神様の隣人 _ | ナノ

9

「傑になんか言われたの」
 五条くんが難しい顔でそう言ったのは、みんなで夕食を済ませたあとだった。
 今日の夕食は四月から入ってきた一年生も二人いて、六人で卓を囲む賑やかな時間だった。その間は五条くんも難しい顔を潜めて、いつも通りに、少し意地悪な笑みを浮かべて傑や一年生と話していたように思う。後片付けに励む後輩を手伝う私を、五条くんは共有スペースから連れ出すなり、足早に廊下を進んだ。腕を引かれる私の足は小走りだ。
「なんかって、何」
 私が聞いても、五条くんは何も返さなかった。
「開けて」
 ようやく足を止めると、私の部屋の前で五条くんはコツンと指の節で扉を叩いた。
 戸惑いながら、私は扉を開ける。
 するりと部屋に入り込んだ五条くんは、そのまま真っ直ぐに私のベッドの上に乗り上がると、だらりとうつ伏せに寝転がった。
「ね、どうかしたの」
 フローリングに膝をつけた私は、立膝の姿勢で寝そべる五条くんの顔を覗いた。
 五条くんは首だけをひねって私の方を向く。
「瀬戸梢」
 無機物を呼ぶみたいに五条くんが言うので、私は一瞬それが梢のことだとわからなかった。
「どこがいいの?」
 五条くんが続ける。
「あいつ、雑魚じゃん」
 そりゃ勘はいいかもだし、実際俺より先におまえが危なかったとき気づいたけどさ。
 五条くんはぶつぶつと話した。
 それでもあの日、私を助けたのは五条くんと傑であり、腕を治したのは硝子であること。勘がいいだけで、見えない人間なことには変わらないこと。
「あの件のことを感謝はしてるよ、窓にしたら役立つって思ったのも本当」
 でも、わからないのだと五条くんは言う。
 それだけの存在が、なんで私にとって未だ影響を及ぼすのかが、理解できないのだと。
「友達なら、傑と硝子がいるじゃん。おまえはもう、見えない奴に無理して合わせる必要なんか無いわけ」
「私、梢といるときに無理したことなんて無いよ」
「じゃあ、おまえ、本気で非術師のためとか言ってんの」
 五条くんは続ける。
「どうせ傑に、なんか綺麗事言われたんだろ」
「傑は」
 私の言葉は、五条くんにかき消される。
「とんだ影響力だな、なに? できてんの?」
「まってよ、めちゃくちゃだよ」
「めちゃくちゃなのは、おまえだよ。なんでそんな簡単に変わんの?」
「簡単って」
 私は、五条くんの言葉を繰り返す。そんな言い方をしないでほしかった。
(私にとっては、人生まるごと変わったようなものなのに)
 繰り返した言葉は、随分ととんがった声になってしまった。
「なんで一ノ瀬が怒んの」
「怒っては、ないけど」
「怒りたいのは俺なんだけど」
 整った眉を五条くんが中央にきつく寄せる。
「おまえは、俺だけ信じてればいいんだよ」
 五条くんは、指先を動かして敷かれていた私のリネンのケットを握った。
「信じてるよ」
 五条くんはじっとしている。警戒しているのだ。
(借りてきた猫みたい)(この人、まるで私を信じていないんだな)
 そう思って落胆する。それが自分の蒔いたタネであることを、私はすっかり忘れている。

 しばらく互いにだんまりを続けていた。
 静寂に耳鳴りがする。
 先に動いたのは五条くんだ。うつ伏せの姿勢のまま、手を伸ばすと私の頭に触れた。頭の形を確かめるように撫でられる。
 こんなときですら、きゅうと胸の奥が鳴るのだなと、私は自嘲めいた気持ちになる。
(自覚した途端これだもんな)
 改めて自分の感情を認識する。
(こんなに好きだったんだ)
 未だ難しい顔をしている五条くんから、私はそっと目元を隠すサングラスを外した。
 一度五条くんの目が伏せられ、すぐに開く。
 五条くんは何も言わなかった。
(いつまで拗ねてる気なんだろう)
 子供みたい、と私は心の中でため息をつく。
 私は別に、こうして頭を撫でて貰ってるだけでもいいけど? そんな風に考えてもみるけれど、すぐにまた、ため息が溢れてくる。
 傑の前では、機嫌良かったくせに。

 五条くんは、傑の言葉に私が簡単に影響された。と言ったようなことを口にする割に、決して傑に対して苛立ったりはしない。
 傑の綺麗事をとやかく言っては喧嘩をするくせにだ。
「ここ、置いておくね」
 畳んだサングラスをベッドボードに置きながら言うと、五条くんは頷いた。
「無い方がいい?」
「いや、当たって痛いかなって思って」
「うん」
 五条くんの目が、また伏し目がちになる。
(いいなあ)
 長い睫毛に、もう一度傑のベッドで思ったことを浮かべた。
「五条くんはさ、傑のことどう思う?」
「どうって? 親友」
 五条くんははっきりと答えた。
 親友という言葉を五条くんも傑も互いに臆することなく使う。
「なんで、親友と私が何かあるなんて思うの?」
 私は訊ねた。
「なんで」
 五条くんが聞き返す。
「うん。だって、傑だよ?」
「傑はなんもなくても、一ノ瀬がどう思うかはわかんねぇじゃん」
 ん? と私は引っ掛かりを覚える。
 隠すもののなくなった五条くんの顔をぬすみ見れば、そこには、なんの含みもない純粋な表情だけがあった。
(本気で言ってるんだ、この人。しかも、傑のことだけは信じてるって、私に平気で言うんだ)
 ははっ。乾いた笑いが漏れた。
(なんだこれ。何が起きてるんだ)
 五条くんは、むっつりとした顔のまま、ゆっくりと起き上がった。ベッドの上で胡座をかくと、ぺたんとフローリングに腰をおろした私を見下ろした。
「何が面白いんだよ」
(なんも面白くないよ、バカ)

 何が、悟が可哀想だ、だ。
 私の方がよっぽど可哀想ではないか。
 突然寄ってきて、好きだなんて言った挙句告白を断った私に全部寄越せという横暴を、そういうものなのだと受け止めてきたのに。
 この世界に馴染めない自分を、なんとかしようと、傑や硝子の時間をとってまで努力してきたのに。
 傑はなんもなくても?
 突然おまえ死ぬよと言ってきた男を。
 気絶させられて、知らない場所に運んだ男を。
 一歩間違えれば、関わるだけで、学園中から白い目で見られかかなかった男を。
 神様だと崇めた男を。
 それでも、好きだという私を信じられないというのか。
「嘘でしょう」
 がっくしと私はベッドに突っ伏した。
「なんで、傑はよくて私はだめなの」
 我ながら萎びれた声であった。
「二人が仲良いのはわかってるし、五条くんが傑のことどれだけ良いやつって思ってようが別にいいけどさ」
 我慢しようと思えば思うけどに、声が震えてくる。鼻の奥がツンとして痛みを覚えた。顔は絶対にあげたくない。
「なんでそれで、私の好きがどこかにいっちゃうの?」
 伏せたベッドが、僅かに揺れた。
「どうして私の気持ちは、信じてくれないの」

 がしり、と脇のしたに手が回った感触がした。犬や猫を持ち上げるみたいに胴にまわさせた手が、床にへたりこむ私を持ち上げる。
 唐突なことに驚いて唖然としていれば、胡座をかく五条くんの脚の上に向かい合うように座らせられた。
 距離の近さにおののき、後ろに下がろうとすれば片腕を腰に回され身動ぎを封じられる。目の前には、形容し難い表情をした五条くんの顔があった。
「なんだよそれ」
 むっつりとした声で五条くんが言う。
 なあ。
 五条くんが急かすように間を詰める。
「なんだって言ってんだよ」
「なにが」
「何がじゃねえよ、好きってなに? 誰が? 誰を? ちゃんと言えよ」
「そんなの、今更」
「今更なんだよ、俺なんも聞いてないんだけど」
 あ゛? ドスをきかせる五条くんの声にビクリと肩がはねる。そして私は、そこでようやく、自分のミスを思い出したのであった。
「あ、ごめん……なさい」
「いいから、早くちゃんと言えよ」
 五条くんが苛立ちを隠さずに言う。
(この空気で?)
 タイミングに悩んでいたのを後悔した。せめてもう少し、告白に適したときがあっただろうに。
 ちらりとぬすみ見るつもりで五条くんの顔を窺えば、ばっちりと目があった。ひっ、と息を吸いながら、私はその表情に逃げられないことを悟る。
「五条くんが、好き、です」
「それは、どういうやつ?」
「どうって、その」
「先言っとくけど、俺もう一回神様どうこう言われたら、許す気無いからな」
「ちがっ、違う! そうじゃなくて、手」
「手?」
 五条くんの眉間に皺が寄る。
「手……繋ぎたい、とかの、ほう」
 言えば、はああ、と深い息を吐きながら五条くんが私の首筋に顔を埋めた。そのまま首筋にキスが落ちる。腰に回された腕にぐっと力が入ったのを感じた。隙間なく寄せられた身体に、またしても胸の奥がきゅうとなる。
「彼氏でいいんだよな。俺」
 テキパキとした口調で五条くんが言う。
「うん」
 私は素直に頷く。五条くんに応えるように、私は五条くんの首筋に腕を絡めた。
「五条くん、好き」
 声に出せば、どうしようもなく触れたくなって、すぐそばにある耳元に口付ける。
 ぶるりと五条くんの身体が震えた。 
「ごめん?」
「いや……違う」
 珍しく歯切れの悪い口調で言うと、ふう、と五条くんが吐いた。さっきのため息とは全く違う、細く長いものだった。

「ていうか、いつから?」
 五条くんが訊く。
「いつっていうか、去年一年かけて、ジワジワと自覚したというか、なんというか」
「どんだけ時間かかんだよ」
 五条くんが言う。
「一ノ瀬家、相伝なもので」
「は?」
「なんでもないです。すみません」
 早口に私は謝る。
「一年も待っててくれてありがとう」
 私がそう呟けば
「四年だよ、バーカ」
 と五条くんは訂正した。
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