Jujutsu kaisen | ナノ

遺言

放課後の教室はどこかくたびれた空気が漂っている。朝よりも窮屈に感じるスニーカーから踵を抜いて、机の上に右頬をくっつけるように突っ伏せば、乙骨くんと同じ目線に並んだ。彼もまたぐったりと机に左頬をくっつけている。

 かみ合った視線に、どちらともなく、んふふ、と笑う。
「よいしょ」
 と小さく呟きながら乙骨くんは身体を起こした。
「ボロボロだね」
 そう私は声をかける。真希ちゃんにみっちり扱かれたのか、乙骨くんは擦り傷だらけだ。
「真希ちゃん強いもんね」
「うん、本当にすごい」
「私、乙骨くんの成長具合もすごいと思うよ」
 みんなも言ってる。そう付け足せば、乙骨くんは照れたように頭をかいた。その柔らかな表情を見ていたいと思うようになったのは、いつからだっけ。転校して来た日は、とんでもない呪いを背負った男の子が来てしまった。と驚いたものだったけど、いつの間にか私は、人の良い、穏やかな空気を纏う乙骨くんに淡い恋心を抱くようになっていた。

 オレンジ色に染まった陽が葉の隙間から教室に差し込んでくる。ガラガラと音を鳴らした扉の先を見れば、真希ちゃんと棘くんが立っていた。夕方特有の長い影が、二つ教室の床に伸びている。
「憂太来い、バカが呼んでる」
 フンと真希ちゃんが鼻を鳴らす。
「しゃけ」
 とは、棘くん。
「え、なんだろう」
「知らねぇ、行くぞ」
「うん」
 乙骨くんは、ガタリと椅子をひいて立ち上がった。こっそりとその横顔を窺っていれば、ふわりとした笑顔を向けられる。ハの字に眉を下げて、頬の力を抜いた笑い方。
「じゃあ、また明日」
「うん、ばいばい」
 小さく手を振れば、振り返された私より一回り大きな手に、私の頬はへにゃりと緩んだ。

 乙骨くんの背を見送れば、入れ替わりに棘くんが教室に入ってきた。さっきまで乙骨くんが座っていた椅子をひき、私の方に脚をむけて腰掛ける。
「高菜」
 棘くんが言う。棘くんの語彙はおにぎりの具しかない。そして私はそんな棘くんが、何を伝えようとしているのか正直わからない。だから今みたく二人きりになると、少し困る。棘くんと二人きりが嫌なわけじゃ断じてない。嫌いじゃないから、ちゃんと理解したくて、困るのだ。
「高菜かぁ」
「すじこ」
「すじこかぁ」
 全然わからない。ううむ、と私が唸れば、コツコツと棘くんは乙骨くんの机を爪先で叩いた。
「乙骨くん?」
「しゃけ」
 棘くんが頷く。どうやら、しゃけは肯定を意味するらしい。
「乙骨くんがどうかしたの?」
「おかか」
 棘くんが今度は首を横に振った。違うってことだろうか。棘くんが、机を叩いた指を私に向ける。
「わたし?」
「しゃけ」
「わかる?」
「しゃけ」
「慰めてくれてるの?」
「……おかか」
 きゅっ、と棘くんの眉間に皺がよる。私はそれに微笑む。棘くんは、優しい人だ。
「乙骨くんにね、言うつもりは無いの」
「明太子」
 棘くんの視線が真っ直ぐに注がれる。なんとなく、それでいいのか? と訊かれているような気がした。それは私が都合よく自分の気持ちを整理したいだけなのかもしれないけれど。
「学長にね、呪術師に後悔のない死は無いって言われたことがあってさ。私、なら生きてるうちにやれることはやっておこうって思ってたんだよね」
 私は一度言葉を区切る。今日の任務を思い返していた。重たい任務だった。体力的にも精神的にも。乙骨くんに言ったボロボロは、彼だけを指したものでは無かった。とにかく疲れた。嫌な任務だった。もう無理と、諦めたくなった。そんなとき、浮かんだのは乙骨くんへの後悔だった。
「でもさ、悔いがあるからこそ、生きて帰ろうって思えることもあるじゃん」
 口角を上げて見せれば、棘くんは小さくツナマヨと呟いた。私はやっぱり棘くんが何を言いたいのかはわからない。けれども、わからないなりに、やっぱり棘くんは優しい人だとも思った。
「棘くん、私、どうせ後悔するなら乙骨くんがいい」
「……」
「内緒ね」
「しゃけ」
「ありがとう」
「しらす」
 いつのまにか陽は随分と沈んでいたようで、影が夜に飲まれはじめていた。鳥も巣に帰ったのか、鎮まりかえる教室に、またガラガラと戸が開く音が響いた。
「あれ、まだいたの?」
 扉の先には穏やかな人が立っていた。私と棘くんは顔を見合わせる。
「すじこ」
 そう言ったのは私。
「昆布」
 棘くんが返す。
「次、乙骨くん」
「え?」
「ぶ、だよ、ぶ」
 しらす、すじこ、昆布と私は言いながら指を折る。しゃけ、しゃけ、と棘くんが急かすように乙骨くんに言う。乙骨くんは、目を丸くしながら
「ぶ? え? ぶ?!」
 と、わたわたとしている。おにぎり縛り? と困ったように訊ねる乙骨くんに、私は、んふふ、と鼻を鳴らして笑った。
 私達は立ち上がり、教室を後にする。陽は落ちて、廊下は帳を下ろしたように暗かった。寮に向かう最中に真希ちゃんとパンダと会って、五人で並んで歩いた。
 夜がくる。最期の帳がおりるとき、私はきっと彼を思って泣くだろう。

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