神様の隣人 _ | ナノ

4

 別の世界の人。
 それが、中学一年生のとき、遠巻きに眺めみた学園の王子こと、五条くんに抱いた第一印象だった。
 まるでコラージュ画像みたいに、別の世界を切り抜いて、この世界に無理やり貼り付けてやってきたような、そんな異質感を私は五条くんに感じていた。
「呪霊? ってさ、今日講堂にいた?」
「いた。ステージ脇のとこに雑魚が一体」
「……五条くんはさ、いつから、見えてるの」
「最初から」
 なんだか信じられなかった。
 私と同じものを、五条くんが当たり前のように見えている、という事実がしっくりとこなかったのだ。初めて彼をみてから、もうすぐ三年が経つ。あの異質感は形を変えることなく、今も私の中に残っている。
 それなのに、彼と私が同じ世界を見ていただなんて。
「じゃあどうして、五条くんの周りは綺麗なの」
 私の世界の端っこはいつも何かに汚れていた。それは、煤けた汚れであったり、水気を含むものであったり、腐臭の漂いそうなものであったり、形は様々だったがいつも何かで汚れていた。その何かは、何も話さず、ただじっと嬲るように私を見つめては、時折手招くように私を誘ったり、自ら纏わり付くように近づいてきたりした。
 はじめは怯えた。けれど、怯えれば怯えるほど、なぜか周囲の人間は私を恐れるようになった。もしくは、哀れみや、嫌悪の視線を向けられるようになった。そして、その視線が増えるほどに、私の世界はどんどんと汚れていった。
 だから、無かったことにした。
 見えないふりを覚えれば、幾分、気持ちは楽になった。
 それで汚れが失くなることは無かったが、そういうものだと諦めてしまえば、汚い世界も気にならなくなった。
 祖父のバイオリンを弾いたのはその頃だ。
 弾いて、驚いた。
 バイオリンを弾くと、まるで空気清浄機かのように、汚れが薄れたのだ。その日から私は毎日祖父のバイオリンを奏でた。一日も欠かさず奏で続けた。
 そうして、ようやく手に入れた、綺麗な空気は、五条くんの周りには常に漂っていた。
 あの華美なだけで、どこもかしこも汚れている学園の中で、五条くんの周りだけはいつも、別世界みたいに綺麗だった。
「五条悟だからね、俺」
 五条くんは言う。
 なんの答えにもなっていない答えは、不思議と私を納得させた。
「そっか」
「うん」
「うん」
「でも、まあ」
「うん?」
「おまえも大概だと思うけどね」


 ガラガラと扉を開けて戻ってきた夜蛾先生は、さて、と会話を仕切り直すと、私のバイオリンの処遇について話始めた。
 呪霊が封印されている以上、高専高校で保管せざるを得ないとのことらしい。
「その、中の呪霊ってのは、祓えないんですか?」
「残念だが、祓うためには、器を壊さないといけない」
「そんな」
 縋るように五条くんを見れば、しっしっ、と犬でも追い払うかのように手を振られてしまう。
「なら、せめて、来週まで待ってもらえませんか。コンクールがあるんです」
 お願いします、と頭を下げる。私の声を最後に部屋の中が鎮まりかえった。
 ふう、とゆっくりと息を吐く音がする。
「不特定多数の人前で使うとか、もってのほか、ってとこ?」
 五条くんの声には嘲笑がまじっている。
「いったよな、おまえのせいで、中の呪霊が力をつけてるって」
 五条くんは、上半身をひねり、私と向き合うように身体をむけた。それから、見慣れない真剣な顔をつくる。
「おまえの術式は、道具を媒介に呪霊を取り込み使役するもので、バイオリンの中の呪霊は本来なら、おまえが使役するべき呪霊なんだよ」
 五条くんは、教師みたいな口調で、説明する。
「なのに、おまえと呪霊は縛りを設けず、一方的に世に発生した呪霊を取り込み続けている」
 講義は続く。
「これが一番の問題。取り込んだ呪霊がその中で一つになってる」
「一つ?」
「一個一個なら四級程度の呪霊が、混ざったことで、力を増してる」
「四級?」
「その説明はあと。とりあえず、野放しの雑魚が力をつけてるってこと。恐らくいま三級くらい。で、おまえのポテンシャルも今のところ、恐らく三級そこそこ。つまり同等」
 五条くんは、左右の人様指を立てて、私と呪霊をあらわした。
「さて問題。これ以上、呪霊を取り込み続けた場合、おまえと呪霊はどうなるでしょうか」
 五条くんは、私に問いた。しかし、五条くんは答えをまつつもりはないようで、すぐに口を開き直す。
「おまえ死ぬよ」
 何度目かのその台詞をもって、五条くんの講義は締めくくられた。
(そんな何回も死ぬって言わなくても)
「どうにかならない?」
「ならない」
 ピシャリ、と五条くんはいう。視線を夜蛾先生に移せば、小さく一つ頷かれてしまった。
(どうしよう)
 中学最後のコンクールは、ある種、私の評価の総まとめであった。高校も引き続き特待生として補助を受けるには、今回のコンクールを無視するわけにはいかないのだ。
(ああ、神様)
 普段、特定の神仏に信仰などしていないというのに、どうしようも無い時だけ頼るのは調子が良すぎるだろうか。それでも、どこぞの神様に頼るしか無いこの雰囲気に、私は無意識に祈るように指と指を絡めて手を握り合わせていた。
 再び沈黙が訪れた室内で、五条くんか身動げば、ギシリと、ソファーのスプリングが軋む音が響く。先生なんかお茶菓子ないの。と怠慢な話し方をしながら、身体を正面に向き直った五条くんは、私の隣で緑茶を啜った。
「冷めちゃった」
「淹れなおすか」
「いや、いーよ、もう帰るし」
 五条くんと夜蛾先生が話している。夜蛾先生は立ち上がり、戸棚からお菓子を出してくれた。机に置かれるよりも先に、お菓子に手を伸ばした五条くんは、受け取るなり封を開けている。北海道にでも行ったのだろうか。五条くんが銀色の包みをあげれば、甘いバターの良い香りが私の鼻腔にも届いてきた。
 私のバイオリンはこのまま回収されてしまうのだろうか。ああ、嫌だな。どうにかならないのかな。死にたくない。でも、でも。堂々巡りの考えは頭の中は熱くさせ、指先を冷やしていく。
「食べないなら、頂戴」
 五条くんは、口の中でバターサンドを咀嚼しながら、私の分のバターサンドを狙った。
「おい」
 呆れたように、夜蛾先生が五条くんを咎める。
「べつにいいけど」
 私だってバターサンドは好きだった。でも、とてもじゃないが、食欲なんて無かった。突然連れてこられ、訳もわからぬまま、大切なものを失いそうになっている状況に、涙が出そうになるのを堪えるので精一杯だった。
「マジ? ありがとう」
 じゃ貰うね。五条くんは、すばやく私のお菓子を手に取る。まるで、答えを聞く前からそうするつもりだったとでも言うような所作だった。
「じゃあ、お礼に一週間待ってあげる」
 五条くんが、銀色の包みを破る。
「おい、悟、勝手に決めるな」
 夜蛾先生が、焦った声を上げる。
「べつにいいじゃん。上は今まで把握もしてなかったんでしょ。むしろ呪霊祓ってもらってラッキーじゃん」
 五条くんがバターサンドを半分口にいれる。夜蛾先生は、首を横に振る。そういう問題じゃない、と低い声。それでも五条くんは、引かない。
「俺がみてる」
 ただ一言。
 その一言で、夜蛾先生は黙りこんでしまった。
「はい決まり」
 五条くんは立ち上がって、バイオリンケースを肩にかけるなり、帰ろ、と私の腕を引っ張る。
(決まり、って、何が?)
 悲しみの縁に、私はまだ座り込んでいた。
 え、と、ようやく私は口を開く。いいの? 何もわからないまま呟く。そうすれば、五条くんが頷く。
 うん。
 なんで。
 話聞いてた?
 聞いてたけど。
 俺が行くから。
 五条くんが行くと、いいの?
 うん。
 なんで。
 五条くんだから。
 よくわからない。わからないが、どうやら、学園の王子様である五条くんは、世界を変えたようなこの場所においても、一国の王子の如く五条くんだからという理由で、何かをまかり通すことが出来るらしい。その証拠に、
「頑張れよ」
 と、五条くんに引きずられるように歩く私に向かって夜蛾先生は、そう言ってくれた。それは諦めたような、どこか投げやりな態度であったが、頑張れと投げかける声は、わかりやすく優しい声色をしていた。

 五条くんの歩幅に合わせると、私はどうにも、小走りになる。足が縺れないように気をつけながら、少し前を歩く五条くんの背中にかかるバイオリンケースを見て、私は、ようやく状況を飲み込み始めていた。
「ありがとう」
「どーいたしまして。まあ、元々こうするつもりだったし、気にしなくていいよ」
 俺も休むって言ったろ。と言う五条くんに、そういえば、と私は世界史の時間を思い出す。数時間前のことなのに、なんだか、ずっと昔のことのように思えた。
 外は日が落ちていて、あかりのつかない廊下は月明かりだけを頼りに照らされている。こんな時は、決まって私の世界の端っこは汚れ出すのに、高専の校舎には汚れどころか、その気配すら感じられない。
 ここは、綺麗だな。
 潔癖ともいえるほどに澄んだ空気の中で、私はそんなことを思っていた。

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