もう一度


ちゃんとしたお付き合いを始めて一ヶ月は経った。
もう困ったように笑わなくなった名前に安心してはいるけどまだ触れられないでいた。
もし、私が名前にしてきた事がトラウマになっていたらと思うと怖いんだ。
触れて怯えられでもしたら私は二度と名前に触れられないだろう。
それだけの事を私はしてきたのだから自業自得なんだけどね。

「すぐるくーん、あそぼー……あ、デートだったか」

ノックも無しにこの男は……!
姿見越しにニタニタと口角を上げる悟と目が合った。髪下ろして行くんだ?へぇ、ふぅん?と楽しそうに鏡を覗いて来る。

「まぁ、いいんじゃね?」
「…ノックくらいして」
「俺と傑の仲だろ」

溜め息を飲み込んでもう一度鏡の中の自分を見た。
モテるタイプではあったんだけど名前を前にすると自信なんて塵のように消えてしまう。
彼女が前に色っぽいねと言ってくれたハーフアップにしてみたけどあからさまだろうか?
シンプルなニットにパンツ。まぁ、あまり気合い入れ過ぎるのもね。
今日は映画を見に行こうって約束だし、名前もラフな感じで来るだろう。

「傑もイケメンなんだから自信もてよ!まぁ俺の次だけどなー」
「はいはい、ありがとう」

漫画を読み出した悟を横目に時計を見た。
そろそろ向かうかな。
土産話期待してるわーと手を振った悟に口元を緩めながら高専を出た。
名前の気持ちは多分ずっと同じだ。
悟にも私と同じ事が出来ると言ったあの気持ちから変わらないと思う。それでも失恋したと言った彼女の気持ちを信じたい。
感情を動かすのは私でありたいんだ。

"なら明日ね。おやすみ"

名前から来たメールを何度も見返した。
楽しみだと思ってくれてるといいけど。



「え?名前?早くない?」
「ふふ、傑は早く来てくれるんだろうなと思ったんだよね」
「あーもう、好き」

待ち合わせの15分前くらいに着いて名前が来るまでの時間すら楽しんでやろと思っていたのに、本当そういうところだよ。
心を開いた人、全員に対して同じ事をするんだと思うと落ち込む反面、楽しみにしてくれてたと思えば胸が高鳴る。

「ねぇ、本当にいいの?傑甘いの得意じゃないよね?」
「ん?行きたかったんだろう?それにカップル限定のが食べたいだなんて可愛いお願い、喜んで聞くよ」
「傑、ありがと」

悟が自慢してきたとかで甘党の名前も絶対に行きたいというカフェと、その後に映画を見るのが今日の目的だった。
その限定メニューを悟が誰と行ったか気になったけど写メを見せてもらうと硝子とだったのは笑ったよね。
一体何を貢いだんだか。

「手、繋いでもいい?」

え……?
反射的に差し出された手に指を絡めはしたけど…名前で合ってるよね?
中身別人とかじゃないよね?
繋いだ手を愛おしそうに見つめてはにかむのは本当に名前なのだろうか。
だとしたら私は今まで何て事を……

「名前、…ごめん」
「……え?あ、タイミング違った?ふふ、初めてだから分かんなくて!でもデートだから、」
「違う……今までごめんね」

きょとんと首を傾げた名前を抱き寄せる。
自分の最低さに本当に呆れる。
純粋な名前を汚して痛めつけた事はやはり許される事じゃなかった。
やり直すチャンスだなんて烏滸がましい。
今更ながら改めて資格などそもそも与えられるべきではなかったのだと思い知った。

「…あの時は付き合ってなかったじゃん」
「そう、だけど、」
「今は彼女でしょ?彼女って思ってるなら大事にして。好きって言ってよ」

パチンと両手で頬を包まれた。
真っ直ぐに私を見上げる瞳は柔らかく細められていて、じわじわと視界が滲む。
あぁ、本当に情けないな。

「名前が好きなんだ…最低だって分かっているけど離したくない」
「うん、私も好き。まぁ、傑が自分をこれ以上を責めるなら別れてあげても、」
「別れない」
「ふふ、あれはさ、お互い様だったじゃん。私も他の事で救えたかもしれないのに、もうちょっと考えれば良かったって思ってるよ」
「名前は救ってくれたんだ。悪いのは私だ」
「んーこんな事言うのはアレだけど、別に何とも思ってない。傑が壊れないならどうでも良かった。もう、この話はやめよう」

ね?と唇に柔らかなものが触れて、それが何かなんて勿論見ていたのだから分かっているのに理解は出来なかった。
なに、こんな、ふわふわで、もちもちで、どこか甘くて、なに、これ。
私の語彙力働けよ。
触れるだけ、ふにって押し付けられただけなのに全身がゾクゾク粟立った。
もう一度味わいたくて名前の腰を引き寄せて艶々の唇を堪能すべく顔を傾けるも、駄目だこれは歯止め効かなくなる。と気付いて何とか耐えた。セルフ寸止めとか笑えない。

「しないの?」

「…傑?もしかして照れてる?」

「……我慢してるんだ。今キスしたら…抱きたくなる」

ふはっと吹き出すように笑った名前はもう一度手を繋ぎ直してそれを頬に寄せた。
ひんやりとした頬が熱い手に心地良い。
蠱惑的にゆっくりと私を見上げて囁いた。

「うち、来る?」

え……?
私は今試されているのだろうか?
名字の何かのテスト的な?
いや、でも据え膳では?名前から誘ってくれたのに断るのは失礼だろう。
あー…カフェ!映画!そう今日の目的だった。
それに私は名前を改めて大切にするって決めたばかり、もう、お願いだからそんな眼で見つめないでくれないか。

「ふふ、今行ったって味分からないでしょ?」

艶やかに微笑んだ名前にもうお手上げだった。ごめん、死ぬ程優しく抱くから許して。そう呟けば少しだけ顔を赤らめた名前は私の手を引いて歩き始めた。
暫く連れられるがまま歩いていると首が痛くなりそうな高層の建物に近づいていく。
駅徒歩圏内の立地にこの外観。流石だよ。

手慣れた様子でオートロックを外し、コンシェルジュに挨拶を返しながらエレベーターに乗り込んだ。
沈黙が流れている。繋いだ手が熱いのは私の所為だろうか。

「どうぞ」
「…お邪魔します」

とりあえずお茶でも、と言いかけた名前を後ろから抱き締める。
華奢すぎる背中に肩に細くて白い首。
あの時の私は何も見えていなかった。
こんなに愛おしいのに、今となってはどうして傷付ける事が出来たのか分からない。
もう、二度と傷付けないって誓う。
縛りを結んだっていい。

「許さなくていいからずっと側にいて欲しい」
「…次したら殺すからね」
「うん。殺してくれ。名前好きだよ」
「ん、優しくシて」





もう無理と呟いた名前を後ろから包み込む様に座っていた。

「多分、私処女だったんだと思う」
「ん?」
「こんな気持ち良くて幸せなものだったんだね」
「うん…私も幸せすぎておかしくなるかと思った…本当にごめ、」
「もうその話やめよって言った。これからもっと幸せな事、教えてよ」

名前といれるだけで幸せだよ。
そう君にも思ってもらえるように努力する。
私にこれからをくれてありがとう。

「泊まってくー?」
「え…いいのかい?」
「いいよ?今日休みにしてるし?」
「忙しいのにありがとう」
「こちらこそ。で?どうする?」
「泊まりたいけど、その、また…」
「ふは、体力お化けじゃん。ご飯作るから、後でね?」

「え、ちょ、待っ…す、ぐる」

もう新婚みたいで我慢出来なかった。



  
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