ふらりと現れたと思ったらまたふらりと消えてしまった女を探して、鬼は岸辺を歩いていた。
衣服は置いてあるから、帰ったわけではなさそうだが、風呂場にも気配はない。
彼女のお供三匹まで見当たらないので誰かに尋ねることもできず、他に脱衣するようなことといえば海ぐらいしか思い浮かばなかった。
鬼の手には刀が握られている。彼女は服と一緒に愛刀まで置いて行ったのだ。
まったく無防備だと鬼は思う。いくら剣術に長けているといえど、剣を無くせば生身の人間と同じ彼女が、敵地であるこの鬼ヶ島で刀を手放すとは。運悪く他の鬼がやって来て刀を取り上げられれば勝ち目はない。
否、彼女の無防備さはこれに限ったことではない。自分だって鬼だ。その鬼の前で無邪気に遊び、鬼の作った飯を食い、鬼の横で寝るのだから困ったものだ。
自分は確かに彼女の命を救ったかもしれない。彼女が今元気に過ごしているのも、心を許してくれているのも嬉しい。しかしここまで無防備にされていいものか。
諸事情ありといえども結局自分は鬼で、彼女は桃太郎で。そして何より自分は男なのだ!
……鬼とも男とも思われてなさそうだけど。
鬼が溜息を吐くと同時に、岩影から人の首が飛び出した。
「わああああ!?」
鬼は驚いて飛び上がった勢いで足を滑らせ、盛大に尻餅をついた。
「大丈夫か?」
一瞬、生首かと思ったが、きちんと身体がついていた。いや、それは探していた彼女本人であった。
「あ…も、も、も、ももたろ……」
言いかけて鬼は硬直した。
彼女は薄い襦袢一枚身に着けただけで、頭の先から爪先まで水に濡れている。身体の輪郭がほとんど浮き彫りにされているのだ。
おまけに裾を腰下まで上げているせいで、艶やかな太股があらわになっている。
「うっわああああああああ」
鬼は二度目の悲鳴を上げ、尻餅をついたままの体勢で器用に後ずさった。
「私は化け物か」
その理由を理解していない桃太郎は呆れたように言う。
「だっだから、無防備なんですよ…!」
鬼は必死に言いながら、あられもない姿を見ないよう腕で自身の目を覆う。
しかしその腕には刀が握られていたため、桃太郎の注意は愛刀に集中した。
「すまん。守っててくれたのか」
桃太郎は鬼の手から愛刀を受け取った。予想外の反応に鬼は唖然とする。
「いやあ、ここに置いといた方が何処かにやってしまいそうだったんでな。いい置き場はないものか…」
「や、そうですけどあの、その前にですね……あのう、えっと…」
「言いたいことがあるならはっきり言え」
刀の柄口が鬼の頬を打つ。痛い。
鬼は涙目になって「なんでもないです」と黙ってしまった。
顔を背ける鬼に「困った」と呟いてから、桃太郎は手を打った。
「そうだ。面白いもの見つけたんだ」
ほれ。と桃太郎は鬼の眼前に黒い物体を突き出した。
枕ほどの大きさで、ごつごつしていて岩のように見える。しかしその表面はぬるりとした粘膜に覆われ、怪しく光っている。
鬼は顔を引き攣らせた。
「こっ、これって、なま、なま、ナマコ…!!」
「やっぱり知ってたか。鬼ケ島のナマコは何と言うか、格が違うな」
桃太郎は岩のようなナマコをぐっと握りしめた。ナマコはその習性から、勢いよく内臓を排出する。
「おお、豪勢豪勢」
「い゙やああああああ」
玩具のようにして遊ぶ桃太郎とは反対に、鬼は真っ青になって本日三回目の悲鳴を上げた。
「あ、そういえばお前こういう痛い系の無理だったな」
鬼は膝に顔を埋めて震えている。桃太郎はその正面に腰を落とし、覗き込むようにして鬼を宥めた。
「大丈夫だ。出るようになってるんだから痛いわけないだろう。それにまたすぐ再生する」
「そういう問題じゃないです……」
桃太郎はうーん、と唸った。今度こそ困った。ちょっと驚かしてやるつもりが、予想外の落ち込みようだ。
「……鬼らしくないですよね」
不意に、鬼が呟いた。
「私は、他の鬼のようにはなれません。でも人と一緒に暮らすこともできません。半端者です、私は」
桃太郎はじっと鬼を見た。
「半端者か…」
そっと鬼の頭に触れ、撫でるように軽く二回叩いた。
「じゃあ私と一緒だ」
はっとして鬼が顔を上げると、桃太郎は満面の笑みを浮かべていた。
「さ、一旦帰ろう。鍋を貸してくれないか。こいつが乾いてしまうから」
桃太郎は立ち上がり、重そうに巨大ナマコを持ち直した。
「た、食べるんですか…?」
鬼も続いて立ち、心配そうに尋ねた。
「当たり前だ。こんなに大きいんだぞ。存分に楽しめる」
桃太郎は歯を見せて笑うと、跳ねるように帰路を行く。
「さあて、ナマコを浸けたら次は釣りだ。あいつらに用意させてあるからもういい頃だろう。こいつ以上の大物を釣り上げんとな」
桃太郎は高々とナマコを掲げる。
「はい。でも釣りに行く前に着替えてくださいね…?」
鬼は桃太郎の後を行きながら、少しはにかんだ。
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