住民A


私の住む村に、一人の男が引っ越して来た。

ちょっとカッコイイかな、とか思って話し掛けたのが間違いで。

自分の趣味に無理矢理付き合わさせるし人の家にケチばっかつけるし変なあだ名付けて来るし…反論は無視。所謂『オレ様系』。
正直言って面倒臭い。他の住人ともあんま仲良くないみたいだし、なんやかんやでもう一年以上も住みついてるし。
また引っ越ししてくんないかなとか思ってたある日、奴の家に行くと部屋はガランとしていていくつかの段ボールが積み上げられているだけだった。
その影から、汗だくになった奴の姿が現れた。私は思わず声を掛けた。

『ちょっと野暮用が出来てな。引っ越す事になったんだ。これでお前らの顔も見なくて済むぜ…ざまあみろだ。お前らも清々しただろう?』

奴は目も合わさず、引っ越し作業を続けながらまるで独り言のように言った。
その姿が妙に切なくて。

『行かないで!』

私にはその一言が言えなかった──




翌日。私の元に一通の手紙が届いた。
宛名を見る前から送り主は分かっていた。震える手で封を切る。

『ありがとう』

いつもの無地の便箋にはただそれだけしか書いてなかった。
私は手紙を無造作にポケットに押し込み、奴の家に走った。途中で転んでも、友人に話し掛けられても構わず走った。



そこには、何もなかった。家さえも。空き地と化したその地には看板が立っているだけだった。
そして、奴の行きつけだった店の店員も役場の職員も、さらには友人までもが奴の名は一切口に出さなくなった。
まるで、最初から奴は存在しなかったかのように。

でも私は忘れない。
何があっても。世界中の誰もが忘れようとも。

『ありがとう』

蒼い空に向かって、私はぽつりと呟いた。
馬鹿だな、と微笑む、奴の顔が見えた気がした。


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