神様の隣人 _ | ナノ

4

 高専の入り口には、伊地知くんが待機していた。伊地知くんはこちらに気づくなり、慌てて走り寄ってくる。
「五条さん、私の車知りませんか」
 酷く焦ったような表情だった。顔色が悪い。本当に何も言わずにキーを奪ってきたのだろう。
「知ってる」
 チャリと音を鳴らして、五条くんはポケットから車のキーを取り出すと、伊地知くんの顔の前にぶら下げた。
「あああ、やっぱり」
「わかってんなら聞くなよ」
「家入さんが五条さんが車に乗るとこをみたと仰ってたんです」
 伊地知くんは、げっそりと言う。頬がこの二年で随分と痩けたようにみえる。
 伊地知くん、老けたな。私は久しぶりに会う後輩の姿にそう思った。五条くんの顔が幼いから余計にそう見えるのかもしれない。五条くんと並ぶと伊地知くんは二つ下の後輩というよりは、五つほど上の大人が学生に手を焼いているように見えた。その姿は、なんだか草薙さんを思い出させる。草薙さんはもう少し年上だったけれど。
「ごめんね伊地知くん、私のこと、迎えに来てもらったの」
 助け舟というわけではないが、車に乗った手前、心苦しくて私は口を挟んだ。
「ああ、一ノ瀬さん。お久しぶりです。いえ、一ノ瀬さんがいらっしゃるの窺っておりましたので、全く気になさらないでください。ただ私は、私が運転するものとばかり思っておりまして」
「勝手に勘違いして怒んなし」
「いや、勝手に車とって行かないでくださいよ」
「はいはい。で、硝子は?」
 五条くんは伊地知くんを軽くあしらい、聞いた。
「医務室にいらっしゃいます」
「行くよ、一ノ瀬」
 五条くんが再び歩き始める。
「一ノ瀬さん、お茶かコーヒー、どちらがよろしいですか」
 ニコリと笑って伊地知くんが聞いてきた。コーヒーで、と咄嗟に答えれば、ではすぐにお持ちします。と、伊地知くんは柔らかく微笑む。

 五条くんの後をついて医務室に行けば、伊地知くんの言う通り、硝子が私たちを出迎えてくれた。
 硝子はシフォン素材のシャツの上に白衣を着ている。長く艶だった黒髪を一つに束ねているのが珍しかった。
「おつかれ。その辺座って」
 硝子が言う。私と五条くんは、硝子と向き合うようにして、それぞれ椅子に腰掛けた。
 硝子に会うのは、確か四か月ぶりだった。私が短大を、硝子が医大を卒業する前に一度食事をして以来である。事件の始まりは去年だと五条くんは言っていたが、硝子はいつからこの件を知っていたのだろうか。
「伊地知が先に資料を置いてった」
 黒いファイルを硝子が手の甲で叩く。机の上には分厚いファイルが一冊と、薄いものが二冊積み重ねてあった。
「それは?」
「生前の宇奈月の資料と、五条が宇奈月だろう呪霊を祓ったときの記録。それから、去年見つかった白骨化死体の検死結果の一部抜粋」
 薄いファイルの二つを持ち上げた硝子は、五条くんと私にそれぞれ差し出した。
「で、硝子からみてどう?」
 五条くんが資料をパラパラと捲りながら聞く。
「検死結果は、初回と同じだね」
「うん」
「何回か見てるの?」
 訊ねれば、硝子が頷いた。
「私も四月に戻ってきたばかりだからな。最初は外注で依頼してたんだけど、今回、改めて私の方でも確認しなおしたんだよ。呪いと関連してるかどうか、なんて視点では普通見れないからね」
 ほお、と私は息を吐く。
「その視点でみても尚、見解が同じってことは、呪殺じゃないってことか」
 五条くんが言う。
「そういうことになるね」
「となると、当初の予想通り、一ノ瀬を呪った呪霊は死後に宇奈月が呪霊に転じた可能性が残るってわけだ」
 解説するように五条くんは、まとめた。それから、ファイルを膝の上に置いたまま腕組みをする。
「その後、それを一ノ瀬が取り込んだ」
 うーん、と唸る五条くんに同意するように硝子が口を開く。
「そこだね。そこが繋がらないことには、そもそも論になってくるよ」
「そーうなんだよねぇ」
 私をおいて、二人の間で何か話が進んだのがわかった。私は慌てて、どういうこと? と確認する。
「灯が取り込んだのは、呪霊であって呪骸じゃないってこと」
「一ノ瀬が取り込めるのは呪霊だけだ。人や物は取り込めない。呪具や呪骸のような物に呪いを宿したようなものは術式の対象外」
 でしょ。と言って、五条くんが続ける。
「でも今、高専がおってる呪詛師は傀儡師だ。宇奈月と呪詛師の関係性が判明しない限り、そもそも本当にこの事件と宇奈月が関係あるのか、そこからあやふやになってくる」
「関係性はわかってないんだもんね」
 うん、と五条くんと硝子が同時に頷いた。
「たまたま、見つかったって可能性もあるってこと?」
 硝子が五条くんに視線をやった。五条くんの眉間にぐっと皺がよる。
「だとしたら、とんだ偶然だよ。7年探して見つからなかった死体が、別の事件の容疑者の工房と思われる部屋から出てきたんだから」
「その工房って、本当にその呪詛師のものなの」
「それはほぼ確実だね。一級相当の呪骸がつくれる術師なんて、まずいないから」
 五条くんが、はっきりと言い切る。
「そこそこ古い家だよ。江戸くらいからあるんじゃないかな? とっくに廃れた家だと思っていたけど、恐らく名前を変えたか、遠戚かに、ぼっと相伝の術式を持ったやつが産まれてたんだろう。そいつが長年、うまく隠れて呪詛師やってたわけだ」
 長年生まれなかった相伝の術師が、ある日突然産まれる、なんてことは稀にあるらしい。
「言っちゃえば恵も僕もそう。僕なんかは、何百年ぶりとかの話だし」
 さっぱりとした口調で五条くんが言った。
(五条くんを例に出すのって、なんか、ずるいよな)
 そう思いながら、私は硝子に渡されたファイルを開いた。ファイルは宇奈月が術師であったころについて纏められたものらしい。プロフィールと略歴が簡潔に記載されていた。私は並んだ文字の上に人差し指を滑らせていく。
 そういえば、私は生前の宇奈月という人間が持つ術師の一面について、その殆どを知らなかった。私にとって宇奈月というのは、呪霊の側面が強く、人であった頃ですら極力思い出したくない悍ましい存在でしかなかった。
 私が指を止めたのは『術式』と書かれた項目の上であった。
「呪霊喰い」
 記された文字を読み上げれば、ん? と五条くんが隣からファイルの中を覗いてきた。
「ああ。それね」
「呪霊を食べるの?」
「そう。喰った呪霊を使役するのが、そいつの術式」
 喰う、と私が呟くと、五条くんは、
「傑のものとは違うよ」
 と言った。

 少しして、伊地知くんがコーヒーを持って部屋を訪れた。白い陶器のカップが三つ、ソーサーの上にのって運ばれてくる。どれも白く細い湯気がたっていた。
「砂糖とミルク、置いておきますね」
 伊地知くんは、お盆ごとテーブルに置くと仕事が残っているのか部屋をそそくさと後にした。
「灯は、ミルク多めでいいの」
 答えを聞く前に、硝子はカップにミルクをたっぷりと注いでいた。頷くと同時に、すっかり柔らかな色合いに変化したコーヒーを硝子に渡される。漂う香りに私は息をついた。
「前から思ってたんだけど、それ、コーヒーじゃなくてカフェオレだよね」
 五条くんが言った。硝子はこちらを見向きもせずに、シュガーポットを開ける。
「五条、砂糖は?」
「5個」
「五条くんのは、もはや、飲み物ですらないじゃん」
 今度は、私が言い返した。
「いやいや、どうみてもコーヒーでしょ」
「それをコーヒーと呼ぶと思ってるなら、それはもう、コーヒーへの冒涜だよ」
「あのさあ、僕のは甘いコーヒー。君のはカフェ・オ・レ。どう考えても、原型無視してコーヒー冒涜してるのはそっちだからね」
「私のは美味しいもん」
「僕のだって美味しいし」
 そこで、パンパンと硝子が手を叩いた。
「君たち、話がずれてるよ。子ども舌同士の議論なら、別のところでやってくれないか」
 子ども舌。恐らく同じところに引っかかりを覚えただろう、五条くんと目が合った。解せぬ。目線だけで五条くんと頷きあう。硝子はつまらなそうな顔であった。
「まあいいか、宇奈月の術式について話そう」
 気を取り直すように、五条くんが言った。
「一番わかりやすい傑との違いは、取り込める呪霊の量だね。傑の取り込む呪霊に制限はない。やろうと思えば、千でも二千でも、取り込み放題だ」
 五条くんは砂糖をいくつも溶かしいれたコーヒーに平然と口をつけると、喉仏を一度ゆらした。
「対して宇奈月が取り込めるのは、一体だけだ。新しく呪霊を取り込むには、一度それを取り出して空にする必要がある」
「空に?」
「カフェオレをコーヒーに戻すには、一度、全部捨てなきゃいけないでしょ」
「全部捨てる」
「傑の強さの一つは手数の多さだ。宇奈月にはそれがない。だから、たった一つで存在を塗り替えるくらいの強い呪霊を取り込む必要が出てくるんだ。それで傑を上位互換に例えるやつもいるけど、そもそも、能力の使い方が全く違うんだよ」
 五条くんは説明する。
「比較されるべきは、傑じゃなくて、一ノ瀬のほうだ」

「え」
 私は狼狽えるように、呟く。
「私、一体にするだけで、一体しか取り込めないわけじゃないよ」
「一ノ瀬の取り込みってさ、言ったら助走で止まってるものだからね。本来は貯めた呪霊の呪力を放出するのが君の祓除の手法でしょ。使役という点で君が使っている呪霊の数は一体だよ」
 五条くんが解いた。
 確かに私が取り込む呪霊は、バイオリンの中でごちゃまぜに封じられているだけで祓われたわけではない。だからこそ、溜め込みすぎると溢れ、危険な存在になる。
「ますます、呪霊になった目的がわからないね」
 硝子が言った。
「灯を殺して呪霊にさせて、それ取り込んだ方がよっぽど効率がいいだろ」
「どうせ殺すなら、そうなるね」
「それをわざわざ、自分が死んで、取り込ませた後に、灯をのっとりたがったんだろ。どう考えても、劣化だ」
なんだろうか、このざわめきは。
じわじわと確信が近づいてくるような感覚に、私は背筋に嫌な冷たさを感じていた。
 私を殺す。恐ろしい呪怨を持った男について、本当に私が恐るるものはなんなのか。
 これは結果論だ。
 唐突に、私は思う。
 呪いというものは、人の負の感情から産まれる。つまり、その感情を得るに至った起因があるはずだった。
「それでも一ノ瀬を欲しがった」
 五条くんが神妙に言う。
 なぜ?
 私はその理由をわかっていない。恐らく、硝子も。
 五条くんは、どうなんだろう。
 五条くんが神妙に口を開いた。その声は抑揚がなく、静かであった。
「もしくは、一ノ瀬になりたかった、か」


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