全部溶かして



あの朝から四人が揃う事は無かった。
繁忙期に入り学生である四人も当然のように駆り出され高専にいる事が少なくなったからだ。それに加えて名前は女優業もこなさなければならない。
そろそろ生きる道を決めなければと考えながら任務に向かった。
臨時休業となったショッピングモールをひとりで歩き回っていた。呪霊は難なく祓ったが報告にあった要救助者が見当たらない。
帳も上がりひとまず補助監督に連絡をと思い通話ボタンを押した。

「名前?」

後ろから掛けられた声にゾワッと鳥肌立つ。
逃げなきゃと足を動かそうにも振り向いたまま、まるで凍ったかように身体が動かない。

「名前!助けに来てくれたのか?!やっぱりお前は俺の事が好きなんだなぁ」

舐め回す様な不快な声音に一気に過去が蘇る。あぁ…逃げなきゃ。

「綺麗になったな。いつもお前の事を応援してたんだ。あの社長の所為で俺に会えなくて寂しかっただろ?」

「呪術師やってるとは思ってなかったけどこうしてまた会えたんだ。また仲良く暮らそうじゃないか。なぁ?お前も嬉しいだろ?おい…何無視してんだよ!黙ってないで何とか言えよ!!」

パァンっと頬に衝撃が走って地面に倒れる。
名前は必死に頭を回そうとするも恐怖で身体を震わせる事しか出来なかった。
強くなったと思っていたのに、何て無力なんだろう。

「ーー!ーーー!!」

何か喚き散らしているがゆっくり近づいて来る男に恐怖する名前の耳には届かなかった。
身体に影が差して咄嗟に腕で頭を覆う。殴られると思い反射的にとった行動だったが想像していた衝撃は来なかった。
薄らと瞼を上げると眼前に迫る男の顔にヒュッと喉が鳴る。顔に掛かる荒い呼吸に、掴まれた腕に、撫でられた足に、体温がスッと引いて行く。

嫌だ、嫌だやめて、いや、お願い、いや、たすけてたすけてたすけて、だれか。たすけて、じゃないと…殺しちゃう。

ガンッと重たい音と共に男の気配が消えた。

「名前!!オマエどうし、て…」

繋がったままの電話で名前の様子がおかしい事に気付いた補助監督がたまたま近くで任務を終えた悟に連絡していた。

嫌な胸騒ぎがした悟は急いで残穢を辿り走り着いたモールの中央広場に名前はいた。中年の男が彼女に覆い被さっていて状況を理解する前に悟は男を殴り飛ばした。
名前を見ると、彼女は目を見開いてぼろぼろと涙を零しながら震えている。
やめて助けてごめんなさいと繰り返し呟く彼女は本当に名前なのだろうかと疑ってしまう程に普段とはかけ離れた姿だった。
一体何があった?震える名前に手を伸べようとした時チリチリと肌を刺すような殺気が彼女から放たれる。

「やめて、ごめんなさい殺したくない、いやだ、殺して、殺したい…殺す殺すころす…」

聞こえる呪いの言葉に悟は息を呑む。

「おい!名前!!しっかりしろ!」
「…憎い、痛い、殺したい…殺し、」
「名前!!もう大丈夫だから」
「…さ、とる?」
「助けに来た。もう大丈夫。大丈夫だ」

ぎゅっと冷たい身体を抱き締めると徐々に殺気も名前の黒い呪力も落ち着いて来て震えも小さくなっていく。
フッと息を吐いて安心した悟は見てしまった。彼女に宿る呪霊が何であるのかを。



「悟…もう大丈夫。」
「…無理すんな。まだ震えてんじゃん」

男を引き渡し高専に戻って来た二人は悟の部屋にいた。震える名前を放っておけなかったし、何よりこんなにも弱った彼女を他の人に見せたくなかった。
床に座った名前を後ろから包むように抱きしめてどれくらい経っただろうか。

「アイツは……いや。いい」

びくりと肩を震わせた名前に出かけた言葉を呑み込んだ。

「…あの人…叔父なの」
「無理に話さなくていい」
「…大丈夫。…私の両親は呪術師でね、小さい頃に亡くなったんだ。それで私を引き取ったのが父の弟のあの人」

名前の叔父はほぼ非術師と言っていい程に呪力も才能もなかった為、幼い頃から兄に対して激しいコンプレックスを抱いていた。叔父は大人になってからも変わらず兄を羨んで憎んでいた。
いつか兄にも自分と同じ気持ちを味わせてやりたいと思っていた時、兄が最愛の娘を残して死ぬ。喜んで娘を引き取った彼は毎日のように虐げた。
弱い名前を痛め付けるのは兄が苦しんでいる顔が重なって見えてそれは愉快で堪らなかった。
そんな毎日を送り暴力を受け続けた名前は別の人格を作った。そうしなければ哀れで弱い叔父を殺してしまいそうだったから。
中学に上がる頃になると叔父が自分を見る目が変わった事に名前は気付いた。
馬乗りになって殴られている時、舐め回すような下卑た視線と身体をなぞるような手つきに呪力が溢れ遂に別人格が殺せと騒ぎ立てる。
両親の優しい笑顔を思い出して寸前のところで堪えた名前は叔父を押し退け家を飛び出して、今の事務所の社長に偶然保護された。

「まさかあんなところで会うなんて思ってもみなかったよ」
「無理して笑うな」
「…さとる助けてくれて、ありがと」
「俺ならとっくに殺してる…頑張ったな」
「…あ、りが、とう」

嗚咽を漏らす名前の小さい頭を撫でる。
その優しい手つきとは裏腹に悟の心は殺意で溢れていた。なんなら呪詛師堕ちでもしてくれないかなと思うくらいには殺してやりたい。
それでも名前は殺さない選択をしたのだから自分からは殺さない。けど次はない。次もし何かあった時は絶対殺すと悟は心に決めた。

「名前は別人格って言ったけど、」
「うん。違うって分かってるよ」
「…縛りでも結んでんの?」
「まだ…向き合えてなくて…」
「そっか。まぁ、また何かあったら直ぐに言えよ。俺が守ってやる」
「っ!うん…ありがとう」

悟の言葉に、優しい手に名前の恐怖はするすると解けて消えた。



  
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