Jujutsu kaisen | ナノ

いきづまる階段

「目が合うと、息が苦しい」
 そう言えば夏油はそれは恋だと教えてくれた。


 ちょっと美味しいもの買いに、デートにでも行こうよ。
 そう悟が言ったのは、夕陽が半分以上沈みかけたときだった。梅雨特有のジメジメとした空気の中で、開け放された玄関扉の奥からは草の匂いが漂ってくる。
「デート?」
 あまりに馴染みのない響きに、私はつい首を傾げた。
「そう、たまには婚約者らしいことしても良いかなって思って」
 悟がヘラリと笑ったので、私は嫌な予感がした。婚約者なんて、悟の一言でどうとでもなる関係をあえてこの男が持ち出してくるとき、私にとって大概いいことが無いのだ。いっそ、デートなんて遠回しなことを言わずに、当主の命令とでも言ってくれた方がよっぽどわかりやすくて良かった。
「わかったけど、ちょっと準備するから、まってて」
「そのままでいいよ。お洒落して行くようなとこでもないしね」
 悟はそれだけ言うと、私の返答も聞かずに腕をとった。「ちょっと!」あげた非難の声は無視をされ、ずるずると私は引きずられるように部屋から連れ出されてしまう。

 それで、気づけば、ここにいる。
 学校の屋上では傷だらけの伏黒くんと、見知らぬ上裸の少年が向かい合っていた。
「何がなんだか、わからないんだけど」
 ここに来るまでの新幹線の中で、私が訊ねれば、
「喜久福って食べたことある? ちなみに僕のオススメは、ずんだクリーム味なんだけど」
 と、悟は楽しそうに言った。それに私が、
「無いけど、美味しそうだね」
 と答えれば、悟は満足そうに口角を上げた。私はそれから新幹線に流れる天気予報などを眺めながら、スカートの裾を緩く握ったり、車窓を眺めたりして時間を潰していた。

「ちょっと、特級呪物を回収しにいくね」
 二人で新幹線に乗り、二人で喜久福を買い、二人で乗ったタクシーの中で、突然悟はそう言ったかと思えば、見知らぬ学校にたどり着くなり一人でスタスタと歩いていってしまった。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
「え? あ、一緒くる?」
 口ではそんなことを言いながら、悟は少しも足を止めることなく、私を置いて歩いていってしまう。
 どうして悟はこの任務に私を同行させたのだろうか。五条の遠縁というだけの、三級止まりである私が、何かの役に立つとでも思ってくれたのだろうか。それとも悟がいながら、私ですら出なければならない程の人員不足に、この現場は陥っているのだろうか。はたまた、まさか本当に私は喜久福を一緒に買うためだけに連れてこられたのだろうか。
「十秒たったら戻っておいで」
 ようやくたどり着いた先で、悟が見知らぬ少年にそう言ったのを聞いた。夕陽は沈み、夜はとうに更けている。しゃがみ込む伏黒くんを見つけて駆け寄ると、ボロボロの身体で腕に喜久福の入った紙袋を抱えていた。
 大丈夫? 声をかけるよりも先に、突如、見知らぬ少年が高く飛び跳ねた。常人の跳べる高さではない。呪いであることは、流石に私でもわかった。私が勝てる相手で無いことも、わかった。いや、理解させられた。跳んだ勢いのまま、少年が悟に飛び込んでくる。強い衝撃がおきる。瞼が反射的に閉じて、私はそれを慌てて開く。
「ひっ」
 赤く煌々とひかる目と視線が絡んだ。
 視線が絡んだ瞬間、時間が止まってしまったような気がした。
 息ができない。
 音が遠い。
「何、いまの」
 私が早鐘をうつ自分の心臓に気付いたのは、十秒をとおに過ぎたあとだった。


 虎杖と名乗った少年は、特級呪物を食ったと言った。悟は宿儺と混ざるとかやばいよね、と笑った。伏黒くんは何も言わなかった。
「宿儺」
 私は、何も考えずに聞いた言葉を繰り返す。
 盗み見た虎杖少年の目に、あのざわめきは感じなかった。
 帰ろうか。と悟が言った。わたし達は頷いて、階下へと続く扉へと向かった。先頭を伏黒くん、その次を虎杖くん。次いで悟が扉を潜るかと思いきや、くるりと悟は後ろに控える私の方へと向き直った。
「怖かった?」
 ひっそりと私の右手に指を絡めながら、悟が囁く。腰を屈めて私の視線の高さに顔の位置を合わせると、悟はアイマスクをずらして白い睫毛に縁取られた瞳を見せた。
「どうしたの? 急に」
「宿儺を見てから、緊張しているみたいだったから」
「そうかな」
「違った?」
「どうだろう。びっくりは、した」
「そっか」
「うん」
 頷けば右手に絡められた指に、じわじわと力が込められていった。悟の右手が腰に回されて、私は自分がいつの間にか後退りをしていたことを知る。
「ね、何で僕の目みないの?」
 いつも通り淡々とした口調の筈なのに、それが冷たく押しこもって聞こえて、私はびくりとする。
「そんなこと、ない」
「ならちゃんと見て」
「悟、帰ろう」
「帰ったら、僕の子産んでくれる」
 悟の親指が握った私の手を撫でる。乾いた指だ。私は俯いて、岩みたいにゴツゴツとした悟の手を眺めた。

 急だとは思わなかった。その為に私があの家に買われてもう随分と経っている。いつまでも子を成す気配の無い私をみて、老人たちがヤキモキとしているのにも気付いている。
「なんてね、冗談」
 悟の声が上から降ってくる。その声はさっきまでの冷徹さを顰めている。それなのに、未だ離されない手に、まるで気管を塞がれているかのような息苦しさを私は感じていた。腰に回された手が脇腹を撫でるようにして離れていく。
「暗いから、気をつけて」
 絡ませた指は離さずに、私の手をひいて悟は階段を降りていく。どうやら話は済んだらしい。何を確かめたかったのか、私の答えに悟が満足したのかは、わからないけれど。
 柔らかな力で私の手を引く悟に、ありがとう。と言うつもりで
「ごめんね」
 と、言っていた。目で追えない速さで、前をいく悟が振り向けば、冬を映したような目が私を見据える。
 宿儺とは、違う色。
 その瞬間、私は私を理解した。心臓が早鐘を打ち、どくどくと身体の中を血が巡る。
 悟といるとき、私はいつも息が苦しくなる。私の尊厳は常に悟の手の中にあって、悟によって生かされている。私の存在意義はただ一つ。悟の血を、五条の術式を残すこと。それこそが私の使命であり価値であると、老人たちは幼い頃から私に教え、私はそれを信じていた。それもきっと間違いでは無いけれど。

「目が合うと、息が苦しい」
 そう言えば、夏油はそれは恋だと教えてくれた。
 私は今、宿儺を思い返している。

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