MHA | ナノ

2

 太陽は穏やかに部屋を照らしている。数ヶ月ぶりにかけた電話は数回のコール音の後に気怠げなカツキ君の声と、聞き覚えのない少女の声を私に届けた。
 私は思いがけない少女の声にびっくりして、声を発するより先に赤いボタンを押していた。反射的に動いた指に「あ、やばい」と思うも、気持ちを立て直す暇もなく掌の中でスマートフォンがブルブルと着信を知らせる。一瞬また赤いボタンの上を親指が掠めたけれど、それがよくない結果を生むことを私は十数年の経験から身をもって知っていたのでおとなしく緑色のボタンを押した。
「殺すぞてめぇ」
 物騒な声だけが聴こえる。耳を澄ませてもさっきの少女の気配は無い。
「ごめん、びっくりして切っちゃった」
 私は努めて何でもないことのようにからりと謝ったが
「はあ?てめぇがかけてきたんだろうがカス」
 と言うカツキ君に「うーん」とか「そうなんだけど」などと言葉を濁してしまったので、それは意味のないものとなった。
「はっきり言えや」
 しばらく濁した後、痺れを切らしたカツキ君の声を聴きながら私は左手で自分の毛先を弄る。
「だって女の子の声がしたから」
 あからさまに不貞腐れた声がでた。
「ああ、いたわ」
 今度はカツキ君が何でもないことのように話す。
「なんで?」
「あ?」
「仲いい子?」
「良くねーわ、バカか」
「でも」
 声が震える。
「でも部屋にいたんでしょ」
 私はツンとする目頭を押さえつけるように立てた膝と膝の間に額を埋めた。姿勢を変えた拍子にコツンとベランダへと繋がる窓に腰がぶつかる。もう嫌だと思った。ついこないだまで、彼と過ごすことが許されていたのは私だけだったのに、当たり前のように他の人と過ごすカツキ君も、さっきまで彼の側にいただろう顔も知らない女の子も。そして何より、それにいちいち嫉妬する自分が一番惨めで嫌だった。
「おいカス」
 呼ばれても、私は返事をしなかった。
「聞いてんのか、オラ」
 返事はしない。代わりに小さく鼻をすすれる。カツキ君は舌打ちのあとに、
「俺はそんなもんに時間を使ってるヒマはねーんだよ」
 と言った。静かに。独り言のような口調だった。
「でも」
 震える唇から絞りだした私の声は、急に音量を上げたカツキ君の声にかき消される。
「でもでもでもでも、うるせぇな。何度も言わせんな。俺にはやるべきことがある。それは俺だけじゃねぇ。バカのくだんねー妄想に付き合ってるヒマはここにはねぇんだよ」
 荒々しくいい捨てた勢いのまま、電話は一方的に切られた。
 私は膝の間に埋めた額を持ち上げ、そのまま後ろに倒すとゴツンと後頭部が窓にぶつかった。相変わらず太陽は優しく背中を照らしている。暖かな毛布に包まれているような温もりはいつもなら私の瞼を重くするのに、今日は眠れそうにない。
 私は最後にかき消された「でも」の続きを頭に浮かべて、ずりずりと床に寝転がる。
 私達が重ねた休日は無意味なものになってしまった。


 何がいけなかったのだろうと考える。電話の内容ではなくて、もっと前に遡って。
 はじまりは、互いに父親の友人の子供といった遠い存在だったと思う。ただ私達は本当に小さな子供で同じ年頃の子供はみんな「オトモダチ」だと言う親の教えを信じていた。だから、私達はオトモダチとして関係を築いてきた。幾年か経ってオトモダチは幼馴染になった。それでもそこに嫉妬や独占欲なんかは無かったと思う。今と同じようにカツキ君には私の知らない友人が何人もいたし、その中に女の子がいても特別問題はなかったはずだ。
 スマートフォンを充電しながら私は溜息をつく。
 はずなのに、今はそれがとても苦しい。
 いつの間に私達は幼馴染の領域を抜けてしまったのだろう。いやもしかしたら、抜け出したのは私だけなのか。キスを求めたあの日までは確かに感じていたカツキ君の気持ちが、今はもう何もわからない。確かなことは、私は顔も知らない女の子に嫉妬でうずくまるほどにカツキ君へ執着している、それだけだ。
 恋多き友人に、この世にはカツキ君とは違う良さをもつ男性がいかにたくさんいるか諭された。頭の良い友人には恋と執着は似て非なるものである可能性を説かれた。彼女達の意見は決して私の気持ちを否定するものでは無かったけれど、その上で一つの可能性として、他に出会いが無かったせいでカツキ君しかいないと思い込んでいるのではないか、と懸念されていた。
 それは真意なようで、どこか違うと私は思った。ならば真意はなんなのだ、と自分の気持ちが知りたいのに覗き込んだ頭の中はカツキ君でいっぱいで、自分がどこにも見つからない。いつからこんなにも、わからないことばかりになってしまったのだろう。自分のことだというのに、制御できないあやふやな状態に腹立たしさを覚えていた。

 自分の所在を確かめるように部屋を眺める。六畳に満たない小さな正方形の部屋。ヘンリボーンの床と白い壁。壁沿いに置いた白いアイアンベット。漫画の詰まった本棚、父に強請って買ってもらった楕円型のローテーブル。全部私のものなのに、どれもこれも迷子の子供みたいに持ち主を探しているように思えた。私は最後にカツキ君と過ごした土曜日を思い出す。ベッドに寄りかかり漫画を読む姿、見慣れない静かな顔、触れた掌と硬く結ばれた唇を。恍惚と焦燥のまじる息が溢れた。私の全てがカツキ君のものになっていく。私にはそれがとても恐ろしく思えた。カツキ君はいないのに、この部屋は私だけの部屋へと戻ってくれない。

 ◇◇◇

 部屋を照らした陽はとうに落ち、窓は厚いカーテンが覆っている。二十二時。あれから母の作った夕食を食べ、風呂に入り、布団に潜りんだ。あとは目を瞑り眠りに落ちるだけだったが、昼間感じた焦燥がそれを許してくれない。暗闇の中、目に痛いくらんい光るスマートフォンに指を滑らせ紙飛行機のマークを押せば「ごめんね」と一言吹き出しが現れる。ぼうっと画面を眺めていると吹き出しの隣に小さく「既読」の文字が書かれた。予想よりもうんと早くについた、その表示に「え」と思わず声がでた。慌てる私を他所にスマートフォンの画面は切り替わり、昼間と同じようにカツキ君からの着信をブルブルと震えて知らせた。
「も、もしもし、カツキ君?」
「んなもん、表示みりゃわかんだろうが」
 そう言ったカツキ君の声はいつも通りで、昼間程のイラつきは感じない。
「あの、ごめんね。お昼」
 文字で送ったことを、再度声に出せば、カツキ君は
「おう」
 とだけ言って、
「つーか、オメエもともとは何の用だったんだよ」
 と訊いた。私はそれで、やっと本来の用事を思い出す。
「あー、うん。えっと。文化祭こないかなって思ってかけたの。来月なんだけど」
 最近の敵の活動多発により、私の通う高校では規模を一部縮小し、招待状を配布された者のみが参加する招待制をもって開催することになっていた。
「行かねぇ」
 そう答えたあとに二秒程あけてからカツキ君は言い直す。
「行けねぇ」
 理由は教えてくれないかったが、私にはその一文字の違いにカツキ君の優しさや誠意が全て含まれいる気がした。だから
「わかった」
 と告げて、会話を終えようとしたが、カツキ君は
「昼間のことだけどよ」
 と話を続けた。私は「うん」と相槌をうったが内心ではとても驚いていた。普段ならカツキ君は電話を長引かせるのを嫌うし、何より一度自分から逸らした話題をもう一度振り返るようなことをする人ではなかったからだ。
「俺はここでやることがあんだよ」
 ましてや、同じ話をするなんて特に嫌う筈だった。それでもカツキ君は話す。今度は私に言い聞かせるように。
「だからバカに構ってるヒマはねぇ。お前だって文化祭あってヒマじゃねぇんだろ」
 カツキ君の口調はいつも通りだったけれど、私はあの見慣れない静かな表情をしているような気がした。
「余計なこと考えてねーで、やるべきことやってろ」
「やるべきこと」
 私はカツキ君の言葉を繰り返す。自分自身に問いかけるように。
「あんだろ、色々」
「かえりたい」
 ポロリと溢れていた。口に出してしまえば、あの焦燥が体中に広がる。私の、私だけのものが無くなってしまう、それはとても恐ろしい。
「あ?何言ってんだお前」
「私の部屋に戻りたい」
「おいカス。今どこいんだお前」
「部屋」
「ふざけんなバカクソゴミ死ね」
 勢いよく発される暴言に、私はいつものカツキ君だと思う。よく知った、いつもの。
「カツキくん、いつもの私ってどんな子かな」
「なんなんだよ、さっきから訳わかんねぇな。舐めてんのかクソが」
 怒りだしたカツキ君に
「違うの」
 と否定を返し、続ける。
「カツキ君といたとき、私はそんなにカツキ君のこと考えていなかったはずなの」
 カツキ君は暴言も相槌も返さなかった。ただほんの数秒黙って
「年末帰る」
 とだけ伝え電話切った。
 私はスマートフォンの画面を消して瞼を閉じる。柔らかな毛布はいつもなら私の瞼を重くするのに、今日は眠れそうにない。きっとそれはカツキ君も同じだろうと、何となく思った。暗闇に目はまだ慣れない。

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