神様の隣人 _ | ナノ

16

 コンビニで買ってきたばかりのまだ冷たいお茶を工房の作業台の上に置く。ペットボトルは汗をかいていた。五条くんがお茶を少しずらせば、丸く水の跡が机に残る。
 なんで学生は手書きなんだよ。と五条くんが文句を言いながら、くるりと、器用に指先でペンを回した。
 おまえのせいなんだから、手伝えよ。
 そう言いながら五条くんがお爺ちゃんの工房に持ってきたのはA4サイズの紙ペラだった。その紙の上部中央には、明朝体の畏まったフォントで「報告書」と掲題が記載されている。
 呪霊及び呪詛師の討伐など、呪術師としての任務を行った時にその紙は発行されるそうで、通常は「補助監督」と呼ばれる事務方の人が作成するものらしい。
 しかしながら、あの学園での一件は、五条くんの独断専行によるもので、補助監督が任務に同行していなかったため、五条くんがこうして報告書の記載まで担っていると、五条くんはチクチクと私に説明した。
「おまえ、一生俺に頭下げて生きろよ」
 五条くんは口を尖らせる。
 反論もしずらくて、私はただ
「その節は」
 と、言われたとおりに深々と頭を下げた。
 大きな手が下げた頭に乗せられ、くしゃくしゃと私の髪をかき乱した。
「俺らは仕事だからいいけど、おまえ、瀬戸さんにはマジで礼言っとけよ」
 ひととおり私の頭を撫で回した五条くんは、ため息混じりに言うと、ペンを走らせた。報告書には少し右肩上がりの文字で「瀬戸梢」の文字が記載されている。
 十五分程でかきあげられた報告書には、私の知らない、あの日の全容が簡潔に記されていた。

 記録。
 二〇〇五年四月二十二日 十六時三〇分
 東京都■区 私立■■学園高等部

 一ノ瀬灯に貸与していた呪具回収のため、高専生二名(家入硝子、夏油傑)同行のもと学園を訪問。校門にて、一ノ瀬灯と通話中、当学園生徒である瀬戸梢に遭遇。音楽室付近に違和感を感じるとの通告を受ける。
 確認のため音楽室へ向かう道中、呪力の発生を感知。その後、音楽室にて一級呪霊の発生を視認。直後、音楽室を中心に半径五〇メートルの帳を下ろす。
 夏油傑により当該呪霊を討伐。

 同時刻、同場所にて一ノ瀬灯に貸与していた呪具より新たな呪霊の呪力を感知。
 一ノ瀬灯の術式行使により、一級過呪怨霊(名称未定)の完全顕現を確認。討伐。

 被害状況
(被害者)
 計二名。死者〇名、負傷者二名。
 内訳詳細
 一般人:一名(一過性意識消失発作。同日十八時、家入硝子により意識回復を確認)
 術師:一名(非高専生)(右上肢壊死※、術式行使による呪力消耗のための意識消失。同日二十二時、意識回復を確認)
 ※家入硝子により反転術式を行使。完治。

(設備、その他)
 当学園音楽室の破損。
 現在、補助監督生草薙氏により当学園並びに役所への連絡、謝罪対応、各業者への修繕依頼中。

 所感・その他
 生徒が数多く残っていた学校で一級呪霊二体が顕現した、という状況でありながら、死者〇名という好結果がうまれたのは、瀬戸梢による呪霊顕現前の通達による功績が大きく影響したと考えられる。
 瀬戸梢による呪霊顕現前の呪術師への通達が可能となれば、呪霊による被害が発生する前に一般人の避難誘導、及び、術師の派遣が可能となり、被害者数の大幅な削減に繋がると推測される。
 上記理由により、瀬戸梢に窓として高専への協力依頼を行うべきであると考える。
 また、一級過呪怨霊について、呪力、残穢、並びに、一ノ瀬灯の証言から、宇奈月元一級術師が死後呪霊と転じたものである蓋然性が高い。同証言により、宇奈月元一級術師の死因は自殺、死後五年の経過が予測される。
 補助監督生による早急な遺体の捜索を依頼する。

 以上。

「宇奈月」
 声に出して読んだ。
 五条くんは、くるくるとペンを回している。
「残穢ってなに」
「術式使ったあとに残る、呪力の痕跡みたいなもん」
 五条くんが教える。
「それで誰かわかるものなの」
「けっこうね」
「それは、五条くんが目がいいから、ってやつ?」
「違う」
 五条くんは、はっきりと言いきった。
「残穢を見るくらいおまえでも出来んだよ。今回はたまたま、知ってるやつの残穢だったから、その場で特定できたってだけ」
 報告書から視線を私の方へうつしながら、五条くんは言った。なんでもない言い方なのに、なぜだか、少し、空気が硬くなっていく。
 向かい合った五条くんの顔には、表情がなかった。
「べつに、おまえにキレてるわけじゃねーよ」
 唐突に、五条くんは言った。
 そのままガックリと、五条くんが作業台に項垂れる。
「うん」
 ついさっき、五条くんにそうされたように、私は五条くんの頭をクシャクシャと撫でた。
 五条くんは、されるがままにしている。
「五条くんは、宇奈月って人と、親しかったの?」
 私は、重い口を開いて、聞く。
「全然」
 五条くんは、そっけなく答えた。
「全然?」
「ただ」
「ただ?」
「昔、ピアノ教わったくらい」
「そっか」
「……嘘じゃない」
 五条くんはそう言って、静かに顔を上げた。頭にのせた私の手をとると、ゆっくりと五条くんの頬に滑らせる。一生頭を下げろ、なんて言いながら、五条くんはバイオリンの中の呪霊を見抜けなかったことを、なんだかんだで気にしているようだった。
(気にしてる、というよりは、プライドの問題なのかも)
 変だとは思ったんだよ。でも、どう見ても三級が一体ってとこだったじゃん。
 あの日、私が目覚めたあと、「あれのどこが三級だよ」とショーコと思わしき女の子に責められながら五条くんは不貞腐れたように呟いているのを私は見たのだ。
(それにしても、顔、ちっちゃいな)
 すり、と撫でた頬っぺたは、少しのベタつきも凹凸もなかった。こういうのを陶器肌と言うのだろうか。思春期なんてもろともしない綺麗な肌が羨ましくて、私はちょっとだけ力をこめて五条くんの頬っぺを抓った。
 五条くんの眉間に皺が寄る。
「俺、あいつがおまえ殺そうとしてるとか、本当になんも知らなかったんだって」
 そう話す五条くんは、たぶん、私がこんなくだらない理由で頬を抓ったとは、微塵も思ってないのだろう。
 べつに五条くんを責めようなんて、思ってないのに。
 私にとっては、五条くんと宇奈月という人の関係よりも、私、それから祖父母と宇奈月との関係の方がよっぽど疑問だった。
(なんの恨みがあったと言うのだろう)
 私は兎も角、祖父母はあの人によくしていたはずなのに。
 祖父の思い出話を思い返しては、大切な思い出が汚されたような気になって、やるせなくなる。
(五条くんまで巻き込んで、何がしたかったの)
 祖父のバイオリンは、すっかり空っぽになって私のもとに戻ってきた。
 術式の記憶の戻ったことで、高専の上層部から許可が降り、これからは私の正式な呪具となるらしい。
 これを呪いの道具とは思いたくないけれど、手元に戻ってきたから、私は呼び方について、文句は言わないことにしている。
 例え、宇奈月という奇人の手を渡った品であろうと、私にとっては宝物なのだ。
「なんで、ピアノだったんだろう」
 ふと、疑問が漏れた。
「なに?」
 五条くんが、首を傾げる。
「いや、なんで五条くんにピアノを教えたんだろうって思って」
「別に意味なんてないんじゃねーの。たまたまピアノ弾いてるとこに、俺がいたってだけでしょ」
 五条くんは、苛立ったように頭を掻いた。
「うん。でも、じゃあなんで、バイオリンじゃなくてピアノ弾いてたの?」
「それは」
 と五条くんが勢いよく言う。
「それは?」
「それは……」
 勢いが失速してきた。
「知んねーけど」
 止まった。
「ねえ、なんの曲教わったの」
 作業台に身を乗り出すようにして、私は聞いた。鬱陶しそうに顔を歪めた五条くんに、再度同じ質問を投げかければ、五条くんは教わった曲のタイトルを知らないらしかった。
「えー、じゃあ弾いてよ。ちょっとでいいから」
 スツールから立ち上がり、五条くんの腕を引っ張る。渋々、といった様子で腰を上げた五条くんを私は試奏室のピアノの前まで引きずり歩いた。俺あんまこの曲の良さがわかんないんだけど。と五条くんは椅子に腰掛け、ピアノの蓋を開ける。
 五条くんが鳴らした音は、以前聴いた氷のような音よりも、幾分か柔らかく聴こえた。

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