神様の隣人 _ | ナノ

13

 その日は傑と夏祭りに行くの。と、私は五条くんからの食事の誘いを断った。
「何がどうなったら、そうなるんだよ」
 五条くんが、小さなスプーンをローテーブルに放りなげる。
「任務だよ。鎮魂祈祷と挨拶兼ねて毎年高専の生徒から人出してるんだって」
 シャーベットアイスに、スプーンを突き立てながら私は答えた。カンカンと突貫工事でもする心持ちでスプーンをアイスにぶつければ、キラキラと表面にのった氷の粒が弾けとんでいく。
「なんで傑? 俺オフなのに」
 五条くんがむくれる。
「傑が引率行くなんて、たいてい俺がいない時じゃん」
「いやだから、今回は神社の人とか、商工会とか行政の人への挨拶も兼ねてるんだって」
「それがなんだよ」
「それが全てでしょ」
 苦笑を私が漏らせば、五条くんは床に腰を下ろしたまま、ベッドに頭を預けるようにして天井を見上げた。
 五条くんの部屋で、ベッドを背もたれに床に並んで座り、アイスを二人で食べていたところである。すでにカップを空にした五条くんの隣で、私はまだ半分ほど残ったアイスを口に運んでいた。五条くんの部屋でお菓子をつまみながら隣り合う、というのが私たちの定番のデートであった。デートといっても、普段との違いといえば傑と硝子がいないだけだ。中学のときから場所をお爺ちゃんの工房から五条くんの部屋に移しただけともいえる。
「どこまで行くの」
 五条くんが身体を起こしながら聞いた。
「すぐそこだよ。コンビニのとこのバス停から乗ると、大きい神社通るじゃん。それ」
 ああ、あそこね。五条くんは呟くと、放ったスプーンを持ち直し、私のカップへと手を伸ばしてきた。あ、と私は慌てて五条くんからカップを遠ざける。
「でたな、アイス泥棒」
「こういうのは分け合った方がうまいんだよ」
 五条くんは、よっ、と勢いつけて、私が遠ざけたカップの中から器用にアイスを掬ってみせた。そのまま、落とすことなく私が叩きほぐした氷の塊をペロリと口の中におさめてしまう。前科数犯。手練れの動きである。私も毎度、取られまいと警戒しているのだが、今のところ防衛に失敗し続けている。
 一度くらい反撃してやろうと、五条くんのアイスを狙ったことがある。スプーンを五条くんのカップへと向けたとたん、五条くんは長い腕を真っ直ぐに上に伸ばし、カップを頭上へと持ち上げた。その時点でもう奪うことは出来なかっただろうに、私はムキになって腰を持ち上げた。立膝の姿勢でスプーンを五条くんのカップに向けると、五条くんはカップを持つ手とは反対の手で、するりと私のお尻を撫でた。いやっ! と叫んだ私は、尻餅をつくように床にお尻をつけた。ぺたんと座り込んだところで、五条くんはアイスをもとの位置に戻すと、ニヤニヤと見せつけるように悠然とアイスをスプーンで掬い、
「いる? 俺はどっちでもいいけど」
 と言ってのけた。以来私は、アイス争奪戦において防戦一方の形をとっている。まれに、善意で五条くんから差し出されるアイスも、断る始末である。

 バス停の前で待っていると、傑が来た。その後ろにはピタリと五条くんがくっついている。
「ごめん、まけなかった」
 傑は言って、五条くんのことを横目に見た。これから任務だと言うのに、傑の顔にはすでに若干の疲れが見えている。
 バス停の横手に植えられた背の高い木の陰が、余計に傑の顔色が悪くみせていた。
 十分程バスに乗り、そこから少し歩くと道沿いに露天があらわれはじめた。ソースの焦げる匂いや、ザラメの甘い匂いが入り混じって漂ってくる。歩きながら店を横目に覗いていれば、しだいに、道の両側を露天がぎっしり埋め並び、それに比例するように、人と人の距離も隙間を埋めるように密接していった。
「一ノ瀬」
 五条くんが手を伸ばした。緩く開かれた手の意図を察して、指先を寄せれば、強くも弱くもない力で握りこまれる。
「灯、ちゃんといる?」
 傑が振り返った。私からすれば人混みの中でも目立つ二人だが、傑から見ると、平均サイズの私は人波の中では視界から消えてしまうらしい。いるいる。と五条くんが答えながら、私の手を引いて歩いた。境内に近づくにつれ露天は減り、人の流れも少なくなっていった。本殿へと続く階段の下までくると、あたりは途端に薄暗くなり、人の気配が薄くなっている。
 そこで、五条くんと別れた。
 傑と並び、五条くんに手を振る。
「挨拶だけだから、一時間もしないと思うよ」
「じゃあ適当に俺、露店見てるわ」
 五条くんが、振り返って賑やかな方を眺めた。
「焼きそばとたこ焼き、買っておいて」
「あ、私も焼きそば食べたい」
「悟、悪いことしちゃダメだよ」
「しねぇよ、おまえじゃないんだから」
 五条くんは、後ろ手にひらりと手を振って歩いていく。

 形式だけの祈祷と挨拶は、傑の予想通り一時間もせずに終わった。
「鎮魂って、傑、何祈った」
「呪霊が湧く数が減りますように」
「あー、そう願えばよかったのか」
 なるほど。と私は感心する。
「灯は? 何を祈った」
「わかんなくて、とりあえず今年一年の皆んなの無事を願っておいた」
 そう言うと、傑は小さく頷いた。
「私もそうすればよかった」
「なら傑は、硝子に願いなよ」
 え、と傑が眉を上げる。
「よっぽど確実でしょ」
「こういうご利益は、灯は信じない?」
 眉の位置を戻して、傑が聞いた。どうかな、と私は首を捻る。
「どうかな。でもこんなこと言いつつ、助けて神様、って案外言っちゃうよね」
「灯らしいな」
「傑は言わない?」
「そうだね。無いかも」
 私たちは石造りの階段を降りていく。遠くに、オレンジ色の光が煌々と瞬いているのが見えた。
 階段の先を覗きこんでみても、目立つ白髪は見当たらない。五条くんはまだあの光の中にいるのだろうか。
「言えば、助けてくれるかもよ」
 ぽつりと私は呟く。
「灯は助けてもらったことがある?」
「あるよ。去年、学校で」
 おや、という表情を傑がみせた。私はそれにクスクスと笑う。
 呪いに関する記憶を、一度私が無くすこととなった経緯について。
 −ー五条くんを神様と例えた男がいたこと。その男と五条くん、そして私の祖父母の関係について。そういえば、五条くん以外に誰にも言ったことがないことを、私は階段を下りながらポツポツと傑に話していった。
「なら、悟が灯の神様だ」
 石造りの階段から離れた傑の足が、土を踏んだ。にこりと傑は微笑んでいる。
「前の話だけどね」
「今は違う?」
 傑が聞く。
「彼氏だもん」
 照れ臭くて、うつむきがちに私は答える。
「なるほど。それは道理だ。神も番ば夫に転じる」
 傑は、ふむ、と真面目に頷いた。
「夫じゃないけどね」
「そのうちなればいい」
 風が微かに吹いている。夏の熱をのせた、生温い風が頬を撫でて、通り過ぎていく。
「きっといい家族になる」
 家族か、と私が言うと、傑は何も言わずに眉を下げて微笑んだ。ぽんぽんと、数度撫でるように私の頭に傑の手が触れる。
「祝儀は、はずむよ」
 ふざけた調子で傑は言った。祝儀? と首を捻れば、結婚、引っ越し、出産、と言いながら傑が節ばった指を折り曲げていく。ありていな幸せを並べては指折る傑に、私は小さく首を横に振った。
「お金はいいから、もしそうなれたら、おめでとうって会いにきてね」
 風が微かに吹いた。夏特有の生温い風が頬を撫でて、通り越していく。
「新しい家で、一番最初に傑が赤ちゃん抱っこするの」
 傑と、目があった。暗い目の色は優しい。
「それは、緊張するね」
「大丈夫だよ、傑なら」
「そうかな」
「そうだよ」
 見つめ合ったまま、私達はたちすくんでいた。ここだけ、時間が止まっているような気さえしてきた。
 灯、と傑が呼んだ。うん、と私は頷く。
「おーい」
 私達の間を、茫洋とした声が通り抜けた。力の抜けた声は、私と傑の距離を離す。声の先に目を向ければ両手に重そうなビニール袋を下げた五条くんが、祭りの賑わいを背に歩いてきた。また随分と買い込んだな、と半分笑いながら傑が呟くのを聞きながら、私は五条くんのもとに、小走りで駆け寄った。

 帰りのバスは空いていた。コンビニの前の停留所で降りるなり、五条くんがアイスを所望する。あれだけ食べたのに、まだ入るというのか。
「デザートは別腹」
 五条くんは言うと、お腹を軽く叩いた。硬い筋肉で覆われた五条くんのお腹は、叩いたところで響くような音はしなかった。
「一ノ瀬は?」
「えー、どうしよう。お腹いっぱいなんだけど」
「残ったら俺食うよ」
「いいよ。全部食べさせてよ」
「食うんじゃん」
「食うよ。みたら、食べたくなるよ」
 五条くんと頭を並べながら、どれにする、と冷凍庫の中を覗きこむ。バニラとチョコチップのカップアイスに決まりかけたところで、傑は?  と五条くんが聞くと、傑は首を横に振った。
「私はいいよ。二人で買っておいで」
 私達の後ろを通り、雑誌のコーナーに行ってしまう。
「傑って、お父さんみたいだよね」
「あんなんが父親とか、世も末だろ」
「優しいお父さんになりそうじゃない?」
「全然」
「えー、そうかなあ」
「ないない」
 アイスが溶けないうちに帰ろうか、と言いながら、寮への道を三人で歩いた。知らず教室での席順と自然と同じ並びになる。
 五条くんの部屋の前で、傑と別れた。おやすみ。と声を掛け合い、先に傑が部屋の扉をあける。また明日ね。と私が言うと、傑は柔らかく笑って、
「幸せになってね」
 と私の頭を撫でて部屋に入っていった。
「何だあいつ?」
 五条くんが不思議そうに首を傾げる。
 変なの。という声は、やっぱり茫洋としていて、能天気なものだった。
 もうちょっと、真剣な声が出せないのか。と私は少しばかりムッとする。五条くんにしてみれば、何を突然、という話だろうけど。
 別に五条くんは何も悪くない。ただ、傑があんまりにも、優しく私の幸せを願ったものだから、私はどうしても考えてしまうのだ。
 果たして、五条くんは私との未来を思い描いてくれているのだろうかと。

「ないな」
 五条くんは、アイスの蓋を開けながら言った。
「結婚願望が無いっていうよりは、したくない」
 五条くんが続ける。
 よくもまあ、彼女を目の前にしてつけつけと言いのけるものだなと私は驚きと感心が半分、ダメージ半分を心に抱きながら聞いていた。
(仮にそうでも、ふつう誤魔化すとかないのかな)
 瞬間、沸々と苛立ちが湧き上がる。それからすぐに、
(まあ、五条くんだしな)
 という、諦めがやってくる。
 ふうん、そうなんだ。早口で言ってから、私はアイスを掬い始めた。チョコチップのアイスは好物なはずなのに、なんだか味がしない。
(聞かなきゃよかったな)
 飲みこみきれずに漏れたため息が、部屋にいやに響いてしまった。
 嫌だな。何が嫌って、勝手に期待して、勝手に落ち込んでいる自分が一番嫌だ。
「べつに、一ノ瀬が悪いって言ってんじゃねぇよ」
 そんな風に言いながら、五条くんが、居住まいを整える。
「いいよ別に、機嫌とんなくて」
「だーからあ、そうじゃなくって。聞けよ」
 五条くんが身を乗り出して言った。どうにか話を聞いてほしい、という様子である。
「なに」
 私は、出来るだけ感情をこめないように努めて、聞く。
「そのさ」
 五条くんが、言葉を探した。
「一ノ瀬が嫌なんじゃなくて、結婚が嫌だって言ってんの」
 なぜか五条くんの方が拗ねるような口ぶりだった。五条くんはそのままの口調で話を続ける。
「結婚したら、一ノ瀬も五条になるわけじゃん」
「うん」
「ムリ。考えただけで、嫌。絶対ムリ。吐きそう」
「なんでそんなに」
「御三家の女なんて、碌なもんじゃねぇよ。一夫一妻なんて表だけ。誰が強い術師を産むか、正妻、側室、妾も含めた女同士のドロドロ三昧。勝負に勝ったところで、胎盤としての役割が終わったら、また一からやり直し。だったら俺は、一ノ瀬には好きなところで自由に美味いもん食いながら、普通の人生生きててほしいよ」
 うげえ、と舌を出して五条くんは締め括った。私と言えば話の内容に圧されて、ぽかんと口を開いて五条くんを眺めるばかりであった。
「それに、結婚とか子供とか、俺向いてないと思うし」
 言うと、五条くんはアイスのカップとスプーンをそれぞれの手に握ったまま、ローテーブルに頭を沈ませていく。そのまましばらくすると、
「あーでもなあ」
 と呻き声をあげ、ローテーブルに顎を乗せ上目遣いに私を見つめるなり、
「やっぱ、一ノ瀬がしたいなら、したいかも」
 と言った。
「だから、俺以外とすんなよ」
 照れたように笑いながら、五条くんは言葉を継ぐ。
 五条くんって、ずるい。
 私は思う。
「もーらい」
 五条くんが私のカップにスプーンを差し込んだ。はっとした頃にはもう遅く、アイスは五条くんの口の中におさまった後だった。
 あーもう。
 むくれる私に、五条くんが顔をよせる。怒んなよ。とニヤけた顔が、目と鼻の先に近づくと、ちゅっ、とリップ音をたてて下唇に吸いついた。そのまま私の上に五条くんがのしかかる。私が諦めて、アイスのカップをフローリングへと置けば、満足そうに私をベッドへと持ち上げながら
「あー、しあわせ」
 と、五条くんが笑った。それをやっぱり、ずるいと私は思うのに、満更でもないものだから私はいつまでたっても五条くんに敵わないのだ。
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