神様の隣人 _ | ナノ

12

「ばっくれちゃおうか、このまま」
 五条くんが言ってくる。
「他のバイオリンじゃ嫌なんだろ。ここまできたなら、卒業まで伸ばしせるよう言いくるめてやるよ」
 大したことじゃ無い。というように、五条くんはそんなことを言う。
 五条くんの発言が、あの学園だけでなく、呪術高専においても影響力があることは、なんとなくあの一回の訪問でもわかったけれど、流石に、私のわがままで二度の延長を申し入れるのは戸惑いがあった。
 もちろん、少しでも、私のもとに置いておけるならそれに越したことはないのだけれど。
 五条くんの好意に甘えても良いものか悩みながら工房へと出れば、五条くんは作業台に腰掛けていた。窓から差す光は弱くなっていて、空が色を変えている。暖房もつけていない部屋の中は、床からひんやりとした空気がたちこめている。
「一ノ瀬、来て」
 五条くんに呼ばれた。
「なんで」
 そう五条くんに訊ねたのは、相槌の延長のような疑問であって、特に先の言葉に警戒したわけではなかった。
「いいから、ほら」
 ほら、と言いながら五条くんは手を私にむけて差し伸ばした。
「握って」
 相変わらず、なんてことない、とでも言うように五条くんは言う。私は少し悩んで、一度スカートで自分の手を拭ってから、五条くんの指先を弱く握った。
 そうすれば、五条くんは、ぎゅっと私の指先を握り返してきた。
 私はひっそりと五条くんの表情を窺う。
 五条くんは伏目がちに、繋がれた手を眺めていて、口は固く結ばれていた。
 五条くん。私は慎重に呼びかけた。
「この距離にいてくれるなら、なんだってしてやるよ」
 五条くんが、小さな声で言う。
「その代わり側にいて」
 ぐっと繋いだ手を強く引かれて、ぼんやりと立ちすくしていた私の身体は、引き寄せられるままに五条くんに抱き止められた。もつれた足がバランスを整える前に、体勢を変えた五条くんにより、身体を反転させられ、流れるように作業台に仰向けに押し倒される。
 硬い天板に押しつけられて、肩が痛い。
 五条くんの手が、スカートの中に入り込み内腿をなぞった。ぞわり、と不快感が背にはしる。
「処女?」
 やっ、と、私は声をあげる。それから思い出したかのように脚をバタバタと動かした。
「やだ、やめて」
「まだなんもしてねえじゃん」
 必死な私に反して、五条くんはのんびりと言う。
「なんで」
 非難の意をこめて、ついさっき口にしたばかりの言葉を漏らす。
 怖かった。
 この状況も、怯える私になんの感情も抱かない、とでもいうような五条くんの表情も。なにもかもが。
「なんでって、好きだって言ってんじゃん」
「え」
 一瞬、言葉に詰まる。
「バイオリン弾けるように手回すのは許されんのに、抱くのはだめなわけ?」
「まってよ、こういうの目的なら、やだよ」
「目的って何? ヤリモクってこと? 好きなやつ抱きたいのってヤリモクになるわけ?」
「う、え、いや」
 淡々と、かつ、畳みかけるような話し方をする五条くんに、私は押し負けつつあった。
「守るのはよくて、抱くのはだめなのは何で? どっちも俺の好意でしょ」
「や、う、その」
 うまく言葉が出ずに、私は口ごもってしまう。
「キスしたくせに」
 それを言われてしまうと、もう、何も言い返せなくなってしまった。退路を完全に塞がれて、私はただ、そわそわと視線を彷徨わせる。
「おまえにとって、俺はなんなの」
「五条くんは、その」
「その?」
 詰めるように五条くんは言う。私はもう半ばパニックに陥っていた。でなければ、いくらそれが本心であろうとも、こんな気持ち悪いことを本人に面と向かって言うようなことはしなかったと思う。
「五条くんは、神様」


「保留中ってこと?」
 梢が言った。
「うん」
 五条くんが頷く。
 私はひっそりと溜め息をついた。あの後、なんとも言えない空気に工房は包まれた。幸か不幸か、私の発言に五条くんは大層機嫌を損ねたようで、私の上から身体をどかすなり、大きな舌打ちをひとつ打ち、黙りこんだ。それにより、引き続き五条くんの告白について、有耶無耶なまま今日に至っている。
 きっと良く無いんだろうけど、私から話を蒸し返すようなことは出来るわけがないので、私はこうして、いつの間にか保留扱いとなっている関係に反論することもできず、溜め息を漏らすしかないのだ。
 昼休みの中庭は、五条くんと梢と私の三人しかいなかった。何も私達も、好き好んで二月の凍るような寒さの中、身を寄せ合って昼食を取ろうとしている訳ではないのだが、話題が話題である故に、こうして人目を偲んでいるのであった。
「なんか面倒くさいね」
 梢は、そんな風に言う。
「噂を聞いた時は驚いたけど、私、二人結構お似合いだと思うよ」
 うふふ、と梢が笑った。歯を見せることなく、細い指先で口元を隠す笑い方は、品がある。くだけた物言いで話しやすい梢だが、こういう何気ない所作に、彼女の育ちの良さは垣間見られた。
「瀬戸さん、もっと言ってやってよ。このバカに」
 バカ、を強調するように五条くんは言う。梢はそれに笑いかけた頬を引き締めなおし
「前から思ってはいたの。なんとなく、二人って似てるところがあるなって」
 と、落ち着いた声で言った。
「嘘でしょっ!」
 私が小さく叫ぶと、間髪入れずに
「あ゛?」
 五条くんがドスの効いた声を出した。
「いや、その、だって……似ては、ないよね」そう私が口籠れば、梢は「まあまあ」と言いながら、今度こそ笑った。
「なんていえばいいのかなあ。たまにさ、お風呂でシャワー浴びてるときに、後ろに誰かいるような気になるときってない?」
 梢が身を乗り出して、五条くんと私の顔を覗きこむように窺ってくる。
「振り向いても、なにもいないの。でも、なんか嫌だなあ、って感覚だけが残る、みたいな」
 梢の例えには、身に覚えがあった。なんとなく気持ち悪いあれ。振り向いても何もいないときもあれば、実際に、呪霊がいたこともある。全裸で呪霊と対面したときの嫌悪感といったら、もう最悪なんてものじゃなかった。
「学校でもたまに似たようなことがあるんだけど、そういうときにね、周りを見ると、誰もそんなの気にしてないんだけど、灯ちゃんと五条くんは、不思議と同じ方向を見ていたりするの」
 クスクスと笑う梢に、五条くんも私も何も言わなかった。
「何を見ているのかはわからないけど、なんとなく。なんとなくね、二人は同じ場所を眺めているんじゃないかなって、私、ずっと思ってて」
 だから、きっと二人は、何か合うものがあると思うの。
 梢はそんな風に話を締め括ると、あとは若いお二人で。と、席をたった。
「一緒に飯、食おうよ」
 そう五条くんが引き止めたが、梢は、少し悩んで
「是非。今度、暖かいところで」
 と言って、小走りで校内に駆けていった。
「梢はさ、見えてるのかなって、本当はちょっとだけ思ってた」
 私は梢の背中を見ながら、五条くんに打ち明ける。
 梢と私は呪霊について何か話をすることは一度も無かった。だけど梢はいつも呪霊がいたり、出そうな場所を私が何も言わずとも避けてくれていた。梢の性格に惹かれて友人となったが、その関係を平穏に続けられているのは、梢がまるで見えている人のように振る舞うところも要因の一つであると私は思う。
「世の中にはさ、見るだけなら出来るって奴は結構いんだよ」
 五条くんはそう説明した。
「梢もそう?」
「あれは違う」
 すん、と五条くんが鼻を啜る。冷たい空気に晒されて、五条くんの鼻の頭は赤くなっている。
「勘がいいんだろうね、瀬戸さんは」
「勘?」
 五条くんが頷く。
「なんか気持ち悪いとか、なんかうまくいくとか。そういうの」
 そういう勘が鋭いってのは結構大事、と五条くんは言った。
 五条くんは真面目な顔をして、梢が去っていったあとを見つめている。その横顔は、授業中にみかける顔と変わらない。
 変わらないはずなのに、私の胸は、ざわざわとしていた。
「梢のこと、見ないで」
 自分で自分の言葉に驚いた。口にするつもりの無かった言葉はいつのまにかこぼれ落ちていて、五条くんが丸くした目を私へと向けた。
「ヤキモチ?」
 五条くんが、ニヤニヤと言う。
「違う」
 きっぱりと言って私は腰を上げ、梢に倣うように校舎に向かった。小走りで駆ける私に、五条くんの長い脚はすぐに追いついてしまう。
 忙しなく足を動かす私の隣を悠然と歩く五条くんは、聞き覚えのないメロディの鼻歌を機嫌よく奏でていた。

-12-
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -