Jujutsu kaisen | ナノ

あなたをつくる全てのモノへ

 企画掲載品。手探りの、気が遠くなるくらい



 もわり、大窯のなかから立ちのぼった、白く熱い湯気を、あなたは真正面から受け止めた。炊き立ての、甘い白米の匂いがする。
 木のしゃもじを使って、さくさくと、あなたはご飯をかき混ぜていく。それからベージュ色の紙で作られた容器をとって、左側にたんまりとご飯を盛った。右側には鶏の唐揚げを3つと、色鮮やかな野菜、そして、あなた仕込みの自慢の漬物をのせていく。仕上げにパラパラとご飯の上に胡麻をふりかけたら、この店一番人気の唐揚げ弁当の完成であった。
 あなたが働く店は、東京の西の方のとある小さな商店街の中にある。
 この地で開店して、じきに十年が経つ店だ。訪れる客のほとんどは常連客で、性別は男。年齢の幅は広く、六十代から小さな子どもまで多岐にわたる。
 アルバイトとして一ヶ月前に雇われたばかりのあなたは今、仕事の内容とともに客の顔を覚えることに必死になっている。というのも、しばしば「いつもの」と品名を言わずに注文をしてくる常連客がいるからだ。むろん聞き返せば、それぞれに客は品名を答えてくれるのだけど、それは完璧主義なあなたの理想に反する行為だった。
 そんなあなたが、最初に覚えた客。
 それは、学生服を着た、見上げるほどに背の高い、白髪の、天気を問わず光の通さない丸いサングラスをしている不思議な風貌の少年だった。少年の名前をあなたは知らない。
 知っているのは、少年の言う「いつもの」が、唐揚げ弁当であることくらいだ。
 少年は、店に一人でやってくる。時間帯も頻度もバラバラで、突然ふらりとやってくる。そして、だいたいの場合「いつもの」と告げるとき以外は、口をへの字に閉ざしていて、むっつりとした顔で唐揚げ弁当を買っていくのだった。
 そんな顔をするくせに、どうしてこの店を贔屓にしているのだろう。
 あなたはそれが不思議だった。やがて、少年の不機嫌の理由をつきとめたくなった。きっと何か気に入らないことがあるに違いない。ならば店のために改善をしなくては、とあなたはひそかに意気込んでいる。繰り返しになるけれど、あなたは完璧主義な人だから、些細な客の反応も見逃せないのだ。

「20円追加すると、ごはん大盛りにも、出来ますよ」
 あなたは、そう言ってみた。
 もしかしたら量が足りていないのかも、と予想してのことだった。成長期の男性はよく食べるというし、詰襟の制服を纏う体はスポーツでもしているのか、引き締まっているように見えたから。
「米?」
 少年はびっくりしたように聞き返した。
「足りなければ、ぜひ」
「あー、いや、いい」
「……そうですか。失礼しました」
 あなたが小さく頭を下げると、少年はまた、口をへの字に結びなおした。どうやらあなたの予想は外れたように見える。じゃあ何が不満なのかしら。そう思いながら、あなたは首を傾げた。
 少年は、それきり喋らずに去っていった。はたして彼は、あの唐揚げ弁当を美味しく食べてくれるのだろうか。あなたはやっぱり気になっている。だって結局少年は、むっつりと不機嫌そうに口を結んでいたし、初めて交わした会話も無愛想なものだったし、店への不満を教えてくれるわけでもなかったし。
「もしかしたら、自分で食べるんじゃなくて、ほかの誰かにあげてるのかも」
 あなたは閃く。
 使いっぱしりにされているから、あんな嫌な顔をしているんだわ、きっと。
 深刻そうに、あなたは小さく頷いてみせる。

 あなたの予想が少年をそうさせたのか、ある日、少年は電話をしながら店にやってきた。
「いま、弁当買うところ」
 そう電話口にむけて話す少年の声を聞き逃すまいと、別の客の会計をしながら、あなたは耳をそば立てている。きっとあの電話は、少年に遣いを頼むものに違いない。あなたは疑惑を確信に変えている。
 少年の不機嫌の理由。それが、店と直接の関係を持たないものならば、弁当屋の店員としてあなたに出来ることは無いかもしれない、ということは、あなたにだってわかっている。だからこれは、野次馬行為であり、そしてその行いは店員として、あなたの理想に反する行為だ。
 でも、と、あなたはあなたの理想に問いかける。
 もし彼が、嫌な思いをしているならば、野次馬でもお節介でもいいから、誰かの助けが必要なんじゃないかしら。
「うるせぇ、ばーか、それが正論のつもりかよ」
 そのとき、少年が、逆らうように否定を述べた。
 びっくりしたのか、あなたの肩が小さく跳ねる。つい、レジを打つ手が止まっていた。あなたは顔を少年の方に向けてしまう。
「わかってねえな」
 それなのに、少年はあなたの様子に気づくことなく、話を続けた。
「人の体ってのは、食べたもので、作られてんだよ」
 少年は、ふんと鼻をならすと、そのまま電話を耳元から離した。あなたはしばし呆然とする。それからすぐにはっとして、あなたは仕事を再開したが、その間も心臓がいつもより早く動いていることを感じていた。
 順番がきて、少年があなたの目の前に立つ。注文を聞けば、少年は
「いつもの」
 と頼んだ。
 お一つで、よろしいですか。
 そうあなたは聞いてみたかったけれど、未だ落ち着かない胸のざわめきが、あなたの口を閉ざしてしまっていた。
 あなたが唐揚げ弁当を渡すと、少年は無言でレジカウンターにお金を置いた。大きな手。節のある長い指。見上げるほどの背丈に相応しい少年のゴツゴツとした手を、あなたはこのとき初めてマジマジと眺めた。
 少年に対する新たな疑問が、あなたの中にまた浮かぶ。
(この人、昨日の夜は、何を食べたんだろう)
 それは、とても素朴で、たわいもない疑問だった。客の食の好みを知ることは、店のマーケティングの一つとして有用なことかもしれない。けれど、今回のあなたの疑問は、いつもの店員としての思いとは違ってみえる。
(誰にも、あげないで、うちのお弁当も、あの人が食べてたらいいのに)
 そんな願いがこめられているようだった。去っていく少年の髪を、背中を、脚をあなたは目に焼き付けている。
(食べたもので、つくられる)
 それなら、食べて欲しいという気持ちは、いったい何を願ってのことなのだろう。あなたはそんなことを考えて、しかし、次々とやってくる客を前にいつしか考えるのをやめてしまった。

 それからはまた、いつも通りの日々が繰り返された。
 少年は一人でふらりとやってきては、唐揚げ弁当を一つだけ買っていく。無愛想な様子も、見上げる程の高さの背も、表情を隠すサングラスも変わらない。
 あなたは今も少年の不機嫌な理由を気にしていて、その謎を解き明かせないままでいる。
 そんな中、一つ、あなたが少年について新たに知ったことがあった。名前である。
 店で、キャンペーンが開催され始めたときのことだった。キャンペーンは弁当一つの購入につき一枚、客にくじを引いてもらうというもので、少年はくじを二枚引いた。
 少年と、その連れである少女の分である。
「五条、引いていいよ」
 そう、少女に促されて、少年はペットボトルの緑茶との交換券と、二百円分の割引券を引き当てた。
「硝子、どっちがいい」
「今日奢りでしょ、なら、お茶」
 レジ前でさっぱりとした様子で交わされる二人の会話を聞きながら、あなたは緑茶のペットボトルをレジカウンターに置いた。それから少し悩んで、それぞれのポリ袋に、お弁当を一つづつしまった。気安い空気を纏う二人であったが、親密かと言われるとそうではないように思えたからだ。
 二人が恋人同士なのか、あなたは店に来たときから、ずっと見定めている。
「唐揚げ弁当と、こちら、来週から使えるクーポン券になります」
 カウンターに商品とクーポン券を並べると、少年がクーポン券を手に取り、サングラス越しに眺めた。見えてるのかな、とあなたは真っ暗なそこをチラリと見る。
「来週だって。よかったね、口実できたじゃん」
 少女が言う。すぐに、はあ?! と少年が叫んだ。大きな声にあなたは驚く。突然の大きな音と、それから、はじめて聞く少年のむっつりとした不機嫌なものとは違う声色に対して。
「そんなんじゃねぇし」
「なにが」
「なにって」
「こないだ、ランチ誘われてたじゃん、行きたくないなら、昼あるからって断れば」
 飄々と少女が答えた。
「いつもいつも同じ弁当ばっかり食べだしたから、誘われたんだろうけどさ」

 少年は真っ黒なサングラスの奥で、恨みがましく、隣に立つ少女を睨みつけている。確かに興味のない昼食の誘いに、碌に知らない補助監督から誘いを受けていたが、そんなことは今ここで少女に言われるまで、すっかりと忘れていたことであった。ああくそ、はめられた、と、少年は小さく舌打ちをする。
 少年がこの店の通いだしたのは、あなたがこの店で働きだしたのと、さして日は変わらない。たまたま任務の終わりに、一度行ったことのある弁当屋に立ち寄って、あなたに出会ったのだった。
(やばい)
 少年は慄いた。
(出会った)
 初恋では無かった。でも全てが少年にとって初めてのことだった。雷に撃たれたような衝撃も、人に自分の気持ちを思うように伝えられないことも、いったい自分がどうしたいのかも、わからなくなってしまう感覚も、何もかもが今までの恋とは勝手が違って、少年は黙り込んだ。黙って、澄ました顔をしていればモテそう、と、言われた経験が何回もあったからだ。
 少年は今日も口をへの字に結ぶ。実は、への字にしているつもりは無いのだが、ポーカーフェイスを気取ろうとすると、つい口に力が入ってしまうようだった。緊張で体が強張るという現象も、あなたに出会って、初めて実感したことの一つである。
 少年はクーポン券を握りしめる。二百円など少年にとっては失くしても気づかない程度の額であったが、引き当てたそれは、どれだけの数字が並んだ小切手よりも豪華で、大切な、宝の地図のように思えていた。
 来週は、違うやつ、頼んでみようかな。
 そうすれば、何かのきっかけになるだろか。でもやっぱり、「いつもの」と頼もう、と少年は思い直した。
あなたが自分のことを覚えていてくれている、それを実感できる僅かな時間は、少年にとっては特別なものだったから。

「またのお越しをお待ちしております」
 少年と少女は、全く違った背中を並べて、店を出ていく。
 いつもより長く少年の姿を見送ったのは、少年が少女の歩幅に合わせて歩いていたからだろう。ようやくその背中が見えなくなったとき、あなたは、両方の掌を使って自分の頬を覆い隠した。
「いつもいつも、だって」
 誰に言うわけでも無く、あなたは掌の中だけで、呟いた。ふふふ、と笑みが溢れている。今すぐにでも、奥にいる店主にむかって、あなたは今聞いたばかりの言葉を報告しに行きたかったけれど、店員としての真面目心が、かろうじてそれを咎めていた。
「ちゃんと、食べてくれてるんだ」
 客足の途絶えた店内で、抽選箱を片しながら、あなたは、ひとりごちた。なんとなく、くじを引いてみたくなり、一枚抜く。少年と同じ、来週からのクーポン券だった。
(五条さん、だっけ)
 下の名前は何て言うんだろう。あの子は、やっぱり、友達なのかな。彼女かな。ご飯は一緒に食べるのかな。あの子の前では、あんなはっきりと喋るんだな。どうして、いつも、この店では不機嫌そうなんだろう。
(どうして)
 抽選箱を、ぎゅうと、強く胸に抱える。あなたは口を固く結ぶ。その口はまるで、さっきまでの、緊張に体を強張らせていた少年と同じ形をしている。
 静かな店内に、カチカチと、時計の秒針の音が聞こえた。もうすぐ閉店の時間だ。店員としての役割をあなたが終える時間。今日の客は彼らが最後だろう。少しだけ早いけれど、あなたは店の外へと出て、暖簾を下ろす。
 そのとき、後ろから、不機嫌な声が、話しかけてきた。
「すみません」
 お茶、忘れたって、言われて、その。と続ける少年は、あなたから目を逸らすように、少しだけ首をそっぽに向けている。
「え」
「店で、さっき、くじで引いたやつ」
 振り返り店内を覗けば、少年の言った通りに、緑茶のペットボトルがレジカウンターにぽつんと残されていた。あ、とあなたは息をのむ。あんなところにあるのに、客に言われるまで、気が付かなかったなんて。
 あちゃー、とあなたは落胆し、頭を抱えた。
「すみません。私、浮かれてて気づけなくて」
 自分自身にがっかりしながら、パタパタと、小走りに店内に駆け込むあなたは、浮かれる? と少年がその後ろで、首を傾げていることに気づいていない。緑茶を手に取る。ふと店の時計をみる。閉店時間をちょうど針がさしている。

 少年は緑茶を受け取ると、小さく頷いて、じゃあ、と呟いた。唐揚げ弁当の入ったポリ袋に、受け取ったばかりの緑茶を放りいれ、歩き出す。さっきより、なんか小さくみえる。そういえば、カウンター越し以外で初めてみたな。あんなスカート履いてたんだ、ふうん。
 少年は思い、口元をわずかに緩めた。しかし、
「五条さん」
 と声をかけられ、ぴしりと、また体が硬直した。
「あの、来週も待ってるので、いっぱい、食べてくださいね」
 世界中に聴こえてしまうのではないかと思うほどに、心臓が大きく鳴っていた。勿論それはそう感じたというだけのことであって、実際には、その音は、あなたにはあなたの、少年には少年の体の中にしか響いていない。
 少年が振り返る。うん、とぎこちなく、あなたに頷く。顔が、耳が、頭が熱くて仕方がない。
 食べたもので、人はつくられている。という少年の言葉があなたの頭に蘇っていた。それなら、五条さんに私がつくるお弁当を食べて欲しいという気持ちは、いったい何を願っての思いなのでしょうか。気付くのが怖いのです。怖くて怖くて、それでも、五条さんのことが、知りたいのです。
 ぎこちなく、硬い動きで去っていく少年の背中に向かって、あなたは心の中で密かに呟く。
 その答えにあなたが辿り着くのはいつのことになるのだろう。気が遠くなるほど先のことにも思えるし、もしくはすでに、気づいているようにもみえる。

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -