Jujutsu kaisen | ナノ

プレイリスト

 日の暮れた空っぽの部屋の中には、口を閉ざした段ボールが至る所に置かれている。
 君は、どれから手をつけたらいいかわからないの、と、ほとほと困った様子で、部屋の隅で膝を折り座り込んでいる。
 どれから、何から、どうしたら。
 無限とも思える選択肢の前に、君は呆然と座り込んでしまう。そうなったのは去年の冬から。僕の眼が君にもあれば、救えるのかな。なんて思ったこともあるけれど、多分、僕の眼は君の救いにはならない。君はただ疲れているだけだから。

 君の一番近くにあった段ボールを僕はあける。
 硝子が詰めただろう段ボールの中身は、几帳面に整理されている。その中で見つけた古いMP3のウォークマン。ぐるぐると付属のイヤホンが巻き付けられたシルバーの機体は、ところどころ擦れて傷がついている。同じ段ボールに入っていた充電器を繋げれば、画面が光った。壊れてはいないらしい。
 何から何まで懐かしく感じるそのフォルム。
 この機体もだけど、そもそもワイヤレスじゃないイヤホンからして久しぶり。再生ボタンを押せば、聞こえてきたのはアジカンだった。
 シャッフル再生のウォークマン。僕は次に何が流れてくるのか予想する。バンプ? エルレ? テナー? それともラッド? 耳をすませて僕は待つ。聞こえてきたのはグリーンデイ。アメリカンイディオット。そうくるかー! と僕はつい笑ってしまう。
 ギターが鳴れば身体が揺れた。それでも君と僕はぶつからない。君と僕の間には十分な距離があるからだ。昔は揺れなくても肩が当たるくらい、近くに並んで座ってた。その間、左右のイヤホンを繋ぐコード一本分の距離。
 そう思うとワイヤレスイヤホンって情緒が無いよな。今の子たちは、何て理由をつけて好きな女の子の側に座るんだろう。明日、恵にでも聞いてみようか。きっと嫌な顔をする。
 ほくそ笑んでいれば、君が僕に視線をむけた。それはすごく珍しいことだ。この一年君は床ばかり眺めていた。
「何聴いてるの?」
 君が訊く。
「グリーンデイが終わって、今、ビークル」
 僕は答える。
 そうすれば、君が口の中で何か呟く。何て言ったかはわからない。
「六本木にさ、カラオケ行ったよね、みんなで」
 片方のイヤホンを外して、僕が口を開けば、君は眩しいものでも見るかのように目を細めた。
「行った。青山の帰りでしょ」
「珍しく硝子もいてさ」
 目を瞑らなくても簡単に思い出せる、制服姿の僕たち。懐かしいな、と、僕が思えば、懐かしいね、と君が微笑む。どこかセンチメンタルな空気が僕たちの周りに漂った。これが齢だからか、それとも、記憶の中にいる男のせいなのか。きっと、どっちもなんだろう。その証拠に、ほら、戻りたいね、とは言えない雰囲気。
「でも、あんま歌った記憶ないね」
「食べてばっかだったよね。あとドリンクバー」
「おまえ、あのとき僕のメロンソーダに塩いれたでしょ」
「あれは、やばかったよね」
 ウヘヘヘへ、と君は笑う。気色悪い笑い方は、高専時代から変わらない。僕は君の側に近づいて、外したばかりのイヤホンを君の耳につけてやる。プレイリストを進めれば、流れてきたのはくるりのハイウェイ。
「どこか、行こうか」
 ついて出た言葉は君を困らせた。行くか行かないか、行くならどこへ? 多すぎる選択肢は、君の身体をこれでもかと、縮こまらせる。
 ああ、失敗。僕はまた、君を救えない。
 床を撫でる君の手を見ながら、他人が絡むと出来ないことって意外と多いよな。なんてことを僕はぼんやり考える。
「私じゃないよ、あれ」
 終わったと思った会話を君が続けた。
「あれって、何? 塩?」
「うん」
 軽く頷く君が、今ひとつの隙もなく、縮こめた身体を身構えさせていることに、僕はちゃんと気づいている。
「傑?」
 気づいているから、この名前を口に出せる。
「うん、傑」
 細い声で君が言う。唇が震えている。抱きしめてあげることは簡単だけど、そんなことで君は僕に救われてなんかくれやしない。
「どうすれば、良かったのかな」
 それでも、今日の君はよく喋るから、僕はこの左右のイヤホン分の距離で君に寄り添うことに決めている。
「殺しておけば、よかったのかな」
「おまえじゃ、傑に勝てないよ」
「なら、殺されておけばよかった」
「別にそれでもいいけど、どっちにしたって、おまえの親は死んだと思うよ」
 傑は、と言う君の言葉を奪って、重ねるように僕は言う。
「傑がおまえの親を殺したのは、おまえが理由じゃない。非術師だからだ」
 君が僕を睨む。次いで出たのは悲鳴。
「それの! 何に! 納得すればいいのよ!」
 君につけたイヤホンが勢いよく外される。僕のイヤホンも一緒にずれる。君はそれを気にするそぶりもなく、蹲り、泣いている。どうしたらいいのかわからない。君はそう言うけれど、僕だって君がそうやって泣くたびに同じことを思っている。
「ならいっそ、僕を呪いなよ」
 そう言えば、君は、ゆっくりと僕を見上げた。
「そんな顔しないでよ。気持ちの行きあてが無いなら、それでもいいよって話」
「私、悟を呪いたくなんてないよ」
「なら、傑のせいで泣いたりしないでよ」
 傷ついている君に、平気でこんなことを言う僕は、どこまでも自分勝手な性格らしい。息を詰めた君に、ごめんね、と口にしてみたけれど、その声は我ながら見事なまでに白々しかった。でも仕方がないんだ。僕は僕のためにしか君の側に座れないし、傑のことを怒れない。

「本当に辞めるの、呪術師」
 蹲りながら、君の首が縦に動く。ふーん、そっか。空っぽの部屋で、僕は抜けかけのイヤホンを嵌め直す。流れてくるのは、懐かしいメロディ。そう言えばこの曲はあのときカラオケで歌った気がするな。テレビの画面には歌詞の後ろにPVが流れてた。巨大なザリガニが競泳水着の女の人を襲う、よくわかんないやつ。それを観ながら、こんな呪霊いそうだよね、って君と傑が笑い合う。部屋には硝子のタバコの煙が揺らいでいて、僕の前には塩入りのメロンソーダがシュワシュワと泡をたてている。
 懐かしいプレイリストは、僕をあの頃へと簡単に吹き飛ばしてくれる。忘れないし、忘れたくない、愛おしい三年間の青い春。
「傑を呪えない、私のことが、私はどうしても許せないの」
 きっとそれは君も同じ。ただ優しい君は、過去と現在の乖離に疲れてしまった。

 それでも、自分勝手な僕は、君にもあの日々を忘れないで欲しいと願っている。永遠に。ずっと。

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