神様の隣人 _ | ナノ

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 二月十五日。
 久しぶりの教室は、いつもと違う空気を纏っていた。
「灯ちゃん、ちょっと、ちょっと」
 私を呼び止めたのは友人の梢だった。久しぶり。と私が話かけるも、それどころじゃないよ! と梢はプリプリと息巻いている。
「何、どうしたの?」
 入ったばかりの教室から廊下に連れ出されたと思えば、梢は、人目から私を隠すように窓側へとおしやった。
 ピリピリとした彼女の様子は、あまり見かけないものだ。梢は、天真爛漫な人だ。多少機嫌を損ねる日もあるが、そういう時こそ、梢は笑顔でいることを努める。そうすることが、自分にとっても良い行いであると信じているからである。わざわざ人前で不愉快な態度をとるのは、趣味じゃないの。と宣言する梢を私は友人としても、一人の女としても尊敬している。
 そんな梢が、ピリピリとした空気を纏っているものだから、私は彼女の身に何か起きたのかと心配した。すると、梢は少し青ざめた顔で
「灯ちゃん、五条くんといつの間に付き合ってたの!?」
 と、叫んだのだ。
「何それ、ちょっと待ってよ!」
 びっくりして、私の声がひっくり返る。
「違うの?」
「当たり前じゃん!」
 梢の言葉に被せるように、勢いよく否定を述べれば、梢は
「でも、学校中の噂だよ」
 と、眉を下げて言うのであった。

「どうしてそんなことに」
 私は慎重に梢に訊ねた。梢はそっと私の耳元へ顔を寄せる。
「五条くんが灯ちゃんのことお姫様抱っこして学校歩いてたって話があってね」
 しょっぱなから、見に覚えのない出来事に目眩がする。反論を述べようと、身動ぐと、私のにの腕に梢の腕が絡みついた。
「とりあえず、最後まできいて」
 梢は真面目な顔で言う。
 わかるでしょう? とでも言いたげな視線は、この学園に生きる女の子同士だからこそ、通じるものであった。
「それで」
 私は先をうながす。
「五条くんの車で一緒に帰っていった、とか、この間のコンクールの練習の間、五条くんが、灯ちゃんが練習してる筈の講堂に行くのを見たって子がいて、それでちょっと、ざわざわしてたのに、バレンタインの日に二人とも来なかったでしょ。それが二人は付き合ってて、五条くんは灯ちゃんのコンクール観に行ってたんじゃないか、って噂になってるの」
 うわあ、と、思わず声が漏れた。
 心なしか、肩に呪霊でも背負ったような気持ちになる。
「で、弁明は」
 硬い顔で、梢は聞いた。
「うまく言えないけど、付き合ってはない」
「本当に?」
「本当」
「本当に本当?」
「本当に本当」
 じっとりとした目で見てくる梢に、「嘘じゃないよ」と念をおせば、ふう、と梢は息を吐き、肩から力を抜いた。
「確かに、灯ちゃんの好みはどちらかというと、塩顔男子だもんね」
 いや、そう言う問題じゃないんだけれど。苦笑を浮かべる私のことなど気にせず、梢は、うんうんと、一人納得したように頷いていた。
「何、一ノ瀬って塩顔好きなの?」
 ビクリ、と梢と私の肩が跳ねた。突然、会話に入り込んできた第三者の声に心臓がびっくりする。梢と私が声の方向へと顔を振り向かせれば、予想通り、五条くんがズボンのポケットに手を入れて廊下の真ん中に仁王立ちしていた。
「性格重視です。とか言いそうなのに、ちゃんと顔面の好みとかあんだね」
 五条くんが、太々しく言う。
「でもさ、それ踏まえても、選ぶ権利はおまえより俺にあると思わない?」
 そう言って、苛立ちを顔に浮かべる五条くんは、いったい、どこから聞いていたのだろう。
「うん、まあ、はい」
 私は、曖昧に五条くんの意見を肯定する。
「出来ればそれを、みんなに伝えて欲しい」
「あ? 知るかよ。おまえムカつくから、虐められてろ」
 それだけ言うと、五条くんはズカズカと教室へと入っていった。
「虐められろは、ひどくない?」
 私は梢に同意を求める。そうだね。と、梢ならば言ってくれると期待していた。それなのに梢ときたら
「五条くんなら、許せる」
 と噛み締めるように言うのだ。
「なにそれ」
 裏切られたような気分で、私は声を強めて梢を責めた。すると梢は、
「だって!」
 と、大きな声で叫ぶなり、
「顔が! 好き!!」
 と、高らかに主張した。はあ? と私が非難の声を上げれば、五条くんの笑い声が聞こえてきた。

「人の噂も七十五日だよ」
 チラチラと視線を感じながら席につくと、梢が励ますように私の背中をとんと叩く。大丈夫、側にいるよ。そういう感じの表情である。ピリピリとしていたときよりも、ずっと梢らしい顔つきで、安心する。
「七十五日経つ頃には、俺ら卒業してるけどね」
 五条くんが口を挟んだ。机の下に収まりきらない長い脚を伸ばして、ダラリと座る姿はだらしないのになんだか様になっていて、それがなんだか、腹立たしい。
 卒業まで残すところ一か月を切っていた。
 登校日で考えると、実質学校へと通うのは、あと、十数日しか残されていない。
(ここまできて虐めも何も、ないだろうけど)
 とはいえ、殆どの人間がエスカレーター式であがるこの学園で、目立つようなことはしたくないものである。
(まあ、五条くんは高専に行くわけだし)
(コンクールも終わったし、なんとかなるか)
 そう思いながら、私は遠巻きに送られる視線から意識を離した。
「俺、瀬戸さんなら、面白いから噂になってもいいよ」
 五条くんが言っている。
「怖いこと言わないで」
 梢が慄く。
「なんなのおまえら、揃いも揃って」
 五条くんが口を尖らせ、拗ねるようなそぶりをみせた。梢と私は顔を見合わせて、苦笑する。
「私は五条くんと、特別な関係にはなりません」という制約を、私達はもはや無意識とも言える域のなかで、目の前の女の子が違反していないかを観察、監視しあっている。
「あなたの憧れを、決して私は邪魔しない」
 そんなことを証明するかのように。
 一見友好的なこの言葉の裏には、牽制や嫉妬が入り混じっている。
 この学園では、自分がいかに他者にとって無害であるかを証明することが、何よりも重視されている。
 それは五条くんのことだけではなく、彼の言葉を借りるならば、金持ち同士のマウントや、幼稚舎からの内部組と、中学からの外部組との埋められ無い溝なんかにも当てはまる。
「でも俺、去年まで、結構グイグイくる人いたよ」
 五条くんが、額に皺を寄せながらそんなことを言った。ああ、と梢が思い詰めたように頷く。
 結構グイグイくる人。
 その言い方と、五条くんの顔つきからして、その人はあまり好意的に彼に思われていなかったことは明白だった。
 その人のことは知っている。
 一つ上の先輩だ。お嬢様でありながら、中等部からの途中入学、つまり外部組で、梢曰く、お父さまがベンチャー企業の社長であるらしい。
 何かと、「代々」とつくこの学園のご子息たちは、ベンチャー企業という響きに新鮮味を感じているようだったが、私は、梢から出た、お父さま、という響きのほうによっぽどびっくりしていた。
 彼女が五条くんに恋をしているのは、皆んなが知っていた。
 遠巻きに眺めるだけだった学園の女の子の中で、たった一人彼女だけは、五条くんへの恋心を成就させようとしていた。今となっては、彼女の行いは何一つ責められるようなものでは無かったと思う。むしろ、誰も近づいてはならぬ、と嫉妬と打算的な諦めから牽制をかけあっていた私達のほうがよっぽど不健全で、愚かしかった。
 だからこそ、だったのだろう。
 行き場のない不健全な思いは、真っ直ぐに五条くんへ恋をする彼女に歪んだ形でぶつけられた。
 具体的なことは、学年の違う私は知らない。ただ何一つ状況が好転することなく、彼女は中等部を卒業していった。
 一度、彼女が講堂で泣いている姿を見たことがある。
 私に気がつくなり、逃げるように講堂から走り去った彼女の背中には、絡みつくように見たことのない呪霊が何体もまとわりついていた。
 呪いというものの起源を知った今ならわかる。
 きっと誰かに呪われていたのだろう。
「どうして」
 あのとき、彼女はそう言って泣いていた。
 私は何も思わなかった。
 違う。
 思ったには思ったのだ。
 哀れみでも、妬みでもない、あれはーー。

「だから、灯ちゃんが五条くんと付き合ってるって聞いて本当にびっくりした」
 梢は、顔を強張らせて言った。
「いや、私が一番びっくりしたわ」
 私は言う。
「付き合ってないことに、俺はびっくりしてんだけど」
 笑ったのは、五条くんだ。
 え、と、梢と私は口を丸く開きながら、五条くんを見る。五条くんの顔からは笑みはすっかり消えていて、そこには苛立ちだけが、残っていた。

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