神様の隣人 _ | ナノ

3

 お爺ちゃんの工房に、五条くんと来ている。
 私が試奏室でバイオリンを弾いていれば、工房から五条くんに呼ばれた。
 どうしたの? と近寄れば、五条くんに腕を強く引かれ、いつかのように、大きな作業台へと押し倒された。
 そのまま五条くんが、顔を寄せてくる。
 私はされるがままに唇を受け入れていた。何度か触れるだけのキスが落とされる。やがて、五条くんの手が私の脚をなぞるように動いた。驚いて、私は「まって」と脚を暴れさせる。
 それでも五条くんの手は止まらなかった。
 ギラギラと血走る五条くんの目が怖くて、私は強く目を瞑る。
 私はそのまま五条くんに、強く、乱暴な手つきで抱かれた。

 雨音がして、瞼を開く。
 すぐ側に、目を閉じた五条くんがいる。一定のリズムで、すうすうと穏やかな呼吸の音を立てている。
(睫毛、長いな)
 特徴的な白い睫毛を、私はぼんやりと眺める。
(いいなあ)
 うらやましい、まではいかないくらいの気持ちで、私は長い睫毛を見つめる。憧れはするけど、じゃあ五条くんと取り替えっこして、私が白くふさふさの睫毛になりたいか、と言われたら、それは少し違う気がした。
 いいなあ。
 私の五条くんへの感情は、いつもそれくらいの距離にある。
「見過ぎ」
 含み笑いが突然聞こえて、驚いた。
「もう少し、寝かせてあげて」
 五条くんから目を逸らし、天井を仰ぐように視線をうつせば、寝そべる私たちを見下ろす傑と目があった。
「……なんで、いるの」
「ここ、私の部屋」
 覚えてない? と傑は困ったように笑う。
 傑の? 訊ねようと出した声は、掠れて上手く出なかった。ぼんやりとした頭のままで、辺りを見渡す。確かにそこはお爺ちゃんの工房ではなく、寮の一室だった。どうやら五条くんと私は傑のベッドを借りて眠りこけていたようである。
 上体を起こして、ローテーブルに並べられた缶と瓶、それから、スナック菓子の残骸を見つめるうちに、正方形のテーブルで、私と向かい合うように座った傑の姿をかすかに思い出した。
 傑は水色の透明な瓶を持っていた。手酌で、自分のお猪口に注ぐと、瓶をテーブルの上に置き、五分もたたない間に今度は硝子の手が瓶に伸びる。それを交互に傑と硝子が繰り返すのを私は眺めていた。瓶の中身を分け合いながらニコニコとしている傑と硝子を、なんだか、羨ましく思いながら。
 それからどうしたっけ。私は記憶を思い返す。
 しばらく興味津々に私は二人を見つめていたはずだ。それから、そうだ。たしか硝子がそんな私をみて笑って
「はい、灯の」
 と私にすいとお猪口を差し出したのだ。今まで私もその輪に入っていたかのように、自然に硝子は、すいと渡した。
「んん」
 ひと舐めして、かあっと喉がやける感覚に、私は顔を顰めた。
「あはは」
 大人みたいな笑い方で、硝子と傑が笑う。
「灯には早かったかな」
 傑がそんな風に言うと、私の右隣に座っていた五条くんが
「だっせ」
 と、オレンジジュースの入ったグラスを口に運びながら言った。
 これなら飲みやすいよ。そう言いながら、傑はカラフルな缶を差し出してきた。こっちもいけるんじゃない。硝子もフルーツの絵が書かれた瓶を渡してきた。
 結局その夜、私は何種類ものお酒を傑と硝子に注がれたのだ。赤のサングリアまでは、思い出せた。

「あああ」
 低く唸れば、傑が笑った。
「ごめんね、灯のリアクションが可愛くて飲ませ過ぎた。硝子が水買ってきてくれてるから、ちょっと待ってて」
 傑はそう説明すると、テーブルの上の空き缶を片付け始めた。
「手伝うよ」
「大丈夫、悟が邪魔かもしれないけど、休んでて」
 悟。という言葉に、どきりとする。
 昨日の晩の記憶よりも鮮明な五条くんの熱を帯びた眼差しは、私の中で火種となって、頬をかっと、熱く火照らせる。
「灯?」
 傑の声に、咄嗟に私はうつむき、頬を隠すように両手をあてた。
「具合悪い?」
「ううん、大丈夫」
「本当に?」
 覗きこむように、近づいてくる傑から逃れるように、私はますます俯いた。そうすると今度は眠る五条くんが私の視界を埋めてくる。
(ああもう)(なんで、あんな夢)
 騒がしいものがあった。パタパタと雨が窓を叩いている。雨足は強い。五条くんの白い睫毛が震えた。白の隙間から晴れた空の色が覗く。
 一ノ瀬。五条くんの唇が動いて言ったような気がしたが、実際に声に出したのは次に唇を動かしたときで。
「傑?」
 掠れた声で五条くんが呼んだ。
「悟おはよう。覚えているかい? ウーロンハイ間違えて飲んで寝たの」
 私に覚えてない? と聞いたときと同じ声色で傑は五条くんに話かける。五条くんは寝そべったまま傑と私の顔をいったりきたりさせている。
 そういえば、五条くんは下戸と硝子が言っていた。五条くんも私のように、記憶が朧げなのかもしれない。
 傑。と五条くんがもう一度名前を呼んだ。今度は訊ねるような響きではなく、呼びかけるような声だった。
「なんだい」
 柔らかく傑が答える。
「一ノ瀬に、なんかした?」
 え、と、予想外の問いかけに私は声を漏らした。五条くんは、私の方を一瞥すると
「なんか、キスした後みたいな顔してる」
 と寝ぼけた口調で、茫洋と話した。

「してない!」
 叫びながら、私は頬に当てていた両手を、勢いまかせに五条くんに振り落とした。ペシンと乾いた音をたてて、五条くんの小さな顔が私の両手に覆い隠される。
「痛っ」
 手の下から、くぐもった声が聞こえてくるが、そんなこと知ったことではない。
(なに言ってんのこの人!)
 さっき以上に羞恥で熱くなる頬は、合わせて私の視界までぼやけさせてくる。
 五条くんが、私の手首を掴んで顔から手を引き離した。
「してんじゃん、何、傑としたの?」
「だから! してないってば」
「何もなくて、おまえ、そんな顔してんの?」
「うるさい! 五条くん、やだ! 離して」
 いつの間にか、私のほうが捕まっているみたいな状況に私は腕を振りほどこうと暴れさせる。
「悟、何もないから、やめてあげな」
 傑が、私の手首を掴む五条くんの手に自分の手を重ね、ゆっくりと指を解いてくれようとした。
「親友の彼女に手を出すようなことを、私はしないよ」
 傑が笑った。笑い顔は見えなかったが、笑ったような気配がしたのだ。
「彼女じゃないし」
 離された手首を、庇うようにさすって私は言うと、傑がこちらを一瞥した。おや、とでもいうような表情である。
「そうなの?」
 傑が五条くんに向き直り、聞く。
「……保留中」
 五条くんがむっつりと答える。
 保留中。傑は五条くんの言葉を繰り返した。
「それは」
 と難しい顔をした傑に被せるように、
「いいね、便利な言葉だ」
 と言ったのは、いつの間に戻ってきていた硝子だった。

 傑の部屋を出て、硝子の隣に並んだ。手の中の水は、まだほとんど残っている。じゃあな、と五条くんが隣の部屋に入っていく。
「あ、そうだ一ノ瀬」
 一度閉じたドアを開けて、五条くんが廊下に顔を覗かせた。先戻るよ、という硝子に頷いて、私はちょっと警戒しながら五条くんの方へ振り向いた。
「なに?」
「爺ちゃんの店、いつ行く?」
 うえ?! と私の声が裏返った。五条くんがぽかんとこちらを見てくる。
「何?」
 怪訝そうに五条くんが、聞いた。
「いや、な、んでもない。てか、何で?」
 私が聞き返すと、五条くんは眉間に皺を寄せるようにして
「おまえが行きたいって、昨日言ったんだろ」
 と怒る。
「そうだっけ」
「ふざけんなよ、酔っ払い」
「……ごめん」
「べつにいーけど。俺、しばらく海外だから」
 海外? 驚いて聞き返すと、そう。一ヶ月くらい、と五条くんは答えた。そうなんだ。答えながら、私は自分の任務のことを思った。私の任務の引率は、ほとんどが五条くんだったからだ。気をつけてね。と言うと五条くんは、頷いた。
「お土産買ってきてやるよ」
「ほんと? やった」
「リクエストは?」
「え? んー、なんだろ。美味しいもの」
「酒は?」
「あと五年はいらない」
 どちらともなく小さく笑う。ふう、と一息ついて五条くんが
「傑と、何もないの?」
 確かめるように、聞いた。
「だから、何もないって」
「ならなんで、あんな顔してたんだよ」
「五条くんのせいだよ」
 は? と五条くんが顔を顰める。
「嘘。内緒。ていうか、なんでもない」
 たたみかけるように言って、じゃあね、と私は自室の方へと体を向け直した。
 ぶつぶつと五条くんが言っている。すぐに扉がパタンと閉まる音が聞こえた。いつもよりゆっくりと、私は歩きながら自室へと向かう。頬がまた熱くなってきているのがわかった。
見なかったことにするには、あまりにあの夢は鮮烈だったのだ。
はあ、とこぼした溜め息はやたらと重く響いた。廊下は静かで、雨の音だけが聞こえてくる。
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