ポメガバースの君と僕
ポメガバースなあの子が、傑の恋人になったのは、確か高専一年目の夏休みが終わってすぐのことだった。
最初にあの子がポメラニアンの姿を見せたのは、入学早々のことで、傑と二人で任務に行ったかと思えば獣化した姿で撫でくりまわされながら帰って来たのを覚えている。
「キャンキャン」
それ以来、あの子はよく、傑の足元で短かな尻尾をぶんぶんと振るようになった。お腹をみせて寝転ぶこともあった。
「寂しい思いをさせているつもりは無いんだけどね」
傑は眉を下げて笑いながら、あの子の柔らかな毛並みを梳くように撫でた。ポメガバースとは、寂しいときや、人恋しいときにポメラニアンになってしまう性質をもつ人のことを言う。僕たちはあの子が獣化したときは、いっぱい愛情をこめて撫でてやる。そうするとあの子は喜んだ。特に、傑に撫でてもらうとあの子はいっそう喜んだ。傑はあの子の特別なのだ。黒々とした目が、トロリと蕩ける姿は傑への信頼と愛情を惜しげもなく現していた。
あの子はいつも傑の膝の上で、気持ちよさそうに眠っている。僕や硝子の膝の上で眠る時もあったけど、それは傑が席を立つ僅かな時間限定のもので、傑が任務でいない日は、あの子は普通の女の子として教室の椅子に座っていた。
普通、主人の不在時のほうが人恋しくて獣化するものなんじゃないのかと聞けば、
「すぐに帰ってくるって言ってたもの」
と、あの子は柔らかく笑って言った。
それが、傑の言う、寂しい思いをさせるようなことはしていない、ということなのかは、傑がいなくなった今では、もう僕にはわからないことだけど。
「キャンキャン」
ポメガバースの一番困るところは、言葉も犬になってしまうことだった。キャンキャンと高い声で鳴くあの子と、僕は曖昧なコミュニケーションしかとれない。唯一の救いは、僕の言葉はあの子には伝わっているということだ。あの子の思考は人間のままで、僕が何か言葉をかければ、ポメラニアンなりの精一杯で答えようとしてくれる。だから僕は、何年経っても、あの子のことを僕の犬としてではなく、傑の恋人の女の子として扱わなくてはいけない。
「これから、どうしようか」
話しかければ、あの子は濡れた小さな鼻を僕の服に擦り付けてきた。スンスンと匂いを真剣に嗅いでいる。ちょっと嫌だな、と僕は思う。今日は僕にしては結構頑張った日だから、汗臭いとか思われいるのだろうか。それかもしくは、
「傑の匂い、わかるの」
「クゥン」
「そっか」
ポメガバースには、運命という関係があるらしい。運命の主人とポメラニアンは、生涯、愛し愛されながら暮らすという。
傑とあの子がそうだったかは、知らない。知っているのは、僕とあの子が運命では無いことだけだ。
「一人は寂しいね」
ひとりぼっちのクリスマスを僕たちは、もう十年一緒に過ごしている。
十年間、あの子はずっとポメラニアンのままだ。柔らかな毛並と黒々とした目は変わらない。キャンキャンと高い声で鳴いて、撫でてやると喜ぶし、そのままよく、膝の上で眠ってしまう。
それでも、あの子は、僕の犬にも恋人にもならなかった。
どれだけ撫でてやっても、あの子はずっと寂しいままで、人間に戻れない。
「なあ、おまえの寿命って、犬のままだとどうなるの」
膝の上にのせて聞いてみれば、あの子は数回尻尾を揺らし、瞼をゆっくり閉ざしてしまった。