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崩壊を待つ歌

 一、

 夜明けとともに世界が終わった。
 呆然と、私はテレビを眺める。たった今、この世界の終わりを報じたばかりだというのに、濃紺のスーツを着たアナウンサーは、硬い表情を一変させて産まれたばかりの動物の赤ちゃんを紹介しはじめていた。もしかしたら私の聞き間違いだったかもしれない。小首を傾げながら、リモコンを操りチャンネルを変えれば、別の局でも同じニュースが読み上げられていた。どうやら間違えではないらしい。その事実を理解したとき、私の手からリモコンが滑りおち、ガシャンと突き刺すような音が部屋に響いた。
 空気が途端に薄まった気になる。思考が少しずつ遠ざかり、私は肩で息をし始めた。
 2018年、1月。
 冬の白い太陽が夜の帳の向こうからぼんやりと姿を見せ、空の色を変え始めたとき。
 タカちゃんが、死んだ。
 誰かに殺された。もう二度と、私のもとに帰ることはないらしい。
 そうして私の世界は、二度目の終わりを迎えていた。

 二、

 タカちゃんと出会ったのは、14年前、共に中学一年生のときだった。
「オレは三ツ谷隆。オマエは?」
 バイクに跨りながら声をかけられたその瞬間から、たぶんずっと好きだった。くっきりとした二重で、垂れた目が優しそうだと思った。ニコリと笑うと幼い印象になるのは、マイキーも一緒だったけれど、タカちゃんの笑い顔は私に親しみとトキメキを与えてくれた。それが他の男の子と何が違ってのことなのかはわからないけれど、タカちゃんが放つ甘い花の蜜のような空気に私は妙に惹かれていた。
「苗字名前」
「名前か。よろしくな」
 甘い笑顔。
 すぐに私はタカちゃんに夢中になった。マイキーの友達という立場を惜しみなく使い、タカちゃんの隣に並んでは、さらに深く繋がる隙を狙っていた。恋心を隠すことなく曝け出せば、私の恋は仲間内で公認となった。
 タカちゃんが、それを否定することなく受け入れれば、私たちは中学二年生に進級すると同時に恋人同士になった。
 交際は順調だった。もともと仲間内では公認であった私たちだったけれど、タカちゃんを恋人として紹介すれば、たちまち私の友達も両親もみんながタカちゃんの虜になった。
「本当にいいこよね」
 母はうっとりと言った。
「隆くんみたいな子が、名前の旦那さんになってくれたら、お母さんは本当に嬉しいんだけどな」
 気が早すぎるよ。と照れる私の隣で、真面目な顔をして母を見つめたタカちゃんの横顔を私はたまに思い出す。
「いつかそうなれたらと、思っています」
 あのとき。はっきりとそう告げたタカちゃんに、私はこの先ずっとこの人のことが好きなんだろうと確信を抱いていた。この先ずっと二人は一緒にいて、ずっと仲睦まじく、愛し合うのだろうと信じていた。私の初恋は、最初で最後の恋になる。他の男の子も、女の子も、私たちの間を引き裂くことは出来やしない。
 タカちゃんこそが、私の世界なのだ。
 タカちゃん無しでは私は生きることが出来ない。タカちゃんも、きっと、同じ気持ちであるはず。私はそう信じていた。高校最後の冬に、タカちゃんから別れを告げられるまでは。

「ごめん」
 どうして。と聞く私にタカちゃんはたった一言そう言った。感情の読み取れない、一辺倒な声だった。
「送るよ」
 コートのポケットに手を入れて、タカちゃんが日の暮れた道を歩き始める。オリオン座のなかに並ぶ三つの星がよく見えていた。寒い、と呟けばタカちゃんがコートのポケットの中に私の右手を招いてくれた。親しんだ温もりが嬉しくて、先の会話を受け止められないまま、私は小さく歌った。
「オー、シャンゼリゼ」
 2回繰り返す。続く歌詞がわからなくて、ハミングに切り替えた。耳に残る歌声があるのに、どう発音したら良いのかわからなかった。鼻歌を続けてようやく口にのぼったのは、「シャンゼリゼ」という歌の終いだった。
「全然、歌えてねぇじゃん」
 タカちゃんが笑った。愉快そうに、甘い声を震わせていた。
「ねぇ、本当に終わり」
 私は聞いた。
「うん。本当に終わり」
 タカちゃんが答えた。
 星の下で立ち止まり、温かなポケットから手を抜けば、冷えた空気が掌から熱を奪っていった。
 それから、私はどうやって帰ったんだったけ。思い出せない。ただ冷えた冬の空気が、気管を凍らせてしまったかのように、私は呼吸がうまくできない気がした。浅い呼吸にくらくらとする頭で、タカちゃんとの過ぎた時間を思っていた。
「うそつき」
 最後に私がそう言ったとき、タカちゃんはどんな表情をしていたんだっけ。
 それもやっぱり思い出せなくて、私は呆然と明けたばかりの紫がかる空を眺めた。

 三、

 葬儀場に花を手向けにむかえば、母と同じくらいの歳の女の二人組とすれ違った。低く陰気な会話の端っこがすませるまでもなく、耳に届く。
「ヤンチャしててもいいお兄ちゃんだと思ってたけど。やっぱりそうなっちゃうのかしら」
 その言葉に舌打ちをしそうになるのを堪えて、私は苦い顔をした。やっぱりそう、なんて知った口を聞かないでほしかった。
 中学生のころから暴走族なんて言って、バイクを乗り回し、喧嘩ばかりしていたタカちゃんは、いつしか犯罪組織の人間になってしまっていた。それを順当な道だと、あの女は思ったようであったが、私にはとても歪んだ道に無理矢理タカちゃんが引き摺り込まれたようにしか思えなかった。
 素行不良で、原宿界隈では有名であったことが信じられないほど、タカちゃんは理不尽な暴力を嫌った。タカちゃんが拳を握るときは、いつも誰かを守るときで、他人で憂さを晴らすようなことを良しとしなかった。
「三ツ谷は不良にむいていない」
 タカちゃんとは、マイキーよりも古い仲だというドラケンが昔そんなことを言っていた。
 あのときも、そうだった。東卍の集会が終わった後だったと思う。
「お姉さんさ。三ツ谷なんかと、なんで付き合ってんの」
 突然、柄の悪い男が話しかけてきた。東卍の特攻服を着ていたが、初めてみる顔だった。新しく傘下に入ったグループの構成員だったのかもしれない。これ見よがしに小型のサバイバルナイフを、くるくると手の中で弄んでは、私たちに見せつけてくるような奴だった。
「酷いこと聞くね」タカちゃんは笑いながら、さりげなく私を背中に隠した。
「だってさ、おまえ、金持ってないんでしょ」男もまた笑って言う。言葉になにかが潜んでる。腹の中にヘドロでも飼っているのではないかと疑いたくなるような、つい顔を苦く顰めたくなる笑い方だった。
「ああ。まあな」タカちゃんは、あっさりと認めた。
「金ねぇ男といてもつまんなくない? それとも、貢いでる感じ?」
 タカちゃん越しに、私に向かって、男は言う。男の声が聞こえたのか、あ? と離れたところからドラケンが地を這うような声をだしたが、ひらりとタカちゃんはドラケンに向かって手を振った。相手にするな。そう言っているような手つきだった。それはドラケンにも、そして向かいの男にも伝わったのだろう。男は顔を歪めてさらに、乱暴に口を開いた。
「アイツの店で、身体でも売らせてんじゃねえの」
「黙れ」
 タカちゃんが言った。は? と言う男はなんだかヤケになっているようだった。嘲笑っているのか、引き攣っているのか口の端が細かく揺れていて虫唾が走る。タカちゃんが男と私の間にいなければ、私はその震える頬をひっぱたいていただろう。
「オレのことはいいけどさ、今のは名前にも、ドラケンとその店のやつらにも言っちゃいけねぇことなんだわ」
 それまで微動だにしなかったタカちゃんが、すい、と手を伸ばすと素早く男の手を捻りあげた。男は、一瞬のことに唖然とし、しかしすぐに、痛みで顔を歪めて、呻いた。
「離せ、クソ」
 男は手からサバイバルナイフを滑り落としながら、叫んだ。タカちゃんは男を掴む手とは反対の手でナイフを拾いあげると
「テメェも、東卍入んならダセェことしてんじゃねぇよ」
 と言って、男の手をパッと離すと、
「もういいか。女待たせて男と話し込む趣味はねぇんだけど」
 とそれ以上、その男に手をあげることも声をかけることもしなかった。
 そのあと二人きりになった帰り道で、タカちゃんは私にごめんなと謝った。タカちゃんは何も悪くないのに。私がそう言ってもタカちゃんは
「名前に嫌な思いさせちまった」
 と、首を横に振るばかりだった。
 なあ。しばしの沈黙のあとに、タカちゃんが呟いた。
「集会に顔出すの、やめにしねぇ?」
 えっ、と声が出た。
 私は東卍のメンバーではない。喧嘩に興味も無かった。ただ、マイキーの友達というだけで、創立時から気まぐれに呼び出されては、後ろから会の模様を眺めていた。そんな成り行きだったから、タカちゃんの提案に不満は無かった。けれど。
「いや?」
 タカちゃんが聞いた。
「ううん。そうじゃなくて、ビックリして。その……」
 言葉が詰まった。たった一度、あの男との会話は、今までの習慣を終わらせるほどのことだったのだろうか。私にはそうは思えなかった。ただ、男に貶されたのはタカちゃんも同じ、いや、タカちゃんの方が嫌な思いをしたはずである。それならば、気にする程のことかなんて、私の口からは聞けるわけがなかった。
「東卍もデカくなってきたからさ」
 その続きをタカちゃんが口にすることは無かった。
 家までの道を、タカちゃんと並び歩く。繋いだ手を私がわざと揺らしてみれば、タカちゃんは絡めた指をぎゅうと繋ぎ直してくれた。
 それだけでよかった。
 タカちゃんがそうしたいなら、それでよかった。

 結局。その日を境に、私は東卍の集会に行くことは無くなり、日が経つにつれてドラケンやマイキーとも徐々に疎遠になっていった。
 唯一の東卍との繋がりはタカちゃんだけで、別れてしまえば、私は東卍との関わりの全てを失くした。
 タカちゃんが、私との別れをいつから考えていたのかを私は知らない。
 ただ今思うと、そこにタカちゃんの計らいがあったような気がしてならない。

 四、

 花を手向けた後、帰り道で人にぶつかった。後ろから走り寄ってきた男に、その勢いのまま肩にぶつかられたのだった。「あ」と音を出して私の前におどりでた男は、私と同じく喪服姿で、大きな目にうっすらと涙を浮かべた、黒髪の癖毛の男だった。
「すみません、オレ、急いでて」
 荒い呼吸を整えぬままに、男が言う。
「はあ」
「ほんと、すみません」
「いえ。大丈夫です」
 私が言い終わるかどうかのタイミングで、男は軽く会釈をして、また走り出した。遠く去っていく背中を眺めながら私もまた駅に向かい歩き始めた。
 肩が痛いだとか、ぶつかられた不満とか、あの男もタカちゃんの葬儀の帰りなのだろうか。といったことの一切を私は考えずに、ただただ歩くことに集中した。何かを考えてしまわないように、一生懸命に歩いた。いつもより歩幅を大きくして、腕を振って歩いてみたりもした。
 家に帰ってからも、軽く部屋の掃除をしたり、風呂を沸かしたりと忙しくした。
 それから、一通りのことを終えて風呂にむかい、髪を洗っているときに、唐突に、
「あ」
 と、思い出した。何を思い出したのか。タカちゃんに花を手向けた帰りにぶつかった男についてである。
「タケミっち、か。あの人」
 頭についた泡を流し、濡れた髪を纏めながら私は「ダメだ」と重くため息をついた。
 思い出さないようにしている時点で、既に私の頭の中は思い出に搦め捕られてしまっているのかもしれない。

 東卍に入ったタケミっちの、最初の配属先がタカちゃん率いる弐番隊だった。
「よろしくおねがいしやぁす」
 デレりと挨拶をしてきた日から、なんなんだろうこの子と思い続けていた。嫌悪感を抱いたとか、そういうのでは無くて、ドラケンを助けてくれたという話を聞いた上で、それでもどうしてマイキーがこの子を連れてきたのかが私にはさっぱりとわからなかったのだ。けれども、やはりそれなりの理由や魅力が彼にはどうやらあるようで、
「タケミっちは、オレらの恩人」
 と、いつしかタカちゃんまでも、タケミっちについてそんな風に言うようになっていた。
 今まで受けた恩の礼に、オレが特攻服を仕立てたいとタカちゃんが言い出したとき、私は意見を述べるようなことはしなかった。
 ただ、タカちゃんにそれだけの時間を、更に確保する余裕があるのかというところだけを心配した。不良という一面だけがタカちゃんの全てではない。母子家庭の長男として、小さな二人の妹の面倒を見ながら家での仕事をタカちゃんは一人で担っていた。それだけでも大変だろうに、それを理由に学校生活を疎かにするする人でも無かったから、タカちゃんのスケジュールは、いつも朝から夜まで何かしらの予定が詰め込まれていた。
「タカちゃん、いつ休むつもりなの」
 放課後に訪れた、タカちゃんの家で私は聞いた。障子一枚挟んだ隣室からタカちゃんの妹たちの遊ぶ声が漏れ聞こえていた。タカちゃんがちゃぶ台の上に裁縫道具を広げて、タケミっちのものになるだろ特攻服に刺繍を施していく。器用な人だと、何度目かの感想を私は思っていた。
「んー? いま?」
 丸みのある喋り方で、タカちゃんは言った。
「いま?」
「おー。いま」
 のんびりとした声でタカちゃんは再度、答えた。しかし、その口調にあわず、タカちゃんの手は忙しそうに針仕事を進めている。それのどこが。心の中で私は呟く。私のいう休むとは、だらりと横になったり、そのままウツラウツラと眠りに誘われたりするような時間のことであったのだけど。
 ふっ、と針先を眺めながらタカちゃんが笑った。タカちゃんは何回か針を進めたところで手を止めると、私へと目を向けて、すばやく一度キスをした。
 予兆のないキスにびっくりして、目を丸くする私にタカちゃんは吐息のようにクスリと笑って、それからまた、針仕事を再会させた。
「タカちゃん」
「んー?」
「なに、いまの」
「休憩」
 休憩。
 澄ました顔で、タカちゃんが言う。その横顔に、ムズムズと胸の奥がこそばゆくなって、頬がへにゃりと緩みそうになって、私はきゅうと顔に力をこめた。
「ばっかじゃないの」
 照れを隠すように、言う。
 タカちゃんが、今度は声をだして笑った。カラカラと笑うタカちゃんの声は愉快そうで、どうしてか私にはそれがとても悲しく聞こえた。
「タカちゃん」
 んー? とまた、タカちゃんはのんびりと答える。
「たまには甘えてね」
 そう私が言えば、タカちゃんはぽかんと口を丸く開いた。それも一瞬のことで、すぐに結びなおされた唇がもう一度開きなおされたときには、
「男が甘えたって気持ち悪いだろ」
 と歪んだ形に変わっていた。
「そんなことないよ」
 しっかりと私は否定したが、その声はどうやら、タカちゃんの耳を通り抜けてしまったらしい。はいはい。とタカちゃんは適当な相槌で私の話をやり過ごそうとする。それが私を余計にムキにさせた。
「男の子にだって、可愛げって大事だよ」
「はいはい」
「優しくされてばっかりじゃ、女の子も遠慮しちゃうしさ」
「名前が遠慮ねぇ」
「私だって……するし。タカちゃんに何かしてあげたいって思うよ」
「そう言われてもなあ。名前がどうってわけじゃなくてさ、自分でやった方が楽なんだよ。オレ」
 だからこの話はおしまい。そう続けようとしたタカちゃんの声を、私は遮った。
「なら、新婚旅行はタカちゃんの行きたいとこに私が連れて行ってあげる」
「は?」
 再び、タカちゃんの口が丸く開いた。今度は驚いたことを隠しもせずに、しばらくぽかんと私を眺めていた。
「パリでもミラノでもどこにだって連れてってあげる。好きなものも買ってあげる。どのブランドでもいいよ。服でも鞄でも帽子でも、なんだって買ってあげる」
「パリでもミラノでもって。オマエわかってんのかよ」
「わかるよ。凱旋門とエッフェル塔と、シャンゼリゼ通りでしょ」
「……パリはな」
 呆れたようにタカちゃんが返す。私は勢いこむ。
「本当だよ」
「はいはい、期待してます」

 数日後。タカちゃんはタケミっちの特攻服を完成させた。初めて彼が東卍の特攻服を着て集会に現れた日のことを、私はよく覚えている。
 場地が死んで、最初の集会だった。場地は東卍の創設メンバーとしてチームの重鎮であったが、そんなことよりも、私にとってはマイキーと同じくらい小さな頃から知る友達だった。
 タケミっちはその日、場地の抜けた穴を埋めるように、壱番隊の隊長になった。少年院にいる間の代わりではなく、死んだ人間の跡を継ぐという形で引き継いだ瞬間を、おそらく私はあの場にいた他の誰とも違う気持ちで眺めていた。

 五、

 葬儀からしばらく、タケミっちに再会した。
 自宅のマンションのエレベーターの中で、タケミっちは、襟付きのシャツを着た黒髪の青年と一緒にいた。
 驚きに固まる私たちの隣で、戸惑ったように「タケミチくん。お知り合いですか」と青年が聞いた。低い声ではないのに、落ち着いた、耳馴染みの良い声だった。スッキリとした真面目そうな青年の顔によく似合っている。
「ああ。こないだ、三ツ谷くんのお葬式で」
「三ツ谷の?」
 タケミっちの発言に、青年の顔が険しくなる。
「学生時代の……知人です」
 自宅の階について、私はエレベーターを降りた。
「待って」
 すぐに呼び止められる。振り向いけば、タケミっちは必死の形相で
「東卍のこと、教えてくれませんか」
 と叫んだ。

 話を聞くと、青年。橘ナオトと私の住むマンションが同じとのことだった。少し悩んで、私は刑事だと名乗る橘と、タケミっちを自室へと招くことにした。初対面の人間を相手に喫茶店などに足を運ばなかったのは、誰かに聞かれることに、どこか後ろめたさがあったのかもしれない。
 二人がけのダイニングテーブルに橘とタケミっちを通し、私はインスタントのコーヒーを淹れた。白い湯気がたつ側で、お茶請けになりそうな菓子を探す。おかまいなく。と声をかける橘に曖昧に頷いて、砂糖とミルクをお盆にのせた。
 コーヒーを届けて、私も部屋の隅から持ち出したスツールに腰掛ける。少しして橘が、
「気の毒なことでした」
 と硬い声を出した。
 私はそれに応えずに、聞いた。
「聞きたいことと言うのは」
「なんでもいいんです。どうして東卍が、あんな犯罪組織になってしまったのか。過去に何があったのか。なんでもいい! なんでもいいから、知りたいんです」
 タケミっちが勢いよく話す。次いで、
「……三ツ谷隆との関係をまずは窺ってもよろしいですか」
 と橘が静かに聞いた。
「学生時代にお付き合いをしていました」
 タケミっちが何かを思い出したかのように、私を真っ直ぐに見つめた。視線を避けるように、私は自分の手をぼんやりと眺めた。
「どうして、東卍がそうなったのか。それは私もわかりません。私が、知りたいくらいです」
 タカちゃんは誰かを陥れることに喜びを感じるような人じゃなかった。タカちゃんだけじゃない。ドラケンも、マイキーも。それを嫌って、仲間のために力を振るう人だった。
「そう信じていました」
 ずっ、とタケミっちが鼻を啜った。彼も同じように思っているのかもしれない。あの頃、東卍のメンバーは、みんな自分のチームを誇りに思っていた。東卍が全て。本気でそう思っていた人たちを私はよく知っている。
「でも。私は無くなればいいと思ってました」
「それは、どうして」
 橘の声が、ずしりと重く肩にのしかかった。
 もう何も思い出したくなかった。思い返せば返した分だけ、記憶の中のタカちゃんが、私のことを責めたててきた。
 だったら、あの時どうして。と。

「刑事さん」
 私は、ほとほと疲れていた。
 タカちゃんが死んだというニュースを見てから、終わりを迎えた世界で死んだように生きていくことに。
 後悔で震える夜を迎えることに。
 私はすっかり疲れていた。
「私が三ツ谷隆を、殺しました」
 ダイニングテーブルを囲い、コーヒーの香りで満ちた部屋の中で私はゆっくりと話はじめる。

 六、

 久しぶりにタカちゃんのお母さんが休みの日だったので、タカちゃんと私は、私の部屋で特に何をするわけでもなく過ごしていた。ローテーブルに私の好きなチョコチップのクッキーをひろげて、ときどきそれを摘みながら、私たちは肩を並べておしゃべりを楽しんだ。
 なんの話ということはない。延々と続く内容の無い話ですら、タカちゃんとならば、退屈ではなかった。むしろそんな時間が楽しかったし、好きだった。
 しばらくして、ふとした拍子にタカちゃんと視線がぶつかった。私たちは暗黙の了解とでも言うように、おしゃべりをしていた唇を閉ざして、ゆっくりと顔を傾けさせて、キスをした。
「おいで」
 離された唇でタカちゃんに誘われて、私は膝の上に向かい合うように跨った。背中に腕を回されて、しっかりと抱きしめられる。がっしりとしているわけでは無いけれど、華奢ともいえないタカちゃんの背中に私もまた腕を絡めた。タカちゃんの吐く息が首筋をくすぐる。
 それは珍しいことだった。恋人の首筋に甘えるように擦り寄るのは、いつも私の役割であったのだ。
 貴重な恋人の姿に私は胸をきゅんとさせて、抱きしめる腕を強めた。
「なあに、タカちゃん甘えん坊さん?」
 クスクスと笑い声に訊ねると、タカちゃんは首筋に顔を埋めたまま、
「男にだって可愛げは必要なんだろ」
 と同じように笑い声に答えた。
 くぐもった声が肌にあたるのを感じながら、私は自分よりも大きな男のことを、「かわいい」と愛おしく思った。
 この人を大切にしてあげたい。
 この人を何者からも守ってあげたい。
 この人の幸せを、私がどうにか築いてあげたい。
 本当に心からそう思っていた。後にも先にも、あんなにも誰かを愛しんだことはない。

 ぎゅうぎゅうと隙間なく抱きしめ合い、ときどきタカちゃんが首筋にキスを落とした。チョコレートクッキーよりも甘い空気が私たちの周りを取り囲み、私はこのまま二人で柔らかな布団の中に潜り込むものだと思っていた。
 すん、とタカちゃんが息を吸って、鼻を押し付けるように、私の首筋にきつく顔を埋めてきた。私は抱きしめたまま、右手でタカちゃんの頭を撫でる。そのままタカちゃんが小さく聞いた。
「コンコルド広場って知ってる」
「コンコルド?」
「マリーアントワネットとかが、処刑されたところ」
 知らない。フランス? と聞くとタカちゃんが首を縦にもぞりと動かした。
「冬になると移動遊園地が来るんだけどさ」
「うん」
「名前好きそうだなって、あんときから、ずっと思ってた」
 タカちゃんが言う。遠く懐かしむような話し方に、
「タカちゃん」と私は呼びかけた。心細かった。
「名前」タカちゃんも私を呼んだ。絞り出すような声で。それから、本当に小さな声でボソリと何かを囁いた。
「なに?」
 私は聞き返した。
「何、買ってもらおうかな」
 タカちゃんが言い直す。
「え?」
「新婚旅行は、名前の奢りなんだろ?」
 タカちゃんは首筋から顔を離してニコリと言った。
「うん」
 しっかりと私は頷いた。
「もちろん! 期待しててね。約束だよ」
 タカちゃんは目を細めて私を見つめると、先程想像した通りに、私をふわりと持ち上げて柔らかなベッドへと下ろした。

 コーヒーからたつ、湯気がいつのまにか消えている。
「三ツ谷くんのこと、大好きだったんスね」
 穏やかな声色で、優しく語りかけられる。
 コーヒーを一口飲んで、ほうとタケミっちが息を吐いた。
 タケミっちの言う通り、私はタカちゃんのことが本当に好きだった。この気持ちこそが、愛だと信じていた。
「それなのに。なぜ、自分が殺したとあなたは思うようになったんです」
 橘が話の続きを促す。
 私には一度目の世界の終わり、つまり、タカちゃんから別れを告げられ日に厳重にしまいこんだ秘密があった。
「聞こえたんです。私」
 タカちゃんが私の首筋に顔を埋めて呟いた声は、私の耳に届いていた。それを私は聞こえなかったフリをしたのだ。
「助けて」
 疲れ果てたタカちゃんの声が、今も耳の奥にこびりついている。
 それなのに。
 とても小さな声だったから、きっと聞き間違えだったのだと思いこんだ。だって、タカちゃんは、まるでそんなそぶりを見せていなかったから。変に確かめて、私がマイキーや東卍を否定的に見ていると取られたら、と思うと、声が喉に張り付いて出てこなかった。
 マイキーや東卍をタカちゃんが心から大切に思っていることを知っていたから。
 マイキーや東卍を私は心のうちでは、よく思わなくなっていたのを知られたくなかったから。
 何がきっかけというわけではない。
 タケミっちと橘が知りたいだろう答えを、私は持ち合わせてはいないだろう。
 ただ、予感よりも本能的な感覚で、いつか場地の代わりがタカちゃんになるのではないかと、タケミっちが隊長に就任した日から私はずっと恐れていた。
 けれどマイキーは私とタカちゃんを出会わせてくれた大切な友達だから。東卍はタカちゃんの全てだったから、私は本音を気持ちの奥底に仕舞い込んでしまっていた。
 いや、この話もまた嘘に塗られた綺麗事だろう。
 ありのままを打ち明けるなら、私の信じた愛は、あまりに幼く自分勝手な恋でしかなかったのだ。
 なんでもしてあげたいと言いながら、いざそのときがくると、怖気づくようなお粗末なものでしかなかったのだ。
 今となっては、もうタカちゃんがあのとき、どんな気持ちで私にあの言葉を言ったのか確かめる術はない。しかしそれがどんな思いであったとしても、あの瞬間、タカちゃんが何かもう戻れない道を決めてしまったように思えてならなかった。
 もしもあのとき。
「私が引き止めていたら、タカちゃんは、今頃夢を叶えていたかもしれないのに」
 戻れない過去を振り返っては、後悔する。
「私、救えたはずだったのに。なのに」
 しかし、どれだけ私が涙に沈もうとも、崩落した世界が再生することはない。タカちゃんが戻ってくることはない。なぜなら全て。
「私が見殺しにしちゃったから」

 七、

 私が口を閉ざして、しばらく、タケミっちも橘も静寂を守っていた。部屋の中は静まりかえっている。呼吸の音すらも聞こえない。痛みを覚えるような静けさだった。
 そんな中、はじめに、沈黙を破ったのはタケミっちだった。
「三ツ谷くんは、きっと、何があっても東卍にいたと思います」
「……」
「確かに悩んだこともあったかもしれない。でも、聞いたんです。オレ。三ツ谷くんが、命をマイキーくんに預けたって」
 タケミっちが、言葉を詰まらせながら続ける。
「そういう筋を通す人だったから。それなのにオレは、東卍やめて。三ツ谷くんやドラケンくん達に、むいてねぇからって、庇ってもらってて」
 むいてない? 聞き返す。タケミっちが頷く。目に涙を浮かべて、真っ直ぐに私を見てくる。それだけで、彼が真剣に私へと向き合ってくれているのがはっきりと伝わってくる。
 でも。
 でも!
「タカちゃんだって、向いてなんかなかった」
 震える声で、一息に告げる。それ以上は嗚咽が込み上げてきて、言葉にならなかった。
「それでもその道を三ツ谷隆は自分で選んだ」
 冷然と橘は言う。
「そして、彼を殺したのも、あなたじゃない」
「……だったら、誰のせいなんですか」
 私は橘に聞いた。
 やけに頭が冷えていて、声の震えも収まっていた。ただ指先だけが痺れるわけでもなく、細かに震えていた。
「どうして警察はもっとはやくに動いてくれなかったんですか。他にも亡くなってるんでしょう。もっとはやくに。そもそもタカちゃんを捕まえてくれてたら、死ぬことは無かったんじゃないんですか」
 一遍に捲し立てる私を宥めるように、タケミっちが、
「三ツ谷くんのいた組織は、警察でも手が出せないくらい、やばいものになってて」
 と遮った。すかさず私は、
「だったらなおさら、どうして、あなたが生きてるの」
 と声を荒げた。
 どうして。
「どうしてあなたが生きてるのに、タカちゃんは死ななくちゃいけなかったの」
 場地の代わりは、タケミっちだったのに。
 こうして生き延びた人間がいるのに。
 どうして。
 どうして、タカちゃんが。
 口元を手で覆い、込み上げる嗚咽を隠す。自分のせいでないことくらいわかっていた。マイキーの友達だから側にいられたことも、タカちゃんがマイキーより私を選ぶ日はこないこともわかっていた。
 それでも。
「私のせいじゃないなら、私はこの先、誰を憎んで生きていけばいいの」

 すっかりと冷たくなったコーヒーを残したまま、夜は深く更けていた。
「また、来ます」
 最後にタケミっちはそう頭を下げて、橘とともに部屋をあとにした。二人はタカちゃんを殺した人間について、知っているようであったが、私に教えることはなかった。けれど、タケミっちの会話の端々から犯人はマイキーであることは予想をつけるのは簡単だった。嘘の下手な男だと思う。
 憎しみの先を、私はマイキーや他の誰かに向けようとは思っていない。悲しみも憎しみも、タカちゃんへの気持ちの全てを、私だけのものにしておきたかった。
 タケミっちは、また来るという約束の他に、一つ私に言葉を残していった。
「オレが必ずみんなを助けます。どうしたらいいのか今はわからないけど、でも必ず、みんなが幸せになる世界をつくってみせます」
 下手な慰めは私の心を逆立てるだけだと思っていた。しかし、嘘の下手な男の、あまりに真剣な声と表情は、それが突拍子もない話であっても否定できない不思議な力をこめていた。
 東の空がぼんやりと色づき始める。もうじき、夜が明けるのだろう。
 冷たい窓にもたれかかって、私は小さく歌を歌う。オーシャンゼリゼ。二度繰り返した先の歌詞は、やっぱり今日もわからなくて鼻歌に切り替わる。
 タカちゃんを失くした世界で、フランスに私が行くことはないだろう。
 それでも私は歌ってみる。
 私はいま、三度目の世界の終わりを待っている。

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