神様の隣人 _ | ナノ

2

 金曜日になる頃には、五条くんが隣の席にいることにも慣れつつあった。あれ以来、五条くんはバイオリンについて何も言ってこない。しかし、だからといって、彼に困っていないわけでもなかった。
「バレンタイン、何くれるの?」
 は? 彼が何かいう度に、私の口はまるで決まり事のように怪訝に歪む。べつに嫌っているわけではないのだ。ただ、五条くんが何を言っているのか、私の頭ではすぐに処理ができないのである。
「え、いりますか?」
 敬語で質問を質問で返したのは、私たちの距離がそれくらい遠いことを現したかったからだ。
「え! くれないの?」
 さらに、五条くんは、質問でかえした。まるで、本当に驚いたとでも言うような顔をしている。
 絵に描いたような快晴の日。昼食後の、世界史の時間。ほとんどの生徒がエスカレーターで高校進学することが決まっている教室は、まるで揺り籠の中のような微睡みに包まれている。
(でも、確か五条くんは、別の高校に行くんだよな)
 女の子達の噂話を思い出す。
 彼と過ごす最後のバレンタイン。真っ直ぐに並んだ一列を乱す女の子は、どれくらい、いるのだろうか。
「べつに、五条くんなら、いっぱい貰うでしょ」
「うん、俺、甘いもん好きだからね」
 五条くんは少し的外れな回答をした。それに私が首を傾ければ、五条くんはニッ、と笑う。
「だから、ちょうだい」
 どうやら五条くんにとっては、バレンタインは恋愛的なイベントではなく、チョコレート入手イベントのようだ。お年玉みたいな感覚なのかもしれない。

 モテすぎるとこうなるのか。となんだか気の毒な気持ちになりながら、私は断りをいれる。
「は? なんで」
 五条くんが、ムッとする。少しだけ強められた語尾に、彼と会話していることが周りに見つかってしまうのではないかと、私は怯えた。
 一際小さい声で、私は五条くんに、声量を落とすように懇願する。ついでに、供物とばかりに、ブレザーの中にあったミルク味の飴玉を一つ献上した。
「チョコじゃねぇじゃん」
 五条くんは言いながら、受け取るなり封を開けて飴玉を口に放りこむ。それでもどこか不服そうな彼に、私は、
「私、バレンタインっていうか、来週からしばらく学校こないから」
 と言った。
「は? なんで」
 と五条くんはさっきと違った声色で聞き返してくる。それに、まあ、ちょっと。と曖昧に答えれば、五条くんはまた、みるみると不機嫌になっていく。
「そういう、中途半端に誤魔化されるの、気持ち悪いんだけど」
 隠すようなことなわけ? と刺々しい声を出す五条くんに私は、答えを躊躇ってしまう。べつに隠すようなことでは無かった。ただ、気にせずに口にするには、あの月曜日はまだ随分と近い過去であった。
「俺とお前が仲良いって広めてやろうか」
 五条くんはそう言うと、飴をガリガリと噛んだ。
「や、やめてよ」
「何その反応、俺に失礼すぎるでしょ」
「それは、その、ごめん」
「べつにいーけど」
 五条くんは、私のほうをむいて、肘をついた。向けられる非難めいた視線に、どうしていいか迷いながら、私は観念して口を開く。
「バイオリンのコンクールがあるから、休むの」
 バイオリンねえ。五条くんの視線が、机の横に置かれたバイオリンケースに移る。私はそれに、身を縮める。
「いつ」
「え?」
「本番」
「あ、えっと、14日」
 ふうん。五条くんが自分の顎を撫でる。
「じゃ、俺も休も」
 え? 私のあげた驚きの声が、微睡みの教室に、はっきりと響いた。


「てかさ、おまえって上手いの」
 あの後、なんとも言えない女の子達からの視線を振り切って、六限とホームルームを乗り切り、号令とともに小走りに講堂へと逃げ込めば、真後ろから聞こえた「へえ、ここで練習やってんだ」という五条くんの声に、私は驚き、腰を抜かしかけた。
 へたり込む私に、何やってんの? と声をかけて五条くんは客席最前列の真ん中に腰をかけるなり、先の質問を私に投げかけたのである。
「上手い、って自分でいうものじゃなくない?」
 私は五条くんに、言い返す。自分で上手いと謙遜なく言えるような図々しさは持ち合わせていなかった。だけど、別に自分を下手だとも思っていない。そりゃ、上には上が腐るほどいたが、少なくとも、特待生と呼ばれるほどには成果を出していた。けれど。
「てことは、下手くそなんじゃん」
 五条くんは、椅子の背もたれに踏ん反り返りながら言った。ほんとに上手けりゃ上手いって言えるだろ。と偉そうに続ける。
「音楽の好みなんて、人それぞれじゃん」
 私は、少しむくれる。
「じゃあ何でコンクールなんて出んだよ」
 競うためだろ、あんなの。と五条くんは知ったような口をきく。
「名前を売るためだよ」
「自分が上手いって、言い切れない実力で名前売って何になるわけ。第一、上手けりゃ、売らないでも売れるだろ」
「五条くんはさ、何か音楽をやってて言ってるの?」
「逆に聞くけど、俺がクラッシックなんて懐古的なものに興味あるように見えんの?」
「お金持ちのお坊ちゃんなら、教養の一つにあってもよろしんじゃないですか」
「一般庶民の妄想押し付けるのやめてくんない? ウザいから」
「押しつけてきてるのは、そっちじゃん」
「あ゛?」
「突然絡んできては、人のバイオリンせびったり、断られたらおまえ死ぬとかさ……おぼっちゃまの駄々に付き合ってる暇なんか無いだけど!」
 勢いのままいえば、叫ぶように出た声が講堂の中に、もわん、と反響した。はあ、と息を荒げる私に対し、五条くんの表情からは感情が読み取れない。ただでさえ冷たい色合いの彼の冷め切った目線に、真冬だというのに、冷えた汗が背を伝った。
「ごめんなさい、でも」
 咄嗟にでた、謝罪の言葉は遮られる。
「おまえが死ぬのは、本当だよ」
 五条くんは、席を立つなり、靴音を立てて壇上へと昇ってくる。
「え?」
 ゆっくりと近づいてくる彼に、私は、一歩づつ後退りする。足元が覚束なかった。膝がガクガクと震えていたのだ。
「雑魚と思ってほっといたけどさ、そろそろ、野放しにはできないんだよね」
 よっ、と、大きく踏み込まれた足は、一瞬で私たちの距離を詰めてしまう。
 背の高さだけではない圧におされて、私はへなへなとステージに膝をついた。息がうまく出来ない。興奮した犬のように、は、は、と繰り返される荒い呼吸が私を酷く苦しめる。怖い。ぺたんと、スカート越しにお尻にふれた床の硬さを感じる余裕すらないままに、私は弓を掴んだままの手で胸を押さえこんだ。
「もっかい聞くけど、そのバイオリン俺にくれない?」
 五条くんが私にむけて手を伸ばす。額に、何かが触れた感触を最後に、私は意識を失った。

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