神様の隣人 _ | ナノ

12

 追い出された、と言うのは、ずるいだろう。
 バイオリンを背中に私は歩いていた。バスと電車を乗り継いで都心まで出ていた。
「気が済んだら連絡ちょうだい、迎えにいくから」
「あと、どこ行くか決めたら一応、連絡して」
「僕から連絡しても、ちゃんと返事してよ」
 ここに来るまでの車中の中で、五条くんからは、すでに三件連絡が来ていた。
 それには全部「うん」とだけ返した。電車の中で文字を見ると、酔うからである。画面を消して、私はイヤホンを耳につけた。雨の歌が三楽章全て終わると、次はトロイメライが流れた。
 ピアノの旋律に目を閉ざして、曲の終わりが近づいたころに、新しい曲を聴く気分にはならなくて、降りたのがこの駅であった。
 たどり着いたのは以前梢と食事に来て、そして、五条くんと再会した歓楽街のある街だった。これは運命なのだろうか、それとも、私が無意識のうちにここに足を運んでいたのだろうか、それとも何の意味も持たないただの偶然なのだろうか。
 とぼとぼと歩いていると、街の匂いに胃がむかついた。そういえば朝から何も食べていなかった。何かお腹にいれようかな。そう思うのに、お洒落なカフェを眺め歩いても、どこにも入る気がしなかった。
 道を通りすぎる人々をみると、どうにも食欲が湧かなかった。罪悪感からなのかはわからない。わからないけれど、べつに死ねばいいなんて、きっとこの人たちだって誰かのことを思ったり思われたりしたことがあるはずだと、自分に言って聞かせやりたくなった。それでも放った自分の言葉は、そう簡単に無くなるわけでもなく、どんよりと腹の底に渦巻いていた。
 ああ、でも。
 ふと思い出した。こんなことで気を沈めている私であるが、そういえば、殺してやると人から言われたことがあった。

 宇奈月とは違う人だ。
 あの学園でただ一人、真っ直ぐに五条くんに恋をしていた、先輩。お嬢様だけど、途中入学だった人。
 宇奈月が顕現した日、先輩はその直前に、殺してやると私に言っていた。先輩がそんなことを普段から口にするような人だったのかは知らない。けれども、呪霊を背中に携えて泣いている小さな背中に、そんなことを、少なくとも面と向かって人に言えるような人では無いような気がしてきた。
 五条くんへの恋が先輩をそう変えてしまったのだろうか。私は思った。仮にそうだとしても、一ノ瀬は関係ないよね。五条くんならそう言うのだろう。でも、そうさせたのは私だよね。私は心の中で五条くんに反論する。じゃあ僕が君を好きにならなければよかったと思うわけ。頭の中の五条くんが拗ね始める。そうじゃないけど。けどなに、まさか僕が先輩と付き合えばよかったなんて言わないよね。言わないよ、言わないけど。
 それ以上の言葉は続かなかった。私が黙り込めば、霞を残しながら、頭の中から五条くんが消えていった。もやもやとした空気だけ残して、私はただ歩いた。先輩のこと、嫌いかもしれない。唐突に思った。泣いてる先輩の背中に私はたしか、呪霊が気持ち悪いな。としか思っていなかったはずなのに。なんだか、あのとき、五条くんを真っ直ぐに好きだと伝えていた先輩が、私に殺してやると言った先輩がものすごく嫌な存在。もっと意地悪に言うと、あのとき助ける必要なんてなかった人間にすら思えてきてしまいそうだった。
 でもさ、それって、一ノ瀬が僕のことを好きだからであって、少なくとも先輩が非術師かどうかは関係がないことだよね。君が今、凹んでいる失言とはまた別の話じゃない。問題を混合しすぎているよ。五条くんが霞の向こうから、ぬっと顔を出してくる。
 ならばやはり、恋が、人を残酷にさせるのだろうか。私は五条くんに恋をして残酷になったのだろうか。宇奈月も、祖父も。
 呪詛師が祖父を残酷と呼んだ理由が、私にはわからない。あんな奴の言うことをわかってたまるか。聞く必要などはない。
 そうも思うけれど、私と似てると言われるとついつい考えてしまう。
 恋によって残酷に友達を傷つけた人。ありがちな話なのかもしれない。私は思う。私もまた、きっと梢を傷つけていた。
 でも、恋が人を残酷にすると言うのなら。
 梢ですら、誰かを傷つけたことがあるのだろうか。想像は無駄に終わった。想像の中ですら、梢は自分の不機嫌を人に当てつけたりしない。梢はいつでも優しくて、柔らかく笑いかけてくる。責めるどころか、傷ついたことすら、教えてくれない。
 
 ずんと頭が重くなった。下を向いて歩けば、高い位置にある太陽が首筋をジリジリと照りつけてきた。私は背中に籠る熱を逃すようにバイオリンを背負い直した。駅へと向かう人とすれ違う。横断歩道で足を止めれば、黒のスーツを着た男の人に話しかけられた。それからすぐに、後ろから女の人に親しげに声をかけられた。取り囲まれたのかと思い、怯えた。面倒な商売の人間に絡まれたのだと思った。しかし男の人はすぐに立ち去った。後ろからは、だから気をつけなって言ったじゃん、と軽やかに笑う女の人の声がした。
 
 振り向いた先にいたのは、ミキだった。明るい茶髪を巻きあげて、膝よりうんと短いスカートと、高いヒールを合わせて、可愛いらしい笑顔を浮かべてそこにいた。
 あ、えっと、ありがとうございます。
 どういたしまして、お姉さん、いま一人?
 うん。私は頷いた。
 そっか。ミキはからりと言った。それから、お姉さん、悟から一人で出かけるの心配されない? と、クスクスと笑った。
 そんなことない。私は言ったが、ミキはふうん、とふくむようにニヤニヤとしていた。見透かすような視線は居心地が悪かった。べつに、いつも、ぼんやりしてるわけじゃないです。聞かれてもいないのに、私はそんな言い訳をしていた。
 お姉さん。サングリア好きでしょ。ミキが唐突にいった。えっ。お酒、弱いけど、飲むなら赤のサングリアでしょ。違う?
 信号が変わると同時に、ミキは私の横を並び歩いた。暇ならちょっと話そうよ。次曲がったところにね、かわいいカフェがあるんだよ。お姉さん甘いものも好きでしょ。きっと気に入ってくれると思うの。
 促されるままにミキの勧めのカフェに入り、向かい合うように席に着いた。ミキが二つ頼んだカフェオレを一つもらい、一口ふくんだ。なんでこの人全部私の好みを知ってるんだろう。私はキャッチから助けてもらう前よりも、よっぽど怖くなっていた。
 追加でミキはケーキを頼んだが、私は遠慮した。どれも美味しそうだったが、これ以上好みを把握されたくなかった。
「悟くんはね、ただのお友達だよ」
 またしても唐突に、ミキは言った。え。と私はまた答えを詰まらせた。あれ、全然気にしてなかった? ミキが聞く。いや、まあ、その。なにそれ。気にしてたことをすっかり忘れてたというか。あはは、悟、かわいそう。
 ケラケラと笑うミキは可愛らしかった。でもなんとなく、その笑い方が嘘をついているように思えた。
「本当は?」
 え。と今度はミキが口を丸くした。本当は付き合ってたの。カフェオレを飲みながら私はもう一度聞いた。しばし向き合っていれば、ミキは苦笑いとともに、話はじめた。

 何もないのは本当だよ。あの日も、べつにエッチするために会ってたわけじゃないし。まあ、してもいいかなーって空気ではあったけど。でもその前にお姉さんと会って、それからすぐ悟に仕事が入って解散したから、本当になんもないよ。あれからは一回も会ってないし連絡もとってない。ちなみに、その前もないよ。というか、あれが会うの2回目。
 ミキは終始、からりとした口調で話した。そっか。うん、あのあと仕事が入ったってのは、聞いたかも。私が言うとミキは満足そうに笑った。あのね、とミキがテーブルに身を乗り出してきた。
「ミキ、前にゲロ踏んだってお姉さんに言ったの覚えてる?」
 ミキが聞いた。そういえばそんなことを言っていたかもしれない。そう思って、私は頷いた。
「あれね、本当は踏んだんじゃなくて、足にかけられたの。もろに」
「え!」
「最悪でしょ」
 うげぇ、と顔を歪めたミキに私は深く頷いた。それはありえない、と同意を伝えてみたりもした。
「もうめちゃくちゃ腹立つし落ち込むしで、ミキ半泣きでさ。そのときに悟と会ったの」
 ニコリとミキが笑う。
「五条くんが、助けてくれたの?」
 続く展開を予想して私は聞いた。違う違う。ミキが首を横に振る。
「悟がミキの足に吐いたの」
「え!」
 さっきより大きな声がでた。
「ありえないよね、酔っ払いマジふざけんなって思った」
 ミキのケーキはすでに半分まで減っていた。新しい一口がフォークで切り分けられていく。
「あの人、飲めないよ」
「うん、でも飲んだんだって。赤のサングリア。元カノが好きだったお酒が、どんなものか知りたかったらしいよ」
 柔らかくミキが微笑んだ。それからミキは、フンと鼻を鳴らし、
「知らねえし、いいから弁償しろよ靴、って言って、本当に弁償してもらったのが、お姉さんと会った日」
 と息巻いた。かと思えば、
「まあ好きな人の好きなものを知りたいのはわかるけどね」
 と、しっとりとした空気を纏わせる。コロコロと様子の変わる人だと、私はオモチャでもみるような気持ちでミキの顔を眺めていた。やがて、ふう。とミキがため息をついた。
「まあ、許してやったわけだけどさ」
 そうですか。は、違う気がして、優しいですね。と私は言った。
「だって悟、イケメンなんだもん」
 うふふ。とミキはふくむように笑った。ちょっとだけ鼻の穴が膨らむ。
「それに、前よりいい靴買ってあげるって言うからさ」
 嬉しそうに続いたミキの本音に、もしかして五条くんは、案外モテない人なのかもしれない。なんてことを考えていた。


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