神様の隣人 _ | ナノ

五条誕生日記念

 誕生日がくるたびに、思い出す恋人の姿がある。
 正確には、それは僕の誕生日の翌日のことで、僕はまだ彼女の恋人でなく、ただの神様だった頃の話なんだけど。

 高専にきて最初の誕生日の話だ。当日は放課後に寮で傑と硝子とケーキを食べて、プレゼントに二人からゲームソフトと映画のDVDをそれぞれ貰った。
 一ノ瀬からは、面と向かってでなく、メールで「誕生日おめでとう」と連絡をもらった。
 その日一ノ瀬は、任務で高専にいなかったのだ。
「ありがとう。任務は?」
 僕は一ノ瀬に、そう返した。おめでとう。ありがとう。のやりとりで終わらせたくなかったから。
「終わったよー!歌姫先輩と一緒だった。明日の朝こっち出る」
「土産」
「今日ケーキ食べたのに、まだいる?笑」
 それはそれ、これはこれ。そんなような屁理屈をたしか僕はしたんだった。そしたらきっと帰ってきた一ノ瀬が、
「一緒に食べよ」
 と、笑いながら食事に誘ってくれる筈だったから。
 実際に、一ノ瀬は翌日、たくさんの土産を持って高専に帰ってきた。
「また、随分買ってきたね」
 驚いたように言う傑に、一ノ瀬は照れたように首をすくめた。それから、チラッと僕の方を見ると、モゴモゴと言葉を濁し、指で輪郭にそって流れた髪の毛をくるくると弄びながら、
「だって五条くんに、昨日のケーキの方がよかったって思われたくなかったんだもん」
 と、傑に答えたのだった。

 そんな淡い思い出を、僕ははっきりと覚えている。
 お土産として渡された出張先の銘菓と、ホールの焼き菓子と、前からほしいと言ってたバンドのライブDVD。
「お土産とかいって、けっこう前から準備してただろ」
 という僕の言葉に、五条くんが誕生日誕生日ってうるさいからじゃん。と一ノ瀬はつっけんどんに答えた。たぶんあれは照れ隠しだ。
「昔の一ノ瀬は可愛いかったな」
 蘇る思い出に、僕はつい、そんなことを呟いていたらしい。
 すぐに隣から
「は?」
 と、記憶の中よりも大人びた一ノ瀬が低い声を出した。
 リフォームした、今は僕が一ノ瀬に貸す家であり、元一ノ瀬の祖父の楽器屋の二階に置いたソファーに並んで腰掛け、僕たちは、夕食後の膨れたお腹を休ませているところだ。
「なんの話」
 一ノ瀬が聞いた。
 昔の一ノ瀬は、一日お祝いがずれたら、悔しがってくれたなって話。僕が言うと、一ノ瀬は、
「ん?」
 と、微妙な顔をした。どうやら、一ノ瀬はあの日のことを覚えていないようだ。僕の中ではけっこう大事な思い出なんだけど。
「なんでもない」
 僕は言う。忘れたれたことを、責めるつもりなんてなかった。僕たちの間には随分と長い時間が流れていて、その中には、僕だけが覚えていることもあれば、一ノ瀬だけが覚えていることもある。それだけの話だ。
 でも、一ノ瀬は僕の様子からそうは思わなかったらしい。並んで座るソファーをぎしりとしならせて、僕の顔を覗き込むと
「当日お祝い出来なかったの、怒ってる?」
 と困ったように聞いてくる。

 今年の誕生日は、一ノ瀬の仕事の都合で8日に祝うことになった。音楽教室に通う生徒がクリスマスコンサートをするとかで、一ノ瀬は11月に入った辺りから、術師じゃないほうの仕事を随分と忙しくしている。
 そんな中で、誕生日当日には電話をくれて、翌日となる今日にはケーキとプレゼントを用意して整った部屋で祝ってくれる。プレゼントは僕の趣味にあった映画のブルーレイで、ケーキは僕の好きなパティスリーに何日も前から予約されていたものだ。
 ここまでしてもらって、
「恋人が誕生日の当日に、僕より仕事を選びました。とても許せず、祝いの席で不満を言わずにいられません」
 なんて無粋な思考回路を僕は持ち合わせてはいない。
 そもそも僕は、誕生日という「イベント」を楽しみたいのであって、「自分の生誕した日」ということに思い入れはないのだ。
「じゃあ、怒ってないの」
 一ノ瀬が聞いた。疑っているのか、変な呪力の流れをしている。
「だからそう言ってるじゃん」
「だって、昔の、とかいうから」
 言いながら一ノ瀬が、僕のサングラスをずらした。痛いくらいに鮮明になる視界の先で、一ノ瀬が僕の目を真っ直ぐに見つめてくる。

 そういえば、一ノ瀬が僕のサングラスを取る理由は、目元を隠されると何を考えてるのかよくわからないから、らしい。
「目は口ほどに物を言う、っていうでしょ」
 当たり前のように言う一ノ瀬に、僕は「なるほど」と唸った。その理屈を本当はよくわかっていなかったし、今でもわからないけれど、六眼を持たない人間というのはそう言うものなんだろう。
「てっきり僕の顔が好きだからだと思ってた」
 真面目に伝えれば、一ノ瀬はぷっと吹き出して笑った。
「サングラスしててもかっこいいよ」
 そう思っていないのが、笑って震える声から伝わってくる。
「もしくは、五条くん大好き、ちゅーしたい。って合図なのかと」
「あはは、なにそれ?」
「だって一ノ瀬、くっついてくるときだけ、外してくるから」
「えぇぇ」
 そうかな。と首を傾げる一ノ瀬を腕の中に閉じ込めれば、しばらくして、だって機嫌悪かったらくっつけないじゃん。と小さな声で打ち明けられた。今度は僕が吹き出して、それから閉じ込める腕の力を強めて、少し無理矢理キスをした。腕の中で、僕の背中に手を回した一ノ瀬と抱きしめ合いながら、ケラケラと笑ったのは、確か一度別れる数ヶ月前のこと。

「ちょっと思い出すことがあってね。かわいいなって思ったから、かわいいって言っただけだよ」
 わざとらしくリップ音をたてて、僕は触れるだけのキスをする。
「思い出すって、何を」
 僕の腕に、抱きつくように自分の腕を絡めながら一ノ瀬が聞いた。絡めた腕に、慎重に体重がかけられる。僕の肩に頭を預ければ、ふうっ、と一ノ瀬が身体の強張りをといたのがわかった。
 そんな風に近づかなくたって、僕はちっとも怒ってないのに。
 大丈夫だよの気持ちを込めて、僕は少しだけ一ノ瀬に寄りかかる。
「初めて祝われたとき」
「初めて?」
「そ。高専入って最初の誕生日」
 あの日も、一日遅れで祝ってくれたんだよ。と教えれば、
「へぇ」
 と、まるで初めて知ったみたいな声で返される。
 いいけど。
 なんの問題もないけど。
「五条くんのお誕生日お祝いしたかったーって、一ノ瀬、泣いて喚いてて」
「わかんないけど、絶対嘘じゃん」
「なだめるの大変だったんだから」
 はいはい、と一ノ瀬が僕の冗談を聞き流す。この話はこれで終わるんだろう。そう思って、次にくるだろう一ノ瀬の新しい話題に構えていれば、
「ねぇねぇ」
 と一ノ瀬が僕の腕を軽く揺すった。
 鮮明な視界の中で、一ノ瀬が僕をもう一度見つめてくる。目が合えば、にこりと柔らかく微笑まれる。
「あのとき、驚いてたのは、なんで?」

 ローテーブルに置いたインスタントコーヒーの匂いが、漂っていた。冬のキンと冷たい空気と、ストーブの熱の中に混じるように、部屋中に香っていた。僕はいつも砂糖を底に溜まるくらいにコーヒーに落として飲む。一ノ瀬は淡い色に変わるくらいにミルクをいれてのむ。これは、学生の頃から変わらない習慣で、あの誕生日の翌日も、確か、二人で同じようなコーヒーを飲んでいた。
 お土産を食べ終えた後、硝子の一服に傑がついて行ってしばらく、誕生日おめでとう、と一ノ瀬に改めて祝いの言葉を告げられた。なんか、今更になって五条くんの誕生日お祝いするのも変な感じだね。私ね五条くんの誕生日知ってはいたんだよ。ていうか、みんな知ってた。話しかけられなかったけど。
 一ノ瀬は苦く笑った。なんだよそれ。僕もまた苦笑いだった。どう反応して良いかわからなかった。つっこめば、自分が一ノ瀬にとって恋愛対象外であることを改めて突きつけられそうで、嫌だった。だから何も言われないように、一ノ瀬の口を塞いだ。キスを拒まれる不安は無かった。僕は恋人になれないかわりに、一ノ瀬が全てを捧げる神様だったから。
 なんて虚しいキスだろう。それでも、そうするしかなかった。とにかく僕は、このときを、おめでとう。ありがとう。のやりとりだけで終わらせたくて仕方がなかった。
 プレゼント、ありがとう。お土産も美味かった。僕が告げれば、一ノ瀬は照れ臭そうに小さく笑った。
「こちらこそ、ありがとう」
 このとき僕は、一ノ瀬のありがとうがなんのことを言っているのか、さっぱりとわからなかった。その通りのことを口にすると、一ノ瀬もまた、きょとんとした顔をみせた。なんの、って。一ノ瀬が呟く。
「産まれてきてくれて、ありがとう」
 それしかなくない? 誕生日だよ。と首を傾げる一ノ瀬と、その答えに驚いて、ぽかんとする僕は、互いにカルチャーショックという言葉がしっくりくる状況にいたと思う。おめでとう。ありがとう。それが誕生日における全ての挨拶だと僕は思っていた。あくまで挨拶だから、コミュニケーションツールのひとつくらいにしか思ってもいなかった。プレゼントだってクリスマスやバレンタインと同じように貰えるから貰っていて。だから、そのとき僕はようやく初めて、自分が産まれたことを喜んでくれる誰かがいることを実感したのだ。

 喉を通るコーヒーは冷めつつあった。底に溶けきれなかった砂糖の粒が残るのが見えた。僅かな液体で掬うように、マグをゆする。腕に伝わる一ノ瀬の体温が、いつもより暖かく感じた。そろそろかな。僕はさりげなく壁にかかる時計を見る。いつもなら一ノ瀬が眠る時間を30分も過ぎていた。そろそろ寝ようよ、と声をかければ、うん。と一ノ瀬は頷いた。
「お誕生日、おめでとう」
 歯を磨いた後、ベッドの中で、一ノ瀬は胎児のようにくるりと丸くなりながら呟いた。
「ありがとう」
「こちらこそ、ありがとう」
 産まれてきてくれて? 僕は少し笑って言った。一ノ瀬はもぞもぞと体制を変えると、布団から顔を出して、僕の顔をのぞきこんだ。
「うん」
 一ノ瀬は、そう頷いたと思えば、亀が甲羅にこもるみたいにまた布団の中に潜りこんでいった。
 追いかけるように、僕も布団に潜りこむ。すでに瞼を閉ざした一ノ瀬が擦り寄ってきた。顔を寄せれば歯磨き粉のミントの匂いがした。
「一ノ瀬の誕生日は、どうしようか」
「チーズケーキがいいな」
「来年も、祝ってくれる」
「そうだね。そうしたいね」
 産まれてきてくれて、ありがとう。あの日の一ノ瀬の姿を僕はまた思い出す。こちらこそありがとう。いろんな気持ちで思いながら、僕はゆっくり目を閉じる。ふわぁ、と一ノ瀬が小さなあくびがしたのが聞こえた。
 どうか来年も君が隣で生きていてくれますように。
 祈るような思いを最後に、僕は眠りにおちていく。
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