神様の隣人 _ | ナノ

17

どうしてピアノを弾いていたのだろう。
 私はまた同じ疑問を浮かべながら、五条くんの弾くピアノを聴いていた。
 祖父母との間に何があったのだろう。
 とも、また思う。
 先程よりも、強く。
 私は試奏室の端に追いやられていた段ボールから一冊の楽譜をとり、開いた。
 この曲の良さがわからない。
 五条くんはそう言ったが、それも仕方ないことだと思った。
 この曲はピアノ曲ではないのだ。
 ヴァイオリン・ソナタ第一番 ト長調作品78「雨の歌」第一楽章
 祖父が一番好きだった曲だ。
 よく、祖母とこの試奏室で弾いたものだと、祖父は照れ臭そうに笑いながら、晩年もここで一人で弾き続けていた。
 奏者ではない祖父のバイオリンは、決して上手とは言えなかったけれど。
「そのまま、弾いてて」
 バイオリンを構えて、音を鳴らす。
 五条くんの指が一瞬とまって、また、動き始める。相変わらず上手いな、この人。
 幼い五条くんが、ピアノを習っているところを想像して少し笑った。
 全く、初めてピアノを弾く男の子への選曲が、伴奏だなんて、本当に変な男だ。それで弾けちゃう五条くんも、五条くんだけど。
(僕たちの国の神様、という言葉に納得してしまうのは、私がもう五条くん達の国にいるからなのかな)
 バイオリンを弾きながら、私は思っている。
「五条くん、お願いがあるんですけど」
 弾き終えてすぐに、私が五条くんに言った言葉だ。
「何だよ、あらたまって」
 五条くんの目が私を隅々まで観察するように動いた。
「私を、呪術高専に入れてもらえないかな」

「一応聞くけど、なんで」
「もうそっち側かなって、思って」
 自分で言って、少し違和感がまだ残った。はっきりと言い切れない程には、結局私は、未だわからないことばかりなのだ。
 自分の感情も、術式も。
 五年間忘れていた呪いのことを思い出したところで、私がサラリーマン家庭に産まれたことが変わるわけではない。つまるところ、私の知識などたかが知れているのだ。
 だからこそ、ちゃんと知らなくてはいけないと思うのである。
 せっかく取り戻したこのバイオリンを、これからも弾き続けるために。
 その為なら、術師か奏者かなんて、大したことでは無いと思えた。
「楽器のために奏者が人生捨てるとか、さすが、楽器選びを恋に例えるだけあるって感じだよね。頭やべー」
 オッエー、と五条くんが舌を突き出す。
(うう)
 私はしゅんと下をむく。
「まあ、いいけど」
 五条くんは、興味がないとでも言うように、バッサリと言い捨てた。
「どうせ人手不足だし」
 と、いつか教えられた呪術師の現状を、退屈そうに付け加えて、五条くんは私の問いへの答えとした。
 少しばかり間をあけて、さっきよりも慎重に私は口を開いた。
「それと、報告書から梢の名前を消して欲しいの」
 心臓がドキドキと緊張していた。自分勝手な願いとわかっていた。五条くんの顔を見るのが怖くて、私の相変わらず逃げるように俯いたまま呟いた。
 五条くんはしばらく黙っていたが、やがて、
「瀬戸さんが高専に協力することで、確実に助かる人間の数が増える。それを止めるってことは、その逆が起きるってこと、おまえ、わかってて言ってる?」
 と、真面目な声で聞いた。
「それでも、梢に関わらせたくない」
 五条くんが大きなため息を一度ついた。
 先程よりもずっと硬くなっている空気に、私は身体を縮こめる。
「いいよ」
 五条くんが言った。
 一拍おくれて、私は顔をあげる。呆れたように私を見下ろす五条くんと目があった。
「いいの?」
「なんだってしてやるって約束だし」
 五条くんは、ギシっと音を立てて、椅子の背もたれに寄りかかる。
「それに俺だって、瀬戸さんあんま近づけたくないし」
 五条くんは、一転、のんびりとした口調で言った。
「まあ、おまえとは違う理由だけど」
 私に向けていた視線を遠くに放り、五条くんは呟く。
「え?」
「なんでもねえよ、バーカ」
 勢いよく立ち上がった五条くんが、長い脚を伸ばし、ぐんと近づいた。
 わ、と、驚いて一歩引けば、素早く腰に回された手によって隙間なく五条くんの方に引き寄せられる。気づけば、鼻先が触れそうな距離に、五条くんの顔が迫っていた。
「一ノ瀬から、して」
「えっと」
 虚をつかれた私は、一瞬黙りこむ。
 何を、とは言えない距離だった。
「私、その、五条くんと付き合うとか、現実味が無いっていうか全然考えつかなくて」
 この数ヶ月ほどの間、有耶無耶にされてきたことを、私はなんとか言葉にしてみようと試みる。五条くんのことが嫌いとかではない。むしろ、たぶん好意的に思っている。でも、五条くんはどこまでいっても、学園の王子様で、呪いの国の神様で。隣の席の男の子にするように振る舞ってみたところで、どうにも近づけない一線があった。
「私がおかしいこと言ってるのは、わかってるんだけど」
 五条くんの腕の力が、少し弱まる。
「好きだけじゃないの、なんか、もっと別の何かが別にあって」
 五条くんの手が、また私の頭を撫で始める。
「それで」
「それで?」
 五条くんが聞き返した。
「ごめん。そっちの方が、大事なんだと思う」
「あっそ」
 五条くんが、一歩離れた。腰を屈めて、私の目線に顔を合わせてくる。
「俺も、別に何でもいいんだよね」
 五条くんが笑った。
「それでおまえは、神に何を捧げられんの?」
 五条くんの手が私の髪先を弄る。
 うん?
 五条くんが囁く。
 うん。ありがと。
 私は一歩踏み込んで、薄い唇に自分の唇を重ね合わせた。入り込んだ舌は温く、人の温度をしている。

 目を開けると、五条くんの蒼眼に私が映り込んでいた。さっきまで五条くんの唇があったところに触れると、少し湿り気が残っていた。五条くんが、覆い被さってくる。重みに負けて、私はへなへなと床に座り込んだ。触れるだけのキスが、繰り返し落ちてきた。
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