聞き慣れた異国語が飛び交う穏やかな午後に、私は夢を見ていた。一日の程よい疲れに誘われるように眠りについた私を慈しみ、なかなかその手を離してはくれない。眠る私の脳内でもう一人のわたしが涎を垂らしてすこやかに寝息を刻んでいる。眠りとは何で夢とは何だろうか。眠る私を見つめるわたしは一体何者なんだ。不思議なことや知りたいと思うことは山ほどあるけれど、世の中はいつだって矛盾に満ちている。
 けれど私たちはそれらの半分だって知ることは出来ないんだ。そうして私たちがとても自然に目が覚めて夢を忘れるみたいに、知ってしまえば色褪せてしまう何かがあるみたいに。私は何かを知る、勇気が欲しかった。

「何してるの?」
「……花の水やり」
「俺も手伝うよ」
「…ありがとう」

 幼い私の掌から幼い彼の掌へ。ゆっくりと手渡されたじょうろと水。キャップから楕円を描いて注がれた水が命の源となって植物を生かしているのだ。染み渡り溶け込んでいく。植物を育てる為に必要な物は日光と二酸化炭素と水だと、先月先生から教わっていた。

そっと彼を盗み見れば彼もまた私を横目で見下ろしていた。彼の瞳は髪はすべては燦然と輝いているようだった。彼は太陽というよりも海のような人だと思う。強い光を放っている、誰よりも高い所にいる。
 けれど太陽のように強くはない彼はとても儚く脆かった


「先月の理科の授業を憶えてる?植物ついてってところ」
「…うん」
「あの時、植物が生きていくために何が必要かって質問にさ、答えたのは君だったよね」
「………間違えた、けど…」
「君の解答は正しいんじゃないかな。間違いだって先生は言ったけれど、俺は正しいと思う」
「………」
「嘘は言わないよ。だってほらこんなにも」


彼らは美しいじゃないか


 彼の、幸村くんの眼差しの先にはよく水の染み込んだ土壌があり、その場所に根付く花や雑草があった。滴る水も葉に乗っかったままの雫も、日光を受けて光っている。この夏という季節に精一杯輝くために生まれ、育っていく。

 植物が好きだった。実を結ぶその姿を見届けられるという事はとてもすごいことだと思う。そしてその瞬間は幸福に満ちているのだ。彼が何を感じ私に賛成の意を示したのかはわからないけれど、彼の眼差しはそこはかとなく優しい。私は植物を育てていく為に、愛情が必要だと答えたのだ。その解答が誰もに否定されるであろうということを私は知っている。愛情なんてものが届くはずはないのに、それを期待する自分がいた。誰かに私の小さな愛が届いて、輝き出したりしないだろうか。そんな風に思いを馳せてみるのは寂しいと感じる心があったからかもしれない。私が愛した植物がどんなふうに私の精一杯の慈しみを受けて、咲くのかを知りたかった。

「外国へ行くんです」
「…………え?」
「……だから、最後に幸村くんとお話出来て、よかった」

 叶わない事だと思っていた。それでも私はとてもツいている。一番さよならを告げたかった彼に、私はきちんと別れを告げることが出来た。愛を喉の奥にしまいこんで、何となく笑った。

「…全然知らなかった」
「…うん」
「…ねえ、どうして言ってくれなかったの?」
「……え」
「どうして俺に言ってくれなかったの?」
「ゆきむらくん、」

 幸村くんは息を止めて、考え込むような眼差しを私に向けていた。憂いを孕んだ幸村くんの瞳は澄みわたり綺麗な色をしている。溶かされて溶かされて、消えていく。

「何も言わずに行くつもりだったなんて、そんなの   」

 小刻みに震える拳をそっと握りしめる。熱を帯びた彼の掌の感触を背中越しに感じながら私は泣きたくなったのだ。とても曖昧な記憶。このまま幸村くんの世界に私を連れていってもらえないだろうか。胸の中の思いを彼に打ち明けることは、出来なかった。

 足元に転がる土まみれのじょうろから水が漏れ出している。青々とした葉に入り交じる枯葉、早々と暮れ始める夕空。肌寒い風が蒼髪を優しく撫でる。すべてのものから新たな季節の訪れを予感させられるのだ。
裏校舎の片隅、私の育てた花が咲き温めた想いが散っていく。私は彼の肩越しに見えたこの景色を、そっと胸にしまった。


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