「マジかよ…」
金曜日、帰りのHRで純はぽつりと呟いた。
殆ど寝ていたにもかかわらず、丁度眠気が覚めて来た頃にそれは聞こえたのだ。
「…あと月曜日の一、二時間目は身体測定があるから体操服忘れるなよ。以上」
あちらこちらで女子が「えー」とか「やばーい」とかわざとらしく騒いでいたが、純にとってもそれは衝撃的だった。
そう、コンプレックス。
純は自分の身体に大きなコンプレックスを感じているのだ。
身長は低く、体重も軽い。視力も悪いので誇れるものは聴力ぐらいしか無いのだが、聴力は殆どの生徒がAだ。
「胡鏡さんよぉ、」
帰り道、親友にそれとなくぼやいてみる。
「どうやったら三日で身長伸びると思う?」
「三日か…」
香雅は困ったように宙を見、思案した。
「牛乳飲め」
「大っ嫌い」
「魚食え」
「食ってるよ」
「寝ろ」
「かなり寝てる」
ことごとく否定され、それでも香雅は考える。
「ぶら下がるとか…」
「え?マジか?」
「知らん」
無責任な事を言ったと少し反省して今度は地を見る。じっと期待の眼差しを送る親友の顔が横目に見えた。
「そもそも俺そんな背高くないしな」
「嫌みかコノヤロォ」
「いや…悪い」
期待から逃れるために思わず発した一言に非難を浴びせられ、香雅は頭をガリガリと掻いた。
「そうだ」
揺れる脳内に浮かんだのは厳つい柔道部主将の顔。
「山口とかに聞いたらどうだ?」
山口は身長もクラスで一番高く、ごついという言葉がとても似合う男だ。
「あー…でもあいつのメアド知らね。やっぱナベに聞くわ」
「そうか」
渡辺ならふざけた答えも出しそうだな、という香雅の予感は後に当たる事になるのであった。
月曜日の朝。
体育委員の仕事で朝早くから登校していた渡辺は、やっと面倒な説明会が終わり既に精神的疲労を感じながら教室に戻った。
二年三組の教室は更衣の際、一定のクラスを合わせた男子更衣室代わりに使用される。そのため朝からむさ苦しい空気が充満していた。
教室の端の方で着替えている香雅を見つけ、渡辺はそちらに歩み寄る。いつもこそこそと香雅の陰に隠れるようにして着替えを済ませる相方が今日はいない。
「おう、純まだ来てないのか?」
「ああ、見てない」
時計は開始十分前を告げていた。時間に煩い体育教官は『五分前には集合完了が常識』が口癖だ。
渡辺は鼻を鳴らした。
「身体測定嫌がってたし、休むんじゃねーの?」
「そんなぐらいで休む…か」
純のあの性格では否定しきれない。香雅は苦笑いを浮かべた。
「そういえば金曜日の晩に純から電話掛かって来てよぅ、」
体育館に向かう途中で渡辺が話始める。
「身長どうやったら三日で伸びると思う?だと」
「本気で聞いたのか…」
香雅はぽそりと呟いた。
薄々予想してはいたが。
あいつはそういう奴なのだ。
「で、何て答えたんだ?」
「それがな…」
渡辺がにまりと目を細め、次の言葉を発しようとしたその時、香雅が前方から汗だくになって階段を上る純の姿を捕らえた。全力疾走でもして来たのか、息を切らしながら手摺りを支えに、へばり付くようにして上っている。
「大丈夫か?」
「ふあ…胡鏡……と、ナベ…?」
純は虚ろな眼を向け、へにゃりと笑った。額には玉のような汗がいくつも浮かび上がっている。
「保健室行くか?」
「だい、じょう、ぶ。ああ身体測定…」
そう言うと純は重い足をまた一歩踏み出す。
「そこの便所で着替えて来たらどうだ?」
「そうするわ…」
こうして三人はチャイムと同時に体育館に入り、体育教官に睨まれる羽目になったのであった。
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