神様の隣人 _ | ナノ

6

 放課後、五条くんは不機嫌になる。
「俺のなんだけど」
 そう言って、傑が座る椅子の背もたれに手をかけて、ガタガタと揺らそうとしている。
「悪いが話し中なんだ。教室にまだ用があるなら、私の席をつかうといい」
 五条くんが帰ってきて、それから夏休みが過ぎ去っても、私の放課後は傑との時間だった。
 勉強会と銘打ったそこでの話題は、呪術界のこと以外にも、授業でやった体術のことや術式に関する傑からのアドバイスだったり、昨日みたテレビのことや、今日の晩御飯のことまで多岐にわたっている。
 五条くん曰く、無駄話であるその会話は、それでも確かに私にとって影響のある時間であった。
「人が任務行ってる間に、何はじめてんだよ」
「悟が何も教えないからだろう」
「俺は教師じゃないの。いいから早く終わらせろよ」
 五条くんはまた、ガタガタと傑の椅子を揺らした。
 私に灯を取られた気がして、面白くないんだよ。
 傑は五条くんの不機嫌な理由をそう述べたが、私はそれは全くの逆で、五条くんは私に傑が取られた気がして、ヘソを曲げているのだと思っている。
 不貞腐れた五条くんが、席を外した隙にこっそりと私はそのことを傑に伝えてみた。
「中学のときは、あんな感じじゃなかったもん」
 ツンケンとした五条くんを思い出す。
 本当に高専にきて、五条くんは感情というものをよく現すようになったと思う。
「高校デビュー?」
 傑は面白そうに聞いた。私はそれに笑いながら首を横に振る。
「どっちかっていうと、逆な気がする」
「逆?」
「五条くん、学園の女の子みんなの王子様だったから」
 たっぷり数秒間、傑の動きが止まった。突然異空間に投げ出されてしまったみたいな、ぽかんとしか顔をしている。やがて、小さく「王子」と呟くと、途端に大きな口を開けて笑いはじめた。
「そんなに笑う?」
「あまりに、想像がつかなくて」
 硝子が聞いたら、吐くんじゃないか? と傑は言った。
 そこまでかな。と私は首を傾げる。
「見た目がいいのは認めるけど、中身が伴わないだろう」
「高専くるまで、あんな弾けたふざけ方する人じゃなかったんだよ」
「それなら……いや、無いな」
 クツクツと傑はまだ肩を揺らしている。笑い事じゃなかったんだよ。と私はあの殺伐とした空気を思い返す。
「みんな、五条くんのことを眺めてた」
「そんなにモテたんだ」
「モテるってのも、もしかしたら違うのかも。本当に見てるだけだったから」
 近づくことなんて許されていなかった。そう傑に続けるのはなんだか違う気がして私はお腹の奥に言葉を飲み込んだ。
「でも、傑だってモテたでしょ」
「まさか」
 傑は柔らかく笑って言った。私はぜんぜん。という伏目がちな顔は五条くんとはまた違った綺麗さがある。嘘だな。私は思う。たぶん「見てるだけ」じゃなくて、五条くんの言葉を借りるなら「グイグイくる人」が多かっただろうタイプのモテ方をしている筈だと、私は予想していた。
「まだ話てんの?」
 五条くんがいつのまにか、私と傑の後ろに立っていた。存在感の割に五条くんは気配を消すのがうまい。
「おや、王子」
 傑が言う。
「あ゛?」
 五条くんが、ドスの利いた声で威嚇した。目線は傑でなく、真っ直ぐ私にきている。
「す、傑が、中学のときモテただろうな、って話」
 ドモリながら私は言った。
「はあ? 勉強関係ねぇじゃん」
 と五条くんは、顔を顰める。それから、じっとりとした目で傑と私を交互に見やると
「……塩顔」
 と苦々しく呟いた。
 五条くんの様子に私と傑は顔を見合わせて、首を傾げる。五条くんは、ひとつ大きな舌打ちをした。

「それは新手の惚気?」
 もくもくと硝子は手を動かしながら、言った。視線は実験室にあるゲージに向けられている。何やってんの。と聞けば、硝子は床がえ。と言っていた。私は隣に座って、その様子をぼんやりと眺めていた。糞の匂いが臭い。
 今日の勉強会は、傑が任務に出ているため休会となった。夏にあった任務を境に、二人して正式な一級術師となった彼らは、東へ西へと呪霊退治に忙しいようである。
「惚気ってどういうこと」
 私は別のゲージに移された二匹のネズミを覗きながら聞いた。
「五条に、夏油といるとこ見られて妬かれてるって話じゃないの」
 その認識は違うということは、すでに傑にも話している通りだった。同じことを私は硝子にも述べる。
 硝子は、はあ、と溜息をつき横目に私をチラリと見た。思いの外強い視線に、私は居住まいを正す。
「どっちか一つが正解じゃないといけない話じゃないだろ」
 硝子は空になったゲージを磨いていく。
「というと?」
「夏油と灯、両方一気に無くした気がしてんじゃないの?」
「……五条くんに怒られるようなことは、なんもないよ?」
「聞いてないし」
 硝子は席を立つと、ゲージを持って棚に閉まった。それから、私の眺めていたネズミの入ったゲージも持ち上げる。
「その子たちって、夫婦なの?」
「どっちかっていうとセフレ? 今日会ったばかりだけど、これから交尾して子をなすだけの関係」
「子作りまでするのに……」
「灯はしてんの?」
 あけすけに硝子が聞くので驚いた。口を丸く開けて、私は硝子をみる。何いってんの。と言う顔は引き攣っていたかもしれない。
「しないよ!」
「ふーん? 何で?」
「何でって、五条くんとは、そういうのは無くて」
 こんな時に限って、触発されるように以前見た如何わしい夢が脳裏に浮かんだ。
 じっと見てくる硝子に、私は気づかれてしまうのではないかと、たじろぐ。
「五条とは言ってないけど」
 さっぱりと硝子が言う。
 そんなのは揚げ足にもならない。私に、他にそんな相手なんているわけないのだ。
「いるわけないって、言い切れちゃうのに保留ってどうなの?」
 硝子は笑いながら言った。
「便利な関係もいいけど、そろそろ夏油といるのやめるか、五条振るかしとかないと、後々面倒になるんじゃない?」
 硝子はゲージを戻すと、今度はゴミ袋の封を固結びに締めた。これで終わり。という硝子の姿を私はじっと観察する。その本意を覗くように。
「なに?」
 即座に私の視線は硝子に見つかった。訝しむような目に、私のほうが心の内を覗かれているような気がして、とっさに身構えた。
(勘が鈍ったな)
 あの学園にいた頃は、常に張り巡らせていたレーダーのようなものが、硝子相手だと全く役に立ちそうになかった。
「言いたいことあんなら、言ってくれる? ジメジメしたの面倒なんだよね」
 硝子は言った。真顔で見つめる顔は綺麗で、それが妙に怖い。
「それは、硝子が五条くんか傑を好きだから、そう言うこと言ってたりする?」
 なぜ素直に馬鹿正直に聞いたのか。特に理由はなかったけれど、聞かなきゃよかったと、硝子の顔をみて後悔した。
 あ? と硝子が低く唸る。
 その顔はさっきよりよっぽど怖い顔をしていた。
「ありえねー」
 殺すぞ。と五条くんな続きそうな面持ちで、しかし硝子は何も言わずに舌打ちをうった。びくり、と私の肩がはねる。あいつらといるくせに、こんくらいでびびんなよ。硝子は言う。硝子の方がよっぽど怖いよ。とは馬鹿正直な私が腹に収めた秘密の言。
「べつに私は、灯がどっちと付き合ってもいいし、どっちとも付き合ったっていいんだけど」
 硝子は渋い顔で続ける。
「一応聞くけど、もし私が五条が好きとか、寝てるって言ったら灯どうしたわけ?」

 その一瞬、私はひゅっ、とみぞおちあたりに高い所から突き落とされたような空白を感じた。
(えっと、これは、なに?)
 硝子はアルコールでテーブルを拭きあげている。自分の言葉が、ダメージを与えているとは思っていないのかもしれない。
 呆然とする私に、硝子は手を止めずに目線だけよこすと、ははっ、と愉快そうに笑ってみせた。
(何が、楽しいの?)
 もやもやとした気持ちが、身体中を駆け巡る。
「例えに決まってんじゃん」
 マジにとるな、灯は素直すぎるよ。硝子はそう言葉を付け足した。私はそこでようやく、「そう、だよね」と声を震わせた。
 ばったりと倒れ伏したい気分だった。もしくは、胸ぐらに掴みかかりたいような気持ちでもあった。
「それで、答えは?」
 硝子が聞く。
「好きなのはべつにいい」
 みんなそうだったから。五条くんを好きな人がいる。それは私にしてみれば最早常識で、当たり前のことだった。でも。
「寝てるは、きついなあ」
 肩を落としながら、しおしおと言えば、硝子は私の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「五条だってただの男なんだから、そこ放置してるなら、そう遠くないうちに限界くるんじゃないの?」
「それは、他の女の子?」
 硝子の問いに、私は口ごもりつつも聞き返す。
「それもあるけど。正直なとこ私の懸念は、灯が五条に無理矢理されることなんだけど」
 硝子は言った。自分が乱した私の髪を整えながら難しい顔をしている。ネズミの糞をみるときですら、もう少し優しい顔をしていたはずだ。
「あー」
 私は、例の夢を思い出していた五条くんに何か実際にされたことはない。未遂はあるが、あれ以降は全くだ。なにより、私はあの夢で五条くんを受け入れていたのだ。
 それが夢だから、と私はきっと言い切れない。
「……五条くんは、そんなことしないと思う」
「あのさ、もしかして、灯の方が限界だったりする?」
 硝子が言う。
「夏油に妬いてんのは、灯だったりして」
 まさか。私は言う。
 硝子ならともかく傑はないよ、と私は笑った。それに応えるように硝子も微笑みを浮かべて、私の髪を撫でるように梳いてくれた。
 硝子と一緒に実験室を出て寮に戻る。またあとでね。と別れを告げて、私たちは各々の部屋へとはいった。
 自室の扉に背を預け、私は掌で顔を覆った。私の掌の内側にはくっきりと、私が私に刻みつけた爪のあとが残っていた。
 もしこれが限界だというのなら、この先に溢れる感情をいったい何と呼べばいいのか。
 傑、と私は一度だけ呟いたが、当たり前にその声が誰かに届くことはなかった。
 どうしてか、みぞおちあたりが、空っぽになった気分でヒュッとする。
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