17時の奔流 | ナノ

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17時の奔流

少女マンガと不良

 一日のうちに、同じ人に二度会った。
 なんとも些細な偶然であるが、今思えば、運命だったかのかもしれない。
 そんなことを口にすれば、迷惑だと怒られてしまうかもしれないけど。

 最初に会ったのは、コンビニだった。
 朝食を食べ終えて私は電車に乗りこんだ。塾の夏期講習があったのだ。10時から14時半までの4時間半。途中昼休憩をはさみながら、一日3教科の授業を受けるのが、私の夏休みの数少ない予定であった。
 普段は家からお弁当を持っていき、教室で昼食を済ませるのだが、その日の昼休憩は、塾の側にあるコンビニに買い出しに出た。毎月愛読している少女マンガ雑誌の発売日だったからだ。
 授業のチャイムが鳴ると同時に、財布を持って、エレベーターに飛び乗った。そんな漫画のために、慌てなくたって。お母さんがいたらチクチクと小言を言われただろう。しかし、特別な趣味を持たない私にとって、月刊誌の発売日というのは、心待ちにした一大イベントといっても過言ではないのだ。
 少女マンガを好きになったのは、小学生の頃からだ。登場人物の女の子はみんなキラキラと可愛いくて、男の子はかっこよくて。恥ずかしくなってしまうような甘い言葉とともに、胸をキュンとさせる恋愛劇をみながら、いつか制服を着るようになったら、私にも好きな男の子が現れて、恋人同士になったりするのだろうか。なんて夢をみたものだった。現実は、好きな男の子こそいれど、恋人同士だなんて夢のまた夢のような話であるけれど。
 ともかく、今でもなお、夢のような世界を見せてくれるマンガ雑誌を買いに、私はコンビニへと急いだ。ビルの外に出ると、強い日差しが目に眩しかった。空には白く大きな積乱雲が浮かんでいる。茹だるような暑さに、うわっ、と思わず声が出た。じりじりと照りつける日差しは暑いというよりは、痛いという感想のほうが正しく感じる。
 はやくコンビニに行こう。改めて決意して、通りに出た。自動ドアが開いた瞬間の、ひんやりとした空気に、ようやく深い呼吸ができた気分になる。さて。と心の中で一息ついて、雑誌コーナーへと向かった。目的の少女マンガ雑誌が一冊だけ、少年マンガ雑誌に紛れて平積みされているのを見つけて、私は真っ直ぐ手を伸ばした。
 そんなときに、その人に出会った。

「あ」
 同じタイミングで、雑誌を掴む手が伸びた。え、と驚いて手の先を見れば、同じ年齢くらいだろう金髪の男の子が立っていた。目があって、互いに雑誌から、そろそろと手を離す。
「あー、えっと」
 気まずそうに男の子が唸る。この人も欲しいのかな。私は少し悩んだ。男の子ということを差し引いても、彼の外見からは、少女漫画を好むような人にはとても見えなかったからである。
 明るい髪に、耳のピアス。
 それだけ見れば、三ツ谷くんと同じ特徴をした彼は、三ツ谷くん同様に不良にしか見えなかった。
「あの」
 男の子の声に、私はびくりと肩を跳ねさせた。
「ど、どうぞ」
 反射的に譲っていた。怖かったのだ。
「え、でも」
「大丈夫です。ぜんぜん、ぜんぜん」
 ぜんぜん、と言いながら、後退る。
「じゃあ……悪ぃな」
 いえ、ぜんぜん。もう一度言って、私が小さく頭を下げると、男の子はにっ、と口角をあげて笑った。
「ありがとうな」
 はあ、と曖昧に頷いて、私はその場を去った。

 仕方がないので、雑誌は、駅から少し離れた本屋で買うことに決めた。数学の授業を聞きながら、塾から本屋までの最短距離での道筋を頭に浮かべる。隣駅との間にある本屋だから、歩いてしまったほうが早いだろう。難点があるとしたら、外が馬鹿みたいに暑いということくらいだ。
 自転車でくればよかった。後悔しながら、新しい公式をノートに写していく。こんなものが、将来いったい何の役に立つのだろう。とは出来るだけ考えないようにして。
 授業が終わっても太陽はまだ高い位置にいた。同じ講義を受けていた生徒たちが、続々と、ビルを出て行く。ときどき、同じ中学同士の人なのか、揃いのジャージを着た生徒たちが笑い合いながら肩を並べて歩いていた。私は駅へと向かう人波に逆らって、本屋へと歩いた。学生達の姿がどんどんと数を減らしていった。
 そのうちに街並みを色をかえて、住宅街へと入っていき、通りを行く人たちも、主婦だったり、犬を連れた老人だったり、同じ学生でも手ぶらの、まさに休暇を謳歌しているような人たちに変わっていった。
 私は近道に、団地の敷地内を横切ることにした。何棟も立ち並ぶ古い団地は、外周を通るのと中を横切るのでは五分くらい差がでる。なんとなく、住んでもいない団地の中に入っていくのは悪い気がしたけれど、この暑さだ。仕方ないと自分を自分で肯定しながら、私は教科書の詰まった鞄を持ち直した。

 団地の中は、熱が籠ったように暑かった。棟が連なっているから風の通りが悪いのかもしれない。ところどころに植えられている背の高い木の影が、唯一、夏の日差しから私のことを守ってくれる。
「あれ、さっきの」と突然後ろから声をかけられて、私は振り返った。見覚えのある金髪の男の子が、少し離れたところに立っていた。振り返った私にむかって、男の子はビニール袋を持った手を高くあげ、横に振った。
「うわ、偶然じゃん。ここの団地なの?」
 男の子は言いながら、小走り近づいてきた。私はぽかんとして、それからすぐに、首をぶんぶんと横に振った。
「ちが、その、本屋に」
 本屋? 男の子が繰り返す。
 それから、あ、と大きな声をあげた。
「あ! もしかして漫画? オレが買っちゃったから」
 いや、そんな。言いながら私はうつむく。男の子の明るい声は居心地が悪かった。はやく本屋に行きたい。太陽が、くらくらするくらいに熱い。
「そうだ。オレ読み終わったから、読む?」
 驚いて男の子を見上げると、そうしろよ、と男の子は言った。くしゃりとした笑顔に、人懐っこい様子が滲み出ている。
「付録とかいらねぇからさ、持ってていいよ」
「や、そんな」
「つーか、読んで! 今月マジやばかったから」
「でも」
「タケルとエリがさ」
「え」
「夏祭りに行くんだけど」
「わ! ちょっ! ま、って! 言わないで!」
 つい、叫んだ。
「あ?」
 ギラリとした視線に、心臓のあたりがヒュッとなる。もうやだ、本当に帰りたい。ネタバレをくらいたくなかっただけなのに。今すぐにでも泣き出しそうな私を前に、男の子は
「悪ぃ、悪ぃ」
 と、くしゃりと笑ってみせる。表情の緩急についていけない。
「オマエも、やっぱりあれ好きなの」
 え、まあ。はい。項垂れながら答える。疲れていた。
「めちゃくちゃ面白いよなー、誰好き? オレさタケルよりレン応援しててさ」
 レン。という名前に、私は顔をあげる。私、ハナちゃんが好きで。小さく答える。主役であるタケルとエリ、それぞれの親友であるキャラクターが、レンとハナだった。サブストーリーではあるが、この二人もなんともじれったい両片想いをしているのだ。
「マジ! やっぱ、あの二人いいよなー」
 男の子は笑いながら、ゆっくりと歩き始めた。私も続くように、ゆっくりと歩き始める。男の子は、ニコニコと話続ける。
 ゆめ恋、読んでる? 
 読んでます。
 あれも面白いよなあ。リク、好き?
 あ! うん。はい。
 はは、傾向わかりやす。だよなー、オレも推し。
 かっこいいですよね。
 な! あのさ、結構前の文化祭のときの、なんだっけ。
 オマエが触れていい女じゃねぇんだよ! ってやつですか!
 そー! それそれそれそれ!
 太陽に見下ろされながら、私たちは頬をこうようさせて話し続けた。蝉がジージーと鳴き声をあげている。
「な、もうちょっと、話さね?」
 そう男の子から切り出されたとき、私は少し身構えた。初めて会う、不良っぽい男の子と時間を過ごすことが、一度冷静になるとやっぱり怖かったのだ。けれども、
「無理にってわけじゃないんだけど。周りに同じマンガ読んでるダチいなくてさ」
 と言われてしまえば、断りずらく、結局私は首を縦にふった。
 男の子は私の少し前を歩いて、ある一棟の中へと入り込んでいく。団地に立てられた時計は、15時を指していた。飛行機が私たちの上を飛んでいく。たぶん、羽田に向かうものだろう。
 外階段を登り、二階にある一室のドアノブを掴みながら、男の子はそういえば、と振り返った。
「オマエ、えーっと、名前なに」
「二宮、朋です」
「そっか。朋さ、ペヤング好き?」
 ペヤング? 聞き返すと嬉しそうに頷き、
「ちょっと、待ってて」
 と言い残して、男の子は一度部屋の中へと入った。表札には松野と書かれたプレートが飾られている。松野くん。聞きそびれた名前を口の中で唱えながら、五段ほど階段を下った。一階と二階の踊り場から、棟をぐるりと囲う木々を見下ろす。何の木かはわからない。深い緑色の 葉が青々と茂っている。
 カンカンと、足音が聞こえてきた。黒髪の長髪の男の人が昇ってきた。私は邪魔にならないよう縮こまりながら、その人が通り過ぎるのを見送る。私、何やってるんだろう、と思っていた。それから唐突に、三ツ谷くんは今頃、何をしているんだろう。とも思った。カンカンとさっきの長髪の人が階段を昇っていく音が、少しづつ小さくなって、やがて音は消えていった。

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