隣町の高校生がボコられた。
そのまた隣町のコンビニで深夜に万引き事件が起きた。
「またあいつか…!」
次々と寄せられるクレームの嵐。
桃太郎高校の校長、鬼瓦は受話器を置いた後、握りしめた両拳を思い切り机に叩きつけた。青筋の浮いた巨大な浅黒い拳に、厚い木でできた机がミシリと音を立て逆立った。
「コルァ桃川!授業中にガム噛むな!!」
「ガムじゃない、きびだんごだ」
「そういう問題じゃない!!」
その頃。授業中にもかかわらず、教科書も出さずに机に肘をつき、窓の外を眺めながら担当教諭の怒声を片耳に、好物のきびだんごを咀嚼する女子高生──そう、彼女こそが桃太郎高校の問題児、桃川その人である。
「授業中に物を食うやつがどこにいる!だいたいお前は…」
「その話はもう聞き飽きた」
授業が終わり、桃川は教壇の前に立たされていた。公開説教タイムというやつだ。
その脇の黒板にはxやらyやら、記号と数字がずらりと並んで、ある一種の芸術を作り上げていた。
担当教諭の鬼澤は元々赤い頭を湯気を出さんばかりに真っ赤にし、桃川に怒鳴り散らした。
「反省してないのか!」
「お、次は体育の時間だな」
「聞け!」
「この教室は男子の更衣室になるんだぞ。私を痴女にさせたいのか?」
辺りを見ると、確かに女子生徒の姿は無く、男子生徒達がシャツを脱ぎ始めていた。
「このぐらい、何だ!」
「ほう、“このぐらい”というと?」
鬼澤の言葉に、桃川はぐるりと教室中を見回した。そして小さく悲鳴を上げて両手で顔を覆い隠した。
「嘘つき!もうお嫁に行けない!」
いきなり桃川がそう叫んだので男子生徒は何だ何だとどよめいた。脱いでいいものかはたまた着るべきか。数人の生徒達は呆然と立ち尽くしていた。
「何やってんだ、あいつ…」
教室の後ろの方で着替えていた、いつも桃川とつるんでいる一人、犬上はその様子を見て唖然としていた。
春休み明けに露出魔に出くわした時、悲鳴を上げるどころか冷たい眼に嘲笑を浮かべ、一言「貧相過ぎて可哀相」とか呟いた奴が何を言う。
「さすが桃ちゃん、可愛いなあ」
犬上の隣で和やかに桃川を見つめるのはまた仲間の一人、猿谷だ。ただ彼は現在パンツ一丁の状態である。
「ええいうるさい!外に出るぞ!」
さすがの鬼澤も少し動揺したようで、桃川を教室の外に押し込むようにしてその場から立ち去らせた。
「さ、体育体育っと」
教室を出るなり桃川は鳥籠から放たれた小鳥のように軽やかに廊下を駆け抜けた。
「あっ、待て、おい!!」
不意を突かれた鬼澤は慌てて桃川の後を追う。間抜けな教師を背中に、桃川は楽しそうにけらけらと声を上げながら言った。
「真面目に体育の授業に行こうとする生徒を邪魔するつもりか?」
「ぐ…っ」
鬼澤は減速し、みるみる桃川との距離が開いて行く。
ほら、今日も私の“勝ち”だ──
所詮、先公なんて自分の考えを押し付けるだけの生き物。そのゴタクの間にできた隙をつついてやれば手も足も出なくなる。
桃川の口角が不気味に吊り上がって行く。
私は、奴らの悔しそうな面を見るのが愉快で仕方ない──
「待て」
突然、桃川の前方に大きな影が立ちはだかった。
足の裏に重心を移動させ、急ブレーキをかける。上履きのゴムと廊下とが激しく擦れて甲高い音が響き渡った。
「何か用か?」
桃川は蔑むような目で影を睨んだ。桃川の態度に影の正体──鬼瓦校長は、一つ、大きく鼻息を吹いた。
「校長室に来い」
二メートル以上はある巨体と、桃川より何倍も長い年月を歩み得た、身体中から滲み出ている威圧感。腹にずしりと響くような低いダミ声。
桃川は一瞬、胃に何か小さな棘が刺さった感触を覚えた。
「断る」
「お前にその権利は無い」
「はっ、仮にも校長ともあろうお方が、笑わせてくれるじゃないか。次の授業分の単位はどうしてくれるつもりだ」
「安心しろ、それは後ほど考慮してやろう」
鬼瓦が笑った。黄ばんだ鋭い歯が顔を覗かせた。その眼は寒気を感じるほど冷酷な輝きを帯びていた。
「……何故そこまで…」
棘が、一回り大きくなった。
桃川の大きな瞳が小さな揺らぎを見せた。
「何故、か」
巨大な壁が斜めに動き、その向こうに無機質で長い道が開けた。
「警察の方がいらした」
白い道の上には、黒いスーツを来た男が二人、人形のように立っていた──
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