神様の隣人 _ | ナノ

3

 目を覚ませば、悪魔のように美しい少年が私を見下ろしていた。
 少年。五条くんはどこか愉しげに、形のよい唇を歪めている。

「あ、起きた?」
 先程までのは夢かと思うほど、さっぱりとした口調だった。
 ことの展開にぼやける思考が追いつかない。数回瞬きをすれば、五条くんは
「もう着くから、狭いけど我慢してね」
 と言った。
 着く? 視線を彷徨わせれば、ここは車の中のようだった。意識すれば、車体の揺れを感じる。どうやら後部座席に私は上半身を横たわらせているようだ。頭の下の硬いものは、五条くんの脚だろうか。
 え、脚?
 ガバリと起き上がれば、目眩がした。ふらふらとする頭を押さえ、五条くんの座る方とは反対の窓に頭をぶつける。痛い。
「何、やってんの、おまえ?」
 呆れた声を五条くんがだした。
「……こっちの台詞なんだけど」
「まあ、まずは落ち着けよ。ほら着いたから」
 そう五条くんがいうなり、ゆっくりと車が止まる。窓の外をみれば、見たことのない景色が広がっていた。
「お寺?」
「違う、学校」
 私の呟きを五条くんが訂正する。
「学校」
 私は、小さな声で五条くんの言葉をなぞる。
「そ、呪術高専。俺が春から通う高校」

 春から通う、と言った五条くんは、まるで既に勝手知ったるとでもいうかのように鳥居を括りぬけていく。不思議に思い、それを訊ねてみれば、ここ拠点でもあるから。といまいち答えにならない答えを返された。
「拠点?」
 学校鞄を抱えながら私は更に訊ねる。バイオリンケースは今は五条くんの肩に下げられている。
「そ、呪術師の」
「呪術師」
 繰り返せば、五条くんは視線だけを私に向けた。
「知ってる?」
「ううん、知らない」
「念のため聞くけどさ、呪詛師は?」
「ごめん、知らない」
「知らなくていーんだよ」
 そういうなり五条くんが足をとめた。目の前には校舎だろう建物がある。本当に学校なんだな。まるで仏閣の中だ。見慣れない場所に、私はキョロキョロと目移りしてしまう。
「ちゃんとしたホールじゃなくて悪いんだけどさ、なんか適当に弾いてくんない?」
 五条くんは、何一つ悪びれた様子もなく、そう言うと、肩にかけたバイオリンケースを私に渡す。
「え、ここで」
「うん。ダメ?」
「ダメっていうか……ねえ、そういえば、私なんでここにいるの」
「今、そういうのいーから、早くして」
 さあ、どうぞ。と手を差し出される。
(なんなんだこの人は)
 今日何度目かの感想を胸に、私は、しぶしぶとケースからバイオリンを取り出す。音を調律するために、弓を弾いただけなのに、五条くんの視線を痛いくらいに指先に感じた。

「気持ちつくる? アナウンスでもしようか」
 五条くんが揶揄うように言う。
「やめて、そういうの。恥ずかしいから」
「そう? じゃあ、お好きなときにどうぞ」
「……いくよ?」
 すっ、と息を吸って弦を鳴らす。一音、たっぷりと響かせようとすれば、警戒音のようなアラートが鳴り響いた。
 え、と私は演奏の手をとめる。何ごとかと五条くんをみれば、彼はまるで、そうなることがわかっていたかのように落ち着き払っていた。

 ◇ ◇ ◇

「勝手に入ってすみませんでした」
 あの後、すぐに現れた頭に剃り込みの入った強面の男性に連れられ、応接室と思わしき部屋に五条くんと私は通された。ふかふかのソファーに腰掛けて、私は深々と頭を下げる。そうすれば、隣から
「入ったことじゃなくて、バイオリン弾いたことが問題なんだけどねえ」
 と、呑気な声で五条くんが言った。
「え、だって、五条くんが」
「うん、弾けって言ったね」
「だよね? え? なんで、怒られるってわかってたの?」
「怒られるんじゃなくて、おまえをどうするかの話をすんだよ、これから」
 ねー、と五条くんは、強面の男性にヘラヘラと笑う。顔見知りなのだろうか、随分と気安い雰囲気を五条くんは醸し出しているが、たいして、相手の男性の険しい様子に、私はそわそわとしてしまう。もしかしたら、五条くんがただ失礼なだけなのかもしれない。そういう懸念が拭えないのが、五条悟という人なのだ。
「どうする、って、なに?」
「言ったろ、おまえ死ぬって」
「え、や、でも」
「てことで、死刑」
 あっさりと告げられた言葉に息を飲む。あの冷ややかな目を思い出して、身体が緊張する。カラカラに乾いて、震えた喉は、無格好に擦れた音を出した。一瞬で落とされた絶望は酷く重くて、身体を冷やす。
「いい加減にしろ」
 重厚な声だった。口を閉ざしていた強面の男性のものだった。
「べつに、冗談じゃん」
 と、五条くんが言う。
「面白くないんだよ、おまえ、モテねぇだろ」
 と、強面の男性。
「は? モテるし。おまえも言ってやってよ、五条くんかっこよすぎで、学校中の女子がギスギスするくらい、モテまくってます、って」
 なあ、と五条くんが私の顔を覗きこむ。
「何、フリーズしてんの?」
 おーい。と目の前を大きな手が上下に振られる。うざい。マジで、うざい。
「五条くん、きらい」
「は?」
「だいっきらい」
「あ゛?!」

 五条くんと私の一悶着のあとに、強面の男性は夜蛾と名乗った。この呪術高専の先生だそうで、五条くんとは、お家の都合で既に顔見知りらしい。曰く、五条くんはとても有名なお家の跡取り息子だとかで、曰く、五条くん本人もその優秀さ故に、一界隈では知らぬ者はいないと言われる程の有名人だとかで。
「へえ」
「何その反応、ムカつく」
「それは申し訳ございませんでした、お坊ちゃま」
「100パー馬鹿にしてんだろ、おい、コラ」
 冗談で済まされない話を冗談と言われたあとに聞くには、随分と嘘くさい話だった。しかし、彼の家が裕福であり、彼自身が有能であることは、私も含めあの学園の人間からしたら今更の話であった。何より、彼の境遇を思えば、放課後、講堂で彼が口にした言葉の数々にも納得がいった。
「あの、そもそもなんですけど、私はどうしてここに?」
 なかなか教えてもらえない、自分の処遇に、私は自ら言及した。そうすれば夜蛾先生が口を開く。
「正確にいうと、こちらからは呼んでいない。悟が急に連れて来ただけだ。ただ」
 ただ。と、夜蛾先生は、一度話を区切るとソファーに預けていた背中を前のめりにして、私との距離を縮めた。
「君には知らなければいけないことが幾つかある」
 その言葉を皮切りに、夜蛾先生は粛々と話し出したのであった。

 そもそも呪術師とは、呪いとは、そういった用語の定義にはじまった夜蛾先生の話は、語り部を五条くんへとうつし、私と私のバイオリンについて発展していった。
「結論を言うと、おまえは術式を持ってるってことと、おまえのバイオリンの中に呪霊が封印されてるってこと。その上で、俺が危惧してるのは、その中の呪霊がおまえのせいで、力をつけてるってこと。以上」
 はい、質問どーぞ。と五条くんは長い脚を気怠げに組み替えた。
 わけもわからないダークファンタジーみたいな話を矢継ぎ早にされて、私がなんとか理解できたことと言えば、わからないことがわからない、といったことくらいだ。
「何から聞いたらいいか、わかんないくらい、わかんないんだけど」
「馬鹿かよ」
 訂正。わからないことがわからないのと、五条くんの性格が悪いことを理解した、だ。私は摘むように、自分の眉間に手をあてる。疲れていた。放課後からの数時間で、まるで、知らぬ間に異世界トリップでもしたようだ。私は懐疑心と絶望感をのせて、ため息を吐く。
 プルルル、とコール音が聞こえた。
「すまない」と一言告げて、夜蛾先生が立ち上がり、部屋を出て行く。どうやら電話らしい。
「呪術師はさ、人手不足で忙しいんだよ」
 五条くんが夜蛾先生の背中を見送りながら言う。
「誰でもなれるものじゃない、でも、呪いはこうしてる今でも生まれてくる」
 私は視線をさげて、借りたスリッパを眺めた。大きめのそれは、親指に力を入れていないと、すぐに脱げてしまう。
「なあ」
 視界の端に、同じスリッパが入り込む。大きな足は、私と違って窮屈そうにスリッパの中に収まっている。
「おまえ、知ってただろ」
 五条くんは、他人事みたいに訊ねた。
「さあ、そうかも」
 私もまた、他人事みたいに答える。

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