Jujutsu kaisen | ナノ

空中にて迷子

 歩いていたら、向かいからきた人と肩がぶつかった。
「あ、すみません」
 焦ったように、早口で謝られた。
「いや、こちらこそ」
 僕はそんな風に返した。術式を使っていたから直接ぶつかったわけでは無かったけど、それはわざわざ会ったばかりの他人に説明するような話では無かったからだ。ましてや、その人は随分と急いでいるようだったし。
 ぺこり、とお互いに会釈をして、僕はまた進行方向に足をすすめる。
 よっ、と、大きく足を開いて、坂を登るように足を蹴る。
 また一つ空が近づく。
 さっきの人と違って、僕は珍しくも、随分と暇を持て余していた。だからこうして、どこまで登れるんだろう、なんていう素朴な疑問と向かいあうために、術式を使って空を歩いていた。
 空は道が空いてて歩きやすい。
 ああやって、誰かとすれ違うなんて、滅多にない。
 滅多にというか。
 うん。
「うん?」
 僕は来た道を振り返る。
 いつの間にか随分と高くきていたようで、そこにはうっすらと白い雲が絨毯みたいに広がっていて、その奥には小さくなったさっきの人の後ろ姿と、さらに小さなミニチュアサイズの街並みが広がっている。
「は?」
 僕はその場に立ちすくして、その人が来た方向と、降りていった方向をキョロキョロと見比べた。
 それが、僕と彼女が初めて会った日のことである。


 次に会ったのは夜だった。
 原宿の空の上でのことだ。
 いつものごとく、渋谷、原宿あたりは人が溢れかえっていて、なんだか道が窮屈だったものだから僕は空を歩くことにしたのだ。誰かに見られて、上にとやかく言われるのは面倒だったから、人目につかないように随分と上を歩いていれば前を歩く人の姿をみつけた。
 前にすれ違った人かどうかは、自信がなかったけれど、こんなところを歩いている人なんて僕かあの人かくらいだろう。
「こんばんわ」と声をかけてみれば、前を歩く人はゆっくりと振り返った。
 振り返ったその人は、やっぱり、こないだぶつかった女の人だった。僕とそう歳は変わらないくらいだろうか。ラベンダー色のスカートを履いている。
「こないだ会ったよね」
 彼女は怪訝な顔をしている。
「え」
「君が上から降りてきて」
 そこまで言えば彼女は
「ああ」
 と、小さく呟いた。
「その節はすみませんでした」
 彼女が言う。
「気にしないで。僕もぼんやりしてたから」
 続けて、まさか空には人がいると思わなかったんだ。ということも伝えてみれば彼女は、
「確かに、行き来する人は少ないですもんねえ」
 と、世間話でもするような口ぶりで僕に話した。それから、どこかをチラリと見て、
「急がないと、終電来ちゃいますよ」
 と言った。


 その町への交通手段は、電車だ。
 電車は新宿駅から出ているらしい。
 空に行く電車は見たことがない、と僕が言えば、彼女は「入り組んでて、結構歩かされるんですよ」とウンザリしたように言った。
 遠いの? 僕は聞く。
「大江戸線と同じくらいです」
 彼女は答えた。
 初めての人は、ちょっとわかりにくいですよね。大江戸線と違って案内もないですし。彼女はそう話ながら、僕をホームまで案内してくれた。
「私も最初に来たときは、中村さんに連れてきてもらったんです」
 中村さんとは、その町でワニ焼き屋を営むおじさんだそうだ。
「美味しいですよ、言われなきゃ鶏です」
 なんで鶏じゃないの? 僕はまた聞く。
「さあ、仕入れやすいんじゃないですか」
 プォン、と、音が聞こえた。
 音の先には確かに電車が停まっている。

 ◇

「せっかくだし、朝ごはんは外に行きましょうか」
 彼女は小さなカバンを持っている。
 外に出ればいつもより朝日が大きく感じた。

 終電に乗ったはいいものの、行くあてが無いと言えば、彼女は「なら家にどうぞ」と、躊躇いなく僕をワンルームの部屋にあげた。別にどうこうするつもりは無いけれど、それは少し不用心すぎるのではないかと、かえって僕の方が気を使ってしまう。
「遠慮しないでください。私も初めて来た日は、中村さんの家に泊めてもらったものです」
 僕の心情を察したように、彼女はそう口にした。
 彼女は、この町に半年前から暮らしているらしい。ここひと月くらいは、この町と新宿あたりを行ったり来たりしているそうだ。
 ここに来る前は、大江戸線の沿線に住んでいたという。
「職場の最寄り駅が新宿駅だったんですけど、朝、いつも通り電車を降りて会社に向かおうとしたら、なぜか構内で迷子になってしまって。
 とりあえず地上に出なくちゃ、と上に向かっていたら、気づいたら雲の上まで……いやこれどうしようかなあ、と困っていたら、中村さんが電車行っちゃうよ、って声をかけてくれたんです」
 彼女はそう、説明した。それから
「五条さんが話しかけてくれてよかったです。空は迷いやすいから」
 と、柔らかく僕をみて微笑んだのだ。

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