僕が三才の時、妹は生まれた。
僕は毎日妹のゆりかごをにこにこしながら覗き込んでいたらしい。その小さな命の尊さに、可愛らしさに見とれていたのだろう。
だが、妹は生まれつき身体が弱かった。
夕方仕事から帰って来た母が、ぐったりした妹を今にも泣き出しそうな顔で抱き上げ、病院に走ることなんて日常茶飯事だった。僕はその度に近くに住む祖父母の家に預けられ、妹の診察が終わってすっかり夜になるまで母を待ちわびた。
母は僕を放っておいて甲斐甲斐しく妹の世話ばかり焼いている。まだまだ母親に甘えたい盛りの僕は妹に激しく嫉妬した。
物心ついて間もない妹が、僕のおもちゃで遊んでいるのが気にくわなかった。母も、おもちゃも、全てが妹に盗られてしまうと思い込んだ。
妹からおもちゃを取り上げ、怒鳴った。妹はキョトンとして他のおもちゃで遊ぼうとしたのでそれも取り上げ、妹を蹴飛ばした。妹が泣きわめいて母が飛んで来、僕はひどく怒られた。
「おもちゃぐらい貸してあげなさい。お兄ちゃんなんだから」
僕には母の理論が理解できなかった。どうして僕ばかり我慢しなくちゃならないのか。あいつこそ、後に生まれたくせに偉そうに。
母に怒られないように、泣き出す妹の口をタオルで塞いだ。助けを求めようとするのを防ぐように、何度も何度も殴った。やがて妹は大声で泣かなくなった。机の下や箪笥の影にそっと隠れてしくしくと声を押し殺して泣いていた。
次第に僕の暴力はエスカレートして行った。言うことをきかない妹を、生意気な口をきく妹を、なにもなくてもただ殴った。妹なんていなくなれば良いと思った。
蹴り飛ばして柱に叩き付けたこともあった。頭を掴んで浴槽に沈めたこともあった。熱が出てうなされているのを思い切り踏んづけたこともあった。その度に妹は隠れて泣いた。
僕が中学生になって反抗期の真っ盛りだった頃には、力の暴力だけでは飽き足らず、思い付く限りの罵倒を妹にぶつけるようになった。
体格の変化なんて考えずに今まで通り殴っていたら、妹の手足にはぽつりぽつりと青あざができていた。親にばれると後々さらに痛い目に遭うことをすっかり理解している妹は、それを必死に隠して生きていた。
高校生になって、勉強に部活、友達付き合いに朝から晩まで忙しくて、僕は妹に構ってられなくなった。
それでもまだ、できれば消えて欲しいとは思っていたが、気にしない分いくらか楽になった。
そして大学に進学し、僕は一人暮らしを始めた。家に帰ると誰もいなくて、始めはその気楽さを楽しんでいたものの、だんだんと寂しくなって家族のありがたみを感じるようになった。そこで僕はようやく妹に罪悪感を抱いた。
せめてもの償いにと、コツコツ貯めたバイト代で妹に誕生日プレゼントを送った。妹の趣味なんて分からなかったけれど、冬生まれだったので適当に店頭に飾られていた水色のトレンチコートを選んだ。緊張して、照れ臭くて、宛名を書く腕が震えた。
もしかしたら迷惑かもしれないけど、これからは毎年プレゼントを送ろう。
そう決心したのに、その一ヶ月後、妹は死んだ。
実家に帰ると、客間の真ん中に横たわっている白装束の人間と、その枕元で泣きじゃくる家族の姿があった。
顔を見てやってくれと言うので手拭いを取ると、息の止まった妹の頭があった。
酷い肺炎だったらしい。元々弱い妹の身体は耐えきれなかった。妹の調子が良くないとは聞いていたが、こんなになるまで会いに来なかった自分の薄情さに驚いた。
でももっと驚いたのは、妹の顔だった。
高校生になる妹は、安らかな表情で眠っていた。こんな顔してたのか、と僕は思う。僕の記憶の中の妹は、物影でしくしく泣いてる小学生のままだ。
妹は僕を避けていた。殴られないように、視界に入らないように。妹の短い人生は僕の自分勝手な暴力に振り回されていた。
ごめんな、と言葉に出すと堰を切ったように涙が溢れて来た。
おもちゃぐらい貸してやれば良かった。好きなことさせてやれば良かった。ゆっくり休ませてやれば良かった。
いくら後悔しても、涙を落としても、妹は目を覚まさない。僕を恨んだまま妹は逝った。消えればよかったのは、僕の方だったのかもしれない。
入棺の時、これも入れてあげようね、と母は水色のトレンチコートを持って来た。
「この子、凄く喜んで喜んで。病室にもずっと置いてあったのよ。退院したらこれを着てお兄ちゃんの誕生日プレゼント探しに行くんだって言ってたのに……」
母はコートを顔に押し当てて激しく嗚咽を漏らした。
「僕は…」
僕は、誕生日プレゼントなんていらなかった。元気に生きていてくれればそれで良かったんだ。そしていつか、普通の兄妹みたいに、くだらないことを話して笑いあっていたかった。
僕は毎年、妹の誕生日になると墓に行く。
妹が好きだったという花とお菓子を添えて、昨日母さんがこんなこと言ってたよ、なんてどうでもいいことを語りかける。
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