17時の奔流 | ナノ

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17時の奔流

内緒話

「ええっタカちゃん彼女いたの、オレなんも聞いてないんだけど」
 と三ツ谷くんに向かって叫んだのが、柴八戒くんで、
「なんで三ツ谷なの。八戒の方が絶対いい男なのに」
 と真顔で私に訊ねたのが、彼のお姉さんである柴柚葉ちゃん。
 例の、三ツ谷くんに電話をかけてきた女の子で、私の心を曇らせた張本人であるそうだ。
 いつのまにか葉の色を変えた街の並木が黄色く染めた通りをぬけて、放課後、私は三ツ谷くんとファミリーレストランにやってきていた。先日の賭けの流れから、三ツ谷くんが柴姉弟との約束を取り付けてくれたというわけである。
 私たちが店に着くとすぐに、
「タカちゃん、こっちこっち」
 と大きな声のした先で、これまた大きな手が手招くのが見えた。案内に近寄ってきた店員に軽く会釈をして、三ツ谷くんは、
「声がでけぇよ」と顔を顰めながらその手に向かって歩いていく。「タカちゃん」という耳馴染みのない呼び方に気を取られつつも、それに続くように私も三ツ谷くんの背を追いかければ、一組の男女が横並びにソファーに腰掛けて私たちを待っていた。
「待たせた?」
 三ツ谷くんが二人に聞いた。
 聞きながら、先に座ってと、目で私に促してくる。
「そんな待ってない。でも八戒が腹減ったって言うから適当に先に頼んじゃったけど」
 柚葉ちゃんが、立てかけられたメニューの角をつんとつついて言った。初めてみる柚葉ちゃんは、あのワンピースに相応しいスラリとした体をもつ、キリっとした顔つきの女の子だった。少しきつそうな印象に見えるけれど、その近寄りがたい雰囲気が、大人っぽくみえて、より彼女を洗練とさせている。
 なんか、キラキラしてる。
 というのが、私が柚葉ちゃんの見た目に思う初めての印象だった。
「それで。女の子なんて連れてきて、なにかあったの」
 柚葉ちゃんが、真っ直ぐに私を見ながら、そう切り出す。
「紹介しておきたくてさ」
 三ツ谷くんが答えると、紹介? と八戒くんと柚葉ちゃんは声を合わせた。
「そう」
 頷いて、三ツ谷くんが私に体を向けながら、二人を指し示す。
「こいつが柴八戒、それから、その姉貴の柚葉」
 名前を呼ばれると、八戒くんがぎゅっと口を固く引き結んだ。その隣で柚葉ちゃんはにっこりと笑う。
「んで、こっちが同じ中学の二宮さん。オレの彼女」
 三ツ谷くんの指先が私に向けられた。
 どきどきと緊張しながら、私は会釈をする。
「はじめまして、ミョウジ朋です」
 他に何か挨拶を加えた方が良いのだろうか。三つの眼差しを一身に浴びながら、おどおどとそんなことを考えているうちに、ええっと八戒くんが声を荒げたのであった。

「先に挨拶くらいしろよ」
 三ツ谷くんは不機嫌そうに呟くと、身動ぎをした。
 痛ってぇ、蹴らないでよ。それからすぐに八戒くんが叫ぶ。声につられてテーブルの下を覗けば、八戒くんの靴先が私のすぐそばにあった。
「ねえ。ナマエちゃんって呼んでいいの?」
 柚葉ちゃんが僅かに首を傾げる。顎を支えるように組まれた指先もまた、他のパーツと同じようにすらりとしていた。透明なマニキュアを塗っているのか、それとも丁寧に磨かれているのか、柚葉ちゃんの手は爪の先までつるんと綺麗に整えられていた。
「あ、はい」
 私はテーブルの下で、握り飾り気のない小さな爪を掌の中にしまい込む。
「ごめんね、八戒うるさくて。三ツ谷に彼女できて慌ててるんだよ」
 柚葉ちゃんは言い、それからすぐに
「八戒だって、ちょっときっかけがあればモテると思うんだけど」
 と呟いた。
 そういえば、さっきも柚葉ちゃんは、八戒の方がいい男なのになどとぼやいていた。
 いい男の定義は不明だが、八戒くんも柚葉ちゃんとはまた違った系統ではあるものの整った容姿をしていた。柚葉ちゃんが近寄りがたい美人なら、八戒くんは人懐っこそうな可愛らしい顔立ちと言えるだろう。おまけに斜め向かいの私の席にまで届くほど足も長い。中学生には見えないほど、全体的に身体つきがしっかりとしているし、きっと立ったら背もずいぶんと高いんじゃないだろうか。坊主頭に入った剃り込みは、私には少し怖く感じるけれど、それもやんちゃそうな彼によく似合っている。
「今でも充分モテそうですけど」
「そう思うでしょ。でもそれが奥手ってのもあるんだろうけど、女っ気ぜんぜんなくて」
「へえ、意外」
「三ツ谷とばかり遊んでる」
 柚葉ちゃんが、眉間に力を込めて三ツ谷くんを睨んだ。
「八戒の三ツ谷愛は異常なんだよ」
 柚葉ちゃんが言った。それからどこからともなくスライド式の携帯電話を出して、すっと私に見せてくる。あ、柚葉てめぇ。八戒くんの叫び声ともに灯された液晶画面を覗きこめば、そこには黒い服を着た三ツ谷くんの姿が待ち受け画面に設定されていた。

 柚葉ちゃんから、いち早く携帯電話を取り上げたのは、三ツ谷くんだった。
 待ち受け画面を確認すると、苦虫を噛み潰したような顔になる。
 眉間に皺を寄せながら、カチカチと三ツ谷くんは携帯電話を操作しはじめた。しばらく何やら格闘していたが、やがて難しい顔のままに、三ツ谷くんはチッと鋭い舌打ちをした。
「タカちゃん。自分の待ち受けだって変えらんないんだから、オレの携帯使うなんて無理だって」
 八戒くんが、ほら貸してごらん、とでも言うように手を伸ばす。三ツ谷くんは放り捨てるように機体をテーブルの上に滑らせた。
「うっせぇ、さっさとやめろソレ」
「なんでよカッコイイのに」
「うん」
 無意識に私は頷いていた。意図せずに入り込んでいた会話に「あっ」と慌てて口を手で覆ったが、時すでに遅し、三ツ谷くんがじとりと私を横目に睨んでいた。
「そういうのいいから」
 ご、ごめんなさい。へどもどと私は謝る。ちょうどよくウエイトレスがステーキセットを運んできた。私たちがくる前に八戒くんが頼んだものらしい。ジュウジュウと熱そうな音を立てている。白い煙が美味しそうな匂いとともに立ち上っていた。
「でもなんで、特攻服?」
 ステーキプレートを眺めながら、私は聞いた。
「さあ。いつ撮ったのおまえ」
 三ツ谷くんは首を傾げると、解答権を八戒くんへ流し渡した。興味がないのか、三ツ谷くんはカトラリー入れからフォークを取り出し、付け合わせの人参を摘みださかている。
「先月あった東卍の集会のあと」
 というのが、八戒くんの答えだった。
 とうまん。私は八戒くんの答えをおうむ返しにして、聞きなれない単語に首を傾げる。
「それっていったいなんですか?」

「詐欺」
 柚葉ちゃんが、グラスの水を一気に飲み干してから言った。
「いや知らねえと思わなかったんだって。ていうか、マジで知らない?」
 三ツ谷くんが困った顔になる。
「オレそこの隊長やってんだけど」
 隊長。
 そう言われてみると、思い当たる噂が一つあった。忘れつつあったけれど、三ツ谷くんが実は暴走族の隊長をしているとかなんとかというものである。たしか名前は、
「東京なんとか會?」
「東京卍會」
 三ツ谷くんはすかさずそう言い直すと、「知ってんじゃんビビったー」と胸を撫で下ろした。
 三ツ谷くんと八戒くんが所属する東京卍會とは、渋谷を拠点(彼らの言葉を借りればシマ)とするチームで、五つの隊で構成されているらしい。三ツ谷くんはそのうちの弍番隊と呼ばれる隊の隊長で、副隊長に八戒くん、そしてその下にまた十数人の隊員を従えているという。
「まさか本当に……というか、身近に暴走族がいるとは思わなくて」
 未だ信じられない気持ちで、私は言い訳した。
 三ツ谷くんが不良なことは、もちろんわかっている。
 校則を違反してピアスを堂々とつけていることも、法律を違反して夜な夜なバイクに乗っていることだって知っている。
 ただ、実際に本人の口から語られることが無かったがゆえに、「暴走族」という言葉を私の頭はすっかり遠い所に置いてきてしまっていたのである。
 なんせ、こちらは生まれて十数年、不良とは縁のない生活をおくってきているのだ。
 正直三ツ谷くんの話を聞いた今ですら、そんなに不良っているの? というところから想像に難しい。
「でも、パーちんとぺーやんもそうだよ」
「えっ、そうなの」
 私は声を上げた。柚葉ちゃんと八戒くんは、苦笑いを浮かべている。
 三ツ谷くん曰く、参番隊の隊長が林田くんで、副隊長が林くんなんだそうだ。
 まさか隣のクラスに、三人も集結しているとは。安田さんはこのことを知っているのだろうか。もしかして、知らないのは私だけだったのだろうか。
「い、壱は?」
 恐る恐る私は聞いた。
「場地ってやつの隊」
「場地」
「知ってる?」
「ううん。知らないと思います」
 たぶん、と思いながら私は口の中でその音をなぞった。どこかで聞いた覚えがあるのは、なんだろう。少し考えているうちに、三ツ谷くんがまた口を開く。
「ちなみに他にミョウジさんが会ったことあるやつだと、マイキーとドラケンがいるんだけど、あいつらがうちのトップね」
 トップ。
 どうりで怖い。と少し失礼なことを思いながら私は豪快に笑うドラケンくんのことを思い返した。
「ていうか逆にそこまで顔知ってて、むしろよく東卍のこと知らずにいれたな」
 柚葉ちゃんがそう言うと、三ツ谷くんと八戒くんが深く頷く。
 いやあ、その、縁のない話だとばっかり。
 私は三ツ谷くんをちらりと眺めた。どうしてそう思ったんだろうと不思議なくらい、三ツ谷くんは相変わらず、眉に剃り込みをいれて校則違反のピアスをつけた、みるからに不良な装いをした男の子だった。

 本当に、三ツ谷でいいの。
 ファミリーレストランを出てしばらく、前を歩く三ツ谷くんと八戒くんから隠れるようにして柚葉ちゃんが私に耳打ちした。
 また八戒くんの方がいい。という話なのかと構えたが、どうやらそれは私の思い違いのようであった。
 向かい合う柚葉ちゃんは、店内でみる様子とは変わって真剣な面持ちをしていた。
「どうしてですか」
 慎重に私は訊ねる。
 柚葉ちゃんは、どこか気まづそうに三ツ谷くんの背中を見つめた。自分で自分を抱きしめるように、腕を巻き付けている。
「不良とか、関わりたくなさそうだから」
 柚葉ちゃんが小さく言った。
 ナマエちゃんみたいな、いい子そうなタイプの子を三ツ谷が連れてくるとは思わなかった。アイツはちゃんと学校行ってるし、不良以外の出会いがあるのもわかる。無闇に喧嘩を売るようなヤツでもないから、周りの奴等に比べたら人当たりだってよく見えるんだろう。
「だけど、ナマエちゃんからしたら、やっぱり不良って怖いものなんじゃないか?」
 ああ、なるほど。と私は思った。
「確かに、不良は怖いし、出来ることなら関わりたくないけど」
 私は視線を三ツ谷くんの背中に移した。八戒くんの隣にいると、三ツ谷くんはいつもよりもさらに不良っぽくみえる。
 三ツ谷くんのような雰囲気に、私が染まる日はきっと来ないだろう。三ツ谷くんもきっとそうだ。
 本来私たちは、混じり合うことのない、縁遠い存在同士に違いない。けれど、それでも私は、三ツ谷くんに出会ったのだ。
「三ツ谷くんに告白したのは、私の方からなんです」
 私が言うと、柚葉ちゃんは眉を持ち上げた。
「そうなの」
「はい」
「意外」
 柚葉ちゃんは、ぽつりと言う。それから、ふうとため息をついた。すとんと強張っていた肩が落ちる。
「アタシてっきり、三ツ谷が無理矢理言いくるめたのかと思ってた」
 まさか。私は首を横に振る。どちらかといえば、私のほうが、その。
 あの日からずっと、三ツ谷くんの背中を追いかけている。弱く、すぐに立ち止まろうとする私の心と体を動かしてくれるのはいつだって三ツ谷くんなのだ。
 モゴモゴと俯きがちにそんなことを考えていると、実は、と柚葉ちゃんが切り出した。
「実は、ルナとマナを預けて三ツ谷が外に行ったときから、なんとなく女かなって思ってたんだよね」
 あの日の三ツ谷は、時計と携帯ばっかりみていて落ち着きがなかった、と柚葉ちゃんは振り返る。
「よく覚えてる。携帯ずっと握りしめてる三ツ谷とか、普段じゃありえないし」
 柚葉ちゃんは、思い出したようにふふっと笑った。
 私たちの間を風が通り抜けていく。並木が揺れて、はらはらと数枚黄色の葉が落ちてくる。
「なんか言った?」
 何かを察知したみたいに、三ツ谷くんがくるりとこちらに振り向いた。柚葉ちゃんの顔を眺めて、それから私を見つめると、こてんと首を傾げる。
「なんでもない」
 柚葉ちゃんがまた、ふふと笑った。

 途中の交差点で、柚葉ちゃんたちとは別れた。私と三ツ谷くんは、いつもの通学路に向かって歩いていく。
 途中、私たちと同じ制服の集団にすれ違った。みんな見たことのない人たちだったから、きっと別の学年の人たちだろう。けれど向こうはこちらを(というか三ツ谷くんを)知っていたようで、通り過ぎる際に、あっ、と驚いた顔をしていた。
 三ツ谷くんは気づいていないのか、慣れているのか、我関せずといった様子だ。
 そのまま歩いて橋に差し掛かると、落ち葉が数枚、川に流されているのが見えた。歩きながら、なんとなく落ち葉の行き先が気になって私は川を見下ろす。
「どうした?」
「ううん、枯葉が流れてただけ」
「そろそろ冬だもんなあ」
 三ツ谷くんが空を見上げた。どんよりとまではいかない灰がかった空が広がっている。三ツ谷くんは寒そうに身体をぎゅと縮めた。今日も三ツ谷くんの両手は、ズボンのポケットに仕舞われている。八戒くんの隣を歩いていたときも、学校で偶然見かけるときもそうしているから、たぶんきっと、それは寒さがそうさせたわけではなくて三ツ谷くんの癖みたいなものなんだろう。
 三ツ谷くんは、マンションのエントランスまで送ってくれた。
「今日は付き合ってくれてありがとな」
「ううん、こちらこそ、ありがとう」
「柚葉、平気そう?」
 首を傾げて、三ツ谷くんが苦く笑った。
「優しかったです」
「うん。いい奴なんだ。だから仲良くしろってわけじゃないんだけどさ」
 三ツ谷くんが頬を掻く。
 なんと言葉を繋げればいいのか、迷っているようだった。言いたいことはわかるのに、うまい言葉が見つからないのだろう。
 私もそうだった。
 口の中で言葉を探しながら、私たちは向かい合った。どちらが先に「じゃあ」と諦めるかを探りあっているようでもあった。
「あのさ」
 三ツ谷くんが、切り出す。
「今日の夜、電話してもいい?」
「え?」
「メールでも別にいいけど。ほら、あんま今日話せなかっただろ」
 あいつらいたからさ。三ツ谷くんが、ぶつぶつとらしくない声で呟いている。その様子をぽかんと眺めていれば、むり? と上目遣いに三ツ谷くんが答えを促してきた。慌てて私は首を横に振る。します。電話、かけます。
 うん、と三ツ谷くんが微笑んだ。
 その夜、布団に潜り込んで、私は三ツ谷くんに電話をかけた。電話はすぐに繋がった。もしもし、直接会ったときよりも少しばかりくぐもって聞こえる電話越しの声を聞きながら、「携帯ずっと握りしめてる三ツ谷とか、普段じゃありえないし」という柚葉ちゃんの言葉がよぎり、私は思わず、ふふ、と笑ってしまう。
 私は、このことを柚葉ちゃんに報告したくなった。でも私はきっと誰にもこのことを言わないんだろうなとも思う。三ツ谷くんのことは色んな人から教えてほしいけど。
 何笑ってんの。
 右耳に三ツ谷くんの甘い声が聞こえてくる。

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