convenient curiosity
はじめは、ただの好奇心。
それだけ。
◇◇◇
学生寮のテレビは、共用スペースにしかない。それぞれにパソコンを持っているから、動画やDVDは自分の部屋で観れるけど、風呂上がりに共用スペースに集まって、ダラダラと1、2時間テレビを観ながらクラスメイトと駄弁るのが、いつの間にか習慣となっていた。
深夜に近づくと、テレビは下世話な話題が増えてくる。お笑い芸人がくだらない下ネタを次々と言うのを観て、ゲラゲラと俺は笑っていた。傑も、隣で口をでかく開いて笑っている。
しばらく二人で笑っていれば、硝子が風呂から出てきた。これ面白いぜ、とテレビを顎でさせば、硝子は肩にタオルをかけたまま風呂場のほうを振り返る。
「そろそろ、ナマエくるよ」
ああ、そう。硝子の言葉に、傑はあっさりと笑いを顰めて、バラエティーからニュースにテレビのチャンネルをまわした。夕方に観たのと同じニュースが、そっくりそのまま読み上げる声だけを変えて流れだす。
俺、観てたんだけど。不満を上げれば、
「こういうの、ナマエが苦手って知ってるだろう」
と、傑が眉をあげた。
「こういうのって、何。べつにエグい話してるわけじゃねぇじゃん」
アレとか、アレとか。この辺ならわかるけど。いくつか例えを並べてみる。
「それを口にしないのは、気遣いじゃなくて、常識っていうんだよ」
硝子が鼻で笑った。はあ? と眉を寄せる俺の隣で、傑が
「いいから、譲りな」
と面倒くさそうな声を上げる。
なんでアイツのために先に観ていた俺がチャンネル権を譲らなければならないのか。俺は傑に不平を述べたが、傑は「男の都合なんて興味ないね」と突き返し、ソファーに乗り上げていた脚を下ろして「硝子、ここ座る?」と胡散臭い笑みを浮かべた。ふざけんな、と凄んだ声は、まるで聞こえていないかのように無視された。二人して舐めやがって。俺は苛立ちとともに、舌打ちを一つうつ。
そういうストレスが毎晩では無いにしろ、ときどきあった。
べつにどうしても観たい番組がある、というわけではない。ただ娯楽の少ない寮の中で、クラスメイトの女子が下ネタが苦手という理由で突然テレビのチャンネルを変えられたり、いちいち発言を咎められたりすることが煩わしかったのだ。
この頃から、ナマエのことが嫌いというわけではなかった。断じて。傑や硝子と比べたら、正直そんなに仲が良いわけではなかったけど、悪い奴ではないことは知っていた。むしろ、傑より思考に柔軟性があるし、硝子より愛想も良いナマエのことを、俺も他のやつらも、クラスの良心的な存在に思っていた。
「どう反応したら良いかわからないってだけで、私の前で絶対話さないで! ってわけじゃないから。その、お気になさらず、みんなは好きに楽しんでね。入れないなーと思ったら勝手に黙るし、部屋出てくから」
いつかナマエの前で「そういえば苦手だったよね」とテレビのチャンネルを変えた傑に、申し訳なさそうに顔の前で手を振りながら、ナマエは言っていた。
だったら観てもいいじゃん。と俺はそのとき思ったけれど、どうやら傑と硝子はそうではなかったらしい。今思えばそのときからだ。
「ナマエが遠慮するから、その前にテレビ変えとけよ」
と、ぐちぐち言われるようになったのは。
「ナマエいない日ねぇの? みんなで、なんか借りて夜通しみようぜ。コーラとポテチ買ってさ」
という俺の提案に、
「その、仲間外れにするみたいな言い方はやめたほうがいい」
と、傑は言った。担任教師が叱るみたいな口調だった。
「は?」
俺は眉間に皺を寄せる。先の提案に、子供じみた悪意は無かった。気遣えと、傑と硝子がいちいちうるさいから、わざわざ日を選んでの提案だったのに。そう思っての苛立ちだった。
「もういい。やめた」
ソファーの上に両足を乗せて、身体を丸めれば、傑は携帯電話を弄りながら、
「ナマエもよく頑張るよね。こんな、報われない奴相手に」
と言った。
「どういう意味」
「そのまんま。悟なんかより、他のやつを好きになった方が、よっぽど実になるだろ」
「……ナマエって俺のこと好きなの」
そう聞くと、傑は「ピクっ」と肩を動かした。
明らかに、まずいことを言った、という表情をしていた。俺は返事を促すように傑をじっと見つめ続けた。しかし、傑はそのまま黙ってしまう。
「なあ」
痺れを切らして、声をかければ、
「いまのなし」
と傑は小さく言った。
いやいや、無理だろそれ。詰め寄ると、傑は苦い顔をした。気がついてると思ったんだよ。わかるだろ、観たくも無いテレビを悟の隣で我慢してるんだから。
「私が言ったっていうなよ」
傑は項垂れた。ナマエに嫌われたくない。なにより、バレたら硝子と歌姫が面倒くさい、と傑は言う。切実な声に、確かにな、と共感する。高専では珍しい「普通にいい子」なナマエは、色んな方面から可愛がられているのだ。その分、雑に扱えば、傑も含めてナマエの周りがとやかくうるさい。それは俺が身をもって知っている。
だけど。
だけどだ。そのナマエは、俺のことが好きらしい。
「へえ」
悪い気はしなかった。嬉しいともまた違う、なんだかむず痒い気持ちが胸のあたりに渦巻いた。
テレビの中のアナウンサーが、つまらないニュースを読み上げている。リモコンを手にザッピングしてみるけど、今日のテレビはどこもあまり面白く無さそうだった。
「あいつ、なんで告ってこないんだろ」
ひとり呟いてみれば、調子にのるなよ。と傑は携帯電話をカチリと閉じた。
「五条くん、コンビニ行くけど、何かいる」
とナマエに聞かれたのは、「ナマエは俺が好きだ」ということを傑から聞いてから一か月ほど過ぎたときだった。
「私、明日の朝ごはん買ってくるけど」
「あー、なんか、おやつ」
「チョコレート?」
「どうしよ。いや、いいや。俺も行く」
ソファーから立ち上がると、ナマエは意外そうな顔をした。
「なに?」
聞いてみると、ナマエは首を横に振った。
「なんでもない。珍しなと思っただけ」
「コンビニくらい行くけど」
「でもそれって、夏油くんといるときじゃない」
傑は任務に出ていた。珍しく、硝子も大規模な呪霊の討伐予定があるからと、救助要ゆ員で京都に出張に出ていた。寮にはナマエと俺の二人きりだ。
完全に二人っきりというのは、久しぶりだなと思った。あんなことを聞いたからか、ちょっとだけソワソワした。本当に、こいつって俺のこと好きなのかな。気がつけば、目を凝らして、呪力の流れを真剣に探ってしまっている自分がいた。
告られたら、どうすんだろ、俺。サングラス越しにナマエを見下ろす。呪力は一定で、静かにナマエの周りを流れている。
ナマエはカゴに蒸しパンとお茶を入れていた。
「蒸しパンって。飯、食ったに入らなくね」
ナマエに言うと、ナマエは笑った。
「朝は、あんまり食べられないんだ、私」
眠気が勝っちゃうの。とナマエは言う。それから、
「買うものあるなら、一緒に買うよ」
と、カゴを持ち上げた。
じゃあこれ頼むわ、と俺はクッキーをカゴにいれる。
レジにはナマエの前に二人並んでいた。時間潰しに雑誌のコーナーに足を運べば、女性誌ばかりが並んでいた。興味は無かったけど、なんとなく、表紙を目で追った。柔らかな色の服が、ナマエに似合いそうだと思った。思って、ちょっとイライラした。なんだよアイツ、みんなといるときと全然態度変わんねぇじゃん。と舌打ちしたい気分だった。
一番下段に、半裸の男が表紙を飾る雑誌があった。割れた腹筋を見せつけるように、カッコつける男の隣には、セックス特集の文字が堂々と記載されている。
一冊手に取って、レジへと向かえば、ちょうどナマエの順番がきたとこだった。横から無言で、カゴの中に雑誌と一万円札を投げ入れれば、ナマエが目を丸くした。
「えっ、ちょっとまって。なにこれ」
「読みたがってたじゃん」
嘘をつく。
先にコンビニを出れば、少しして、顔を真っ赤にしたナマエが追いかけてきた。
「もう、このコンビニ行けない」
ナマエは、怒りながら雑誌とクッキーの入ったコンビニ袋を背中にぶつけてくる。
「帰ったらさ、雑誌、一緒にみようぜ」
「え、やだよ。私、本当にそういうのどう反応して良いかわかんないから」
ナマエが早口に断った。俺から距離をとるように、一本、後退る。
「まあまあ。ものは試しじゃん」
俺は後退ったナマエを引き寄せるように、肩を組んだ。傑よりもぐんと低い肩の位置に、ナマエ、ちっちゃいね。と素直な感想を口にする。
「そんなことないよ」
そう言ったナマエの周りを、ゆらゆらと、波紋をうつみたいに呪力が不安定に揺れている。
雑誌のとおりのことをしたら、ナマエはどうなるんだろう。考えて、頬がゆるむ。悪い気はしなかった。ソワソワとした好奇心が、胸のあたりに渦巻いている。