の中に広がった。美味しい。ぽつりと独り言ちる私の目の前で、孤爪くんの柔らかそうな髪の毛がキラキラと光っている。

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -