鬼ヶ島のほとりにぽつんと置かれた家がある。
その中では、一匹、鬼が囲炉裏傍で薬の調合を。
「なあ、鬼」
「はい?いっ、たい!」
ザラザラザラ。
鬼が後ろを向くと同時に頭上から黒く小さな球が大量に降り注いだ。
左手で頭を覆いつつ、右手でその一つをつまみ上げる。四分足らずの球は、乾いていながらもぎらぎらと黒光りしていた。
「……黒豆?」
まじまじと見つめながら鬼が言うと、その頭上で鼻を鳴らす音が聞こえた。
「今日は節分だぞ」
大きな麻袋を逆さまに掲げているのは桃色の髪をした巨乳の女武士──桃太郎だ。
鬼はその姿を確認すると、「ああ」と声を漏らし、頷いた。
「そういえばそうですね…」
「鬼は外ォ!」
鬼が言い終わるか言い終わらないかのうちに目にも留まらぬ速さで桃太郎は床に散らばった黒豆を拾い集め、いきなり鬼の顔面目掛けて全力で投げ付け始めた。
「いたっ痛い!ちょ、ちょっと、やめ…やめてくださ、いっ!」
無防備な鬼の顔はたちまち大粒の弾丸の餌食となった。しかし悲鳴を上げる鬼の様子を見て、桃太郎は不敵な笑みを浮かべた。
「どうだ、嫌いなものを投げ付けられる気分は」
「嫌い?」
じんじんと痛む頬や眉間を摩りながら、困ったように鬼は答えた。
「…その、豆は嫌いじゃないですよ。…痛いけど」
「嫌いじゃないのか?」
桃太郎は目を丸くした。鬼は申し訳なさそうにもごもごと口を動かす。
「えっ、ええ、他の鬼は苦手な方が多いようですけど、私は嫌いじゃないですよ。いい薬になりますし」
「なんだ。つまらんな」
桃太郎は大袈裟に肩を落とす。
「ひっ、ごごごごめんなさい空気読めなくて!!やっぱり嫌いです!豆!」
「いいよもう」
桃太郎は太刀を外し、鬼の隣に座ると囲炉裏にかけられた餅を一つ、美味そうに頬張った。
「せっかくの年に一度の鬼いじめイベントだったのにな」
「ち、違いますよ…多分」
鬼は膝立ちになり、散乱した黒豆を拾い集め始めた。黒豆のいくつかは囲炉裏に転がり落ち、香ばしい匂いを漂わせていた。
「じゃあこれも役に立たないか。…焼いたら美味いかな」
言うと桃太郎は袖口からおもむろに和紙に包まれた何かを取り出した。何重にも重ねられた和紙を広げていくと、やがて黒い細長いものが現れた。
「何ですかそれ…うっ、わああああ」
興味本意に桃太郎の手元を覗き込んだ鬼は身体をのけ反らせた。その拍子に掌から溢れた黒豆がてんてん、と床を跳ねる。
和紙の中から現れたのは、既に目にヒイラギを刺された鰯の干物だった。
「嫌いなのか?」
「だだだだだって目にヒ…ヒイラギなんて…可哀相じゃないですかあ」
「いや?死んでるしな」
「うう…見てるだけで痛いです…早くしまってください……」
鬼は鰯から顔を背け、身体を震わせている。
「嫌だね」
桃太郎は楽しそうに笑い、鰯を掲げて鬼の正面に回りこんだ。
「ほら、見ろ」
「ぎゃあああ」
鬼が顔を背けてはその先に桃太郎が回り込み、背けては回り込み、とうとう鬼は膝を抱えて丸くなってしまった。
「おいどうした、黒豆みたいに薬になるかもしらんぞ」
鬼の腕の隙間に鰯を差し込み、顔をつつく。固い鰯の口やヒイラギが刺さって微かな呻き声が聞こえた。
「べ、別個がいいです」
「しょうがないな。ほら」
ヒイラギと鰯が分離された。鬼はそろそろと顔を上げ、それを確認すると、露骨にほっとした顔をした。
「えいっ」
しかし桃太郎は再び鰯の目を潰した。鬼の顔からさっと血の気が引いた。
「うわああああ!!」
──やっと節分らしくなったな。
ヒイラギを抜き刺ししながら桃太郎はにやりと笑った。
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