神様の隣人 _ | ナノ

3

 翌日。職場の住所を教えれば、仕事終わりに合わせて、五条くんが車で迎えにきてくれた。
「免許とったんだね」
 助手席に乗り込むと、五条くんは頷いた。
「あると何かと便利だからね」
 車に興味はないから高専のもので十分だと五条くんは言う。車は普段、伊地知くんが使っているものだそうだ。
「いなかったから、借りてきた」
「それ、今頃、伊地知くん困ってるんじゃない」
「えー、まあいいでしょ。伊地知だし」
 さらりと五条くんは流した。伊地知だし、という口ぶりからは気安さがどことなく漂っている。二人に仲の良い印象は無かったが、この二年で親交を深めたのだろうか。
「お腹減ってる? このまま高専向かって平気」
 五条くんがエンジンをかけ直しながら、私に聞いた。
「うん、大丈夫」
 私が答えると、五条くんは
「そう」
 と言いながら、アクセルを踏み込んだ。車はゆっくりと前進していき、次第にスピードをあげていく。

 車の中では、祖父の工房の話になった。服、どこにあったの。と五条くんが聞くので、工房に置いてあったと答えた。それから今はクリーニングに出しているところであることと、祖父の楽器屋を売りに出すことになったことを伝えた。
「そう」
 五条くんは呟いた。残念だけど仕方ないね。もう、買い手は決まったの?
 ううん、まだ。掃除が終わってから不動産には持ちかけるみたい。私は五条くんにそう答えた。
 首都高速道路に車が入った。トラックが多い。夜景を眺めようとすると、窓硝子に運転する五条くんがうっすらと見えた。私はひっそりと、記憶より短くなった襟足を眺めた。
 なんか不思議。
 漠然とそう思った。
 元カレ、になるんだよな、この人。
 どうにもしっくりこなかった。
 そう思いたくない、とかではなくて、「元カレ」というどこか俗っぽい呼び方が五条くんにはなんだか似合わなかった。
 東京タワーが見えた。オレンジ色に煌々と光っている。東京タワーって、登ったことないな。思ったままに私は口にした。僕もないかも。五条くんが、少し笑って答える。
「東京育ちなのにね」
「東京育ちだからじゃない」
「ハトバスは」
「あー、無いね、無い」
「五条くん、好きそうだけどね、観光ツアーとか」
「コンセプトは嫌いじゃないけど、時間と場所が決まってるのが、いただけないよね」
 五条くんの声に力が入る。
「知らない路地裏に入ってこそ探索ってもんでしょ」
 探索。心の中で呟く。それは探検であって旅行では無いのでは、と、ちょっとだけ思う。
「だいたい、本当に美味い店は大通りには無いってのが定説だよ」
 五条くんはそう決めつける。
「そうなの?」
「神楽坂、赤坂、向島」
 五条くんがぽんぽんと土地名をあげていく。
「銀座?」
「そうそう、いっしょ、いっしょ」
 機嫌良しに五条くんが頷く。
「なんか、政治家みたいなとこでご飯食べてるのね」
 ため息混じりに言えば、五条くんはクツクツと笑った。
「そうでもない。僕はコンビニやファーストフードの手軽さも気に入っているからね」
「自炊は?」
「するよ。あーそう、前にパンプディング作った」
「好きだね、あれ」
「うん。あれだけじゃなくて、一ノ瀬が作ってくれたやつはさ、簡単で美味いからいいよね」
「雑なだけだけどね」
「基本、パンにしろ野菜にしろ、切らないでちぎるもんね、おまえ」
 五条くんが思い出し笑いをする。
 私はぷいとそっぽを向いた。怒んないでよ、とさらに五条くんが笑ったけれど、べつに怒ってなんかいない。ただ、楽しそうに笑う五条くんに、どういう顔をしていいのかわからなかっただけである。
「まあ元気そうでよかったよ」
 つんけんと私は言った。本心からつんけんとした気持ちで言ったわけでは無かったが、一度そっぽをむいた手前、そんな声しか出せなかったのだ。
「うん、一ノ瀬も元気そうでよかった」
 対して、五条くんは柔らかな声で言った。
 私は五条くんの横顔をちらと覗く。薄く微笑みを携えた、穏やかな表情であった。
「本当によかった」
 五条くんが繰り返す。独り言のようにそっと。

 ゆっくりと車が停まると、懐かしい景色が窓の外に広がった。
 およそ二年ぶりの景色に、感慨深い気持ちになる。
 もう一度、高専の門を潜る日がくるなんて、卒業したときは思わなかった。
「たった二年ぶりの母校に、随分大袈裟だね」
 五条くんが笑いながらエンジンを切る。そのままハンドルにもたれるように肘をついて寄りかかった。
「まあでも、部外者が簡単に入れる場所ではないからね。やっぱり関わりたくないってなる前に、ここで少し事のあらましを話しておこうか」
 五条くんはそんな風に言ってから、準備はいい? と私の方に顔を向けた。

 うん。
 私はしっかりと頷いた。
「なら順を追って話そう、始まりは去年の五月。等級の高い呪霊が不自然に頻発して確認された」
 五条くんが話はじめる。
「不自然?」
 私は首を傾げた。
「繁忙期を過ぎたあとの住宅街に、二級相当の呪霊が立て続けに三体でたんだよ。それもただの二級じゃない。術式を持っていないってだけで実力は一級相当っていう報告だった。そんなやつらが事故や事件が近くであったわけでもないのに、ほいほい湧くなんてありえない」
 確かに、病院や学校ならともかく住宅街に、それも一級相当の呪霊なんて聞いたことのない話だった。そして何より、その呪霊にはある共通した特徴があったと五条くんは言う。
「三体とも呪骸だったんだ」
 高専はこれを自然発生でなく、呪詛師による犯行だと結論づけ、傀儡呪術学の第一人者である夜蛾先生を筆頭にした捜査チームをつくり犯人の特定に急いだという。
 そうして捜査をしていく中で、ある呪詛師が捜査線上にあがり、補助監督の一人がその呪詛師の工房をついに突き止めた。
「そこはもぬけの殻。残されていたのは、死んで何年も経った死体だけ」
 やれやれと五条くんが、肩をすくめた。
「それが」
 私が確かめるように呟けば、五条くんが深く頷いた。
「この事件と、宇奈月がどう関係しているのかはわかってない」
 でも、と、五条くんは続けると、
「僕には宇奈月が死んだ理由が、君の祖父母以外に浮かばない」
 と重く言って、
「僕たちの再会は偶然だ。でも、嫌な予感がする」
 と、今回の事件の説明を締めくくる。
 五条くんは珍しく疲れたように、ふう、と微かにため息をついた。私の頭の中に宇奈月との出来事が素早く駆け巡っていく。
 怖い。
 そう思いながら、私は五条くんの様子を窺った。
 んー、と唸りながらハンドルに預けていた身体をシートへと五条くんは、もたれかけさせた。顎に手を当てながら、親指と人差し指で頬を挟み、唇をツンと突き出している。
 考え顔にしてはふざけた表情である。
「ねえ、こないだ瀬戸さん、なんか言ってた?」
 え? 私は思わず聞き返した。
「梢?」
「いや、何もないなら、いい」
 五条くんがシートベルトを外す。ヒュルと、小さく音がたった。

 五条くんの話を聞いているうちに、私にも新たな疑問が湧いていた。
 五条くんは私の祖父母とこの事件の関係を疑っている。
「うちの家族に、捜査がいくことはないよね」
 確かめるように聞いた。
 うん、と言ってくれればそれでよかった。なのに。
「補助監督の聞き込みはあるだろうね」
 五条くんは答えた。サングラスを外して、眉間を数度揉んでから、またすぐに付け直す。
 片手間に答える五条くんに、私は身を乗り出した。
「非術師だよ」
 思ったよりも、大きな声が出た。
「事件のことを話したりはしないよ。あくまで、宇奈月について何か知ってることはないか、それとなく聞くくらい。本当はがっつり聞きたいけどね」
 五条くんは、しれっと答える。
「それって、高専って名乗るの」
「さあ。身分は何かしら名乗るだろうけど、偽装するかどうかは僕も管轄外だよ」
「お願い、絶対、高専って言わせないで」
「なんで?」
 五条くんが聞く。
 べつにいいけど、という声は先程までと変わって茫洋としていて緊張感がなかった。私は僅かに苛立ちを覚える。次いで、仕方ないという諦めも。
「うちは、五条くんの家とは違うんだよ」

「どう言う意味」
 今度は五条くんが、言葉のはしに苛立ちを僅かにのせた。
 強まった口調に、私は小さく首を横に振る。
「気を悪くさせたかったわけじゃないの」
 五条くんは、口をへの字にまげた。それから、付け直したばかりのサングラスをもう一度外して、私を真っ直ぐに見つめる。
「話して」
 五条くんが私を促す。
 私はまた首を横に振ってみせた。
「非術師の家ってだけだよ」
 そう。我が家は非術師の家庭だ。呪いが見える人間は私しかいない。子供の頃はそれでよく苦労した。見えないものをみて必要以上に怯える私を、父も母も、祖父すら戸惑いを抱いていたことは幼いながらにわかっていた。
 恵のような機微に鋭い子供だったわけじゃない。
 家族の不安や恐怖に引き寄せられるように、その分呪霊が湧いたからだ。
「だろうね。そうならないように、僕らは秘匿に働き、帳を降ろすわけだから」
 見えないフリをすれば、状況は些か改善するということに気づいたのは、小学校にあがってからだった。
「浮いてたんだよね、私」
「一ノ瀬が?」
 五条くんが目を見開く。
「公園とか幼稚園でも泣いてたから。見えない子からしたら気持ち悪かったんだろうね。その親もやっぱりヤバい子だと思ってたぽくて、なんか、触らぬに越したことはない、みたいな」
「ふうん」
 五条くんはつまらなそうに鼻を鳴らした。
 五条くんが左右の手を握り合わせる。絡まる指先はスラリとしているようで、意外と節ばっていることを私は知っている。
 幼稚舎の頃から私もあの学園にいたかったな。五条くんの手を眺めながら、私は今更そんなことを思った。
「なんで信じてくれないのって、何回も親の前で泣いたことがある」
「うん」
「大丈夫、いないよって、いつも慰めてくれた。何回泣いても、泣いてるところを一人にされたことは無いし、うるさいとか、気味が悪いとかそういうことを絶対にお父さんもお母さんも私に言ったりなんかしなかった。お父さん達がそばにいるからね、って何回も繰り返し言いながら抱きしめてくれてた」
 家族からの愛情は確かなものだった。今も昔も、それを疑ったことは無い。だからこそ私は、家族や、他の人達がおかしいのではなく自分が異端なのだと、理解せざるを得なかった。
 先に諦めたのは私だ。
 得体の知れないものは怖いけれど、家族を悲しませるのは、もっと怖くてかなしいことだ。
 幼いながらに、生きづらさを漠然と感じていたけれど、生きられない程でもなかった。
 わかってもらえなくとも、家族は私の味方だし、何より、私にはバイオリンという逃げ道があったから。
 遊ぶ友達がいなかったのも、バイオリンがうまくなった理由の一つなのかもしれない。
 高学年に上がる頃には、妄想に振り回されている女の子から、バイオリンの上手な女の子に周囲の目は変わっていった。
「その変わりようも、なんだか鬱陶しくて、結局小学校で友達はあんまり出来なかったな」
 私に中学受験を薦めたのは、母だ。
「受験しなくてもいいけど、学校って一つじゃないことは頭の隅っこに入れておいてね」
 それ以上、母は何も言わなかった。父も。祖父は、おばあちゃんが通ってたとこだよ、と少し嬉しそうに教えてくれた。でもそれだけだ。
「君は本当に大事に育てられたんだね」
 五条くんが、どこか呆れを含んだ声で、言った。確かに僕とは違うね。そういう意味が口ぶりから滲み出ていた。
「梢の話を初めてしたとき、お母さん、ちょっと泣いたの」
 母が面識の無い梢のことを、気に入っている理由など、私はもうずっと前から知っている。梢の存在に救われたのは、私よりも、恐らく父と母だ。
「なのに、私、学園辞めたでしょ」
 高専に行きたい。ある夜、私が両親に伝えたとき、母は真っ先に
「学校で何かあったの?」
 と、私に聞いた。また、いじめられてるの? と口には出さないけれど、そんな心配が質問に隠されているのは明白だった。
 私はどう答えてよいか、しばらく口ごもっていたけれど、どうにか、
「そうじゃなくて、そこで、勉強したいことがあるの」
 とだけ言えば、父と母は顔を見合わせて、どうしたものかと眉を戸惑いがちに下げていた。
「思うようにやってみなさい」
 両親が私に言ったのは、その夜から三日ほど経ってからのことである。
「すんなりいったな、なんて昔は思ったよ。でもね。今思えば、お父さんもお母さんも、ものすごく考えたんだと思う。あの学園を出てまで、やりたいことが、名前も知らない学校にあるなんて普通思えないもの。それでも、許可をくれたのはきっと、私の逃げ道を塞がないためだったんじゃないかな。もしかしたら、本当に私が『見えない何か』を見えているのかもしれない、ってこともふくめて」
 五条くんは、何かを考えるように、少しだけ顔を俯かせた。
「知られたく無いの。ましてや、お爺ちゃんとお婆ちゃんまで関わってるかもしれないなんて、お父さんには絶対に知られたくない」
「でも僕はこの事件の調査をやめるわけにはいかない」
 五条くんが言った。
 ふむ、と五条くんは自分で言った言葉に頷く。それから、パンと切り替えるように一度手を叩く。
 仕事の話をしよう。
「君の家族に調査を向けない。その代わり、君にしてほしいことが二つある。一つは、君が両親の代わりに高専の調査に協力すること」
 五条くんがピンと長い人差し指を立ち上げる。
「もう一つは?」
「んー、こっちは僕の私情なんだけど」
 言いながら、中指がゆっくりと天にむけて伸ばされた。
「いかなる場合においても、君は死体をみないこと」
「え?」
「悪いけど、これは、絶対条件」
 ニッと、五条くんは口端を器用に持ち上げる。
「それじゃあ、再会の記念に、一仕事といこうか」
 高らかに、五条くんが、誘いかけてくる。
-41-
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -