MHA | ナノ

3

 私はまだ湯気の立つココアが入ったマグカップを両手で包みながら、隣でアイアンベッドに寄りかかり座るカツキ君を盗み見た。部屋は沈黙に包まれ、なんとなく気まずい雰囲気が漂っている。いつもは何を話していただろうか、と頭を働かせてみるも、特に話題は浮かばず、そもそも、普段からそんなに話していなかったような気もしてくる。
 この部屋の静寂とは反対に、階下からは笑い声が微かに聞こえてきた。今この同じ家の中には私とカツキ君それぞれの両親もいて、迫る年越しの瞬間を待っている。
 私は出来るだけ音を立てないように、甘い匂いを放つココアに口をつける。ココアは想像以上に熱かった。その事実に、思考も視線もカツキ君から離れる。舌を火傷したかもしれない。氷で冷やしたほうが良いだろうか。でも取りに行くの面倒だな。すぐに出せたら便利なのに。あの人みたいに。名前なんだっけ。えーと、ええと。
「轟くん」
 やっと出てきた名前を口に出してみる。頭の中がさっぱりとして、爽快感さえ感じていたが、カツキ君の大きすぎる舌打ちに室内の空気はより不穏なものになった。
「こないだカツキ君とインタビュー受けてたよね。ニュース見たよ」
 なんとか話を続ければ、はっ、と鼻で不機嫌そうに笑って、カツキ君はコーヒーの入ったマグカップを口に運ぶ。怒鳴りはしないが、あからさまに不機嫌な様子からするに、きっと何か言いたくないことがあるか、その轟君とソリが合わないのだろう。私はいつの間にか大きく揺れるようになったカツキ君の喉仏を眺めながら、もう一度マグカップに口を寄せた。

 そのニュースを見たのは放課後のことだった。友人、太平雪と燕子花の三人で食堂の広い四人がけのテーブルに座っていた。昼食時と違って人の少ない放課後の食堂は私達の溜まり場としてよく使われていて、いつも菓子やお茶を机いっぱいに広げながら新しい店やコスメ、恋の話なんかを繰り広げている。成績優秀で「学ぶ」という行為に日々打ち込む雪は、この時間を「女の子の授業」とよんでいた。
 雪と花が隣同士に座り、私は花の目の前に座るのがいつの間にか決まっていた私達の定位置だ。
「あら、幼馴染くんじゃない」
 花は言った。私と雪が、花の声に従うように彼女の視線の先へと目を向けると、私の真後ろ、食堂に備え付けられた薄型のテレビに見切れるようにカツキ君が映っていた。
「すごいじゃん、幼馴染くん」
「大活躍ね、幼馴染くん」
 口々に述べられるカツキくんへの賛辞には言葉の割に感情は込められておらず、へぇ。とか、そう。とかの相槌とよく似たものだった。
 そもそも彼女達はカツキ君のことをヘドロ事件や雄英の体育祭のニュースの他は、私の口から聞いた情報しか知らない。彼女達にとってカツキ君は友人の幼馴染で他校の男子でしかなく、持て余す時間を埋める話題のひとつでしかなかった。それ故に「幼馴染くん」と呼ばれている。
 私はテレビに映るカツキ君を観て、どうしよう。と思う。何がと聞かれから私自身にもよくわかっていない。そういう頭の中のごちゃごちゃがここ最近ずっと私の中にあるのだ。
 私はテレビの中のカツキ君から目をそらし、身体を正面の彼女達へと向き直す。
「あのね、聞いてくれる?」
 チョコレートのパッケージを弄りながら、私は喋りはじめていた。


 カツキ君と気まずくなってしまったあらましについて。
 雄英の寮制を知る前は生まれることのなかった感情について。
 出来ることならば、休日をともに過ごす幼馴染に戻りたいと願っていることについて。
 私は淡々と喋り続けた。
 花は相槌をうったりお茶を飲みながら、雪はただ黙って、ときおり開いたクッキーの袋に手を伸ばしながら私の話を聞いていた。

 カツキ君のことを一通り喋り終えた私は、弄っていたチョコレートのパッケージを破り、一粒口にふくむ。
「美味しい」
 カカオ豆が多く入ったチョコレートを噛み砕きながら言えば、雪もチョコレートを一粒口にいれた。
「珍しいね、いつもホワイトチョコ派じゃん」
「うん。甘い方が好きなんだけど」
「大人になったんじゃない?」
 花と雪は、二人で目を合わせると開いた口を隠すように手をあててくすくすと笑った。
「カツキ君のおかげかな?」
 雪が言った。花は
「ふふふ」と頬杖をつき笑う。
 からかわれたことがわかり、私はむぅ、と口を尖らせた。
「そんな顔しないの」
 と花は私にクッキーを差し出して
「ねぇ。好きよ、ってカツキ君に甘えてみたらどうかしら」
 と、言い
「うふふ」
 とまた花は微笑んだ。さっきの「ふふふ」とは違う、甘い女の子の声だ。
 甘く柔らかで、それでいて、反論を許さない女の子の声。
 決して勝てないとわかっているのにーーそもそも勝ち負けが発生する話ではないのだけれど、それ以上に適した言葉が見つからないーー私は尖らせた口のまま
「でも」
 と反論を述べる。
「言う前に振られてるみたいなもんじゃない?」
 と項垂れれば
「甘え方の話よ」
 と、花はまた甘い声で笑った。


 随分と大きな溜息が出た。
 そうすれば、
「不快」
 の一言とともにカツキ君に肩を押された。カツキ君にとってはじゃれ合いのつもりかもしれないが、ふつうに痛いのでやめてほしい。
 あまり見た目ではわからないけれど、カツキ君は普段から身体を鍛えているだけあって力が強い。ましてや、高校に行ってから少し身体も大きくなった気がする。そういえば、寮に入る前もよく外を走っているのを見かけた。なんでも人並み以上にできる癖に、完璧主義者の彼は人並みなんかでは満足せず、上を目指して今日も明日も努めるのだろう。そうやってどんどん夢へと進んでいく。気がついたら仮免まで取得して、テレビにまで出ちゃってて。
 なんでこの人は私の隣に平然と座っているんだろう。
 キスを強請れば暴言を吐くし、恋に現をぬかす暇は無いと高らかに宣言したくせに。
 誰に対する八つ当たりなのか、私はどうにもいらいらとしてきて
「不快ねぇ」
 と嫌みたらしく言った。そして口にするべきでは無かったと後悔する。ジクジクと胸の奥が痛む。こんなのはただの自傷行為だ。
 蹲るように身体を丸めれば、カツキ君の肘が舌打ちとともに二の腕に刺さった。
「痛いな、優しくしてよ」
 二の腕を摩りながら言えば、カツキ君は
「ああ?」と問うような顔をして
「いつにも増してうぜえなお前」
 と吐き捨てた。私は奥歯をきゅっと噛み締める。
 なんなんだ、この人は。

「ヒーロー目指してる人の態度じゃないよね」
 頭の中のぐちゃぐちゃとしたものが苛立ちに煽られてよくない感情に変わっていく。
 よくない、なんだか、意地悪なもの。
「どういう意味だクソゴミ」
 カツキ君もまた私の苛立ちに煽られるように声色が怖いものに変える。
「そのまんまだよ、それで仮免とか。私なら素行不良で落としちゃうかも」
 私は丸まったまま、ヘンリボーンの床に吐き出していく。
 カツキ君のことは見れなかった。
「てめえ」
 これはよくない。
 わかっているのに意地悪な私が暴走する。
「ヒーロー目指すのに忙しいとかなんとか言って女の子部屋にあげてるしさ」
「あげねぇわクソが、何言ってんだテメェは」
「電話したとき女の子といたじゃん」
「まだ言ってんのかよ、メシ食うとこ共用だつってんだろ」
「言ってないよ」
「うるせぇな、言わなくてもわかれや」
「わかるわけないでしょ」
 反発し合う声は尖っている。
「わかれや!女なんかほいほい入れるもんじゃねぇだろ」
「そんなの、わかんないよ」
「あ?テメェどんな価値観してんだクソか」
 それをカツキ君が言うのか。
 私は首を持ち上げカツキ君を真っ直ぐにみる。
 カツキ君の言葉は矛盾している。少なくとも私のベッドにだらりと背を預けて言う言葉ではないと思った。
 だから私は言い負かすつもりで口を開いたのだ。
「だってカツキ君ここにいるじゃん」

 ボンっ、という爆発音が耳に届くよりも前に目の前を閃光が走った。
「何が言いてぇんだよ、あ゛?」
 思わず閉じた瞳を開けば、薄っすらと残る白い煙の向こうにカツキ君が見える。
「もう、しんどい」
 私の目はまたヘンリボーンの床に落ちる
「何がだ」
 降ってきた声は怒りより呆れや面倒くささを多分に含んでいた。それがなんだか寂しくて、私は決壊したようにぼろぼろと言葉をこぼしていく。
「好きすぎて苦しい」
 カツキ君がどんどん遠い人になっていくみたいで寂しい。カツキ君の側にいられる知らない女の子が羨ましい。カツキ君の特別が私じゃないのが悔しい。
「カツキ君のバカ」
 カツキ君の分厚い手が私の頬を包み込み、もたげた私の首を引き上げた。私はびくりとして、息を吸いこむ。
 一間、止められた呼吸は音を立てず離れた唇の隙間からゆっくりと吐き出された。
「てめえは告白のひとつも喧嘩売らなきゃできねぇのか」
 カツキ君の手が頬をなぞり後頭部へとまわった。
「なら付き合うか」
 カツキ君は大きな手でわしゃわしゃと私の頭を撫でている。
「つっても、お前のワガママに付き合うヒマはねぇからな」
 邪魔すんなら殺す。と偉そうに宣言するカツキ君に私は頷きつつ
「えっと、ほんとに?」
 と確認せずにはいられなかった。急展開を迎えるカツキ君の思考に私の頭はついていけていない。
「てめぇが、しんどいって言ったんだろが」
「でも、だって」
「クソが文句あんのかオラ」
 みるみる釣り上がるカツキ君の目を見て私はやっぱり
「でも」と思う。
「自分でなんとかしろとか言わないの?」
 だって、カツキ君てそう言うところあるじゃない。と私は補足しながら、でも「やっぱりやめた」と言われるのも怖くてカツキ君の黒いTシャツの裾を握る。
「うるせえ、こっちはそれで落ちてんだよ」
「落ちる?」
「こっちの話だ、クソ」
 カツキ君は珍しく疲れきった顔をして、私の問いを無かったことにした。
「で?」
 カツキ君はいったん口を閉じて、撫でてぐちゃぐちゃになった私の髪を梳いていく。
 思いのほか柔らかな手つきに、この人はこんな風に髪に触れるのかとぼんやりと考える。
 そういえば、頭をカツキ君に撫でられる日がくるとは思わなかった。
 ずっと小さな頃、私達がたくさんのオトモダチのひとりだった頃には、こんな触れ合いがあっただろうか。思い返してみるが、思い出せない。
「返事は?」
 カツキ君の声にはっと我に返る。
 蕩けた思考を元に戻すように、カツキ君の手から抜け出す。
「カツキ君は、ちゃんと私のこと好き?」
 居住まいを正して、真面目に訊く。
「なんも思ってねーやつにこんな時間つかうかよ、わかれや」
 カツキ君はぶっきらぼうに答えた。
 それがなんだか、かわいいと思った。
 薄い頬もゴロリとした喉仏も少年というよりは大人の男のそれだというのに、小さな子供に触れたときのようなかわいらしさを感じる。それでいて、硬いカツキ君の身体に今すぐ飛び込んで思い切り甘やかしてほしい気もする。
「ねぇ、カツキ君」
 好きすぎて苦しかった。張り裂けそうな胸を押さえて蹲りたい気分だ。でもそんなことをしたら、またきっと「うぜぇ」とかそんなことをカツキ君は言うのだろう。
 ふと、頭の片隅で花の言葉を思い出した。
「甘え方の話よ」
 そう微笑んだ花はどこまで見越していたのだろう。
「まだ何かあんのかよ」
「もう一回、ちゅう、して」
 私は「て」の音を半音持ち上げて、女の子の声でねだる。
 教わった声色をなぞるように、ゆっくりと発すれば、カツキ君の眉間に少し皺がよった。間違い探しでもするように、じっと、私の顔を眺めてからカツキ君は一つ舌打ちをする。
「どこで仕込まれた?」
 と、不機嫌そうなカツキ君に私は
「うふふ」
 と笑って
「カツキ君、大好き」
 と、とびきりの声で甘えてみせた。

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