神様の隣人 _ | ナノ

13

 久しぶりに五条くんと祖父の工房に来ていた。
 着いて早々に五条くんが
「はやくやろうぜ」
 と急かしてくる。
「そんな急かさなくても」
 笑いながら私は工房のテーブルを布巾で拭く。
「おまえ、ちょっとは急ぐってことをしろよ」
 五条くんの顔は真面目だ。手に持っている牛乳が実にアンバランスである。
 いつか、
「昔、食べたパンプディングが美味しかった」
 と私が思い出話を語れば、五条くんはえらく食いつきがよかった。
「おまえそういうことは、もっと早く言えよ」そう目をキラキラと輝かせながら言う五条くんは、新しいおもちゃを前にした子供のようで、どこか微笑ましかった。
「結構、食い意地はってるよね」
「成長期の男子なめんな」
 五条くんは、ふん、と鼻を鳴らした。
 なるほど。確かに、ここ最近の五条くんは筍みたいにニョキニョキと背を伸ばしている。男女問わず中学の三年間、人それぞれに身体は大きくなったけれど、中でも五条くんの成長ぶりは群を抜いていたように思う。
 私は五条くんと自分の身長差から、彼の身長を目測してみる。一八〇センチは確実に超えていそうである。
「五条くん、身長何センチ?」
「知らね。一九〇無いくらいじゃん」
 予想以上の大きさに、うへえ、と変な声が出た。
(壁じゃん)
 内心でそんなことを思う。
 五条くんが睨んだ。私は、ゆっくりと目を逸らす。
「おまえ、全部顔に出てっからな」

「工房の石油ストーブを片そうと思う」
 昨晩、電話越しに私が言えば、ちょっと待って、と五条くんは意義を唱えた。
「俺まだ、パンプディング食ってない」
 五条くんは言う。五条くんの声の後ろからは、テレビかゲームか、何やら賑やかな音が聞こえた。
 明日一緒につくろうか。そう提案すれば、五条くんは二つ返事に了承した。
「じゃ、明日な」
 そう言うなり、五条くんは私の返答も待たずに、ぷつりと電話を切った。
(電話、切るの早くなったよな)
 と、私はプープーと機械音のなる携帯を耳から離しつつ思ったりする。
 携帯の画面に表示された通話履歴は、いつのまにか五条くんの名前で埋まっている。それは別に、いいんだけれど。
 五条くんと連絡先を交換してから、もうすぐ二か月が経つ。一年で一番厳しい寒さを乗り越え、そろそろ暖かくなってくる頃かと思いきや、寒さがぶり返す、そんな日々が続いていた。
 四月。
 私たちは高校生になっていた。
 五条くんと会う頻度は、隣の席だった頃に比べて格段に減っていた。同じ都内の学校だけれど、学園と呪術高専はそれなりに距離があったし、なにより、五条くんが呪術師として本格的に働き始めたそうで、平日休日問わず、随分と忙しくしているようだった。いっぽうで、私といえば高等部に進学したものの制服が変わったくらいで、特に代わり映えのない日々を学園で過ごしている。五条くんの恋人という噂は、残念ながらまだ消えていない。
 お爺ちゃんのバイオリンについて話しておこうか。
 件のバイオリンは、五条くんが呪術高専に入学すると同時に、呪術高専の管理下に置かれることとなった。現在は「呪物」としてひとまず扱われるらしい。ひとまず、というのは、なんでも私はあのバイオリンに長年呪力をこめていたそうで、結果、バイオリンは呪霊が封印されている「呪物」でありながら「呪具」としての側面ももちつつあるとかなんとか。
 五条くん曰く、どちらにせよ低級、とのことである。
 そういうわけで、私は現在新しいバイオリンを五条くんの監視のもとで弾いている。未だ五条くんの監視がついているのは、結局、私が術式を理解していない故に、新しいバイオリンを再び呪物にしかねないからであるとのこと。
 あくまで、今回の措置は対処療法なのだ。
「フツーに前の方が良かった」
 五条くんは今のバイオリンをそう、評する。
(わかってるよ、うるさいなあ)
 などと私は思いながら、弓を下ろした。
 新しいバイオリンは、もともと、サブとして使っていたものだった。祖父のバイオリンと比べると、随分と新しいそれは、決して悪い楽器ではないけれど、どうにも私に馴染んでくれない。簡単に言うと、弾きにくかった。
「音量? なんか違う」
 五条くんが言った。
 五条くんは、クラシックにもバイオリンにも興味なんて無いと言うけれど、意外と的確な発言をするから侮れない。
「こないだ先生にも、言われた」
 数日前のことだ。
 私は、高等部の音楽の先生に放課後呼び出されていた。
「二年生の芸術鑑賞の一環でね、来週プロの奏者を学校に呼ぶ予定があるんだけど、先方がよかったら一緒に演奏しないかって言ってくれてるんだけど興味ある?」
 先生は朗らかに言った。
「え、いいんですか」
 私は身を乗り出して、聞きかえした。
「進学したばかりで、急な話になっちゃって申し訳ないけど、すごくいい機会になると思うよ」
 うわあ、と私は感嘆の声を漏らした。
 とても嬉しかった。
 先生はそんな私をみて、ニコニコと笑いながら
「それで、それまでに楽器のメンテナンスは終わりそう?」
 と訊ねたのだ。
「バイオリン、違うの使ってるみたいだけど」
 と、付け加えて。
「だから、金やるって言ってんじゃん」
 それでいい楽器買えよ、と、五条くんは言うけれど、お爺ちゃんのバイオリンが幾らすると思っているのだろう。
 値段が全てでは無いけれど、そんな軽々しく代用を買えるような代物でも無かった。そういうと、幾ら? と平然と聞いてきそうだから言わないけれど。

 カン、と音を立てて五条くんが卵を割った。
 落とされた卵と牛乳を鍋の中で混ぜ合わせ、適当にちぎった食パンを二人で漬けこんでいく。あとは石油ストーブの熱を使って焼けば、五条くんお目当てのパンプディングは完成である。
 パンプディングは、祖父が生前、冬になるとよく工房で作っていた品だ。ふっくらカリッと焼きあげたパンプディングに、たっぷりのメープルシロップをかけた味は、祖父との大切な思い出として私の舌に記憶されている。
「あとは、焼くだけです」
 私が言えば、五条くんは頷いた。
「んじゃあ、置くよ」
 五条くんは鍋を持ち上げると、慎重にストーブの上に置く。隠し味程度にいれた、バニラエッセンスの香りが漂い、食欲をそそった。
「思ってた以上に簡単」
 スツールに腰掛けた五条くんは、そう感想を述べると
「今度みんなで作ろ」
 と、携帯電話を弄りはじめた。
 高校に進学して一番変わったことは、五条くんに友達が出来たことだろう。スグルとショーコ。まだ耳に慣れない二人の名前が五条くんの口から出るたび、私はびくりとする。
 なんだか、妙にソワソワというかザワザワというか……なんとも、落ち着かない気持ちになった。あの学園で孤高の王子ともいえる存在だった五条くんに「友達」という言葉が、どうにも私にはしっくりとこないのだ。
(きっと、とんでもない人たちなんだろうな)
 とは、漠然と思うのだけれど。
 
 パンプディングの焼き上がりは良好だった。
「うまっ」
 ハフハフと口を忙しなくさせながら、五条くんは笑った。随分とお気に召したのか
「おまえの爺ちゃん、天才」
 などと祖父を称えている。
「お爺ちゃんのレシピではないらしいんだけどね」
 祖父は確か、受け入りだと言っていた。
「ばあちゃん?」
「ううん。昔、お爺ちゃんが面倒見てた人」
 答えれば、五条くんが首を傾げた。
「いや、私もよく知らないんだけど」
 それで? とでも言うような五条くんの視線に圧されて、私は「昔、お爺ちゃんが面倒見てた人」について記憶をたぐり寄せてみる。
 確か、バイオリンを弾く人だった。
 苦学生であった、とも聞いた気がする。
 楽器屋をはじめたばかりの頃の話で、祖父にとってその人は、当時数少ない常連客の一人だった。
 祖父は、お金がないというその人に、閉店後の防音室を練習用に貸してやったり、祖母を巻き込んで彼を自宅に招いては食事の世話を焼いたりとしていたらしい。
「いい人じゃん」
 五条くんが言った。
「ただ、お爺ちゃんがファンだっただけ、って本人は言ってたけどね」
 照れ臭そうに笑った、祖父の顔が思い浮かぶ。
「上手いんだ、その人」
「うん。少なくともお爺ちゃんは一番……」
 そこまで言って、私は口をつぐんだ。
(一番、その人の演奏を気にいってた)
「一ノ瀬、どうかした?」
(どうして忘れていたんだろう)
「あのバイオリン……私の前にお爺ちゃん、その人に貸してるの」
 五条くんは声に力をこめて言う。
「そいつってさ」
 私は、五条くんの言葉を遮るように、首を横に振った。
「わからない。わからないけど」
 まただ。と、私は思う。
 また、あの感覚がする。何かが詰まってしまったような気持ち悪い感覚。
 私はいったい何がわからないのだろう。
 ごっそりと大切なものが抜け落ちたように、わからないことが何なのか、わからないのだ。
「一ノ瀬」
 五条くんが呼んだ。
 それから、鍋からパンプディングを一切れフォークにとると、私へと差し出した。ずいっと、押し込むように口元に当てられたパンプディングを、私は口の中にむかえいれる。
「熱い」
 ぽつりとそう言えば
「熱くて甘いは、最強だろ」
 五条くんは言った。
 メープルシロップたっぷりのパンの甘さに、緊張した身体の隅っこが、とろりと溶かしていくような気持ちになる。
「それは、わかるかも」
 テーブルの上を滑らせるように五条くんが手を伸ばした。同じように手を伸ばせば、指先がそっと握られる。五条くんのてのひらが、冷えた指先を温めてくれる。
 大丈夫。
 小さく五条くんが言う。
 なんの問題もない。
 それから手を外し、五条くんはまた携帯電話を触った。少しして、五条くんの携帯電話が震える。五条くんは携帯電話の画面を一瞥したあと、パチンと携帯電話を閉じると顔を上げて私を見た。
「なあ、爺ちゃんのバイオリン使ってみる?」
 五条くんが考え顔に言う。

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