Jujutsu kaisen | ナノ

ここだけの話

 ここだけの話があって。
 実は中学最後の春休み、体重が3キロ増えていた。

 その前に測ったのはクリスマスより前だった。それからお正月にバレンタイン、卒業パーティーなんて称してクラスメイトと焼肉食べ放題に行ったりなんてしていたら、いつのまにかこんなことになっていた。
 これはいけないと思って、食事のデザートを絶ち、筋トレをしたり長風呂に浸かっりしたもののこれといって数値に大きな変化はなかった。
 人は長く時間やお金をかけて手に入れたものはそう簡単に手放せなくなると聞いたことがあるが、何も脂肪にまでその性質が付き纏う必要はないだろう。
 そんなことを嘆きながら、ついに迎えた高校生活1日目。
 あのときのあのケーキを、肉を、米をやめておけばこんなことには。
 思い出の中で笑う自分自身を呪いながら、私は古びた梯子を睨みつける。

 ◇

「呪具を貸す。外で待ってろ」と夜蛾先生は
 言ったのだった。
 夜蛾先生は今日から私の担任となった先生だ。プロレスラーみたいに身体が大きくて、目つきが鋭く、声も低いおじさんなのに、かわいいのか気持ち悪いのかよくわからないぬいぐるみを作っていた。気安さを与えない厳しそうな感じの人だった。夜蛾先生の周りにあるぬいぐるみ達はどれも呪力に満ちていて、軽率に、かわいいですね。なんて世間話を振ることを許さない呪いの品ばかりのように見えた。
(もしかして私、進路を間違えたかも)
 中学時代の友達は今頃なにをしているんだろう。みんなの晴れやかな笑顔を想像しながら、ぼんやりと満開の桜を見上げいると、後ろからトンと肩を叩かれた。
 夜蛾先生かな。そう思って私は振り返る。
 ぶすり、と、なにかかたく太いものが振り向きぎわに頬にささった。指だ。私は一瞬おくれてそれの正体に気づく。
「え」
 戸惑った声が、二つ重なった。
 一つは私の。そしてもう一つは、制服姿の見知らぬ男の子のものだった。夜蛾先生よりも上背があり、丸いサングラスで目元を隠した、目が覚めるような白髪の男の子だった。男の子は自分で仕掛けたというのに、とても驚いているようにみえた。
「柔らか」
 男の子は呟くと、人差し指だけを伸ばしていた手を広げて、私のほっぺ全体を掌で潰してきた。うわー、すげえ、やわやわ。などと言いながら、ムニムニとパンを捏ねるみたいに好き勝手に揉みしだいてくる。
(ちょ、ちょっとなんなの、この人)
 私はびっくりして、後退った。私が離れると、男の子は散々捏ねくりましていたというのに、まるでそこで初めて私に気づいたかのように
「お」
 と僅かに驚いた声をだす。それから、キリンが低木の草を食べるみたいに足を広げ腰を屈めると、男の子はサングラスをおでこまでずらしあげた。
(瞳が、蒼い)
 突然見慣れないものが現れて、私はびくっとする。蒼眼もそうだが、白いまつ毛というものも初めてみるものだった。
「夜蛾せんせーに言われて来たんだけど、ミョウジナマエっておまえ?」
「え、あ、はい。そう、です」
 へどもどと、私は答えた。異人のような見知らぬ男の子に、人見知りとはまた違う怯えを覚えていた。どうにも言葉は通じるものの、異国の地にひとり放り出されたような心持ちだった。
「ふーん。ねえ、彼氏いる?」
 そう言って男の子は、頭のてっぺんから足のつま先まで見定めるように私の全身をじろじろと見た。上から下りていった視線はつま先にたどり着くと、また私の顔にまで戻ってくる。
「いんの。男」
 もう一度男の子が言った。さっきとは違い、決めつけるような口ぶりに私はまたビクっとする。
「いない、です」
「まじ? なんで」
「なんでって……モテないし」
「へえ。かわいいのに」
「そんなことは、ない」
「そう? 俺は好き」
 屈めていた腰をまっすぐに戻しながら、男の子が言った。チュンチュんと私たちの上を小鳥が囀り、飛んでいく。
「俺、五条悟って言うんだけどさ」
「えっ」
 私はびっくりして、目を丸くした。
「五条悟って、あの?」
 うそーっ! と私が叫ぶと、五条悟と名乗った男の子は少し面倒くさそうな顔で
「あー、知ってる?」
 と聞いてきた。私はもちろん深く頷く。

 五条くんは私と同じく、今年から高専に通うらしい。
 そして新しい教室に行く前に、夜蛾先生の代わりに呪具が保管されている忌庫まで私を案内するように、お使いを頼まれたそうだ。
「せんせーより、俺のほうが貸せるものが多いから」
 さらりと五条くんは説明したが、その短い言葉のはしから彼が本当に五条悟本人なのだということが感じられて、私はそわそわと落ち着かなかった。
 五条悟といえば、この界隈では知らない者はいないと言われる有名な呪術師だ。
 私が初めてその名を聞いたのは、6歳か7歳のときだったように思う。会ったことはおろか、写真やビデオですらその姿を見たことはないけれど、お父さんもお母さんも親戚もみんなが口を揃えてすごい人だと噂するから自然とその名を覚えてしまっていた。
 御三家。
 無下限術式。
 六眼。
 五条悟がなぜすごいのか。それを説明するために大人が並べる言葉の数々を当時の私には、ほとんど理解していなかった。かろうじてわかっていたのは、せいぜい五条悟という人が「貴重」で「強い」というくらいだろう。
 だけど、その単純さが、よかった。
 最強。
 単純で明確な強さの指標は、幼い子供の私に、わかりやすい憧れを与えてくれたのだった。
 そして今、あの、五条悟が私の隣で悠々と歩いているなんて。
「すごーい、本物だ」
 といった感想はいつのまにか口に出ていたらしい。五条くんは一瞬驚いた顔をしたあと、すぐにクツクツと笑いだした。その反応に自分の失言を察して、私はわたわたと謝った。それにまた五条くんが笑いを深める。
「どーも、本物の五条悟くんです。以後お見知りおきを」
 そう言って片方だけの口角を器用に持ち上げた五条くんは、幼い頃の想像よりもずっと親しみがあって、でもずっと意地悪そうな、悪戯っ子の顔をしていた。

 五条くんが連れてきてくれた忌庫は、暗く、埃っぽく、空気が澱んでいた。薄暗い室内で五条くんの冴えた白髪だけが淡くぼんやりと光ってみえる。五条くんは室内をくるりと見渡すと、だらんとした声で
「好きなのどーぞ」
 と言った。
 室内には長刀や薙刀、槍に棒だろうか、使い方のわからない武具が所狭しに保管されている。
 武具を見立てた経験は一度も無いが、素人目にみても、どれもこれも高価そうで、また宿された呪いも強力なものに見えた。
 それゆえにどこから手を伸ばしていいのかわからず、私は固まってしまう。
「オススメ、ありますか」
 私が言うと、五条くんはうーんと唸りつつ、唐突に私の二の腕を揉んだ。え、とあっけにとられていると
「うわ、ふにゃふにゃ」
 と小さく叫ぶ。
 私はショックに目を見開いた。頭の中に実家で睨みつけた体重計が蘇える。
「五条くん」
 私は拒んだ。それでも五条くんは、ムニムニと腕を掴むのをやめず、部屋の上の方を向いている。
「ねえ」
 さっきより大きな声をだした。離して。はっきりと拒絶を伝えようとしたその瞬間、五条くんが私に進言する。
「長物は初心者には向いてないからナシ。遠距離がいいなら銃か矢のどっちか……て言いたいとこだけど、どっちにしろこの腕じゃ的に当たんないだろうから、これから鍛えるの前提にしてもまずは短刀が無難だろうな。本当に出来るだけ軽いやつ」
 私は、はあ、と頷いた。真っ当なアドバイスにさっきまでの羞恥や怒りが萎んでしまっていた。それから、五条くんに倣い部屋の高いところを見上げた。
 小さくて軽そうな短刀が壁にそって整然と並んでいる。

 五条くんが手を伸ばしても、刀には僅かに手が届かなかった。
「これ使うか」
 五条くんは部屋の隅から、古びた木製の梯子を拾ってきた。
 梯子は、脚立のように自立するわけでもない、立て掛けて使うものだった。いったいいつ作られた代物なのか、全体的にささくれだっていて、ところどころ腐っているようにも見える。
「壊れない?」
「ナマエなら平気だろ」
 ふにゃふにゃの二の腕の女でも? そう詰め寄りかけて、しかしやめた。
「ほれ。好きなのとってこい」
 五条くんが短刀の並ぶ場所にあわせて、梯子をかけてくれる。渋々と私は足をかけた。一段上るたびに、梯子はギシギシと嫌な音をたててくる。
「ちゃ、ちゃんと押さえててね」
 短刀の並ぶ高さまで登り、梯子から手を離す前に、私は言った。
「うん」
 五条くんは、こちらを見上げている。本当に大丈夫かなあ。失礼だけど、なんだか彼の大丈夫には信憑性が感じられなかった。
 しかたない、さっさと選んでこの梯子を降りてしまおうと、私は並んだ刀の鞘に目を走らせた。こわごわと梯子から手を離し、軽そうなものから順に重さを確かめる。
 最終的に両刃の剣と、鞘に水色の紐が結ばれた小刀で悩んでいると、太もものあたりを何かがかすった。違和感を確かめる前に、がしりと右側のお尻が掴まれる。
「ひっ」
 私は咄嗟に、梯子に抱きついた。
「な、なに」
 びっくりしながら、私は下を覗き込む。
「悪ぃ。つい」
 五条くんが、私のスカートの中に手を差し込んでいた。
「つい?!」
 怒鳴る。つい、なんだというのだ。
「だって、見るからにモチモチしてんだもん」
 言って、五条くんは私の太ももを産毛をなぞるような手つきで撫でた。初めて味わうぞわっとした感覚に、一瞬で全身に鳥肌がたつ。
 ちょっ、ちょっと待って。慌てた声は裏返った。変なところに唾が入って、ゲホゲホと私はむせる。
 咳こむたびに身体にきゅっと力が入った。それを見て、
「尻、きゅってなってる」
 などと五条くんが言ってくる。
 見ないで! そう叫びたいのに、なにかを言おうとすれば余計に咳がこみあげた。生理的な息苦しさと羞恥から、私の目頭が熱くなる。
 どうしようもなくて、梯子にしがみつきながらむせ続けていると、五条くんは太ももに掌を当てたまま、私のお尻と太ももの境となるパンツの線を指でなぞった。つつ、と途中まで線を辿ると、そのまま指を下着の中に差し込んでくる。
「柔らか」
 私はばっと五条くんの手を振り払った。勢いをつけたせいで、ぐらりと梯子が傾き、足を踏みはずし、身体が後ろに投げだされる。咄嗟に伸ばした手は短刀を掴んだが、小さく軽いそれは支えにはなりえずに私ともども落下していく。
 あ。と五条くんが間抜けな声をあげた。

「あっぶねぇー。セーフ」
 私はぎゅっと瞑っていた目を開いた。視界にまず入ったのは渦巻のボタンで、他は黒一面の景色だった。光を求めて上を見上げれば、ぼんやりと発行する白髪を携えた五条くんが、私を見下ろしていた。
 向き合うと、五条くんは、呆れた声で私を叱った。
「梯子で暴れんなよ。どうせ受け身も取れねえくせに。怪我するって」
(なによそれ、私が悪いっていうの)
 私はフンと顔を背けた。そのまま五条くんを突っぱねるべく両腕を伸ばそうとしたが、しっかりと抱かれた腰が、それを許してくれなかった。
「どいて」
「いいけど。俺がこっからどいたら、ナマエ梯子の下敷きだよ」
 五条くんが私と僅かに距離をとった。壁となっていた身体が離れ、今にも私たちを押し倒そうとする梯子の姿が現になる。
「無下限、術式」
 私が言うと、五条くんが頷いた。
「どう、ナマでみた感想は」
「すごい。すごくって、最悪」
「ひでえ言い草」
「私、本当に憧れてたのに」
 うう、と私は憤り、うなだれた。
「こんな、セクハラ野郎」
 ガタンと、モノとモノがぶつかる音がした。五条くんが、梯子を壁に立てかけ直したのだ。
「けつ揉んだのは悪かったって。ごめん。でも目の前にあんなムチムチしたもん出されたらさ」
 ムチムチって、やめて。私は五条くんを睨んだ。
「じゃあ、もにょもにょ?」
 なにそれ気持ち悪い。
「じゃあ、ぶるんぶるん」
 ひどすぎる。私は小さく叫んだ。太ったの気にしてるんだから、もうやめてよ!
 うわーん、と私は、うずくまった。記憶のなかの小さな私もさぞ悲しんでいることだろう。五条悟がこんな人だったなんて知りたくなかった。
 もう絶対に仲良くなれない。喋りたくもない。ばーかばーかと私は心の中で五条くんを懸命に詰った。
「なに勝手に怒ってんだよ。太ってるなんて言ってねえし、太ってもないじゃん」
 五条くんが私の頭にぽんぽんと触れた。
「ムチムチの、ぶるんぶるんが?」
「触り心地がいいってこと」
 五条くんは言い、頭から手を離すと、また私の二の腕を掴んだ。懲りずにムニムニと揉んでくる。
 柔らかい。
 すべすべしてる。
 気持ちいい。
 俺よりも、ちょっとひんやりしてる。
 なんか、わかんないけど、つねってみたくなる。
「やだ」
 私は腕を引き抜こうとした。
「食ったら旨そう」
 くつくつと笑う五条くんは何も力を込めていなそうなのに、引き抜こうとしても、腕はびくともしなかった。
「ねえ、男いないなら、俺と付き合ってよ」
 まったく、なんなんだこの人は。怒りを通り越して呆れてしまう。
「お尻触られて、付き合う人なんていないよ」
「でも付き合ってるやつらは、もっといろいろ触りあってるじゃん」
「そ、それは、好きな人同士だから」
「うん。だから付き合ってよ。ナマエも俺のこと好きになって」
 ええ、と私は顔が歪んだ。もう本当にめちゃくちゃだよ。五条くんの頭の中がさっぱりとわからなかった。思えば出会った瞬間から、私はこの人の言うこと成すこと全てに驚かされっぱなしである。
「好きって、触り心地が? それってそういう好きじゃなくない? それで付き合うなんて、へん」
「じゃあ、どういう好きならいいの」
「それは……時間をかけて、お互いの性格とかよく知ってから、見つけるものなんじゃないかな」
「ふうん。わっかんねー」
 五条くんはわかりやすく、つまらなそうな顔をした。でもナマエが乗り気じゃなら仕方ないか、と言いながら、私の手を引き立ち上がらせた。
「じゃあ、さっきの無し」
「う、うん」
 五条くんが忌庫の扉を開けた。途端に目を細めたくなるほどの光が室内に差し込んでくる。
 仕方ない、と言ったのに五条くんは私の手を離さないでいた。
「五条くん、手」
 離そうと、私は少し捻ってみた。
「教室まで」
 五条くんが、指を絡めてくる。
「無しって、言った」
「うん、付き合うのは、もうちょっと待つ」
 どこかでまた小鳥が囀る。
 五条くんがじっと私を見てくる。私はほとほと困っていた。
 身を守るように、握った刀を胸に抱く。
「ナマエのこともっと知って、好きなとこいっぱい見つける。それからまた言う。そんで、それまでにナマエにも俺のこと好きになってもらう」
 五条くんが、ムニムニと私の手を何度かにぎる。
「なあナマエ、時間をかけて手に入れたもんって、人は簡単に手放せなくなるらしいって、知ってる?」
 五条くんは歯を見せて、悪戯っ子のように笑った。
 これはここだけの話だが、その笑い顔だけは私はちょっとだけ、気に入っている。

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -