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香水

小さな瓶が真っ暗な寝室のサイドテーブルに置いてある。近づいて確かめると、それはオレの愛用する香水だった。どうしてこんなところに、と不思議に思っていれば、
「ごめん、借りたの」と恋人は説明した。
既に寝てると思っていたので、オレは声がしたことにびっくりした。恋人は「おかえりなさい」と掠れた声で続けると、すぐにモゾモゾと布団の中に潜ってしまう。
「ただいま」
返したけど、返事はなかった。代わりに小さな寝息が聞こえてくる。隣りに横になれば、たしかに嗅ぎ慣れた匂いが、ほんのりと香ってきた。

目覚めると、恋人はすでにベッドを抜け出した後だった。寝室の隅にある鏡台の前に座って、髪の毛を丁寧に巻いている。コテなんてウチにあったのかと眺めていれば、恋人がくるりと振り返った。
「今日、外でご飯食べてくるから」
恋人はテキパキと言い、ネックレスを首に当てた。首の後ろで画策していたが、うまく嵌まらないようで、かわりにオレがクラスプを留めてやる。
ありがとうと、恋人は立ち上がった。どうやら準備は完了らしい。
そのまま出て行こうとする恋人に、オレはふと思い立って「つけてく?」とサイドテーブルの香水を顎でさした。恋人はキョトンとした顔をして、「隆くんの?」と聞き返す。なんだか訝しげな表情に「夜使ってたから、気に入ったのかと思ったんだけど」と、答えれば、恋人はなんとも言えない顔で「それはどうも」などと言い、手首に香水を吹きかけると、そそくさと出かけてしまった。
なんだあれ、とオレは首を傾げた。でもまあ、いっか。オレはすぐに切り替える。感情をあまり引きずらないのがオレの長所だ。そしてそのまま、オレはすっかりそのことを、忘れていってしまうのだった。

それから一月ばかりが経った。その日、オレは昔の仲間と飲みに行く支度をしていた。髪をセットして、ブルゾンを着て、玄関にしゃがみ込みブーツの紐を結んでいるところだった。
「もう行くの?」
後ろから恋人が声をかけてきた。頷いて、遅くなるかもだから先に寝ていてほしいと伝えると、恋人は「あんまり飲み過ぎないでよね」とウンザリした声をだした。こないだだって、遅くなるっていって、結局帰ってこなかったし。
せっかくの飲み会前に叱られたくなかったので、オレは靴ひもを結ぶ手を早めた。言い訳はあったけど、納得はしてもらえなさそうで、はいはいと受け流す。恋人はそれ以上何も言ってこなかったが、まだ何か言い足りないといった雰囲気は背中にひしひしと伝わっていた。そして唐突にオレの服が捲り上げる。
「おわっ!」
驚いて小さく叫んだが、遅かった。
何か冷たいものが、シュッとオレの背中に吹きかけられた。途端、果実の匂いが辺りに漂う。立ち上る匂いは嗅いだ覚えのあるものだった。香水だ。オレのじゃなくて、恋人の、香り。
「ちゃんと帰ってきてね」
服を直しながら、恋人は言う。
「どれだけ遅くなってもいいからさ」
さっき濁した言い訳を、オレはやっぱり口にした。自分のためでなく、恋人の安心になればと思って。
「知ってる、連絡来てた」
恋人は答えた。マイキーくんたち送り届けてたんでしょ。
びっくりしていると、恋人は困ったように笑った。それからオレの背中に抱きついて、
「いってらっしゃい」
と、そっと頬にキスをする。
恋人のこの一見突拍子もない行動が、先日香水を貸したオレを倣ってのことだったと気づいたのは、飲み屋についてからだった。約束の時間より少し早く店に着くと、すでに千冬が待っていた。なんか三ツ谷くん、いい匂いしますねと、千冬に言われる。
恋人のものだろうとオレは答えた。
「あーなるほど。そういうのって、男だけじゃなくて、女の子も彼氏にするんすね」
ほうと頷く千冬に、首を傾げる。そういうの。
「自分の香水つけさせて、こいつはオレのだってするやつ。マーキングっていうんすか。三ツ谷くんの場合は虫除けって言った方がいいのかもしんねーけど。モテるってのも結構大変なんすね」
たんたんと、千冬は答えた。
「自分の香水」
オレはバカみたいに繰り返し、それから、かっと頬を熱くさせた。

夜が更け、酔いが深まりだしたころ、ドラケンが店を変えると言い出した。号令に従ってぞろぞろと支度をはじめる仲間に隠れて、そろそろ帰ると幹事に告げれば、何人かの腕がそうはさせんと絡んでくる。明日はやいんだよ、などと弁明すれば、すっと近寄ってきた千冬が気にしないでいいっすからと、絡む腕をひとつづつ解いてくれた。それに悪ぃなと詫びながら、オレは足早に家路を辿る。
恋人が香水をふる前に、はやく家に帰りたかった。代替えの匂いじゃなくて、オレ自身を差し出して、オレはキミのものであり、キミはオレのモノであると、他の誰でもない恋人自身にその所属を知らしめたかった。

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