神様の隣人 _ | ナノ

15

「梢の葬儀の日取りが決まったよ」
 日付を伝えれば、五条くんが頷いた。
 葬儀の連絡は梢の母親からもらった。私の母親と大して年の離れていないはずなのに、電話越しの声は若く聞こえた。どことなく、梢と似ていると思うのは感傷による思い込みだろうか。
 葬儀に参列する旨を梢の母親に伝えれば、
「ありがとうね」
 と掠れた声で梢の母が言う。
「いえ」
 私は呟く。ありがとうなんて、言われていい人間ではないと思った。いっそあなたのせいだと責めてくれたら、どれだけよかったか。事の真相を梢の家族は知らない。呪いについて、非術師に公にするわけにはいかないからだ。
 梢の葬儀に、もう一人、連れて行きたい人がいると申し出れば、梢の母親は快承してくれた。お名前を窺ってもいいかしら。と言うので、五条と伝えれば、梢の母親は少し言葉を詰まらせてから、もしかして悟くん、と上擦った声で聞き返した。
「ああ、そう。懐かしい、小等部の入学式ぶりかしら」
 少し笑って梢の母親が言うので、私は、五条くんに、あの呪骸を祓わせたことをまた後悔した。もっと何の関係もない人間にさせるべきだった。祖父の工房も、灰原くんや傑の部屋の片付けも、そうやって行われてきたというのに、どうして五条くんに背負わせてしまったのだろう。私はいつも、わかった気にばかりなって、その本質を自分の中に落とし込めていない。
 五条くんはあの日以来、自分から梢のことも呪詛師のことも話さなくなった。そのかわり、毎日、私のところに会いに来た。とはいっても、忙しい人だから、面会は僅かな時間で終わることが大半だった。
「遅くなっちゃったね」
 五条くんはしばらくしてから言った。
 仕方ないよ、と私は答えた。呪骸を祓ってからもうすぐ、一月が経とうとしていた。
「本当なら、もっとはやくに、家族に返してやれたんだけど」
 色々な要因が重なった結果だとは、伊地知くんからも聞いていた。
 良家のお嬢様の殺人事件、ともなると、呪いの一言で片付けるのは難しく、警察と役所、マスコミへの対応にいつもより時間がかかった。特殊なケースであるから、検死も二度にわたって行われた。検死の結果と、その後の呪詛師の処罰は、誰からも聞かされていない。気にならないわけではないが、知りたくないとも思っている。
「喪服って、これじゃダメだよね」
 五条くんは今来ている黒のスポーツウェアを摘んで言った。
 ダメに決まってるでしょ。私は咎める。
「非術師の家の葬儀って僕、はじめて」
 五条くんがスポーツウェアのファスナーを弄った。何も変わらないよ。高専で行われる葬儀を思い浮かべながら、私は答えた。
 寂しくて、心細い、それだけ。

 五条くんが、しっかりとしている、と私は驚いていた。「このたびは」その言葉から始まる挨拶を丁寧に済ませる姿は、いつもの気怠い空気を全くとして感じさせなかった。
 五条くんは洗練されていた。葬儀の場において、この言葉が相応しいとは言い難いが、他に適する言葉を私の語彙からは見つけられなかった。梢の母親は、眩しいものでも見るかのように目を細めて五条くんを見上げていた。それから少し泣いた。涙声にごめんなさいね、と呟きながら、レースで縁取られた白のハンカチで目頭をぐっと押さえた。
「ごめんなさいね。どうして」
 どうして、の続きを梢の母親は言わなかった。代わりに、一度咳払いをして、背筋をピンと真っ直ぐに伸ばすと、
「生前は、娘の梢が、お世話になりました」
 と凛々とした声で言うなり、深く頭を下げた。
 通された仏間には、すでに、たくさんの人が集まっていた。見覚えのある学園時代の同級生や、同じ年頃だろう人たちに加えて、親世代の人たちもたくさんいて、梢の祭壇には、テレビで見るような政治家やら企業の名前が飾られた豪華な花が並んでいた。梢の好きそうな花ではないな、と私は鼻から息を吐く。五条くんと私は、目の合った学園の同窓生に会釈だけをし、列の一番後ろに腰を下ろした。
 そのうちに、袈裟をかけた僧侶が部屋に入ってきた。一同に頭を下げて、僧侶もまた腰を下ろす。じゃらりと数珠が音を鳴らし、やがて、お経を僧侶が読み始めた。
 そういえば、お経とは、生きてる人にむけた説法らしい。
(もう何が正しいのかわからないんです)
やさぐれた心持ちになりながら、私は数珠を握り、すこしうつむきながら、黙ってお経を聞いていた。何を説かれたのかは、聞きとれなかった。

 葬儀の後に、火葬場へと向かうのは、親族と私たちくらいのようであった。三十人ほどの集団は、それぞれ、自分の車で向かうようで、五条くんと私も、そのつもりで仏間を後にしようと立ち上がった。
「あの、一ノ瀬灯さんですよね」
 と突然声をかけられて、私は振り向いた。すぐ後ろに小柄な少女が立っていた。振り返った私と五条くんをキョロキョロ見ながら、少女は自身の手を揉み合せていた。
「そうです。えっと」
「妹です。姉がお世話になりました」
 少女は早口に答えた。似てない、というのが、私の彼女に対する率直な感想であった。朗らかな梢に対して、少女は気の強そうな、はっきりとした顔立ちをしていた。迫力のある美人である。
「受け取っていただきたいものがあるんです」
 真剣な表情で少女は言うと、握り込んだ手をそっと開きながら、私の方へと差し出した。手の中には見覚えのある華奢なブレスレットが収められている。
「貰えないよ、だってこれ、梢が最期まで付けてたやつだよ」
 覗きこんだ首を、私はすぐに横に振った。
「だからです」
「え」
「姉の一番そばにあったものだから、あなたに」
 そんな。私は声を詰まらせた。
「両親も、あなたの負担にならないのなら、貰って欲しいって言ってるんです」
「負担だなんて」
「なりますよ。少なくとも、私には、背負いきれません」
 ブレスレットを隠すように、妹は一度手を握りしめると、眉を下げた。
「いらないものを渡すような言い方をしてすみません。大切なものではあるんです。だから手放せない。でも、姉が亡くなったときに身につけていたと思うと、どうしても、持っていられなくて」
「そう」
「もちろん、断って頂いて構いません。ただ、一ノ瀬さんに、何も言わずに手放してはいけない気がして」
 梢の妹が薄く笑った。自分でも困惑している、というような表情だった。
「なんとなく、なんですけど」
「そういうのは、大事にしたほうがいいよ」
 ふいに、五条くんが口を開いた。梢の妹が驚いたように、五条くんを見上げる。
「君のお姉さんなら、そうするはず」
 と、五条くんは、優しい顔で微笑んだ。
 そのあと、私は梢の妹からブレスレットを貰った。五条くんと私に、深々と頭を下げた梢の妹が、家族のもとに、小走りに駆けていくのを見送り、私は貰ったばかりのブレスレットを五条くんにつけてもらった。それから、腕を持ち上げてブレスレットを光にあててみたりもした。

「よく似合う」
 五条くんが、ブレスレットを眺める私にむけて言った。
 そうかな。私はひんやりとする金属の感触を確かめながら、呟いた。梢のほうが似合ってたよ、と言う意味をこめて。
 火葬場は車で十数分の距離にある。葬儀場も兼ねているらしく、火葬炉へと向かう最中に、丁度葬儀を終えたばかりだろうホールの前を通り過ぎた。開け放たれた扉の中に人はおらず、ホールの中には、薄くトロイメライが流れていた。
「下校の曲だ」
 通りすがりに五条くんが、言った。下校? 聞き返すと、覚えてない? と首を傾げられた。下校の曲。その意味がわからないわけではなかった。私たちの学園では最終下校時刻になると、放送で音楽が流されるのだ。ただ、私の記憶している曲とトロイメライは別の曲であり、五条くんと記憶違いが生じているようであった。
「あれ、小等部だっけ」
 五条くんは記憶を辿るように、顎を手で擦っている。
「中等部は、違う曲だよ」
「あれか、タラララタラララ、ララララーってやつ」
 五条くんが鼻歌を歌う。原曲よりも、気の抜けた音に、つい笑ってしまった。五条くんは私が笑うと満足そうに頷いた。
「ならやっぱり、小等部だ」
 五条くんが、懐かしむように言う。それでも思い出に浸る気は無いようで、すぐに話題を切り替えた。
「今度さ、僕も、君に渡したいものがあるんだよね」
「え」
「何かはお楽しみ。サプライズ」
 言ってしまったら、サプライズでは無いのではないだろうか。私からすれば、いつか何かのサプライズがくる、というモヤモヤとしか気持ちが残るだけである。
「何かな、いつかな、って一ノ瀬が頭を悩ませてると思うとワクワクするよ」
「性格悪い」
「今更なこと言うね」
 火炉の前に着くと、梢の眠る棺桶が安置されていた。窓から覗いた、花に囲まれ目を閉ざした顔が、私が梢の姿を見た最後となった。
 親族たちは、待合室へと向かっていった。私だけは、外の空気を浴びに列から外れた。五条くんは、私が何かを言う前に、あまり遅くならないようにね、とだけ言って見送ってくれた。
 
ホールから出て外にあるベンチに腰を下ろした。黒を纏う私に、午後の日差しが容赦なく射してくる。
(暑いな)
 自販機でも無いだろうかと辺りを見渡せば、日が陰り、頬に突然冷たいものが押し当てられた。びっくりして、叫びながら飛び跳ねれば、クツクツと喉を鳴らして笑う袈裟をかけた男が、いつの間にか、私の隣に座っていた。
「久しいね。変わらなくて、安心したよ」
笑いながら、水の入ったペットボトルを差し出す姿に、鮮明な記憶が蘇ってくる。傑だ。少し落ち着きを取り戻しつつ、でも、信じられない心持ちのまま、私は冷たいペットボトルを受け取った。
「何、その格好」
言うと、傑はああこれ。と袈裟に触れた。
「今の私の、正装ってところかな」
「お坊さん、してるの」
「違うよ。まあでも、宗教活動には変わりないかもね」
宗教って。私は顔を顰める。傑はへらりとまた笑った。傑って、こんな風に笑う人だっただろうか。胡散臭いなんて悪口を五条くんに言われたりもしていたけれど、それにしたって、もっと自然に笑っていたと思うのだけど。
「傑、なんでここにいるの」
「君に会いに。話がしたくて」
「なんで、私」
「ダメかい」
「ダメではないけど」
ほら。という私の声に、傑は何も言い返してはこなかった。
会話が途切れる。耳をすませてもトロイメライは聴こえてこなくて、代わりに、どこからともなく、蝉の鳴き声だけが響いていた。

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