「お前…何だその格好」
翌日、登校して来た桃川の姿を見て犬上は目を丸くした。
ポニーテールを解いた桃色の髪は緩やかなカーブを描いて胸にまで達していた。それまで着崩していたワイシャツをきちんと着てブレザーを羽織り、スカートは膝上、紺のハイソックス。ピアスも外して、スクールバッグを抱える桃川の容貌は昨日までの不良スタイルと一転してそこらへんにいそうな女子高生だ。
「何って…イメチェンだが。変か?」
「そんなことないよ!」
「可愛い!」
「…ああ、変だ。お前がそんな校則通りの…」
「うっさい黙れ犬コロ!」
「校則通り。いいことじゃないか」
「そーだそーだ!」
「いや、なんつーか…」
いちいち茶々を入れる猿谷と雉島に苛立ちを感じながらも犬上は言った。
「何かあったのか?」
「なかったら駄目なのか?」
「いや、そういうわけじゃ…」
言葉を探している間にチャイムが鳴り、桃川は席に着いた。三人も渋々それぞれの席に戻る。犬上は桃川の様子を気にして見てみた。
教諭が教室に入って来るなり桃川はいつもの巾着袋を取り出した。しかし中のきびだんごを一つ手にしかけた所で思い留まったようで、きつく巾着の口を結んで鞄に入れてしまった。代わりに教科書とノートを取り出す。
──やっぱりおかしい。
その日一日だけかと思いきや、もう一週間になる。
桃川は一つも授業をサボらなかった。それどころか真面目に板書までしている。揚句の果てには放課後の遊びの誘いも断ってさっさとどこかに行く始末。
「俺達だけでも遊び行かん?」
「やーよ。私男嫌いだもん。二人で行けば?」
「誰がこんな犬コロと一緒に…!」
「はっ、こっちだってお断りだバーカ」
「やんのかコラァ」
「あーはいはい、二人ともうざいからやめて」
そんなやり取りを何度も繰り返しながら犬上、猿谷、雉島は夕日の差し込む教室でいたずらに時を過ごしていた。
「…本当、急にどうしたんだろうな、あいつ」
やがて犬上がぽつりと言った。
「受験対策始めたのかなあ」
「あいつ、フリーターかきびだんご工場長になるとか言ってなかったか」
「新しい行きたい所見つかったんだよ、きっと」
「でもそれなら応援したいな」
「うん…」
それから沈黙が続き、三人の影は黄昏の教室に長く伸びていた。
「桃川さん、最近頑張ってますね」
放課後の第二理科室。
鬼渡が教卓を丁寧に拭きながら言った。
「だろう?やればできるんだ、私は」
桃川は跳ぶように鬼渡の側に行った。
「ええ、素敵だと思います」
「素敵、か」
懸命に左右に動く右腕を見つめる。
「なあ鬼渡」
机にこびりついた小さなシミに、ふきんは夢中になった。
「このまま、もう少し頑張ったら…お前は認めてくれるか?」
「え、何をです…うわっ!?」
桃川に注意を配ると、思ったよりすぐそこに顔があったことに鬼渡は驚いた。
左腕にそっと、細い指と柔らかな胸部の感触が伝わった。小心者の鬼渡は咄嗟に離れようとして、足がもつれてその場に尻餅をついた。
「ななな、何を…」
驚愕している鬼渡の前にそのまま桃川は屈み込み、覆いかぶさるようにしてゆっくりと近づいた。
「認めてくれるか、私を、異性として」
「え…あっ……そっ、それって…」
「好きだ、鬼渡」
「…!!」
耳元で囁かれ鬼渡の身体が一瞬跳ねた。そして固まった。見開かれた眼だけがうろうろと揺れる。
「なあ、次はどうすればいい?」
桃川は親指で鬼渡の口元の弧を撫でた。
甘い吐息が掛かり、徐々に唇と唇が触れてしまいそうに。
「そっ…あっ、でも、あの、」
鬼渡は顔を赤くさせたり青くさせたりしながら金魚のように口をぱくぱくさせた。何も上手く言葉にならない。
暫くそれを眺めていた桃川は口元を吊り上げ、鬼渡から離れた。
「馬鹿だな、本気にしているのか?」
「え…」
うっすらと涙が浮かんだ目で鬼渡は桃川を見上げた。
「あ、あの、桃川さ…」
「やっぱり面白いな、お前」
そう言うと桃川はスカートを翻した。
机の上に置いてあったスクールバッグを抱える。
「じゃあな、また遊んでやるよ」
第二理科室のドアがぴしゃりと閉まり、桃川の影は陽が沈みかけた薄暗い校舎に消えた。
鬼渡の手元では、床に落ちたふきんが蛍光灯の光を鈍く受け止めていた。
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