Jujutsu kaisen | ナノ

対極で、同一で、空虚で

悟くんのことが、私は羨ましかった。
だって悟くんは全部持っている人だったから。
悟くんは、私の家の当主さまだ。何百年ぶりに産まれた六眼持ちの奇跡の子で、相伝の術式ももっている。子どもの頃から体も大きく、運動神経も頭もいい。おまけに顔と声もいい。
悪いことと言えば性格くらいで、だけどその性格すらも、当主たるもの多少の狡猾さも必要です、なんて言って、家の人たちはみんな悟くんを持て囃した。
とにかく家の人たちは、悟くんのことが大事で仕方なかったのだ。次にいつ現れるかわからない、まさに天からの授かりものだったから。
そういうわけで、家にある一番は、全部悟くんのものだった。
一番陽のあたりの良い部屋も。
一番上等な着物も。
一番豪華な食事も、ぜんぶぜんぶ、悟くん一人のものだ。
「悟くんばっかり」
私はいつもそう妬んでいたけれど、年齢が上がるにつれて、そういうことは口には出さなくなっていた。言ったって、どうせ怒られるだけだとわかっていたから。
宝もののように育てられた悟くんと違って、私はわりと厳しく育てられたほうだ。その厳しさを、なんと表現していいのかよくわからないけれど、一言でいうなら家の人たちは「序列」を重んじていたんだと思う。
部屋も着物も食事も、私の順番はいつも一番最後だった。
私は「女」だし、「子ども」でもあったから。
「後にしてちょうだい」
母はいつもそんな風に私のことをあしらった。もちろん母は、悟くんにはそんな物言いはしない。絶対に。
きっと、この家でやっていくには、そうするのが最善だったのだろう。今ならわかる、その規律と秩序が私や母を守っていたことが。だから私は、べつに母のことを恨んでいるわけではなかった。
ただ、家の人みんなに構ってもらえる悟くんが、ずっとずっと羨ましくて、それからちょっとだけ嫌いだった。

だからというわけではないけれど、私はときどき、悪さをするようになっていた。
悪さといっても、どうということではない。
ときどき鍛錬をさぼって外に遊びに出かけてみたり。年の近い家の男の子とこっそり夜中に会ったりみたり。
大人の目を盗むのは簡単だった。
家の人たちは、やっぱり悟くんしか、見ていなかったから。
悟くんは、私の囮だった。
悟くんがみんなの目を惹きつけている間、私はとても自由になれる。
それはもちろん、悟くんが自由じゃない、という意味ではなかったけれど、それでも私は、いつしか悟くんのことをあまり羨ましいとは思わなくなっていた。
だって悟くんは、何も持っていない人だとも、気づいてしまったから。

「買ってきてよ」
家を抜け出そうとしているのが見つかったとき、悟くんはそう言った。
何を、と聞けば
「オマエがいつも買ってるもの」
とお金を渡された。一万円札だった。
悟くんが欲しがるようなものなんてないよ。私は言ったけど、
「いいから」
と悟くんは首を縦には振らなかった。
結局私は、ファーストフードのハンバーガーとポテト、それから期間限定のスイーツをいくつかと、余ったお金で本屋に平積みされている話題の漫画の一巻だけを何作か買っていった。気に入った漫画の続きだけを、家の人に買って貰えばいいと思って。
「はい」
袋いっぱいになった、「私が普段買っているもの」であるそれらを、私は悟くんに手渡した。
「次は家の人に頼んでよね」
「バカだな。こういうのは、こっそり食うから美味いんだろ」
そうだろうか。堂々と食べようと、こっそり食べようと味なんて変わらないような気がするけれど。
「オマエは、楽しいことに慣れすぎなんだよ。毎日毎日野良猫みたいにほっつき歩いてさ」
悟くんは肩をすくめた。それから。ハンバーガーの包みをあけて、かぶりつく。
「いいよな、猫は」
外に出たいと悟くんが家の人に言い出さないのは、護衛がついて回るからだ。移動は車で、食事は有名レストランにでも連れて行かれることだろう。
「また、頼むな」
悟くんは言った。たぶんあの漫画は読まれないんだろうなと、私は思った。

十五の春に、悟くんは呪術高専に進学した。
あんなところ、非術師あがりの教養のない子どもがいく場所だと思っていた。
事実、悟くんのクラスメイトは、非術師の産まれだそうだ。そして驚くことに、悟くんはその人のことをとても気に入っているらしかった。
「あの漫画、傑も持ってたんだ」
悟くんは、にこにこと報告した。
漫画の続きをその級友から貸してもらって、読み進めているとこだと言う。
この人はこんな風に笑うのだったか。私は不思議な心持ちで、悟くんの話を聞いていた。そういえば、私はあまり悟くんの笑っているところを見たことがなかった。見つめて見つめて、いつも羨んでいたその人は、家の人たちでつくられた壁の隙間から、私のことをきつく睨みつけるばかりだった。
「いいなあ、悟くんは」
この数年、口にしなくなっていた言葉を、私は初めて直接悟くんの前で口にした。
悟くんは怒らなかった。オマエも来ればいいのにと、機嫌良しに言うのであった。
行かないよと、私は答える。悟くんのいなくなった家で、私はまがりなりにも家の人たちと上手くやっていけている。

しばらくの間、悟くんは家に寄り付かなかった。
それでも悟くんの活躍は、私のところにまで届いていた。
反転術師を習得して、無下限術式を使いこなしているとのこと。いつか教えてくれた友達といっしょに特級の位に就かれて、今では現代最強と謳われていること。
家の人たちはいつだって悟くんのことを気にしているのだ。
「今度さ、蔵にある術式関連の本、持ってきてくんね」
悟くんから電話で言われた。
「たまには、顔見せに帰ってきてあげればいいのに」
「暇じゃねえんだよ」
「高専、楽しい?」
「うん。友達いるし、ふつーに楽しい」
悟くんは、やっぱり笑って言う。この人は本当に全部手に入れてしまったんだな、と私は思う。私は虚しいような安心したような複雑な心持ちで、「そっか」と小さく呟くのだった。

それからほどなく、離反は起きた。
悟くんの親友が、非術師の村を一つ、消したらしい。
悟くんは、大丈夫だろうか。
私は心配した。
さぞ落ち込んでいることだろうと、可哀想に思った。
なにか、してあげられることはないだろうか。
そう思って、私は悟くんに電話をかけた。
「なに」
悟くんの、低く静かな声が聞こえてくる。
「用は、ないんだけど」
言ったら、フン、と悟くんは鼻を鳴らした。
「用もなしにかけてくんなよ。こっちはオマエと違って忙しいんだからさ」
「ねえ悟くん、もう、家に帰ってきたら」
「なんでそんなことしなきゃならねーんだよ」
「だって」
私はその続きを口に出来なかった。でも、悟くんには、言わなくても伝わってしまった。
「オレがここに来たのは、傑がいたからじゃない。オマエがいないからだ」
きっといま悟くんは、家の人たちの隙間から私を睨んでいたときと同じような目をしているのだろう。
悟くんに会いたい。私は強く目を瞑った。夕餉の支度をさぼって、数年ぶりにこの家を抜け出した。

悟くんは、鳥居の近くに座り込んでいた。
「来ちゃった」
言ったら、悟くんは、けっ、という顔をした。
「彼女かよ」
「いたことあるの?」
私はゆっくりと、悟くんの隣に並んで、しゃがみこんだ。
「ねぇよ。オマエが、他の男とばかり付き合ってたから」
「ばっかり、ってほどではないよ」
「一人いたら、十分だろ」
悟くんは、ちらりと私を見て、それからどこか遠くを眺めた。その目の先で、夕陽が沈もうとしている。
「何かほしいものは、ある?」
私が聞くと、悟くんは声なく口を動かして、一度何かを飲み込んだ。それから、ぽつりと
「仲間」
と答えた。

天気の良い日は、私は真っ先に悟くんの部屋に行く。窓を開けて、風をとおし、部屋の埃を落としていく。
いつ悟くんが帰ってきてもいいように、部屋を整えるのが、最近の私の仕事の一つになっていた。だけど悟くんがこの部屋を最後に使ったのは、もう何年も前のことだ。
あれから結局、悟くんは家には帰ってこなかった。卒業しても、そのまま高専に居ついて、今では高専で教鞭をふるっている。
悟くんの部屋には、昔、私が買ってきた一巻だけの漫画がまだ残されていた。ねえ悟くん、あのときはごめんね。でも私だって、悟くんのこと嫌いだったけど、好きだったんだよ。心の中で言い、私は主の気配のない部屋を後にした。
渡り廊下には、キラキラとした光が差し込んでいた。廊下が陽に照らされて温かくなっている。どこからか、家の人たちの、井戸端会議の声が聞こえてくる。
悟くんに、何か、美味しいものを送ろう。
生徒や先生たちと、みんなで分けて食べられるような、何か。
そう決めて、私はまた渡り廊下を進んでいく。

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -