夕暮れの肖像
生徒会長から手渡されたプリントには、手芸部と記載されていた。
「調理部なんですけど」
と、プリントを差し戻すと、
「そうか。すまない」
と、生徒会長は悪びれた様子もなく謝って、
「家庭科部とかに統合してくれれば、こちらも楽なんだが」
などと言った。プリントの山をペラペラと捲り、そこから一枚引き抜くと、生徒会長はトンと机の上で今しがた私が返したばかりのプリントとそれを重ねる。
「提出は二週間後まで。ついでに、手芸部にも渡しておいてくれ」
それはお願いではなく、命令の口調だった。
えっ、私は思わず声を上げる。私のたじろぎに気づいたのだろう、生徒会長が首を傾げた。
「なんだ?」
「いや、その、手芸部の部長って」
「三ツ谷。わかるだろ、いつも調理部の前に発表している」
生徒会長は言い、さらに、
「銀髪で、でかいピアス付けてる」
と付け加える。
三ツ谷くんのことを知らない人は、たぶん、この学校には一人もいない。
だからといって、三ツ谷くんは、人気者というわけでもない。
要危険人物。とは流石に言いすぎだけど、大抵の生徒は三ツ谷くんのことを、怖い人だと認知している。
夜な夜なバイクで走り回っているとか。喧嘩が強くて百人以上もいた暴走族のチームを一人で壊滅させたことがあるだとか。小学生のとき、大きな入れ墨を入れていただとか。
そんな黒い噂が三ツ谷くんにはいくつも付き纏っていた。
どれもにわかには信じがたい話であったけれど、
「でも、三ツ谷ならありえるよね」
と、噂好きな女の子たちは言っている。
生徒会長から書類を受け取ってから、丸一日が経とうとしていた。休み時間に渡しに行こうと思い、でも移動教室だったり、トイレ休憩だったりと何かと用をつけていれば、すでにお昼休憩の時間となっていた。水曜日だから手芸部は休部のはずだ。はやく渡さないと、三ツ谷くんは帰ってしまうだろう。そうなれば、私は明日もまた、このプリントを手に一日を鬱々と過ごさなくてはならなくなる。
「だって、いかにも、って感じだし」
女の子の一人が続けると、だよねー、と他の女の子たちも同意した。わかるっていうか、だろうなっていうか。
女の子たちは、ヒソヒソと言いながら、顔を寄せ合う。
「そういう人だよね、三ツ谷って、きっと」
「ね。あの見た目だし」
「絶対なんか、ヤバい人たちと連んでるよね」
最後に女の子たちは、薄く微笑みあった。話はすぐに「そんなことよりさ」と別の話題に移ろいでいく。
意を決して、三ツ谷くんの教室に向かったのは放課後のことだった。
五限目と六限目の間休みに生徒会長から、まだかと聞かれてしまったのだ。
「さっき三ツ谷に会って、プリントが欲しいと言われたんだが、まだ手元にあるか」
そう聞かれて、私は頷くしかなかった。
どうやら生徒会長は、三ツ谷くんと会えば廊下で話す仲らしい。
だったら最初から自分で渡せばいいのに。
私はちぇっ、と心の中で舌打ちをした。
ここで生徒会長にプリントを押し付けられれば良いのだか、プリントは教室に置いたままだった。取りに戻る時間はない。何よりそこまでするのは、一度引き受けた手間、忍びなかった。
「移動教室があったから、放課後行こうと思ってたの。ごめんね」
嘘とも本当とも言えない言い訳をならべながら私が謝ると、生徒会長は小さく頷き、真面目な顔で
「いや、いい。ただ君がもし忘れていたなら、珍しいと思っただけだ」
と言った。
生徒会長は、堅物そうにみえて、案外話の通る人だ。少なくとも「移動教室があって」という言い訳にこめられた、私の憂鬱を、きっとわかっていただろう。でも、その上で君は引き受けたんだから、断るにしても、君から言ってこないと。生徒会長の真面目な顔が、そんなことを私に諭しているように見えた。
予鈴とともに私は生徒会長とわかれた。六限目の授業とホームルームを終えて、教室から出て行く人波に逆らうように三ツ谷君のいる教室に踏み入る。
三ツ谷くんは窓際の席にいた。銀髪に、剃り込みの入った眉毛、片方の耳だけにつけられてた大きなピアスと、校則よりも一つ多く開けられたシャツのボタン。それから顔にできた、謎の傷。
本当にいかにもって感じの人だな、と私はあんまりにも黒い噂に相応しいもので形づくられた三ツ谷くんに、嫌気がさしてきた。きっと、自分の力を誇示することしか考えてないのだろう、と決めつけた。ようやく踏み込んだはずの足が鉛のように重い。声をかけただけで、凄まれたらどうしよう。怯えながら、私はプリントを持ち直し、三ツ谷くんと呼びかけた。
結果として、凄まれるようなことは無かった。もしかしたら無視をされるかも、とも私は危惧していたのだが、声をかけるなり、三ツ谷くんは気の抜けたコーラみたいな声で、
「ん?」
と私のほうに向き直った。次いで、
「誰だテメェ」
だとか、
「何かあんのか、オラ」
などと詰められることも想像していたけれど、そういう「いかにも不良」みたいな態度も三ツ谷くんはとらなかった。
「苗字さんじゃん、あ、もしかしてプリント持ってきてくれた?」
そんな風に、ごく普通に返されて、私は拍子抜けしてしまった。ぽかんとしていれば、
「苗字さん?」
と三ツ谷くんに再度呼びかけられた。
はっとして、
「そ、そう。これ部長会議のプリント」
と慌てて差し出すと、三ツ谷君は確認するようにプリントを見下ろした。
「ごめんなさい、渡すの遅れちゃって」
早口に謝ると、三ツ谷くんは頷いた。それから大きく微笑み、
「ううん。オレの方こそ、手間かけさせて悪かったな」
と、礼を述べると、
「ありがとう」
と言って、両手でプリントを受け取るのだった。
「どういたしまして」
呆気にとられながら言うと、三ツ谷くんはまたニコリと微笑んだ。
「オレもこのあと、苗字さんのとこ、取りに行こうと思ってたんだ」
「え、そうなの」
「うん。会長に苗字さんが持ってるって言われたから」
「ああ、そっか」
そのままなんとなく私たちは微笑み合う。牽制も、企みも、同調の強制もない、ただの微笑み。
でもその日から私たちは、廊下で会えば挨拶を交わすようになった。
そのころ部長会議では、文化祭の話題が出始めていた。
当日までのスケジュールが共有され、各部それぞれに、展示内容や使用したい教室などの希望を出すように、との指示が出る。締切は一か月後。これに並行して、各クラスの話し合いも入ってくるだろうから、早めに予定立てておくように。
生徒会長はテキパキとした口調で言う。
それに対して部長たちは、ああ、はいはい。と言った感じの様子だ。私も。三ツ谷くんも同じように退屈そうに聞いている。
大体の部活は、例年通りの内容をそのまま提出する。
クラスで行うものと違って、部活の内容に則ったものとなると、変えるほうが難しいというものだ。
「毎年新入部員から、ファッションショーやりたいとは言われるものの、だな」
希望調査票を手に、三ツ谷君が言うのを、私はケラケラと笑いながら聞いていた。
「あるある、案の時点では、みんな大きいこと言うんだよね」
「結局は、無難に落ち着くんだけどな」
三ツ谷くんは、品目の欄に「展示」と書き込んだ。整った読みやすい字だった。
「三ツ谷くんって、意外と丁寧な人だよね」
私が言うと、三ツ谷くんは驚いたように、聞き返した。
「えっ、そう?」
「もっと粗雑な感じの人なのかと思ってた」
「どっちも言われたことないな」
「うん。何をみてそんな風に思ってたのかも、わからないんだけどさ」
「ふーん」
三ツ谷くんは言いながら、シャープペンシルを親指の上でくるくると回した。
器用なものだな、と私は眺める。近くでみると、三ツ谷くんの手は案外節がたっていた。ゴツゴツとした指先の上で、重心を保ちながら、シャープペンシルはクルクルと素早く旋回している。
もう一度、三ツ谷くんは親指でシャープペンシルを弾いた。くるくるとまた回り出す。3周ほど回ると、三ツ谷くんの親指と人差し指の間にシャープペンシルは戻ってきた。指先でペン先を捏ねるように弄びながら、三ツ谷くんは私に聞く。
「なんか変な噂でもきいた?」
変な噂。
三ツ谷君の言葉に、私はつい苦笑いを浮かべる。
それが答えになったのだろう、三ツ谷くんは、
「言っとくけど、あれ嘘だからな。だいぶ話盛りすぎ」
と答えた。
「そうなの?」
びっくりして聞き返すと、三ツ谷くんは肩をすくめた。
「そりゃそうだろ」
「てっきり本当なのかと思ってた」
「オレはそこまでバケモンじみてない」
三ツ谷くんはそう言って、頬杖をついた。
そっか、そうなんだ。
答えながら、私はなんだか、よくわからない気持ちになった。
噂と違くて、がっかりした?
そう自分に問いてみる。
ううん、別にそう言うわけでもなくて。
じゃあ、ほっとした?
いや、それもなんだか違くて。
じゃあ三ツ谷くんに、どうであってほしかったの?
わからない。そもそも私は、三ツ谷くんに「こうあって欲しい」なんて強い気持ちも持っていなかった。ただ。
ただ?
自分が知っていると思った三ツ谷くんが、本当は違うということに、戸惑ったのだ。
「本当は」
私は聞いた。
「一人じゃなくて、六人で潰した」
三ツ谷くんは答えた。それから、誤魔化すように「ふっ」と笑った。
後日、希望調査票を提出しに生徒会室に赴けば、生徒会長はだらりとパイプ椅子に腰掛けていた。シャツのボタンを一つ開けて、首元を緩めている。
「どうしたの」
と聞くと、生徒会長は緩慢な動きで、体制を整え、シャツのボタンを上まで閉めた。
「少し疲れてね。すまない、今見たものは忘れてくれ」
べつに、無理に第一ボタンまで閉めなくてもいいんじゃない。そう言うと、生徒会長は
「人は見かけによらないというが」
と徐に切り出した。プリントで散らばった机を眺め、はーと重い息を吐いてから、生徒会長は淡々と話し始める。
「見た目から得られる情報は、それだけ強力なイメージを人に与えるということだろう。僕は本来、細かなことを気にするタイプではないが、こうしてボタンを閉めているだけで、しゃんとした人間だと思われることがある。真面目なやつだと思われる。何より、僕自身が、そうなれたような気持ちになる。喋り方も所作も、首元をくつろがせているときと、そうでないときでは、どことなく変わったような心持ちになる」
そっか。
どんな言葉を返せばいいのかよくわからないまま、私は生徒会長の話を聞いていた。
聞きながら、「いかにも」な三ツ谷くんの、そうじゃないところを思い浮かべたりもした。
「まあ、こんなことを考えている時点で、僕はそもそも根が真面目なんだろう。じゃなきゃ、理想と現実の乖離についていけなくなっているはずだし。向いてるんだろうな、真面目だから真面目に生きるということが」
生徒会長はぼやきとも自賛とも言えないことを言い、机の端に積み上げられたプリントの山の中から、一枚こちらに差し出してきた。
プリントには、調理部と記載されている。
「三ツ谷くんは、不真面目だから、不良なのかな」
私は聞いた。生徒会長が肩をすくませる。
「僕は小学生の頃から三ツ谷を知っているが、あれほど真面目で行動力のある奴を見たことがない」
「そうなの?」
「僕の所感だ。気になるなら、自分で確かめたほうがいい」
そう言って、生徒会長はプリントをもう一枚引き抜くと、調理部のプリントの上にトンと重ね合わせた。
生徒会室を出ると、三ツ谷くんがちょうどやってきた。
「あ、もうプリントもらった?」
頷いて、私は三ツ谷くんに手芸部の分のプリントを差し出した。
三ツ谷くんが、少しびっくりした顔になる。
「なんだか悪いな」
三ツ谷君は両手でプリントを受け取った。その手はゴツゴツとしていて、この前には無かった傷ができていた。もっとこの人のことが知りたい、私は思った。いかにもなとこも、そうじゃないところも、全部。夕焼けに三ツ谷くんのピアスが鈍く光っている。私は踏み込むように一歩近づき、三ツ谷くんと呼びかけた。